6話-1、焼き鳥屋八咫

 花梨は地図を眺めながら、次に行く場所を考えている間に、いつの間にか永秋えいしゅうの前の丁字路まで来ており、立ち止まって左右を見渡した。


 右側に行けば秋国山に続く道で、「薬屋つむじ風」「河童の川釣り流れ」「骨董店招き猫」「ぶんぶく茶処」「秋国山小豆餅」などがある。

 左側に行けば海まで続く道で「居酒屋浴び呑み」「焼き鳥屋八咫やた」「木霊農園」「牛鬼牧場」「魚市場難破船」と、食べ物が食べられるであろう建物が続いている。


「甘い物はさっき食べたから、甘味処であろうぶんぶく茶処と秋国山小豆餅はまた今度にして……。魚市場難破船まではどのくらいの距離があるんだろう? この地図じゃ分からないなぁ」


 魚市場難破船のある方角と地図を交互に見返すも、海なんてものは見当たらず、見えるのは鮮やかに紅葉とした山々ばかりであった。

 徒歩で行くには、相当な距離になるであろうと予想し、再び地図を睨みつける。


「一反木綿タクシーっていうのを使ってみようかな? でも、なーんか魚って気分じゃないんだよなぁ。……よし、久々にアレをやるか」


 いまいち食べたい物が定まらない花梨は、とある儀式を行う為に目を瞑り、右手を腹に添えて自分の胃袋に、言葉ではなく心の声でそっと語りかける。



 ――我が肉体の一部、胃に問う。汝が欲する物を、偽り無く答えよ。



 自分の胃に対し、人に聞かれた日には、三日三晩引きずりそうになるような口調で、食べたい物を問いかける。

 己の欲望をあるじに伝える手段が無い胃は、その欲望を電気信号に変換し、脊髄を通して直接脳へと送りつけた。



 ――我、灼熱の炎に身を焦がす不死鳥の肉を欲す。



 胃から欲望を確かに受け取った花梨は、重くうなづき、感謝の言葉を胃に伝え返す。



 ――汝の深き欲望、確かに受け取った。そして叶えよう、汝のその願い。



 謎の恥ずかしい儀式を終えた花梨は、神妙な面立ちで、添えていた右手をゆっくりと下ろした。

 そして丁字路の左側を向き、ニコニコと微笑みながら、やっと決まった目的地に向けて歩き始める。


「んじゃ、焼き鳥屋八咫やたに行こっかなー! 皮、つくね、ねぎま、かしら……。タレと塩、どっちで食べようかなぁ。両方食べるってのもアリか、んっふふふふふ……」


 初めて歩く温泉街の新しい街並みを、鼻歌交じりで堪能し、頭の中に様々な焼き鳥を思いえがいていく。

 辺りを見渡しながら歩いていると、澄み切った空気の中に香ばしい匂いが混じり始め、焼き鳥屋に近づいてると感じ、口の中に唾が溜まり始める。


 それから少し歩くと、左側の方に黒い文字で焼き鳥屋八咫と書かれた大きな看板が目に入り、待ってましたと言わんばかりの駆け足で向かっていった。


 店の全貌を見てみると、持ち帰りが出来るようになっているのか、目の前で店員が様々な種類の焼き鳥を焼いている姿が伺える。

 建物の右側に入口らしき扉もあり、店内でも食べられるようになっているようだった。


 焼き鳥を焼いている店員の姿は、青年のような背丈で、若干青みがかかったツンツン頭に白いねじり鉢巻きをしており、祭りの時に着るような青いハッピみたいな服を着ている。

 野球のユニフォームが似合いそう活気ある面立ちで、背中には少し青みを帯びたように見える黒い翼が生えている。


 その翼を羽ばたかせて風を送り、焼き鳥台の火力調整をおこなっている最中、目の前にいる花梨に気がついた店員が、花梨を鋭く睨みつけ、ふてぶてしそうに言葉を漏らした。


「……あっ?」


「すみません、焼き鳥ください!」


 店員は花梨の言葉を無視し、焼き鳥の脂を含んだ香しい煙を青帯びた翼ではためかせ、花梨に浴びせるように吹き飛ばしてきた。

 その煙を吸って腹を鳴らした花梨は、……あ、あれ? 聞こえなかったのかな? と、首をかしげ、再び店員に声をかける。


「あのっ、すみません。焼き鳥く―――」


「人間に食わせる焼き鳥なんざここにはねえ、帰んな」


「だっ……!?」


 店員の予想だにしなかった言葉に、花梨は喋り終わる前に全身が石のように固まり硬直した。

 その体に染み渡るような焼き鳥の匂いが、花梨の石化をゆっくりと解き、理不尽な石化が解けると、慌てて店員に詰め寄った。


「なんで!? なんで、売ってくれないの!?」


「うるっせえなぁ……。ダメなもんはダメだ、帰れ帰れ」


「ぬう……。じゃあ、これなら……」


 花梨は、店員の目の前で妖狐に変化へんげできる髪飾りを頭に付け、今度は妖狐姿で何事もなかったような口調で喋り始めた。


「すみません、焼き鳥くださいっ」


「おっ、妖狐さんいらっしゃい。今日は何にする……ってなるかバカッ! さっさと帰れ!」


「これもダメかーっ! え〜……、焼き鳥食べたぁい……」


 その後店員は無視を貫き、髪飾りを外した花梨はガラス板の前に張り付き、焼き鳥の姿を物欲しそうな目でずっと睨みつけていた。

 客が焼き鳥を買いに来ると、その姿を羨ましそうに眺め、客がいなくなると再び、焼き鳥が焼かれている姿を眺め続けていた。


 その姿を無視しながら様子を見ていた店員は、心が折れたのか大きなため息をつき、曇った言葉を口から漏らす。


「……てめえ、いつまでそうしているつもりだ?」


「……えっ? もう、目がお腹いっぱいになるまで……」


 花梨の支離滅裂な言葉を耳にし、呆れ返った店員が、再び大きなため息をついた。


「妖怪が焼いた焼き鳥だぞ? 腹壊すに決まってる。悪いことは言わねえ、食うのはやめとけ」


「え〜、こんな美味しそうな匂いをしているのに? お腹を壊すなんて、絶対にありえないよ」


 何を言っても諦めない花梨に、店員は「かぁ〜……」と、言葉を漏らし、顔を手で押さえつける。

 そのまま動かなくなった店員がブツブツと何かを呟き、ようやく決心がついたのか、顔から手を離して焼き鳥に向かって指を差した。


「……この焼き鳥、美味そうに見えるか?」


「見えるっ!」


 真剣な眼差しで、即答した花梨の言葉に心を打たれたのか、店員はやれやれとした表情で話を続ける。


「……そうか、じゃあ一本だ。一本だけ好きなもんをタダで選ばせてやる」


「いいの!? それじゃあ、えーっと……」


 やっと一本だけ食べさせてくれるお許しが出ると、すぐさま持ち帰り用のメニュー表に目を向けた。


 皮、つくね、はつ、レバー、ささみ、豚トロ、ねぎま、ハラミ、かしら、ナンコツ、手羽先、ニンニク、ソーセージ、他にも野菜やチーズを乗せた串もある。

 この中から一本だけを選ぶのは、花梨にとっては究極の選択のようなもので、当然選べるハズもなく頭を抱えて苦悩した。


 苦悩が苦痛に変わっていくと、店の前にも関わらず嗚咽おえつし始め、その姿に見かねた店員が若干引き気味で口を開いた。


「……そんなに悩むことなのか?」


「そりゃあ、もう……。この中から一本しか選べないなんて、もはや拷問だよ……」


 花梨の心に刺さるような泣き言を耳にすると、申し訳なさそうな表情を浮かべた店員が「と、とりあえず一本選べ」と、先ほどよりも優しい口調で催促をしてきた。


「ううっ……そ、それじゃあ、皮を」


「皮な、塩でいいだろう?」


「えっ、タレはないんですか?」


 その掠れた花梨の質問に、店員の手がピタリと止まる。

 火が通り過ぎた焼き鳥に目もくれず、顔を歪めて棒立ちしていた店員が、あからさまに動揺して震えた声を口から発した。


「……一応、うちの店で作ったタレはあるっちゃあるが……、本当にタレがいいのか?」


「一本しか食べられないなら、タレで堪能したいなあーって思って……」


「……んーっ、そうか、タレ、タレか……。タレ、なあ……」


 やたら歯切れが悪い店員に対し、不思議に思った花梨が、タレがそんなに嫌なんだろうか……? と、首をかしげる。

 そして、渋々ながらも注文を受けた店員は、すっかりと焦げた焼き鳥を別皿に移し、花梨の皮を焼き始めた。

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