猫を埋める ~沿線ライター小清水くんと些細な出来事シリーズ④~
Han Lu
1
「街はこれから一日の終わりに向けて、
ゆっくりと幕を下ろそうとしています。
日中の明るい喧噪はすでになく、
深い夜のしじまが広がっていく。
今日という日を締めくくる、
そんなひととき。
フロム・ナイン・トゥ・テン」
信号が青に変わり、直人はゆっくりと車をスタートさせた。
「水曜日、最初のコーナーは、ショート・ストーリーズ。ほんの刹那の物語があなたを不思議な世界へいざないます」
短いテーマソングがフェードアウトしていき、ラジオからはふたたびナレーターの深く落ち着いた声が流れ出す。
「深夜。
あなたは車を走らせている。
あなたは家へ帰ろうとしている。仕事の帰りなのか、何か他の用事があったのか、それは分からない。その時が来れば自ずと分かることだし、それはあまり重要なことではない。
家の近くまで来て、信号待ちをしていると、道の向こう側の街灯の下に、あなたの知っている女性がひとりでぽつんと立っているのが目に入る。彼女はあなたの家の近所に住んでいて、会えば世間話ぐらいはするが、それ以上の間柄ではない。
彼女は小さな段ボール箱を抱えて、途方に暮れたように立っている。若い女性が――あなたは彼女の年齢を知らないが、たぶん二十五歳くらいだろうと思っている――こんな時間にひとりで道ばたに突っ立っているのはあまり穏やかな光景ではないが、にもかかわらずあなたはそれほど奇異には感じない。かつて何度かそんなことがあったかのように、もしくは何か予感めいたものをあなたは感じている。
やがて信号が青になり、あなたの車は彼女に近づいていく。彼女はあなたに気づいたらしく、車が前を通り過ぎる間、じっとあなたのことを見ている。
あなたは車を停め、窓を開けて、どうしたんですか、と尋ねる。
『タクシーを拾いたいんです』と、彼女はいう。
住宅街の真ん中で、しかもそんな時間にタクシーを拾うのはほとんど不可能に近い。
そう遠くなければ乗せていってあげましょうかと、あなたはいう。あなた自身がよく知っているように、こういう場合、あなたは知らん顔で行ってしまえないたちなのだ。
彼女は少し迷っていたが、『じゃあ、すみませんがお願いします』といって、段ボール箱を抱えたまま後部座席に乗り込む。
行き先を尋ねると、彼女はあなたの聞いたことのない地名を口にする。それはまるで外国の地名のようでもあり、また、今まで聞いたこともない不思議な言語のようでもあった。
あなたが、もう一度聞き返そうとすると、彼女は道順をいいますから、という。
あなたは車をスタートさせる。
車に乗っている間、彼女はずっと大事そうに段ボール箱を抱えている。あなたは箱の中身が気になって仕方がないが、聞き出すきっかけがつかめない。彼女はじっと窓の外を見つめている。まるで窓の向こうの暗い街並みの中に何かの答えを探しているみたいに。そして時々、あなたに道順を教える。
やがて車は街を離れ、両側に竹藪が生い茂る細い道に入っていった。あなたは始めて来る場所だ。
『この辺で停めて下さい』と彼女はいう。
こんなところに一体何があるのか、あなたは不審に思うが、とりあえず車を停める。
彼女は礼をいい、車を降りようとするが、あなたの視線が段ボール箱に注がれているのに気づき、ちょっとためらったあとで話し始める。
『猫が死んだんです。
それで、埋めに行こうと思ってタクシーを待ってたんです。
猫と始めて会ったのがここだったから』
一瞬、彼女が微笑んだようにあなたには見える。そして、どこから取り出したのか、小さなスコップをあなたに見せ、車を降りて竹藪の中へ入っていく。そんな場所に彼女ひとりを置き去りにするわけにもいかず、あなたも彼女の後を追う」
そこでいったんナレーションは途切れ、曲が流れ始めた。
直人の聴いたことのない、落ち着いた雰囲気の洋楽だった。
車はふたたび赤信号につかまった。
直人は助手席に視線を向けた。
軽くため息をつくと、ハンドルに両手を置き、顎をのせてつぶやいた。
さて。こいつをどうしよう。
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