★38話-7、ニセモノと言われた本物の末路

 ゴーニャが最愛だった者に絶縁の言葉を投げつけると、花梨の体は石のように硬直し、一切動かなくなる。

 口をだらしなく開き、まばたきの回数だけが増えていく中。胸ぐらを掴んでいた手が緩み、解放された細身の鬼が地面へと落ちていく。

 花梨の魔の手から逃れた細身の鬼は、過呼吸気味になりながら必死に地面を這い、未だ気絶しているガタイのいい鬼の所へと向かい、体の影に隠れた。


 それと同時に、硬直していた花梨の体がわなわなと震え始める。

 黒く染まり切っている心は酷く動揺し、困惑して歪んだ表情で振り向くと、ゴーニャは敵意を剥き出しにている瞳で花梨を睨みつけていた。


「ご、ごっ……、ゴー、ニャ? いま、いまっ! なん、て……」


「聞き分けだけじゃなくて耳まで悪いの!? あんたなんか大嫌いって言ったのよ!!」


 何かの間違いかと思っていた絶縁の言葉を再び投げつけられると、花梨の困惑でひしゃげていた表情に更に困惑が増し、唇が小刻みに震えだす。

 更に絶縁の言葉は鋭い刃に変わり、黒く染まった花梨の心を深く抉る。

 そして花梨は、身が引き裂かれたような錯覚を起こす程の痛みを心に感じ、無意識の内に左胸を鷲掴んだ。


 だんだんと呼吸が荒れ始め、龍眼に涙を滲ませた花梨が、ゴーニャの目の前で膝を崩して地面に突き、そのまま両手も地面につけた。


「なんで、なんでそんなヒドイ事を言うのさ……? 私は、ゴーニャの為を思って……」


 花梨が力の無い手をゴーニャに差し伸べるも、ゴーニャはその手を払い除ける。


「私のため? そいつらを殺すのが私のためですって!? 本物の花梨だったら絶対にそんな事はしないし、思いもしないわっ! このニセモノっ!!」


「に、ニセモノぉ……? ゴーニャ、私だよ? 本物の秋風 か―――」


「それ以上言わないで! いいっ? 私の大好きな花梨をこれ以上けがすのはやめてちょうだい! その体は花梨の物よ! ニセモノはとっとと出ていって!」


 ゴーニャのあながち間違いではない筋が通っている叫びは、花梨の耳を通して脳に達し、闇の花が根付いている心へと直接響いていく。

 その叫びは闇の花にとって、劇毒のような作用が働き、一枚、二枚と花びらを散らし、跡形もなく霧散していった。


 数分前までの殺気にまみれた悪鬼羅刹あっきらせつの表情から打って変わり、愛する者に拒絶され、絶望して情けなく弱々しい表情になっている花梨が、ゴーニャに詰め寄っていく。


「あ、あいつらは、ゴーニャをさらおうとした、とっても悪い奴なんだよ? ゴーニャがやめてって言ったのに、大切な携帯電話を壊した極悪人なんだよ? しかも、ゴーニャの事を傷つけた、悪魔みたいな奴らなんだよ……? 言っても分からない奴らだから、もう殺すしか道は無いんだ。分かってよぉ……」


「わかるワケないでしょ! あんたこそ、私の大好きな花梨の体で人を殺すのはやめてって、何度言えばわかるのよっ! このバカァ! だからあんたは大嫌いなのよ、早く私の花梨を返せっ!!」


 三度目の拒絶の叫びを放つと、傷だらけである花梨の心に致命的なダメージを与える。

 死んでもおかしくないダメージを負った闇の花が、もがき苦しみながら残り少ない花びらを更に散らしていく。


 今の花梨は、二人組の鬼を殺す事により全ての決着がつき、ゴーニャの無念を晴らす事が出来ると信じ切っていた。

 しかし殺すなと言われ、最愛なるゴーニャにも嫌われてしまい、あまつさえニセモノまでと言われた花梨は、最早解決策や打開策が見つからず、ただひたすらに顔を涙でぐちゃぐちゃにさせていた。

 もう何も策が思いつかず、微塵も思考ができなくなった花梨が、ゴーニャの両肩に自分の手を置き、体を揺すりながら話を続ける。 

 

「いやだ、いやだよゴーニャぁ……。お願いだから、私を嫌いにならないでよぉ……。大好きなゴーニャに嫌われたら、私は、もう……」


「イヤッ、触らないで! 手を離して……、離しなさいってばぁっ!!」


 ニセモノと決めつけた花梨に心底触られたくなかったゴーニャは、肩に置かれた手を振り払おうとするも上手くいかず、暴れた拍子に花梨の頬をペチンと叩いた。

 叩いた頬には手応えが感じられず、当たり前の様に叩かれた方へと流れていく。

 事故とは言え、誤って花梨の頬を叩いてしまったゴーニャは、血の気が引いていく顔で「あっ……」と、か細い声を漏らした。


 ゴーニャの思わず漏らした言葉を最後に、二人の体が凍りついた静寂に包まれる。

 夜風さえも止まり、呼吸をするのも忘れ、飲み込んだ生唾の音だけが耳に入り込んでくる中。

 呆然としていた花梨が二度まばたきすると、丸くしていた目から大量の涙が溢れ始める。

 そして、その大粒の涙をぬぐわないまま片手を地面に突き、空いている手で自分の左胸を強く握り締めた。


「……い、痛い」 


「あっ! ご、ごめんなさい……。ほっぺ痛かった?」


 ニセモノと言われた花梨が、ゴーニャの心配する声を否定するように首を横に振る。


「違う、ほっぺじゃない……。胸の部分が張り裂けそうなほどズキズキして、とっても痛いんだ……。なんでだろう、大好きなゴーニャに嫌われちゃったせいだからかなぁ……?」


 初めて味わう、言い知れぬ苦痛に顔を歪めている花梨が、涙で濡れている龍眼をゴーニャに向ける。

 その龍眼には殺意や憎悪は一切無く、慈愛に満ちた温かな眼をしていた。


「助けようと必死になってたけど、逆に迷惑を掛けちゃったみたいだね……。こんな不器用な私でごめんね。さよなら、ゴーニャ……」


 大嫌いと存在を否定され、頬を叩かれ、完全にゴーニャに嫌われたと悟ったニセモノの花梨が、別れの言葉を告げ、静かに瞼を閉じてこうべを垂らす。

 そのまま満月の光に侵された妖怪の血もろとも巻き添えにし、闇夜が薄いススキ畑に広がり、音を立てずに消えていった。

 同時に、深い闇に取り込まれていた花梨本人の意識が目を覚まし、表へと出て行く。そして、ハッとしながら頭を上げて辺りを見渡した。


「あ、あれっ……? ここは……、ススキ畑?」


「……花梨っ? 花梨、なの?」


「えっ、ゴーニャ!? 二人組の鬼に追われていたんじゃ……」


「……やった、いつもの花梨に戻ったっ!!」


 先ほどまでの殺伐としたニセモノとは違い、雰囲気と口調がいつもの優しい花梨に戻ると、ゴーニャは咄嗟とっさに本物の花梨の胸へと飛び込んだ。

 思いっきり体に抱きつくと、緊張の糸がプツリと切れ、勝手に溢れ出す涙で花梨の服を湿らせていき、甘えるように何度も何度も頬ずりをした。

 いきなり飛びつかれてきて驚くも、ふわっと微笑んだ花梨が、ゴーニャを守るように熱く抱き返す。


「ゴーニャ、ゴーニャ!! 無事でよかったぁ!」


 花梨の喜々とした言葉に小さな違和感を覚えたゴーニャが、隙間を縫って顔を上げ、花梨の龍眼に青い瞳を向けた。


「何も、覚えてないの?」


「うん……。ここに来る前に一回だけ座敷童子に変化へんげしたんだけど、そこから記憶が飛んじゃっているんだよねぇ。気がついたらここに居て、目の前にゴーニャが居たって感じなんだ。なんか、茨木童子の姿になっちゃってるんだけど、私なにかマズイ事でもしてた、かな?」


 その説明にゴーニャは、今までの出来事を全て無かった事にする為に、何度も首をブンブンと横に振り、うっかり真実を話してしまわないよう、一度だけ口をギュッとつぐんだ。


「……マズイ事なんて何もしてないわっ! 花梨は茨木童子になって、捕まっていた私をカッコよく助けてくれたの! ただ、それだけよ」


 花梨が今までの惨劇を覚えていない事といい様に、悪夢染みた過程を省いて簡略に説明し、誤魔化すようにニコッと笑顔を浮かべる。

 曖昧な説明にあまり納得がいかなかったのか、花梨が「う~ん……」と唸りを上げ、黒く潰れた部分の記憶を思い出そうとし、首をかしげた。


「本当? なんか物騒な発言をしたり、最悪な事をしでかそうとしていたような気が……」


「花梨がそんな事をするハズがないわっ! 全部見てた私が保証するっ!!」


 焦りを覚えたゴーニャが真剣な眼差しで嘘をつき、これ以上花梨に反論の余地を与えず、強引に言いくるめていく。

 頭に深いモヤモヤが残りながらも、いくら考えても思い出せそうになかった花梨は、半ば諦めつつ納得し、思考を止めた。


「そう? なら、いいんだけど……、グゥッ!?」


「花梨っ……? どうしたの!?」


「ごっ、ゴーニャ……、離れ、て……」


 呻き声を上げた花梨が、体に抱きついているゴーニャを無理やりに剥がし、自分の体から距離を置かせて地面にそっと立たせた。

 そのまま花梨はひたいを地面に突き、体をうずくめると、背中から白い湯気が昇り始める。

 尋常ではないほど苦しんでいる花梨の姿を目にすると、ゴーニャは慌てて駆け寄り、その場にしゃがみ込んだ。


「花梨っ、まさか……」


「い、茨木童子になっている、から、ガァッ……! 妖怪の血が……、満月の光に、反応、して、る……」


「や、ヤダ……。ダメ、ダメよ花梨っ! 妖怪の血なんかに負けないで! 負けちゃったら、さっきのニセモノに戻っちゃう!!」


「に、ニセ、モノ……? と、とりあえず……、早くどこか遠くまで、逃げ、てぇ……!」


 底無しの焦りからか、ゴーニャが思わず漏らした真実の言葉に反応するも、これから何をしでかすか分からないでいた花梨は、再び妖怪の血に取り込まれる前提でゴーニャに逃げるよう指示を出す。

 しかしゴーニャは逃げるどころか、ニセモノの花梨に戻らないよう、苦しんでいる花梨の体に覆いかぶさる。


「イヤッ! もう花梨と離れるなんて絶対にイヤッ!!」


「妖怪の血に取り込まれ、たら……、自分でも何をする、のか……、分からないんだ……。私が正気の、うちに……、早く、逃げ―――」


「かりーーーん!! ゴーーーニャ!!」


 遠のいていく意識を必死に保ち、暴れ出さないよう体全体に力を入れて抑え込んでいると、ふとゴーニャの声とは違う、第三者の叫び声が耳に入る。

 瞑っていた瞼を片方だけ開け、前を向いてみる。すると霞み切っている視界の中に、空から降りてきた黒い影と、その奥に一つの大きな赤い影が映り込んだ。


 花梨にはそれらが誰だか分からないでいたが、ゴーニャの青い瞳には、しっかりとその姿が映り込んでいた。


「……クロっ? それに、酒羅凶しゅらきかえでまで!」


 黒と赤の影の正体は、一つは、黒いテングノウチワを片手に持っているクロ。

 もう一つは、ススキをかき分けて来た酒呑童子の酒羅凶と、その肩に座っている妖狐の楓だった。

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