8話-1、居酒屋浴び呑みの手伝い

 温泉街が朝日を浴び、のそのそと活動を始めた朝八時十五分頃。


 いつものように、寝坊魔を起こしに花梨の部屋に訪れた女天狗のクロが、未だに寝ている花梨を起こそうとするも、不可解な寝言がその手をピタッと止める。


「まずい……。このレタス、銃弾を反射してくる……」


「はっ? レタスと銃撃戦でもしてんのか……? ……まあいい。今日は、このこよりを使ってっと」


 ニヤリと笑ったクロは、あらかじめ用意していたこよりを花梨の鼻にそっと入れ、撫で回すようにゆっくりと動かした。

 それと呼応するかのように、花梨の鼻の穴がヒクヒクと動き始め、少しずつ眉間にシワが寄っていく


 シワが限界まで深まると、閉じていた口が開いて「はっ……はぁっ……」と、声を出しつつ息を吸い込み、耐えられなくなると、勢いよく上体を起こしながら豪快なクシャミを放った。


「ぶぇっくしょん! ……ふあっ? あっ、クロしゃん……、おはようございます」


「おはようさん。テーブルの上に朝食を置いといたからな、今日も一日頑張れよ」


「あっ、はい! ありがとうございます!」


 起こしてくれたクロを見送ると、ベッドから抜け出して私服に着替え、歯を磨き終えてからテーブルに目をやる。

 そこには、白い湯気を立たせているご飯。小粒の納豆と刻みネギ。皮がカリカリに焼かれている焼き鮭。豆腐とワカメの味噌汁が置かれていた。


「おおっ、理想的な朝食メニューだ。いただきまーす!」


 箸を手に取った花梨は、多めにネギとカラシを納豆に入れ、数十回ほど素早くかき混ぜる。

 ほどよい粘り気が出てきたところで、熱々の湯気を立たせているご飯の上に覆いかぶせ、にんまりとしながら口の中にかき込んだ。


「うーん、やっぱり納豆とご飯の相性は抜群だ。これだけで丼ぶり飯三杯は食べられるや」


 次に、白味噌の優しい匂いが香る味噌汁を、豆腐とワカメと共にすすり、「ほうっ……」と、小さくため息をつく。

 心が安らいだところで、脂が乗っているふっくらとした焼き鮭の身を箸でほぐし、小骨を取り除いてから口の中に入れる。


 ほぐしている時にも染み出した、薄っすらと赤みを帯びている旨味が強い脂が、咀嚼そしゃくをするたびに口の中でも広がっていく。

 その中でも、香ばしい皮のパリッとした食感と音がクセになり、自然の笑みをこぼして焼き鮭を堪能した。


 納豆ご飯、味噌汁、焼き鮭というローテーションで均等に食べ進めて完食し、一息ついてから食器を水で洗う。

 そして、ある程度の身支度を整えてから部屋を後にし、ぬらりひょんがいる支配人室へと向かっていった。


「おはようございまーす!」


「おお〜、おはようさん」


 支配人室に入った花梨の目に、顔を火照らせながらおちょこに熱燗を注ぎ、上機嫌に酒を嗜んでいるぬらりひょんが映り込む。

 書斎机に目線を移すと、豊富な種類の刺身が盛られている大皿が構えており、その刺身をちょくちょく箸で掴んで食べていた。


「あーっ、仕事サボって朝から飲んでるー」


「ふっふっふっ。今日お前さんが仕事の手伝いに行く店のことを思っていたら、いても立ってもいられなくなってな。かあーっ、うまいっ!」


 愉悦に浸るぬらりひょんを見て、呆れた花梨が「ふ〜ん……」と、口を尖らせながら目を細める。


「でだ、今日は酒呑童子しゅてんどうじと、その子分達が営む『居酒屋浴び呑み』に行ってもらう」


「居酒屋浴び呑み……。確か、焼き鳥屋八咫やたに行く時に通る店ですね。了解です!」


 仕事の手伝いに行く店が分かった花梨が、支配人室を後にしようとすると、まだ話が終わっていなかったのか、ぬらりひょんが「ああ、待たんか」と、止めに入る。


「んっ、なんですか?」


「お前さん、酒は強い方か?」


「酒、ですか。あまり強い方ではないですねぇ」


「そうか……。まあ、大丈夫だろう」


 ぬらりひょんの質問に対し、疑問が浮かんだ花梨が首をかしげる。


「その意味深な発言、なにかあるんですか……?」


「なに、行けば分かる」


「むう……、気になるけど仕方ない。行ってきまーす」


 支配人室を後にした花梨は、階段を降りながら、酒でも飲まされるんだろうか? 気になる……。と、嫌な予感を募らせつつ、居酒屋浴び呑みへと向かっていく。

 永秋えいしゅうを出て、焼鳥屋八咫がある右側の道を進み、十五分ほど歩くと、目的の店である居酒屋浴び呑みの店にたどり着いた。


 店の外見を見てみると、他の建物に比べると一際大きく、赤い看板に黒い艶のある文字で『居酒屋浴び呑み』と、太く記されている。

 開店前のようでのれんはまだなく、少し開いている扉からは、開店準備を進めているのか、騒がしい音が漏れ出してきていた。


 花梨は扉の隙間から店内を覗いてみると、茶色い毛皮のチョッキを着た店員らしき人物達が、目まぐるしく動き回っている姿が目に入った。


 その店員達は鬼の妖怪なのか、頭から尖った黄色い角を二本生やしており、口からは鋭い牙を覗かせている。

 各自、慌ただしい表情をしながら床の掃き掃除をしていたり、カウンターに様々な種類の形や色をした酒瓶を並べ、開店準備に追われていた。


 店内を覗いていた花梨は、この人達が酒呑童子さんの子分さん達かな? と、予想していると、不意に背後から「ん~? あんた、店の中覗いてなにやってるんスか?」と、女性らしき声が聞こえてきた。

 突然の出来事に体を大きく波立たせた花梨が、恐る恐る後ろを振り向いてみると、ハイカラで動きやすそうな白い和服を着た妖怪が、手に膝を置いて花梨をじっと見ていた。


 ひたいからは、長くて立派な赤黒い角を生やしており、明るいウグイス色の髪色で、長いサイドテールが風にあおられてなびいている。

 獣のような金色に輝いている瞳が印象的で、閉じている口からは、八重歯が顔を覗かせている。その鬼の女性が目をパチクリとさせている中、ビクビクしていた花梨が口を開いた。


「の、覗き見してすみません……。あのー、ここの店員さんですか?」


「そっスよー。あたしは、茨木童子の酒天しゅてんっていうんス。まだ開店前っスけど、なんかここに用でもあるんスか?」


「えっと、はいっ。今日ここの仕事の手伝いに来ました、秋風 花梨といいます」


 花梨が、落ち着きを取り戻しながら自己紹介を終えると、キョトンとしていた酒天しゅてんが「おおっ!」と言いながら手を叩き、ニッと笑った。


「あんたが花梨さんっスか! 待ってたっスよー! それじゃあ、店長に花梨さんのことを紹介するんで、店ん中どうぞっス!」


 そう説明した酒天に、強引に背中を押されて店内に招き入れられた花梨が、改めて店内の様子を伺った。

 右側には木造のカウンター席があり、背もたれの無い赤くて丸い椅子が、等間隔に三十席ほど並んでいる。


 カウンター席の奥には、様々な種類の酒瓶が並んでおり、更にその奥には厨房があり、店員と思われる鬼達が材料の下準備をしていたり、料理の仕込みをしていた。


 左側は座敷になっていて、掘りごたつ式のテーブルがいくつも並んでいる。こちらには座椅子があり、ゆったりと酒やツマミに舌鼓したづつみを打てるようになっていた。

 奥にはいくつか宴会ができる大部屋があるみたいで、大人数でどんちゃん騒ぎをできるようになっており、夜は騒がしい雰囲気を想像できた。


 まじまじと店内を眺めていると、背中を押していた酒天に「さあさあこっちっス」と、言われながら店の奥へと案内される。


 そのまま広くて薄暗い通路を進み、『スタッフルーム』と、記された札がある大きな扉の前まで連れてこられ、「こん中に店長がいるっスよー。さあ入って入って」と、酒天の説明が入った。


 その大きな扉を片手で軽々と開けると、再び花梨の背中を押して中へと連れ込んでいく。

 中へと入って辺りを見ようとした瞬間、鼻をつんざく酒の刺激臭が花梨を襲い、思わず鼻を手で覆い隠した。


「うわっ! す、すっごい酒のにほい!」


「あー、この先に酒の製造場と酒蔵があって、その匂いがこっちに来てこもるんスよねー。酒の匂いがお気に入りの服に染み込むし、大変っスよー。店長は今、奥で酒を作っているんで呼んできますねー」


 ケロっとしている酒天は、部屋の奥にある大きくて重厚な鉄の扉を軽々しく開け、地面を揺るがすような音を立てながら扉を閉め、姿を消した。

 しかし、すぐさま天地を割く勢いの怒鳴り声と共に、先ほどよりも、更に大きな音を立たせながら鉄の扉が開き、強い衝撃か何かで吹っ飛ばされてきた酒天が、地面を激しく転がって花梨の目の前で止まった。


 突然の出来事に唖然とした花梨が、目の前で倒れている酒天を見て我に返ると、慌てて酒天の上体を起こし「ちょっ、酒天さん!? だ、大丈夫ですか?」と、困惑しながら声をかけた。


「全然大丈夫っスよー、いつものことなんで。扉を静かに閉めなかったらから、店長に蹴っ飛ばされちゃったっス」


「……えっ? 店長に蹴っ飛ばされた……? 扉を静かに閉めなかっただけで……?」


「ええ、店長厳しいっスからねー。子分達もよく店長に蹴られて吹っ飛んでるっスよー。この店の名物っス」


 ピンピンしている酒天がそう言うと、それを聞いて口をヒクつかせた花梨が、す、凄まじい名物だなぁ……。と、戦慄した矢先、鉄の扉が開き、酒天を蹴っ飛ばしたであろう人物が姿を現した。


 身長は三メートル以上はあり、ゴワゴワした白髪交じりの髪の毛が、ヒゲと繋がっていて顎まで伸びている。

 ひたいからは、鮮血を思わせる鮮やかな朱色をした強固で長い角が、二本生えている。


 岩場のようなゴツゴツとした面立ちの隙間から、獲物を狙う飢えた金色の獣王の眼が、酒天と花梨を睨みつけていた。


 温泉街の雰囲気とは場違いな、これから合戦でもおこなうのかと匂いわせる、傷だらけだが立派な赤い甲冑を身にまとっており、体を動かすたびにガチャガチャと音を立てている。

 その巨体で、歴戦を勝ち抜いてきたような出て立ち大男が、酒天に向かい、地響きを起こす勢いの怒鳴り声を上げた。


「酒天!! てめえはなんべん言ったら分かんだ、この野郎!!」


「すみませんっス、店長ー」


「そうか!! 反省の色があればよし!! ……んっ? てめえの隣にいる奴は誰だ!?」


 周りの空気を吹き飛ばす勢いの怒号で、恐怖で体が芯から固まっている花梨は、た、たぶん、私の、ことかな……? と、予想するも、鋭い眼光に気圧されて数歩後ずさりをする。

 そんな大男に心底怯え、体を振るわせている花梨の姿を横目で伺い、見かねた酒天がにんまりとしながら大男に紹介を始めた。


「店長、この人がぬらりひょん様が言っていた例の人間っスよー」


「なるほど!! てめえがそうか!! 名はなんていうんだ!?」


 紹介された花梨は、こ、ここでしっかりと自己紹介をしないと、確実に殺られる……! と、来たる未来を想像し、頬を二度思い切り手の平で叩き、恐怖を無理やりねじ伏せ、今までない大声で自己紹介を始めた。


「は、初めまして! 秋風 花梨と申します!! 今日一日! よろしくお願いしますっ!!」


「そうか!! いい名前だな!! 俺はここの店長をやっている酒呑童子の酒羅凶しゅらきだ!! よし、表に出ろ!!」


「えっ!? い、痛いのは嫌です! 店長!」


「そうか、分かった!! いいから早く来い!!」


「は、はいっ! 店長!」


 そう命令された花梨は、酒の匂いが染みついている巨体のすぐ後ろにつき、ぎこちない歩き方をしながら後に続いていった。

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