34話-6、雪女の独り言

 店内が更に混み始め、外にあるテーブル席に座っていたゴーニャが、邪魔にならないよう店内に移動し、花梨の働きぶりを静かに応援している中。

 雪女に変化へんげしている花梨は、慣れない暑さと休憩するのをすっかりと忘れつつ、極寒甘味処ごっかんかんみどころの仕事に励んでいた。

 本来ならば暑さにめっぽう弱い雪女は、一時間毎ぐらいに気温が氷点下であるスタッフルームで、休憩を取らないと暑さでバテて倒れてしまうが、花梨はケロっとした表情で仕事をこなしている。


 休憩時間が来るたびに、雹華ひょうかは花梨に声を掛けてスタッフルームに行くよう指示を出し、その指示を受けた花梨は、渋々ながらもスタッフルームに向かって短い休憩を取り、すぐさま店内へと戻って接客を行った。

 そのやり取りが一時間毎に続いて時間が過ぎていき、閉店間際の八時四十分頃。最後の客を見送った雹華が体温を下げ、店内で掃き掃除をしている花梨を呼ぶ。

 そして、皿の洗う音が鳴り響いている厨房に向かい、店員が居ない所まで来ると、雹華が花梨の方を向いて口を開いた。


「花梨ちゃん、今日一日お疲れ様。疲れたでしょう?」


「お疲れ様でした! いえ、まだまだ働けますよ!」


「ふふっ、元気が有り余っているわね。それじゃあ名残惜しいけど、そろそろ人間の姿に戻りなさい。腕に付いているブレスレットに水をかければ元に戻るわよ」


「分かりました、どれどれ……」


 戻り方を説明された花梨は、厨房にある水道を借りる。純白の着物の袖を捲り上げ、血の気をまったく感じさせず、雪のように白い左腕に付いている青白いブレスレットに、温かく感じる冷たい水をかけた。

 すると水がかかった瞬間に、ブレスレットから熱せられた焼け石に水をかけたような音が発し、機関車の蒸気を思わせる白が濃い煙が出始める。

 その煙は腕から肩へと移っていき、最終的には全身からもどんどん湧き上がり、花梨はあっという間に白い煙に包まれていった。


「ぬおおおおーーっ!? 私の体からすごい煙が出てきてるんだけど!?」


「安心しなさい、すぐに終わるから」


「ひいぃ~、元の姿に戻る時も怖く感じる……」


 濃い煙に包まれて白い闇が続く中。不意に水をかけていたブレスレットが、腕からスルッと抜けていくのを感じ、それと共に煙が収まっていく。

 だんだん視界が晴れていき、薄っすらと見えてきた自分の腕に目を移すと、腕に付いていたブレスレットは手首まで落ちていて、真っ白だった腕は、いつもの見慣れた血色の良い肌色へと戻っていた。


「ふう~っ、元に戻れたか。一日中白い肌を見ていたせいか、この腕の色に違和感があるや」


「慣れって怖いわね。はい、花梨ちゃん。今日の給料よ」


「あっ、ありがとうございま……、んんっ?」


 花梨が一日分の給料を受け取ろとするも、雹華が持っていた茶封筒の厚さを見て、何かの見間違いかと思い、目を細める。

 茶封筒の厚さは薄く見積もっても一センチ前後はあり、嫌な予感がした花梨は伸ばしていた手を引っ込め、細めていた目を雹華に向けた。


「雹華さん? その茶封筒の中には、いったいいくら入っているんですかね?」


「聞かないで花梨ちゃん、黙って受け取りなさい」


「いーやっ! 金額を言わないと受け取りません! 言っても受け取らないと思いますけどもね」


「これは、今日一日花梨ちゃんが頑張った分よ。いいから受け取り―――」


 頑なに金額を言わず、しぶとく粘って抵抗している雹華に、花梨は目前まで詰め寄り「雹華さん?」と圧のある低い声を発し、じっと睨みつけた。

 最初は花梨の鋭い眼光を見据え続けていたが、観念して臆したのか、視線をぎこちなく横にずらし「ひゃ、百万円……」とボソッと呟く。


「百万円っ!? いったい何を考えてるんですか、まったくもう。絶対に受け取りませんからね」


「むう、これでもかなり少なくした方なのに……」


 しゅんとした雹華が未練がましく本音を漏らすと、呆れ返った花梨が、最初はいくら渡すつもりだったんだろう……。と思いつつ、口と眉を同時にヒクつかせる。

 その二人のやり取りを聞いていたのか、他の店員のから笑いが聞こえてくる中。冷たいため息を吐いた雹華は、百万円が入っている茶封筒から一万円札を九十九枚取り出し、残りの一枚が入った茶封筒を花梨に差し出した。


「残りの九十九枚は取っておくから、いつでも取りに来なさいね」


「ま、まだ言いますか……」


「当たり前じゃない。……そうだわ、そのブレスレットも記念に取っておきなさい。ちょくちょくこの店に来てもらうからね」


「頻繁に私を呼ぶつもりなんですね……? まあ、仕事なんで別にいいですけど……。とりあえず預かっておきますね、ありがとうございます」


 お辞儀した花梨が、貰った茶封筒と青白いブレスレットをリュックサックにしまい込むと、小さく首をかしげた雹華が、温かみのある笑みを浮かべる。


「それじゃあ今日一日、私のワガママに付き合ってもらっちゃって悪かったわね」


「いえっ、とても楽しかったです。ありがとうございました!」


「また撮影会もやりましょうね。色々なシチュエーションを考えておくわ」


 撮影会と聞いた花梨が、ニヤリと口角を上げ「いいですねぇ。その時は是非とも呼んでください」と、満更でもない様子で返答した。

 そして、今日一日お世話になった雹華に一礼し、撮影会場改め、極寒甘味処をゴーニャと手を繋ぎながら後にする。


 夜の九時過ぎともあってか温泉街の街並みは、店の軒先のきさきにぶら下がっている提灯が、朧げに温かい光を灯しており、通行人は昼間に比べるとだいぶ少なくなっている。

 人間の姿に戻り、秋の清涼な夜風を感じつつ、ゴーニャと今日一日の出来事を振り返りながら帰路に就き、未だ活気に溢れている永秋えいしゅうへと戻っていく。


 二人は会話を楽しみつつ永秋の中に入り、受付に居る女天狗のクロに挨拶をしながら通り過ぎ、四階にある支配人室へと向かっていった。

 支配人室の扉の前まで来ると、扉を二度ノックしてから部屋の中に入る。

 ぬらりひょんよりも早く、キセルの白い煙が花梨達を出迎え、既に夜飯を食べ終えてキセルで一服していたぬらりひょんに、今日あった出来事の報告を済ませた。


「雹華の奴め、思う存分楽しんだようだな」


「ですねぇ。なんやかんや、私も一緒になって楽しんじゃいました」


 花梨が苦笑いしながら頬を掻くと、キセルの煙をふかしたぬらりひょんが鼻で笑い、「なら、いいじゃないか」と口にし、話を続ける。


「それじゃあ、明日は八時ぐらいにここに来い。それと明日は、ゴーニャにも仕事の手伝いをしてもらうぞ」


「えっ、私も?」


「うむ、明日は一人でも多い方がいいからな。後もう一つ。花梨よ、妖狐に変化へんげできる髪飾りを忘れず持ってくるように」


「髪飾りですか、分かりました。それじゃあ失礼します!」


 明日の説明を聞き終えた花梨は、ぬらりひょんの言葉に首をかしげつつ、ゴーニャと共に支配人室を後にする。

 そして花梨が「なんか、猛烈にサウナに入りたくなってきたなぁ……」と欲望を漏らし、何も知らないゴーニャにサウナについて説明を始め、サウナがある銭湯に行く準備をする為、一度自分達の部屋へと向かっていった。





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 花梨が仕事の手伝いを終え、永秋に帰宅した後。極寒甘味処に残っていた雹華は、凍てついた空気が心地よいスタッフルームで、ビデオカメラで撮った映像の編集を一人で始める。

 ビデオカメラをノートパソコンに繋ぎ、喘ぎ声に近い呼吸音及び、音が割れる程の奇声を編集で駆使し、慣れた手つきで次々消していく。


 無言で編集を続ける中。雪女に変化へんげしている花梨が、雹華に対して恥じらいつつ『お母さん』と言っている場面へと差し掛かる。

 それを三度みたび目にすると、黒縁メガネを掛けている雹華がクスリと笑う。そしておもむろに、氷の机にある引き出しに手を伸ばし、一枚の古ぼけた写真を取り出した。

 その写真には、二っと歯茎を出して眩しい笑みを浮かべ、両手でピースをしているカーキ色のジャンパーを着た男性。その男性の横には、赤ん坊を大事に抱え、優しく微笑んでいる赤毛のポニーテールの女性が写っていた。


「あなた達の子なのに、勢い余って私にお母さんって言わせちゃったわ。ごめんなさいね、鷹瑛たかあきちゃん、紅葉もみじちゃん」


 写真を見ながら寂しげに呟いた雹華は、氷の机に肘をつき、手に顔を置いた。


「花梨ちゃんったら、温泉街に戻ってきてからも皆と楽しく元気でやっているわよ。……あなた達にも、もう一度会いたいわ」


 そう小さく口にした雹華は、しばらくの間ボーッとしながら写真を眺め、白が濃いため息をつき、写真を氷の机の引き出しの中へとしまう。

 再びノートパソコンで編集の続きを始めるも、先ほどに比べて手が重くなっているせいか、キーボードを打つ速度は遅くなっていた。

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