第4話 二人目の現代っ子

 神社を通って帰る霧の里。門の隙間から藤次郎の不安げな表情が見えた。ソワソワと落ち着きがなく、門の前を行ったり来たり。

 私が門を開けて現れると、藤次郎は「息子は!?」と切羽詰まった様子をみせた。私は無言で翡翠の玉をポケットから出すと、藤次郎の前に突き出した。藤次郎は絶望した顔で、大粒の涙をこぼした。


「そんなっ···定吉······さだきちぃ〜〜!!」


 帰ってきた息子の面影ない姿に泣き崩れる藤次郎を、私は口をへの字にしてなんとも言えない表情で見下ろした。地面に水溜まりを作って動けない藤吉郎の気持ちが、私には分からなかったから。



 だって──元に戻せばいいだけなのだ。



 だが藤次郎は、ただの翡翠の玉を掲げて号泣する。何かしらの方法を試す素振りもない。


(あっ、そうか)


 私はふと思い出した。──そうだ、この人たちには『霊力』がないんだった。

 霊体が持つ、『霊力』という力は、誰しもが持っているものでは無いと望月が言っていた。

 その霊力というのは、魂が持つ力とは全く別で、自力で災いを跳ね除けられる者しか持たないと、一番最初の修行の際に言われたような気がする。──修行がつまらなくて、あんまり覚えていないが。


「闇は闇に還り 光は光へと還る

 命は水より出で 土へと還る

 全ての巡りに逆らうなかれ 流るるものは留まり知らぬ

 偽りに眠る者よ 目を覚まし給え」


 私は翡翠の玉にしゅを吹きかけて地面に落とした。玉が割れると、淡く光る煙に包まれて若い男が出てきた。男は何が何だか分からない、といった表情で辺りを見回す。藤次郎は愛しい息子を抱きしめて、大粒の涙をさらに零した。


 定吉と呼ばれる男も、父との再会を喜んでいた。その間に私は屋敷へと足を進めた。案の定、藤次郎は私を呼び止めることも無く、何一つ礼も言わずに、息子の手を引いて家路を歩く。定吉だけが何か言いたげに私を見ていた。

 だが、やはり何も言われない。この里で唯一の現代人は、一般的に『変人』と呼ばれている人よりも、ひどく浮いているからだ。

 あれだけ喚いて面倒をかけた藤次郎だって、『何でもする』と言った割に定吉が戻った途端、ケロッとして私に見向きさえしない。

 それも【私が里の人間と違う】という、ただそれだけの理由だからだ。




 寂しさを紛らわせるように、私は腕をさする。力が入らなくなる腕に、言い聞かせるようにポンポンと叩いた。

 私が屋敷に戻ると、玄関掃除はとっくに終わっていて望月の姿もなかった。戸口には貼り付けられた紙があったが、内容は『大広間』の三文字だけ。言葉が全く足りない呼び出しに呆れながらも、私は欠伸あくびをしながら大広間を目指した。


 ***


 どうせ望月のやることは分かっている。

 説教か、庭の草むしりの言いつけ。あるいは両方。もしかしたらトイレ掃除かもしれない。


(もしそうだったら喧嘩してやろーっと)


 どう足掻いても避けられない喧嘩に、私はやる気を出しながら襖を開ける。望月が胡座をかいて座っていた。私はやる気をなくした。

 胡座をかいているということは説教ではない。説教をする時は、望月は必ず正座で待っている。


 ならどうして呼び出したのだろうか。理由はすぐに分かった。

 望月の手前に正座している女の子がいた。肩まで降りた茶色い髪に白いカチューシャをつけている。フワフワとしたピンクのスカートが可愛らしく、お嬢様な雰囲気を演出する。


「······誰だよ」

「······ん? ああ、来たか。話がある」

「いや、まずこいつ誰だよ」

「その子のことで話があるんだ」


 望月が横に置かれた座布団を示す。私は女の子を睨むように見つめながら座布団に座る。大きな黒い瞳が困ったように私を見つめた。


「えと、初めまして」

「うん」

「私は二階堂にかいどう詩音しおんといいます」

「奏。朝日野奏」


 緊張気味の自己紹介に、私は切り捨てるように挨拶を済ませる。望月の咳払いで、一旦後ろを向いて作戦会議をした。望月は真剣な表情で私に話す。


「里をうろついていたのを見つけた。最近亡くなったらしいが地獄からの迎えが来ていない。そもそも、この里にどうやって入ったか分からないのだ。······奏、お前に聞きたい」

「ここの住人になるには早すぎる。あいつまだ死んでから一週間も経ってない。上にも下にも逝けなくなるのは四十九日過ぎてからだぞ」

「なら浮遊霊か。未練があるかもしれん」

「浮遊霊も何も、私ら自体幽霊じゃん。え、私たちは地縛霊扱いなの?」

「彼女にはまだ可能性がある。そこが大きな違いだ」

「え、地縛霊なのは認めるの?」


 私がチラッと後ろを向くと、詩音が首を傾げて待っていた。目がキョロキョロと遊んでいて落ち着きがない。



 まだ亡くなったばかりだ。あの世に逝けるはずの身で、異空の里に迷い込んだのか。歳だって、私とほとんど同じだろう。若い身で死に、悪霊手前の吹き溜まりに迷い込むなんて、なんて哀れな娘だろうか。



 ──なんて、そういうでもと思ったか。



 私は人として大事な感情が抜けている。色々欠けているが、その中でも協調性と『愛情』が欠けている。自他ともに認めていることだ。

 だがそれを除いても、会ったばかりの彼女を、私は『嫌いだ』と認識した。理由なんて知りもしない。でも、彼女と関わるのはごめんだというのだけ、はっきり理解していた。

 しかし、望月にそんなことは通用しない。


「お前が面倒見ろ。歳も近いし、安心するだろう」

「嫌だ。邪魔くさい。仕事に差し支える」

「仕事だなどと、まるで一人前のような言い方だな。まだ覚えていない術の方が多いくせに」

「私の天才的な聴覚に頼って仕事するような、たるんだ腕のジジイがなんか言ってんぞ」

「大した耳じゃないだろうが。自然の音など誰にだって聞こえる。超能力だと勘違いしているなら、頭を潰して組み立て直してやろうか? 少しはマシになるだろうよ」

「おーおー、脳みそまで筋肉の詰まった野郎には、この繊細さが分かんねぇのか。術だなんだと言っておきながら、お前のやることは物理攻撃以外の何でもねぇじゃんか」



「はっ倒すぞ」

「また地獄の門でも開いてやるよ」




「あの、私はどうしたら······」




 二度目の喧嘩の不完全燃焼に私はさらに苛立った。詩音に体を向け直すと、望月が「こいつが面倒を見る」と、私に全て押し付けた。

 私は望月に怒鳴り、大声で抗議して抵抗の意思をみせるが、望月は「成仏出来るように補助する」「それまで一階の部屋を使うといい」など詩音に伝え、私を完全に無視した。

 詩音は納得し、私に丁寧にお辞儀して、望月に部屋の場所を教えてもらう。詩音が静々と広間を出ていくと、望月が深くため息をついた。


「お前も、あれくらい大人しかったら良かったな」


 私はその一言で堪忍袋の緒が切れて、溜まった怒りを回転蹴りにすべて詰め込んだ。渾身の蹴りが望月の背骨を直撃すると、羽根のように浮いた望月は、襖を壊し、突き抜けて廊下へ投げ出される。


 私は望月を踏みつけて廊下を走り、外へと逃げ出した。後ろから激昂する望月が追いかけてくる。思いつくだけの罵詈雑言を互いに浴びせかけながら、体力の続く限り里中を縦横無尽に駆け回った。

 こんなにも私たちはうるさいのに、辺りから聞こえる夕暮れの音は、どうにも悲しそうだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る