第13話 音を塞ぐ
──もう少し······あともう少しだ!
風の轟音を耳元で聞きなが、ら私は詩音に向かって精一杯手を伸ばした。
渦巻く煙に触れそうになった時、煙の隙間から詩音の顔が一瞬だけ見える。私は更に手を伸ばそうとした。しかし、その直後に赤い鷹が私に襲いかかった。
私は反射的に顔を防いだが、鷹の
「いったいなぁ!」
私は力任せに嘴を引き抜き、怒り任せに鷹を蹴りあげた。だが見事に的を射抜いたはずの私の蹴りは鷹に当たらず、鷹は霞のように消えてしまった。
当たった感触はない。霞のように消える。ならば、考えられることは一つ。
落ちた私を受け止めた望月の胸ぐらを掴み、噛み付くように問いただした。
「式神、与えたろお前ぇ!」
「簡易的な練習用の式神だ! お前も使ったことあるだろう!」
「あの、まっっったく使えなかったやつか!? なんであげちゃうんだよ! お陰で今くっそ困ってるんだけど私がぁ!」
「詩音が困らないように与えたんだろうが!」
ああ、なんてめんどくさいのだろう。相手が式神を持っているなんて思いもしなかった。これで本格的に、式神に頼らなくてはならない状況が出来上がった。
私は人型の紙を手に包み、目を閉じて集中する。望月は目を細くして、はるか上空の詩音を仰いだ。
──頼む、私の式神。地獄までお供してくれて、地獄から抜け出す手伝いもしてくれたのだから、今だって力を貸してくれるだろう。私は、あの子を······。
(あれ? 私は一体どうしたいんだ?)
詩音には今も散々な目に遭わされている。腹立たしいのも、苛立って仕方がないのも事実だ。
かといって、私は詩音を恨むほど腹を立てているのだろうか。
私は自分のやりたい事が、しようとしている事が分からなくなった。
「詩音は······今はどんな顔をしているんだろうか」
望月がぽつりとこぼした。心配するような声で、そう呟いた。
耳に届いたその呟きに、私の声が、勝手に漏れ出した。
「泣いてたよ」
タスケテ──
渦巻く煙の中、詩音は苦しそうに目を閉じていた。何かを切望する表情は、私にも覚えがある。
私の目の前で、一筋流れた詩音の涙が脳裏をよぎった。
(ああ、私ってやつは、本当に馬鹿だ)
私は詩音を見上げた。自分のやりたいことを自覚して、初めて力が込み上げる。
枯れ井戸に水が湧く。
「空を讃えよ 風を讃えよ
大空を自由に舞う龍神の
闇を駆け抜け 光を目指せ!」
手の平から溢れる蒼い水のような光が、川のように私の周りを流れて龍の形を成す。龍は私を背に乗せると、詩音目掛けて飛んでいった。龍の
手を伸ばせば届く距離だ。詩音が振り返った。
頬は赤く染まり、涙を浮かべた瞳に私が映った。
「······引っかかったね」
詩音の脇から天狗の群れが現れた。隠れていたのか、なんて思っても時すでに遅し。想定外の敵の数に、私の体は動けなくなる。迫る武器、天狗の殺意、詩音は勝ち誇ったような笑みで私を······──
「ウザイよ。負け犬」
──······なんて、私が負けるものか。
突然、空から鎖が降ってきた。
その鎖は詩音の腕、足、胴体に巻きついて、きつく縛り上げた。周りの天狗も、里を荒らす亜種も空から伸びた鎖に次々と囚われた。
望月や酒呑童子、女郎蜘蛛はその鎖に当たらないよう、身を潜める。
詩音は意味が分からない、と自分の体を見回した。
「紅く燃ゆる空 灼熱の大地
悪しきを罰する地獄の門よ 開門せよ
身の毛もよだつ地獄の呪詛
魂を繋いで引きずり込め」
私が空を見上げると、詩音も続いて見上げた。青ざめた顔で、あんぐりと口を開けた。
はるか上空には、赤と黒の装飾が施された門が開いていた。門の奥では真っ赤な炎が手招きするように揺らめいていた。
私は両手を差し出して目をつぶった。そして色、香り、形と鮮明に思い描いて花束を具現化する。
真っ白なスノードロップの花束を詩音に手渡し、意地悪く微笑んだ。
「さっき言ったように、私は自然との相性が良い。だから花とも相性が良いんだ。ねぇ、花言葉には詳しいか?」
詩音は震えながら首を横に振った。私は思わず鼻で笑った。
「スノードロップは『希望』の花言葉を持つんだけど、相手に贈る時だけ意味が変わるんだよ」
この花言葉は、決して綺麗とは言い難かったからだ。
「『あなたの死を望む』ってね」
悪役のセリフを吐いて、私は龍と共にゆっくりと降下する。詩音は鎖に引きずられ、炎が待つ地獄へと飲み込まれていった。
「きゃああああっ!」
甲高い悲鳴が劈いた。詩音は恐怖に塗れた表情で、助けを求めるように手を伸ばす。だが誰も、彼女の手を掴んではくれなかった。
里に溢れていた亜種妖怪も地獄へと回収されていく。みなが皆、悲鳴をあげて抗うが、地獄の絶対的な死の力に勝てるはずもなく、炎の口へと放り込まれた。
「炎の宴 鬼の唄 嘆く亡者の悲鳴あり
哀しき唄を語り継がん
彼方に燃えゆくその命 誰が理解できようか
己が業に苛まれん
永久に悔やみ続けるその心 誰に理解できようか
血を流せ 涙を流せ
果てにある浄土を想い歌わん」
地獄の唄を口ずさみ、私は地面に降り立った。鎖に繋がれた亜種たちは、淡く綺麗な光を放って門の向こうへと消えていく。
流星のような美しさに息を飲んだ。
魂の儚さが胸に刺さる。
生命の織り成す光は、何よりも尊いと感じさせた。それが、行き場を無くした死人への皮肉だとしても。
望月は無言で手を合わせた。
「数多の命が彼岸に帰す。未練残せし者よ、ご冥福をお祈りします」
深く礼をして望月は私の肩にポンと手を置いて、そのまま頭を撫でた。ゴツゴツとした手の平が、私の頭をぐりぐりと撫で回す。少しだけ痛かった。
「よくやった」
望月は私を褒めてくれた。だがものすごく仏頂面で、無愛想な褒め方だ。もっといい言葉を選んでくれても良いだろうに。なんなら、笑顔でもいいくらいだ。
「······ありがと」
私は文句を言ってやりたかったが、口から出たのはその四音だけだ。
私の胸の奥が暖かくなった。自然と笑みが零れる。生前の私が欲しかった言葉を、望月は当たり前のようにくれる。
──······嬉しい。なんて口に出せないけれど。
酒呑童子が丘を登ってきた。多すぎる亜種との戦いに疲れきって、死にかけの表情でため息をつき、私に抱きついた。
「あ〜······癒しじゃのう。んふふふふ」
酒呑童子は気持ち悪い笑い声を出して、私を撫でくり回す。
腹を立てた望月が、撫でられている私より早く酒呑童子に殴りかかった。
酒呑童子は頬に右ストレートを喰らうが、私を抱きしめたまま離さず、地面を転がって、望月の二度目の拳を避けるとそのまま眠りにつこうとする。
もちろん私が大人しくしているわけがない。
「
私が酒呑童子の背中に札を貼ると、奴は悲鳴をあげて丘を転がり落ちていった。
望月は「ざまぁみろ」と酒呑童子を笑うと、里を見下ろして誰かを探す。
「あの蜘蛛女はどこだ」
「女郎蜘蛛こと? さぁね。帰ったんじゃないの? 彼女、結構自由だからさ」
土を払って私は首を回した。丘の下から、むすっとして不機嫌な酒呑童子が、プスプスと燃える札を片手に戻ってきた。
「酷いのう。わし鬼ぞ? もっと丁重に扱わんか」
「十秒だけ抱かれてやったんだ。感謝しろ」
「奏の負けん気は直らんのじゃのぉ。まぁでも流石は娘っ子といったもんじゃ。柔らかい体で、良い匂いがして······」
「なんだ。腕が要らんならそう言え、酒癖の悪い
「いだだだだっ! この筋肉阿呆め! 離さんか! 鬼の本気見せちゃるぞ!」
大規模な戦いの後に、私は男と妖怪のしょうもない争いを見せつけられる。これには仲裁する気も失せていた。
二人のいざこざに頭を抱える。私は再び屋根によじ登った。望月はすぐに察すると、私を見上げて苦い顔をした。
「──行くのか?」
「うん。地獄の門、開けちゃったし」
私が詩音を地獄に送ったあの技は、祓い屋の一番の禁忌術だった。
地獄の門を開けるには、術者自身が
だが、私は怖くなんてない。前にも同じ術を使った。例えるなら、旧友に会いに行く感覚だ。
「すぐ帰れるよ。詩音と話したらすぐに」
私はそう言ったが、帰れる保証なんてどこにもない。
前回はたまたま帰れたが、今回も帰れるとは限らない。もしかしたら、地獄で罰を受けるかもしれない。
私はそれらの可能性を、全て隠して望月にそう告げた。
望月は悲しげに口を開いたが、話すことなく、止めることも出来ずに口を結んでしまう。酒呑童子が呆れたように頭を掻いた。酒呑童子は懐に入れていた、クシャクシャの手紙を私に投げた。
封には何も書いていない。だが妙に分厚く、重かった。
「地獄にいる鬼女に渡せ。全く、このお人好しめ。その性格はいつになったら直るんじゃ?」
「さあ、分からないな。死んだ時じゃない?」
「もう死んどろうが。ククッ······気をつけて行くんじゃで」
蜘蛛の糸のように垂れてきた鎖に、私は手を絡めた。ぐっと握ると、鎖は私の手を縛りあげて地獄の門へと引き上げる。
望月は俯いたまま拳を掲げた。何も言えない望月らしい挨拶だ。だから私は聞こえるように空の上から叫んだ。
「行ってきます!」
私の足に結えられた、白く細い糸がキラリと光った。
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