★38話-6、全てを終わらせる絶縁の言葉

 青白い満月の光がススキ畑に降り注ぐ中。


 剛力酒ごうりきしゅの副作用により身体が茨木童子へと変わりつつある花梨は、静かに目を閉じていた。

 黒く荒み切っていた心は、波紋が一切立っていない水面みなものように穏やかであったが、ああ、これで全てを終わらせられる。これでゴーニャを、助け、ら、れ……。

 ……あれ? おかしいな、意識がだんだん遠のいて、いく……。と人知れずに意識が、満月の光に侵された妖怪の血に飲み込まれていった。


 表の意識が完全に潰えるも、変化へんげは止まらずに続いていく。


 オレンジ色だった髪色は明るいうぐいす色に染まり、爪が鋭利に尖って伸びていく。歯は全てギザギザな牙へと変わり、唇の右側から八重歯が顔を出す。

 普段ならば髪の毛に隠れるほど小さかった角は、烈火の如く燃え盛るような紅色をして、満月を突き刺さんばかりに長く生えていた。


 変化が終わったのか、体から昇っていた湯気が止まると、それを見越していた花梨がゆっくり目を開ける。

 その目は黄金色に眩く発光しており、怒髪天を衝く龍の威圧感がこもった瞳は、二人組の鬼の姿を離さず捉えていた。


 決して怒らせてはいけない者を怒らせたような恐怖を覚え、花梨の龍眼りゅうがんに捉えられていた細身の鬼が、ひたいから大粒の冷や汗を垂らす。


「あ、あいつ……、見覚えがあるぞ。確か、居酒屋浴び呑みに居た茨木童子じゃねえか?」


「茨木童子って、酒呑童子の子分じゃないっスか! や、やべぇんじゃねえですか……?」


 ガタイのいい鬼がうろえながら弱音を吐くと、ひたいの冷や汗を腕でぬぐった細身の鬼が、喉を鳴らして生唾を飲み込み、焦りで泳いでいる横目をガタイのいい鬼に向ける。


「お、思い出せ! 俺達は一回ずつあいつを殺しかけているんだ! なら、立っているのもやっとな瀕死のハズ。ヒヒッ、心配すんな。トドメを刺してこい」


「お、俺がっスか!? ……へ、へいっ」


 顎で指示を出されたガタイのいい鬼は、花梨の龍眼に怯えている身体を黙らせる為に、震えた深呼吸を二回し、気持ちを無理やり落ち着かせる。

 そして、意を決してがむしゃらに走り出し、その場に立ち続けていた花梨の顔面に目掛け、勢いの乗った拳を振りかざす。


 ひたすらに前を見据えていた花梨は、圧縮された風圧を纏った拳を右手のみで払う。

 払われた拳は右に流れ、勢いが死なぬまま背中まで周り、その勢いに着いていけなかった肩の骨が外れた。


「はぇ?」


 自分が今、何をされたのか理解していないガタイのいい鬼が、抜けた言葉を漏らす。

 走っている足を止められないまま花梨の目前まで迫ると、花梨は迫り来る顔を垂直に蹴り上げた。


 その一撃で顎が粉々に砕け、下顎に生え揃っていた牙の半分以上が外に飛び出し、辺りに散乱していく。

 蹴られたガタイのいい鬼の体は真上に吹っ飛び、重力に囚えられると、そのまま頭から落下する。

 気絶しているのかまったく動かず、全身は小刻みに痙攣しており、口からは血の泡が溢れ出していた。

 

「お前に用は無いんだよ。後でちゃんと殺してやるから、そこで寝てろ」


 花梨が無表情で死の宣告を投げつけると、ゴーニャに馬乗りしている細身の鬼に龍眼を向け、歩き始めた。

 距離を詰めてくる花梨を見て、孤立無援になった細身の鬼は確たる死を察知し、体中が震え上がった。


「く、来るんじゃねえ!! こっちには人質がいんのを忘れんな! それ以上近づくと、このガキを殺すぞ!?」


 崖っぷちの脅し文句を耳にした花梨が、歩ませていた足を止める。

 そして、足元に落ちていた手の中に納まるほどの石を拾い上げ、再び歩き始めた。


「やってみろ。その前に、この石でお前の頭をぶち抜いてやるよ」


「うぐっ……!? くっ、クソがぁ!!」


 後が無くなった細身の鬼が、ゴーニャに向かい、歪んだ爪が伸びている手を振りかざそうとするも、花梨はすかさず振りかぶり、細身の鬼に目掛けて石をぶん投げた。

 その石は目視出来ないほど速く、金切り声を上げた瞬間にひたいに命中するも、石の方が脆かったのか、砂の様に砕けて辺りに霧散していく。


 しかし残っている威力は凄まじく、細身の鬼の体は縦に回転しつつ、後方に向かって吹っ飛んでいった。

 そのまま地面に体が落ち、数十メートル滑らせて止まると、やや抉れて血塗れになっているひたいを抑え、断末摩を思わせる叫び声を上げる。


「石の方が脆いのか、やっぱり妖怪の体は頑丈だなぁ。ゴーニャ、いつまで寝てるの? 早く起きなよ」


「あっ……、うっ……」


 今まで死に物狂いで探し続け、やっとの思いで再会できたゴーニャの元まで歩み寄るも、花梨は一切手を差し伸べようとはせず、無表情のまま雑に手招きをする。

 だが、今までの花梨とはかけ離れた行動を垣間見ていたゴーニャは、言い知れぬ恐怖に駆られて体がすくみ、足が言う事を聞かずに立ち上がれないでいた。


「起きないの? じゃあ、ずっとそこで寝てな。私はケリをつけてくる」


「け、けり……?」


「うん、あいつを殺して全てを終わらせるんだ」


「こ、殺す!? や、やめてっ……!」


 淡々とした口調で言い放った花梨は、倒れているゴーニャを助けようとはせずに通り過ぎ、のたうち回っている細身の鬼の元へと向かっていく。

 目の前まで来るとしゃがみ込み、細身の鬼の胸ぐらを強引に掴み上げ、上体を起こさせる。

 額を抑えている手を払い除け、視界を露わにさせると、細身の鬼が「ヒッ!?」と表情を強張らせた。


「今からお前にいくつか質問をする。もう少し長く生きていたいなら、ちゃんと答えろよ?」


「……し、質問だぁ? 誰が答えてや―――……ッッ!!」


 細身の鬼が無駄な抵抗を見せつけるや否や。苛立ちを覚えた花梨は、黙ったまま細身の鬼の中指を握り、根元を力任せに砕いた。

 細身の鬼が声にならない悲鳴を上げると、折れた中指から人差し指に持ち変え、ほんの少しだけ力を込める。


「私の言う事を聞かなかったら、手の指の骨をどんどん折っていく。全て折れたら、今度は足の指。足の指が全て折れたら、今度は腕と足の骨を少しずつ折っていく。分かったな?」


「……は、はい、はいっ!」


 悲痛に顔を歪めた細身の鬼が、必死に何度も強くうなずく。その様を見据えているも、表情をまったく変えないでいた花梨が質問を続ける。


「一つ目。私がゴーニャと電話をしていた際、突然お前の声が聞こえてきたと思ったら、通話が強制的に途切れた。いったい何をした?」


「ご、ゴーニャ? ……電話?」


「とぼけんな。お前がさっきまで馬乗りしていた私の妹の名前だ」


 花梨が掴んでいた胸ぐらと、握っていた人差し指に力を込めると、細身の鬼は「ヒッ……!」と詰まった声を上げ、目に涙が溜まり始める。


「う、奪い取って……、石に向かってぶん投げて、バラバラに、砕きました……」


「で?」


「でっ!? ……えと、その後、あ、辺りに散らばった部品を、何度も、踏みつけ、まし、た……」


 細身の鬼が経緯を明かすと、ここで初めて花梨の目元が僅かに動き、黙り込む。龍眼に殺意を帯びた圧が増し、細身の鬼の精神をまたたく間に削っていく。

 殺意は龍眼から体に移り、更に手足までに浸透すると、殺意は抑えつける事のできない力へと変わり、胸ぐらを掴んでいた手がわなわなと震え始めた。


「……二つ目。お前、ゴーニャに何かしただろ? 右頬にある青黒いアザはなんだ? なんで服がボロボロになっている?」


「あぃやっ……! ほ、頬は……、殴りました……。それなりの力を、込めて……。服は、抵抗する度に、爪で引き裂き―――」


「殴った? ?」


 細身の鬼が、恐怖に溺れている口で説明している最中さなか。妹を殴られた事実を知った花梨が、細身の鬼の右頬を殴りつける。

 石で殴打したような重くて鈍い打撃音が響き、殴られた拍子に細身の鬼の口から、二本の奥歯が血の糸を引きながら外に飛び出した。


 そして脳を激しく揺さぶられたのか、目がグルンと上を向いて意識を失い、左を向いた顔を正面に向けず、後ろにカクンと垂らす。


「なに勝手に気絶してんだ? 起きろ」


 気絶したのが気に食わなかったのか、花梨は手首が埋まるほどの威力があるパンチをみぞおちに放ち、めり込んだ手を百八十度回転させる。

 内臓が引き裂かれそうな激痛により、飛んだ細身の鬼の意識が呼び戻され「ガッ、カハッ……!?」と垂らした首を上げた。

 その腹部を駆け巡る激痛に、再び意識を失いそうになるも、現状を把握出来ていない細身の鬼が、掠れた声を口から漏らした。


「や、やだ……、やめて、くれ……。たすけ、て……」


「はっ……? やめてくれ・・・・・? 今、やめてくれ・・・・・って言ったのか?」


 無意識の内に零れた命乞いは、逆撫でするように花梨の逆鱗げきりんへと触れたのか、今まで無表情を貫いていた花梨の表情が崩れ、明確な殺意がこもっていく。


「ゴーニャだって何度もやめてって言っただろうに、お前はそれを聞かないで携帯電話を壊したり、服をズタズタに切り裂いたんだよなぁ? しかも、抵抗が出来ないゴーニャの頬を殴りつけたんだよなぁ? それで、逆の立場になったらやめてくれだぁ……? ふ、ふざけんなよ?」


「あっ……、ああっ……」


「やめるワケないだろ? ……最後ぐらい一発でラクにしてやろうと思ってたけど、気が変わった。お前の体もバラバラになった部品みたいに引き裂いて、何度も何度も思いっきり踏みつけてやる!!」


 全てを燃やし尽くす怒りと殺意が溢れ返ると、黄金色だった花梨の龍眼が、鮮血に塗りつぶされたような赤色に染まり上がる。

 鮮血の殺意に染まった龍眼。今にも喉元を喰らいそうでいる剥き出しの牙。全身から溢れ出る憎悪にまみれた圧力。

 それらを纏った顔に詰め寄られた細身の鬼は、魂さえも霧散しそうな身の毛がよだつ脅威を感じ、体中の細胞全てが畏怖いふし、涙を流し始める。


「や、やだ……。やめてくれ……! 殺さ、ないでぇ……」


「また言ったな!? まずは、その癇に障る口と喉を切り落としてや―――……、ん?」


 花梨が空いている手の指を揃え、細身の鬼の喉元を突き刺そうとした瞬間。着ている服を何者かに弱く引っ張られた。

 喉元を突き刺す寸前で手を止めた花梨が、服を引っ張られた方に目を向ける。

 そこにはこうべを垂らしているゴーニャの姿があり、花梨の服を両手でギュッと握り締めていた。


「……なに?」


「もう、もうやめて花梨っ……。そいつを殺したら、花梨もそいつと同じになっちゃう……」


 ゴーニャの怯えている説得が理解出来なかったのか、全てにおいて感心を無くした花梨が、首をかしげる。


「同じ? 言っている意味が分からないよ」


「だから、そいつを殺したらっ! 花梨もそいつらみたいに悪い奴になっちゃう!」


 声を荒げたゴーニャが、垂らしていた頭を上げ、涙が滲んでいる青い瞳で花梨を睨みつけた。

 しかし花梨は無関心のまま、龍眼を細身の鬼へと向ける。


「だから? 私がどうなろうと構わないよ。血が飛び散るから、服から手を離して下がってな」


「イヤッ! 手を離したらそいつを殺しちゃうんでしょ!?」


「手を、離して」


「絶対に離さないんだから! お願い花梨っ、そいつを殺すのはやめ―――」


離せよ・・・


 ゴーニャが言う事を聞かず、不快な苛立ちを覚えた花梨が、細身の鬼に向けていた肌を突き刺す殺意をほんの少しだけ、ゴーニャへと向ける。

 それを肌で感じ取ってしまい、黒く染まった殺意が心に突き刺さったゴーニャは、花梨に殺意を向けられたショックと失望感からか、両腕の震えが増していく。


 頬に涙を伝わせたゴーニャは、もう目の前にいるのは、私が知ってる花梨じゃない……。じゃあ、いったい誰なの……? なんで、花梨の姿をしてるの……? 私の知ってる花梨を、返して……。と、取り返しのつかない現状から目を背け、むせび泣く。


 何も信じられなくなり、目の前にいる花梨は別のナニかだと割り切ったゴーニャが、花梨に向かい敵意のある眼差しでキッと睨みつけた。


「あんた……、あんたいったい誰よ!? 私の花梨を返して!!」


「さっきから何ワケの分からない事を言ってるの? 手を離さないなら仕方ない、そのまま私と一緒に血の雨を浴びな。これで、全て終わらせてあげるからね」


 どんな言葉を投げかけても無駄に終わり、殺意をも向けてきて、殺す事を決して止めようとはしない花梨に似たナニかに、ゴーニャは完全に嫌気が差す。

 そして本当は言いたくなかった、花梨には嘘でも言いたくなった最後の言葉が、口から漏れ出した。


「あんたなんか……、あんたなんかっ! だいっきらいっ!!」 


「えっ……?」

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