ひとつ。無理強いはしない。

 ひとつ。二回以上会わない。

 ひとつ。お金は自分が払う。

 それが彼のルールだった。

 

 小さい頃から、山下直人は女の子にもてた。

 特別容姿が秀でていたわけではない。どちらかというと、見た目はあまり良くはなかった。ただ、笑うと、人懐っこい印象を与える顔だった。

 姉と妹に挟まれていた直人は、姉妹のいない男の子たちよりもほんの少しだけ女の子の気持ちがわかった。その点だけは姉と妹に感謝していた。

 直人は勉強があまり得意ではなかった。高校はなんとか卒業できたけど、大学に行くつもりはなかった。高校卒業後、なんとなく美容師の専門学校へ行ったものの、半年ほどで辞めてしまった。

 子供の頃から、ひとつのことを続けるということができない彼が、ずっと継続してやり続けていることがあった。

 それは、町で女の子に声をかけてデートに誘うこと――いわゆるナンパだった。

 普通に考えると分かることだが、成功率は極めて低い。

 そこそこ外見に自信のある男でも、普通はなかなか成功するものではない。一日やってゼロ。三日やっても、一週間やってもゼロ。それが当たり前だ。

 しかし、直人の場合はゼロではなかった。

 極めて低いが、ゼロではない。

 この差は大きい。

 十人に声をかけたら、そのうちひとりは会話が成立する。平均するとそれくらいの確率だった。会話が成り立ったからといって、そこから先につながるとは限らないけれど、まずは話をすることが大前提だ。

 直人は誰かと組んだりはせず、必ず一人で女の子に声をかけた。

 でも、何度か違う女の子と一緒にいるところを仲間に目撃されたことで、仲間内で彼はナンパ師のナオトと、実に安っぽい呼び名で呼ばれることになった。

 いったいどういうコツがあるのか――仲間たちは直人に会うたび質問を浴びせた。

 最初は適当にはぐらかしていた直人だったけど、仲間たちがしつこく聞いてくるから、何かそれらしい答えを用意せざるを得なくなった。

 実は、直人自身にも、わからなかった。

 コツのようなものがあるわけではない。

 ただ、なんとなく暇そうにしている女の子に声をかけて、お茶に誘う。

 たいていは断られるけど、たまにオーケーの場合がある。

 それだけのことだ。

 そんなことをいっても、たぶん仲間たちは納得しないだろうから、直人はこう答えることにした。

 波長だ。

 波長が合う子を見つけること。

 それがコツだ、と。

 実は、それは直人が考えたことではない。

 直人の誘いに乗ってきた女の子のひとりに、彼は尋ねてみた。

 俺がこんなこと聞くのも変なんだけどさ、なんでついてきたの?

 女の子は、パンケーキをほおばりながら、答えた。

 んー、なんか波長が合いそうかな、って思った。

 それを聞いた仲間は、その適度にリアルで、適度に自分達の再現性が低い回答に納得し、それ以降は誰も直人に質問しなくなった。

 仲間たちにとってもうひとつ不思議なことは、直人がSNSを一切使わなかったことだ。

 彼らにしてみれば、リアルで見知らぬ女の子を誘うよりも、ネットを通じて誘う方が成功率が高いという考えの方が自然だった。

 実際、直人も何度かSNSを使ってみたけれど、どのサイトも登録している女性は、金銭と引き換えに性交渉を持ち掛けてくる人間ばかりだった。

 直人はセックスが目的でこんなことをしているわけではなかった。

 だから、すぐにSNSを利用するのはやめてしまった。

 では、何が目的なのか。

 それは、直人自身にも答えられない問題だった。

 お茶か、ご飯に誘って、そのあとはただ別れるだけ。

 週五日の居酒屋のアルバイト代は女の子たちとの食事代に消えていった。

 たまに連絡先を訊いてくる女の子もいたけど、直人は一度も教えたことはない。

 ひとつ。二回以上会わない。

 なんで、やっちゃわないんだ?

 仲間たちにそう聞かれても、そんなことをいってっからもてねぇんだよ、と、もっともらしい答えではぐらかすくらいしか、直人にはできなかった。


 その夜、直人は特に目的もなく、車で街を流していた。

 気分の乗らない日は、女の子は誘わない。

 そういう日に無理して誘っても、ろくなことがないのは経験上わかっていた。

 信号待ちの交差点で、ふと向かいの歩道にたたずんでいる女の子が目にとまった。

 黄緑色のスプリングコートのポケットに両手を突っ込んで、こちらに右半身を向けて立っている。白地に赤いラインの入ったトートバッグを肩に下げていた。髪の毛で横顔が隠れているけど、雰囲気からは十八歳から、せいぜい二十歳くらい、と直人は見当をつけた。

 目の前の信号は青のはずなのに、女の子には横断歩道を渡る気配はない。

 道路を挟んで向かい側の建物を、ただ眺めているだけのように見える。

 そこには、既にシャッターが閉まったいくつかの店舗が並んでいるだけで、特に眺めるような何かがあるわけではなかった。

 声をかけるべきか。ほんの一瞬、直人は迷った。

 やがて、女の子の目の前の青信号が点滅し始めて、赤に変わり、直人の目の前の信号が青に変わった。

 直人はゆっくりと車をスタートさせて、女の子の前を通り過ぎてから、車道の左わきに車を止めて、車から降りた。

 道路脇の低い植え込みをまたいで歩道に降り立つと、しばらく待ってから女の子のそばに近づいていった。彼女の前の信号が再び青に変わった。

 女の子は相変わらずやや俯き加減で立っている。

「信号、青ですよ」

 直人は女の子から半歩前に出て、少し振り返っていった。

 女の子が顔を上げた。

 若い。

 もしかしたら高校生かもしれない。

 直人は内心少しひるんだけど、表情には出さず、女の子と視線を交わした。

 まっすぐに直人を見つめ返してくる瞳は、思わず吸い込まれそうな、不思議な雰囲気をたたえていた。

「余計なおせっかいだと思うけど、こんなところに突っ立ってるの、よくないよ」

 女の子は少し首をかしげた。

「俺みたいなのにナンパされちゃうよ」

 女の子が口を開きかけるのを、直人は自分の唇に人差し指を当てて制した。

「って、実は、もうしてるんだけどね」そこで直人はちらっと横断歩道を振り返った。「とりあえず向こう側まで渡るんでしょ。俺もそうなんだよね。じゃ、行こっか。一緒に歩くだけだから。さあ」

 直人は右足を横断歩道に踏み出した。

「はい」女の子がうなずいた。「だいじょうぶです」

 女の子の髪の毛が揺れた。そのときはじめて彼女の左耳からイヤホンのコードが垂れていることに、直人は気が付いた。

 女の子はいった。

「それじゃあ、私に、あなたが知ってるなかで、いちばん冷たい言葉をいってください」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る