Spark a chain reaction!!

 雪乃は道路の真ん中で、数匹の『四脚』に殴られていた。

 地面に、乱暴に引きずり倒される。


 ……もう、無理だった。身体はボロボロだし、心も挫けそうだ。

 立ち上がろうとするが……膝が折れる。心が萎えて、どうしようもなくなって……。

 せめて手を突いて、顔を上げるが……そこを掬い上げるように、また殴られる。

 顎に走る激痛。口の中に、血の味が広がる。

 仰向けに倒れた雪乃の周囲を『四脚』が取り囲み、彼女が立ち上がるのを待っている。


(い……痛いよぉ……。もう……動きたくない……怖すぎるよぉ!)


 かろうじて、泣くのは我慢した。

 しかし淡々と加えられる、機械的な暴力に、感情がどんどんしぼんで行く。それに伴い、勇者の力も失われ、ついには身体から頑丈さが消えた。


 次に殴られたら、きっと死ぬ。

 さすがにもう、諦めてしまおうと……しかし、その時だ!

 突如として、空が七色に輝く。そして現れた物体を見て、雪乃は目を見開いた。


(あ、あれは……!?)


 忘れもしないその姿。

 かつて仲間と共に、世界をまたに駆け巡った、あの懐かしき船だった。

 あれほど我慢していたのに、目に涙が浮かぶ……思い出すのは、冒険の日々。

 決死の覚悟で挑んだ戦いが、命を拾い過ごした安らぎが、仲間との絆が、そして恋人との幸せな日々が……甘美な記憶として、甦る。


 自分ではない、かつての自分。

 それは、気が遠くなるほど遠い過去なのに、匂い立つような鮮烈な記憶だった。


 しかし、感傷に浸る間も無く、頭を触腕しょくわんに絡め取られ、引き起こされた。

 容赦ない圧力に、頭蓋骨がギシギシときしむ。

 そして、鈍色にびいろの腕が振り上げられ、顔面が引き裂かれようと言う、まさにその時!

 目の前の『四脚』が、突如として割って入った巨大な足裏に、踏み潰された。

 現れた姿を見て、雪乃は息を呑む。


 巨大な……純白の鎧。

 己が手に持つには、あまりにも小さすぎる『二つの武器』を備えた、その姿。

 真っ白な鎧は、片っ端から周囲の『四脚』を蹴り飛ばし、一掃する。

 地面に落ちた雪乃は、呻いた。


「う……あぁ……っ! あなたは……その『武器』は……!?」


 かすれた声での呼びかけに、主にかしずくように、巨大な鎧は膝をつく。

 そして、手に持つ『武器』を、そっと差し出した。

 雪乃の傷ついた身体に、急速に力が漲る。立ち上がり、手を伸ばす。


 間違いない。それは、かつての自分……勇者アルカが、使っていた物である。

 船と共に封印され、二度とこの手に戻る事はないと、そう思っていた『武器』が、確かにそこにあった。

 雪乃は目を細めて、白い鎧を眩しげに見つめる。


「ねえ? あなたを模して、身を守る鎧は、過去と共に失われたわ。けれど……」


 震える右手を伸ばし、まずは『剣』を手に取る。

 軽い。羽根のような軽さだった。

 月光の下で剣刃は、狂おしいほどの輝きを放っている。

 どのような装甲も切り裂く、両刃の魔剣だ。


 そして、もうひとつは……なんの変哲もない、『ハンマー』である。

 柄は短く、片手に持てるほどの大きさだ。

 左手で持ち上げると、ズシリと重さを感じる。


「あぁ、なんて懐かしいのかしら……!? 再び、この手で持てる日が来るなんて……っ!」


 どちらも、正確な名は失われて不明である……しかしそれらは、どれだけ悠久の時が過ぎようと、決して砕けず、折れず、衰えはしない。

 不死の存在さえ殺してしまう、『神々の武具』だった。


 ……どれほど、そうして立っていたのか。ふと気づくと、目の前から純白の鎧は消えていた。

 武器を渡して、自分の役目はすんだとばかりに、他の『四脚』を探しにいったのだろう。


 そんな雪乃を、2体の『四脚』が見つけて、猛烈な勢いで飛び掛る!

 だが雪乃はもう恐れず、右手に持った剣を地面に突き立てた。

 そして、一閃! 足下のアスファルトが、楕円にくり貫かれる。

 畳返しのように、それを足で思いっきり跳ね上げて、同時に上へと跳んだ。

 持ち上がったアスファルトの壁に、『四脚』達は正面から当たって怯み、雪乃を見失う。

 その隙を逃さず、上空から魔剣を振りかぶり、2体の『四脚』を連続しとめた。


 魔剣は、恐ろしく軽い……しかし、容赦ない切れ味だ。手ごたえがなさ過ぎて、拍子抜けするほどである。振り抜く速度も、日本刀の倍以上だった。

 と、ガシャリ、後ろの壁を乗り越え、また新たな『四脚』が姿を現す。

 雪乃は振り向きざまに、左手のハンマーを投げつけた!

 それは真っ直ぐにターゲットへと吸い込まれていき、ズガァン! 雷が落ちたみたいな豪快な音を立てて、敵を粉砕した。

 ハンマーは、ひとりでにクルクルと宙を飛び、手の中に戻ってくる。だが、


「あっ!? あっつぅい! そ、そうだったわ! これって投げると、しばらく素手じゃ持てないくらい熱くなるんだった!」


 雪乃は慌てて、ボディバッグに放り込む。

 先ほどの破砕音を聞きつけて、周囲に『四脚』が続々と集まってきた。マンホールを押し上げて、下水からも銀の塊が沸き上がる。

 あれだけ大きな音を立てれば、当然だろう……雲霞うんかの如しとは、まさにこの事か……だが雪乃はそれを見て、なんだかおかしくなってしまう。

 そして面白くなって、噴出してしまう。ケラケラと大笑いする。


「あっはははは! 私……なに、泣き言をいってたんだろ?」


 次に……怒りが。腹の底から、マグマのように噴出してきた。


(こいつら……人の町をこんな風にして……私の身体を、傷だらけにして……! なによりも、あの人を……空那を困らせて……っ!)


 今の雪乃は、『悪』に対して怒ってるのではない。

 ただ、自分の中の『正義』を貫くために、怒るのだ。

 ワナワナと体を震わせると右手の魔剣で指し示し、怒気を含んだ声で、宣言する。


「……覚悟しなさい! あなた達、絶対に許さないわよッ!」


 雪乃は感情の昂ぶりに操られるように、まるで己の力を試すように、踊るように『四脚』の群れへと飛び込んで行った。



 アニスは混乱していた。

 突如として起こった現象に、理解が追いつかないのだ。

 商品がなぎ倒され、荒れ果てた店内。倒れた棚の間に、辛くも逃れたアニスは、異次元に迷い込んだかのような空を、呆然と見上げる。

 左手には、ぐしゃぐしゃに潰れたコロッケが握り締められている。

 銀色の膜から現れた巨大な建造物は、その身からいくつもの光る軌跡を描いている。そのひとつが、すぐ近くに降りた。

 まるで質量を感じさせない動きで着地した、『青い色をしたそれ』は、今にもアニスを押しつぶそうとしていた『四脚』に対して、店の外から巨大な手を伸ばし、掴み上げると無造作に投げ捨てた。


 アニスは、棚の間から這い出し、ゆっくりと立ち上がり、それを見上げる。

 それは、巨大な人形だった。深い青の外装に包まれていて、堂々と月光に姿を晒している。

 丸太のようなその腕が振り下ろされれば、おそらく自分は潰れて死ぬ。

 ぼーっと観察を続けていると、『四脚』が立ち上がり、再びこちらへと接近する。


(逃げるよりも、この正体不明の人形を観察し、見極めるべき)


 逃げる必要はない。どうせ逃げられないのだから、同じ事である。

 アニスは、そう判断して立ち尽くす。『四脚』が、そんなアニスの頭めがけて、触腕を伸ばす。それを、すんでのところで人形が弾き飛ばした。

 それで、アニスは確信する。


(これは、人間を守るために動いている)


 ゆっくりと近づいて、その背に触れてみた。冷たいような熱いような不思議な素材で、まるで貝殻のようにざらざらしている。

 触れているアニスにまるで頓着せずに、人形は『四脚』を組み敷くと、巨大な足で踏み潰した。

 アニスは、鎧の凹凸に手をかけ、せっせとよじ登る。

 人形に取りつき、色々と撫ぜまわしていると、頭の部分が取り外せる事に気づく。

 どうやらそれは飾りらしく、『思考回路』は鎧の中心部にあるようだ。


 人形は、アニスが背に乗っても、振り落とそうとさえしない。それどころか、アニスが落ちないように、動きを抑えている。そして、アニスへと加えられる攻撃を弾き、守る。

 その規則性を持った動きを見て、アニスは考える。


(複雑な動き。反応もいい……これは『命令』を与えられ、自立的に動いている。こちらに敵意がないのならば、リアクターを使って、新しく『命令』が与えられるかもしれない)


 これほどの戦力があれば、中枢まで辿りつける可能性は、非常に高い。

 アニスは、人形に肩車の体制でまたがると、前を見据える。

 それから、手の中の潰れたコロッケを、サクリと噛み砕いた。

 不思議な事にそのコロッケは、いつもより遥かに美味だった。


(信じられない……っ!? こんなに美味しいコロッケ、初めて食べた!)


 あとで、このコンビニエンスストアのコロッケの原材料を調べてみよう……そう思いながら、アニスはリアクターを鎧の内部へと突っ込み、読み取りと演算を開始した。



 炙山父は、状況に変化が生じつつあるのに気づく。

 中枢へと向かう敵は、撃退したはずだった。

 一人、抵抗を続けている敵がいたが……そちらもすでに、問題にはならなかった。

 あとは残った演算を処理して、人々を作り換えるだけでよかった。


 だが……突如として、巨大な建造物が上空に現れた。

 その瞬間から、異常が起こり始めた。


 どうやら、大規模な物理改変と、空間移動が行われているらしい。

 街中に、敵の反応が際限なく増え続ける。

 ケイ素生物の稼動範囲が、狭まっていくのを感じる。

 急速に失われていく末端の感覚に戸惑い、炙山父は天を見上げた。


 なんだ……この感覚は……いつか、どこかで……そうだ!


 そこにはかつて、宇宙で感じた、懐かしい『混沌』が広がっていた。



 屋上で、スキーズブラズニルに命令を下す空那の背に、砂月は泣きながらすがり付いている。

 砂月の目は、夢の中のように、その一方でひどく懐かしいものを見るかのように、ただ陶然とうぜんとしている。

 彼女は、目の前の首へと牙を立てる。

 空那の顔が苦痛で歪み、首筋から一筋の血が流れ出た。


「痛いよ」


 砂月はその言葉に頷くと、長い舌で鮮血を舐め取った。


「おにいちゃんの味がする」

「それは、変態っぽいからやめてくれ!」


 空那の抗議に、砂月は口を尖らせて言う。


「なんで……? 昔は、よくやったのに……吸血エナジーでろでろ触手プレイとかさぁ……?」


 空那は赤面し、うつむいた。その言葉が、本当だったからだ。


(うっ……思い出さなくていい事まで思い出すな……確かにアレ、かなり気持ちよかった覚えある……)


 が、さすがに今、男の身体であんなのは、勘弁してもらいたい!

 空那は苦笑し、顔を上げる。


(ったく、俺の前世のセレーナ! ……お前、エグい変態プレイばっかやってんじゃねーよっ!)


 かつての自分の柔肌と、突き立てられる牙の痛み、その時の快感、恥ずかしくなるほどの反応……自分ではない自分の記憶は、甘く、狂おしい……。

 そして、その記憶ゆえに動かす戦力も、狂いそうなほど強大だった。

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