★38話-4、黒い感情は、やがて殺意に変わる

 なりふり構わず大通りを駆け抜け、正気を失った妖怪達で溢れ返っている温泉街を抜けた花梨は、遥か地平線の彼方まで続いているススキ畑まで戻って来ていた。

 しかしさらわれたゴーニャを探そうとするも、自分の背丈かそれ以上あるススキ群を目にし、なす術を無くして立ち呆ける。


「こ、この中からいったいどうやって探せばいいんだ……。ゴーーニャーーッッ!!」


 喉の奥底から力の限りに叫んでみるも、返ってくるのは夜風に煽られたススキが奏でている颯爽とした音だけであった。

 夜風がピタリと止むと、辺りは不気味なほどまでに静まり返り、孤独が際立った無音の世界が訪れる。

 それを見計らって再度叫び上げるも、ただ虚しくゴーニャの名前が木霊するだけで、本人からの返答は無かった。


 再び夜風が吹いて音が戻ってくると、花梨は温泉街の大通りよりも一段と狭い一本道を走り始める。

 数百メートル移動してはゴーニャの名前を全力で叫び、遠方に妖怪の姿を見つけると、ススキ畑に身を隠して気配を消しながら移動していった。


 幾度もゴーニャの名前を叫び上げても一向に返事は無く、イタズラに時間が刻一刻と過ぎていき、焦りだけが心に重くのしかかっていく。

 代わり映えしない景色の中で身を溶かしつつ、こうしている間にも、ゴーニャは酷い目に合っているんじゃ……? と、最悪の場合を想定しては、心に芽吹いた闇のツボミの成長を促していく。

 喉が枯れ始め、道無き道をかき分けながら移動していると、不意に着ていた服が何者かに引っ張られ、自分の意思とは関係なく視界が移り変わる。


「へっ……?」


 気がついた時には自分の体は宙を舞っており、目に映る景色が二回転ほどした後、一本道に向かって視界が落ちていった。

 急な出来事で何をされたのかまったく理解していなかった花梨が、受け身を取れないまま勢いよく地面へと落下し、五メートル以上体を滑らせてから起き上がる。


 慌てて潜んでいたハズのススキ畑に視界を持っていくと、そこには何かを投げ飛ばしたような素振りをしている、花梨と同じぐらいの背丈をした赤鬼の姿があった。

 その赤鬼が、投げ飛ばしたであろう花梨を見てから怪しく口角を上げ、左手に持っている太い棘が無数に散りばめられた金棒を肩に置き、「へっ!」と声を上げる。


「なぁにコソコソと隠れてやがるんだ。ちょっと俺と遊んでいこうぜぇ~」


「あ、遊ぶ……? こっちは急いでいるんです、あなたと遊んでいる暇なんかありません! 邪魔をしないでください!」


「ヒッヒッヒッヒッ、こいつはぁ威勢がいい。なぶり甲斐がありそうだぜ」


「……クッ!」


 聞き分けが微塵も無く、会話の一方通行に痺れを切らした花梨は、どうせここから逃げ出しても、この人はしつこく追いかけてくるだろう。なら、ここで倒すしかない! という考えに至り、握り拳を構えて抵抗する意思を赤鬼に見せつけた。


「おおっ? いっちょ前に構えやがって、生意気な奴だ。一発で死ぬんじゃねえぞ?」


 命乞いするどころか、戦う意思を見せつけてきた花梨に興醒めした赤鬼は、余裕の表情を浮かべつつ一歩、また一歩とジワジワと迫り、花梨との距離を詰めていく。

 その中で花梨は、相手は赤鬼さん、体の頑丈さは折り紙付きだ。打撃は一切効果が無いだろう。なら狙うは急所のみ。私の力でも有効打が与えられそうなのは、こめかみ、顎、金的。

 ……金的はダメだ、蹴り上げた瞬間に足を掴まれるかもしれない。なら顎を狙って脳震盪のうしんとうを起こさせて、体の自由を奪うしかない。と狙いを定め、握り拳に力を込める。


 そして数歩後退りをし、距離を一定に保って、金棒だけで攻撃させよう。金棒の攻撃だけなら、軌道が読みやすいし避けるのはそう難しくない。ギリギリで避けて、隙を見て顎にカウンターを入れよう。と、相手の出方を伺った。


 金棒が花梨に届く距離まで迫ってきた赤鬼が、涎の糸を引きながらニタリと笑い、金棒を夜空に向かい振り上げる。

 そのまま花梨の頭に目掛けて振り下ろした瞬間、花梨は体を横にずらして右足を踏み込む。

 金棒がくうを裂きつつ地面を攻撃すると同時に、踏み込ませていた右足で地面を強く蹴り、赤鬼の顎には直接当てず、擦らせるように上段回し蹴りを放ち、すぐさま後ろに飛んで距離を取った。


 顎を攻撃されて脳が揺れた赤鬼が、吐き気を催す眩暈に襲われる。しかし、まさか反撃されるとは夢にも思っていなかったのか、景色が揺らぐ眩暈を忘れるほどに怒り狂い、鼻息を荒々しく鳴らし始めた。

 

「く、クソがぁ……。虫けら如きが舐めたマネしやがって! 頭から叩き潰してミンチにしてやらぁ!!」


 ギラついた目を血走らせ、殺意がこもった怒号を放つも、足元がおぼつかない姿を見た花梨は、よし、効いてる! これなら私でも倒せそうだ。

 完全に怒ったから攻撃のスピードが増すだろうけど、その攻撃は単調になるから冷静に見ていれば問題ない。もう一押しだ! と、微塵も臆すること無く構え直す。


 荒ましい怒りで我を忘れた赤鬼は、花梨に向かい金棒を振り上げながら猪突猛進し、音さえも置き去りにする勢いで金棒を振り下ろした。

 しかし花梨はあらかじめ軌道を予測しており、再び左側に飛んで回避すると、金棒は先ほどまで花梨が居た地面を轟音を響かつつ深くえぐり、圧倒たる衝撃で周りの土を隆起させた。


 その衝撃波で飛来してきた土や石つぶてを腕で防ぎ、全身に浴びながら、完全に殺すつもりで来てる……! あれを食らったらひとたまりもない! と、すぐに次の動作がおこなえるよう体勢を整える。


 渾身の攻撃を避けられたせいか、赤鬼の怒りは躍起やっきを含ませた激怒へと変わり、地面にめり込んだ金棒を両手で握り締めると、花梨の顔面を目掛けてフルスイングしてきた。

 顔を狙われていると的を絞っていた花梨は、咄嗟とっさにしゃがみ、大振りして体勢を崩した赤鬼の両足に向かい、鋭い足払いを叩き込む。


「ぬわっ!?」


 反撃されて一時的に我に返った赤鬼の体は、足払いされた方向に流されつつ宙にふわっと浮く。

 完全に無防備となり、宙で呆気に取られた表情をしている鬼を目にした花梨は、足払いした勢いを殺さずに体を回転させながら立ち上がる。

 そして、更に勢いをつける為に体をもう一回転させ、歯を食いしばりつつ赤鬼の顎に目掛け、体重が存分に乗った強烈な後ろ蹴りを放った。


「ギッ……!?」

 

 カカトが顎にヒットすると、枯れ木を折ったような乾いた音が顎から鳴った。それなりの威力があったのか赤鬼の体が後方に吹っ飛び、地面に落下して転がり続ける。

 体の回転が止まり、赤鬼はすぐに立ち上がるも足に力が入らないのか、何度立ち上がろうとするも膝から崩れ、地面に倒れ込んだ。

 二度も反撃されたのにも関わらず、何も出来ず終いで躍起と激怒に、苦い屈辱が加わる中。

 舞い戻ってきた眩暈と吐き気が激しさを増し、焦点が合っていない目で花梨を睨みつけた瞬間、赤鬼は地面に吐瀉物を撒き散らした。


「た、立てねぇ……。それに、なんだこの、目が回るような気持ち悪さは……。て、テメェ! なにしやがった!!」


「顎を蹴飛ばして脳を揺らしました。しばらくは立てないと思います。先を急いでいますんで、絶対に追って来ないでください。二回も顎を蹴ってしまい、すみませんでした。それでは」


「……クソ、クソッ、クソがぁッ!! 待てゴラァ!! こっちに戻って来い、叩き潰してやる!!」


 背後から熾烈を極める負け犬の遠吠えが聞こえてくるも、花梨は一切振り返らず、逃げるように木霊農園がある方へと走り去っていった。





 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――






「ゴーーニャーーッ!! 聞こえたら返事をしてーーッ!! ダメだ、これじゃあ埒が明かないや……」


 襲い掛かってきた赤鬼を難なく倒し、ゴーニャの捜索を再開してから十分以上が経過した頃。

 少し移動しては銀色の波が立つ広大なススキ畑に向かい、姿が見えないゴーニャの名前を叫び続けるも、返事は一向に帰って来なかった。

 赤鬼との戦闘で時間を大幅にロスし、苛立ちが増した花梨の心が、少しずつではあるが着々と黒く染まっていく。


「……もう、なりふり構ってられない! 「座敷童子さんいらっしゃい!」」


 苛立ちが頂点に達してヤケになると、花梨はおもむろに座敷童子に変化へんげできる合言葉を叫び、首に掛けていた勾玉のネックレスの効力で、ポンッと音を立たせながら白い着物を着た座敷童子へと姿を変えた。

 募る焦りと苛立ちから冷静な判断ができず、全てのリスクを度外視すると、そのまま思い切り地面を蹴り上げて垂直にジャンプし、闇夜が深い空に飛んでいく。


 満月が真上にある夜空に上昇しながら辺りを見渡すと、遠方に黄金色をしたススキ畑の海に混じり、やや開けた場所で動き回っている物体が目に入った。

 降下しつつ目を細めて凝視すると、ロリータドレスがズタズタに引き裂けながらも必死に逃げ回っているゴーニャと、そのゴーニャを今にも捕捉せんばかりに追いかけ回している、例の二人組の鬼だと分かった。

 

「いたっ! まずい、ゴーニャが捕まりそうだ。早く助けに行かな……、グゥゥッ!?」


 念願であるゴーニャを見つけられた花梨が、地面に着地し、ゴーニャ達がいる場所にジャンプしようとした瞬間。

 体の内側から火を飲まされたのかと錯覚するほどの熱さと、内蔵を直接殴られたような耐え難い痛みに襲われ、一瞬だけ意識を失い地面に膝を突く。

 それと同時に、頭の中に今まで感じた事が無いほど邪悪な憎悪と強い殺意が生まれ、その穢れた二つの感情を、ゴーニャを追いかけ回しているにくき二人組の鬼へと向けた。


「あ、あいつらめ、よくもゴーニャをさらって傷付けたな……! 絶対に許さない、殺してやる! ……えっ?」


 満月の光に侵され、沸騰している妖怪の血に意識が取り込まれそうになっていた花梨が、自分の言い放った言葉に驚愕し、ふと我に返る。

 言い知れぬ恐怖に目を見開き、今、私はなんて事を言ったんだ……。殺してやる? ダメだ、そんな恐ろしい事は嘘でも口にしちゃダメだ! 私のバカッ……! と、震えている手を握り締めた。


「こ、これ以上この姿でいたらマズい! 「座敷童子さんおやすみなさい!」」


 再びポンッと音を立たせて人間の姿に戻るも、体全体を襲う熱暴走と突き刺すような痛みは抜けず、立ち上がる事すらままならず、その場で身を丸めてうずくまった。

 更に、先ほど生まれた二つの黒い感情も抜けないまま残っており、花梨は気がつかずにその感情を受け入れ、光が失いつつある瞳で三人が居た方角へと目を向ける。


「ハァ、ハァ……。は、早く行かないと、ゴーニャが、危ない……。いま、助けに行くからね……」


 掠れたか細い声でそう呟くと、言うことをまったく聞かない体を無理矢理に立たせ、右足を引きずりながら鬱蒼うっそうと茂るススキ畑の中へと入り込んでいった。

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