第4話 繰り返す鳥の音
耐え難い気配を辿りながら着いた先は、つい昨日来たばかりの廃墟だった。
私はふらふらと、
「うぉえぇえぇ·········。気持ち悪ぅう、吐きそう······つうか、もうダメ。吐く」
堪えていた吐き気に体力が負け、せっかくの朝ご飯が地面に流れてしまった。自分の霊力になるはずのものが、今日に限って土の栄養か。全く笑えない。
私は胸をさすりながら辺りを見回した。昨日の今日で変わったところは何もなかった。回収し損ねた魂も無いようだ。ならこの気持ち悪さは一体何なのだろうか。
「これまたすごくやられてるねぇ」
そう言って私の背中をさする人がいた。振り向くと生馬がいた。いつから居たのだろう。生馬は竹筒の水を差し出し、私の背中をさすりながら「うーん」と唸った。
「里にいた時から気持ち悪かったの?」
「そうだよ、おぇっ······。里に居るのに突然具合悪くなってうぇっ······、
「あー、そっかそっか。奏ちゃん耳良いもんね。でもまだ見てないねぇ」
「ここのどこかにいるよ······。聞きなれない音だけど、確かに近くにいる。ちゃんと探すから」
段々この気持ち悪さに慣れてきた。私はゆっくり立ち上がり、耳を澄ませる。
奈落のように深く、沼のように湿った音が聴こえた。暗く冷たい不協和音が耳の奥に突き刺さった。
カラカラと風が吹く。
枯れ草がさざめく。
雲間から覗く太陽が背中をじんわりと温めた。置き去りになった古木の上から鳥が鳴いた。
「お前だな──?」
私の見上げた先にいる赤い鳥。怪しげに光る瞳が私をじっと見つめている。
私が札を手に持つと、二メートルにもなる翼をバサバサと振って威嚇した。それなりに大きい古木だが、あの鳥はあまりにも不釣り合いな大きさだった。
「止めてくれる? この子臆病なんだよ」
後ろから声がした。背中に誰かの手が添えられた。生馬の手ではない。服越しに感じるその氷のような冷たさが、私の心臓を掴んだ。
「私に触んなっ!!」
振り向きざまに札を投げたが、そこには誰もいなかった。
風に乗って飛んだ札が、瓦礫に当たって爆発し、黒い煙を立てる。
私はまた耳を澄ませて居場所を探った。だが、どうにも集中出来ない。頭がボーッとして目眩まで起き始めた。霞む視界の端で茶色い髪が見えた。
「生馬っ!」
私はぐったりとして動かない生馬を揺さぶった。だが、生馬の意識はなく、彼は地面に伏せたままで目を覚ます様子もなかった。
「ムダだってば」
「うるっせぇ! お前は黙ってろ!」
「君、口が悪いねぇ······女の子でしょ?」
私がどんなに叩こうと生馬は全く起きない。それに敵がいる以上、戦わなくては逃げられない。私は仕方なく、今だに扱えない式神に念を込めた。目を閉じて集中するが、ガラガラ声が近づいてきた。
「うぉわっ!」
目を開けると二本の鉤爪が私の顔に迫っていた。反射的に姿勢を低くして避け、札を一枚出した。
弧を描き、もう一度攻撃してくる鳥の腹に、札を貼り付けて避けた。鳥は仕留め損ねると、また高く舞い上がる。──そこを狙った。
「滅っ!」
青白い光を放ち、雷電が鳥の体を蝕む。悲鳴をあげて墜落したのを見届けて、私は式神に意識を向けた。
(頼むよ本当に。生馬が全然役に立たないんだからさ)
どんなに集中しようと祈ろうと、式神は反応する気配がない。私が苛立ち始めた時、聞こえよがしにため息をつかれた。
「いい加減にしなよ。君には出来やしないさ」
木の上から声が降ってくる。さっきの赤い髪の青年がいた。あの鳥の横でケラケラと笑う。妖怪だろうか、だが私は彼が妖怪とは思えなかった。
「黙ってろってば。
「そんなこと言われたら泣いちゃいそう。僕は
そう言って彼は鳥の頭を撫でた。すると、鳥は大きく口を開けた。
『 イ ツ マ デ モ 』
その一声は私の身を貫く。首を絞められるような息苦しさに、私はその場に倒れた。息をうまく吸えない。もがくように手を伸ばすと、そこには生前の私が立っていた。
『どうして私を殺したの』
冷たい瞳が見下ろした。真っ黒な顔が睨んでた。懐かしい高校の制服を着て、真っ白なシャツを赤黒く染めて。
『どうして私は、殺されないといけなかったの』
──答えられない。私はそれに答えられなかった。
「苦しそうだね。可哀想に」
青年がニヤリと口角を上げた。生前の『私』は、早く答えろと言わんばかりに睨み下ろしてくる。
ただでさえ息が出来ないというのに、苛立ちを募らせて思考が単純化しているというのに。
一方は嘲笑ってくるし、もう一方は睨んでくるしで、私の胸は芯から燃えるように熱かった。
──本当、腹が立つ。
「龍神の祝詞」
握られた拳から放たれる青い光が、私と生馬を包み込んだ。
* * *
「しっかりしろ奏!」
望月の声がして、私は閉じていた目を開けた。
青ざめた望月の顔が真っ先に飛び込んできた。私の肩を望月の手が支えている。私はいつの間にか望月の腕の中にいた。
「大丈夫か? 俺が分かるか? この指は何本に見える?」
「うるさいキモいハゲろジジイ。三本」
「よし、喧嘩を売るだけの元気はあるな。心配して損した」
望月に支えられながら、私は状況を確認した。そして絶句した。
屋敷の前に構えていた大きな門は、跡形もなく吹き飛んでいた。石畳もあらかた剥がされて、抉れた地面がむき出しになり、玄関には何かが突っ込んだような穴がぽっかりと空いていた。
「襲撃でもあったのかよ······。ちくしょう、何で呼ばなかった」
「お前がやったんだろう!」
──私が? そんな事するわけないじゃないか。
しかし望月曰く、私が式神の龍に乗って里に帰ってきたという。祓い屋の屋敷の前まで来たところで私と生馬は龍から落ち、龍は玄関に突っ込む形で不時着したそうだ。
言われてみれば、微かに空を飛んだ記憶はあった。だが里に帰ってくるまでの記憶はない。
──ん? 生馬と落ちた?
「そうだ。生馬は? 生馬はどこに落ちた? 空から落ちたなら危険じゃん。早く探して治療しないと」
「とっくに千代が連れていった。きっと手当ても、とうに終わっているだろう」
それなら良かった。と、私はほっと胸をなで下ろした。
だが私自身は良くなかった。壊れた門の前にまだ『私』が立っているのだ。私は『私』を睨む。『私』もまた、私を睨んでいた。
『お前なんて要らない。お前も私だ。『私』は死んだ。なら、お前も死ねよ』
『私』はそう吐き捨てた。私をひどく恨んでいるようだった。
「······うるせぇよ」
生憎、私には傷つく理由がない。私は彼女を睨みつけた。望月は私の様子に顔色を変えた。
「奏······? 本当に大丈夫なのか?」
私はじっと門の方を睨みつける。
腹立たしかった。憎らしかった。そして、この身が焼き焦げるほど、──恨めしい。
『肩の荷が重すぎて、死んでもちっとも軽くならないの。楽にならないの。この重荷を、どうして『私』だけが背負ってるんだ。『私』を殺したお前が、お前だけが幸せなんて許せない』
「家族の期待にさえ、満足に答えられない『私』が偉そうに」
「奏? どうした、何があった!?」
望月の声なんて、私には届いていない。私は自分が手放した『私』を、自ら殺した彼女を、本当に消し去りたい気持ちでいっぱいだった。
『生まれてきたことを後悔したのに、死んだことまで否定する気?』
「当たり前だろ。さっさといなくなれよ。お前なんか要らねぇだろ。何で私の前に現れるんだ。消えちまえよ」
『そんな酷いことを言うんだ。謝り続けなくちゃいけない目に遭わせたことくらい謝れよ。お前に幸せなんか要らないだろ』
「私は何をしても振り向いてもらえないような、努力不足の『私』が嫌いなんだよ!」
「誰と話しているんだ!!」
望月の腕から飛び出して私は叫んだ。いつまでも肌にまとわりつく忌々しい言葉を、自分の口で、浴び続けてきたかつての自分に向かって、叫んだのだ。
「お前なんて、最初からいなければ───っ!!」
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