復活の空は全てを包む
砂月は獣爪を、牙でガリガリ噛む。その周囲にはカラスが数羽、鷹と思しき
今にも泣き出しそうな砂月の顔を見て、空那は尋ねる。
「おい、なにかあったのか?」
砂月は答えない。
少し強い口調で、空那は再度尋ねる。
「雪乃とアニス先輩は、どうしたって聞いてるっ!」
砂月は、目をゴシゴシと何度か擦ってから、言った。
「あいつが……勇者が……。ゆ、雪ねえが……囲まれて殴られてる。数が多すぎて、どうにもなんないみたい」
空那は息を飲む。
砂月は、震え声で続ける。
「あと小動物も、地下から出てきて、敵に追われてる。あれはもう……ダメかも。死んじゃうと思う」
聞くや否や、駆け出そうとする空那の前に、鷹が翼を広げて立ちふさがった。さらにはカラスが大量に飛んできて、行く手を阻むように集まった。
目の前に形成される鳥達のラインに、空那の足が止まる。
砂月が、妙に冷たい声で言う。
「ちょっと……どこ行くの。おにいちゃん」
「どこって、決まってんだろ!? 助けにいくんだよ!」
「その鳥達にも、勝てないのに?」
言われて、言葉に詰まる。
鷹が羽を広げて、高く鳴いた。鋭い爪を振り上げて、
確かに、これは勝てそうにない。
もし強引に押し通っても、きっとボロボロになるだろう。それこそ助けになんて、行けないほどに。
空那は砂月を睨み、叫んだ。
「おい、砂月っ! どういうつもりだ! なんで邪魔すんだよ!? この鳥をどけろっ!」
しかし、砂月は無視したままだ。
空那は
「さ、砂月……? だったら……俺と一緒に、助けに行ってくれ! ……頼む!」
空那は、まっすぐ頭を下げた。己の無力が、ただ悔しかった。
だが、砂月は動かない。
空那は顔を上げて、問いかける。
「なんでだよ!? 一緒に行きもしない、俺を行かせもしないって……? お前まさか、二人を見殺しにする気か!?」
砂月はしばらく黙った後で、絞り出すように答えた。
「……このまま、しばらく様子を見て……二人が死んだのを確認したら、おにいちゃんを連れて逃げる」
「な、なんだとぉ……っ! ふざけんなぁーッ!」
力いっぱい怒鳴る空那に、砂月は涙で滲む目を向け、さらに大きな声で怒鳴った。
「なによ、わからずやっ! アタシ、絶対にイヤ! どれだけ頼まれても、行かないからねっ! 行っても、ムダだもん!」
「無駄でもなんでも、頼むよ! この通りだから……なんとか、できないのか? なんなら、俺を囮にしてくれていい! ……そうだ! 俺を生贄にして、悪魔とか呼び出せないか!?」
必死で
「あのねっ!? アタシは、それがイヤだって言ってるのっ! 何度も言ってるけど、アタシの中じゃ、おにいちゃんが最優先なんだよ! 大体、おにいちゃんの命を使って、悪魔一匹呼び出したところで、どうにかなるような数じゃないじゃないわよ!」
「う、ぐぅ……っ」
砂月は、大きく息を吐いてから、残念そうに言う。
「はぁー……もう、無理だよ。負けたよ。アタシ達にできる事、なんもないよ……あんなにたくさんの敵、アタシじゃ倒しきれないもん。だから、ここでギリギリまで見届けて……最後は、逃げようよ。だって、二人で助けに行った所で……結果は変わらないもの」
そんな理屈、空那にだってわかってる。
雪乃が逃げ切れないほどの数なら、現実的に二人に打つ手はない。
危険を冒して助けに行って、全員殺される可能性のが高い。なにも、砂月はわがままを言っているわけではない。
空那は唇を強く噛んだ。
(わがまま言ってるのは……俺だ!)
だから無理強いはできないし、なにも言い返せない。
それでも、納得はできなかった。
どうしても、どうしても、どうしても! ……例え一人でも、意味なんてなくても、助けに行きたかった。だから、なんとか隙を突いて鳥達を突破しようと、チラチラと視線を走らせる。
そんな空那を見て、砂月がまた、冷たい声で言った。
「ねえ……もう諦めよう。おにいちゃんだって、ホントはわかってたでしょ? 失敗したら、二人がこうなるってさ……?」
冷静に言われて、空那は顔をそらす。
そうだ。本当は、知っていた。
作戦を立てたのは、空那自身。
たった四人で、しかも現実的な戦力は三人。まとめて突っ込んでも、意味はない。どうにかするには、分散させるしかない。そして、バラバラになってしまえば……失敗したら、誰も助けられない。
空那の噛み締めた唇が、ブツリと音を立てて破れ、血が流れた。本当に情けなくて、悔しくて……
「だって、そんなこと言ったって……このままじゃ、雪乃もアニス先輩も……死んじまうんだぞ」
死地に送り出したのは、自分なのに。責任があるのに。
なのに彼は、手伝えない。手伝うどころか、邪魔にしかならない。
こんな情けない自分の願いで動き、結果、見捨てられる二人が可哀想だった。
それこそ自分の命でどうにかなるなら、今すぐ差し出したっていいのに。だから、こうして頼んでいるのに……やはり、砂月は動かない。
だったらもう、彼にやれることは、ひとつしかなかった。
ゆっくりと、空那の膝が地につき、肩が、頭が下がる。
土下座だ。額が削れて脳みそが出るまで、地面に頭を擦りつけるのだ。
しかし、その頭が地面につく前に……すうっと、砂月の表情が消えた。
鷹が、カラスが、フクロウが、扉の前からバサリと飛び退る。
砂月の手がマントの中に消えて、
「どうしても行きたかったら、それ持って行けばいいわ」
そう言って地面に放られたのは、巨大な動物の骨で作られた、細身の杖だった。
「それには、アタシの魔力が込めてあるから。そう何度も使える物ではないけれど、殴れば奴らが弾け飛ぶ程度の威力はあるよ」
空那は、目の前の杖を握り締める。
(……これがあれば、二人の役に立てる!)
砂月が、とびきり冷たい声で言う。
「だけど、アタシは行かない……ここにいる。行きたければ、おにいちゃんひとりで、勝手に行けば?」
空那は立ち上がった。
「ああ……これで充分だよ。ありがとう、砂月!」
そう言って、砂月の顔を見て……
砂月は、泣いていた。
余裕の薄笑いを浮かべたまま、唇を震わせ、真っ赤な頬に、
「別に? そ、そうよ……もとより、アタシは一人だもの。なんの不都合もないわよ」
声と共に、涙の粒がボロボロとこぼれて、地面に落ちる。
その瞬間……思い出してしまった。
そうだった。この人は、一人なのだ!
満ち足りて悪人になる奴など、世界の何処にもいない。
かつての魔王には裕福さも、親も、家族も、仲間も、特殊な力も、あるいは普通に生きていけるような環境も……すべてなかった。本当に、なにひとつ持ってなかった。ただ、孤独だった。
だから、救いを魔道に求めた。
求めて、求めて、求め続けた結果……いつの間にか、魔王と呼ばれていた。
持たないから欲しがる……それの、なにがいけなかった?
足りない奴は、永遠に足りないままで居ろというのか!
幸せな人達を横目に、死ぬまで耐えろというのか。
満たされない部分は、『なにか』で埋めなければいけない。
だけど何かを求めて、どれだけ人から奪っても、やっぱり足りなくて。
困り果て……そして、与える側になろうとした。
魔王による独裁。思想統制、究極の管理社会。ディストピアである。
それは決して、『正義』ではない。だけど、彼なりの精一杯の『愛』だった。愛だから、必死で積み上げた。がんばれた。血を吐いて走り、理想を求め続けた。
果てしなく歪んだ愛だった……だって彼の世界は、もとから歪んでいたのだから。
なのに勇者は、そんな魔王を、外側から一枚一枚、まるでタマネギでも剥くように、丸裸にしてしまった。それが正しい行いでも、あまりに残酷ではないか。
最後に、勇者と対峙した魔王は……なんと言ったか?
味方を、己の積み上げてきた様々な物を、片っ端から壊され、倒されて、剥ぎ取られ、その瓦礫の上で、また一人になってしまった魔王は……なんと言っていたか?
(あんなに大切な約束だったのに……どうして、忘れていたんだろう?)
空那の手から、杖が落ちた。
そして、ゆっくりと近づき……まるで、散らばった砂粒を
自然に言葉が出た。
「あなたを……決して、一人にしない」
唇が合わさった。そうするのが、正解な気がした。
瞬間、洪水のように、様々な思い出が去来する。
それは切なくて、苦しくて、悲しくて……今なら、わかる!
こんな思いを一人で抱えていたら、おかしくなるのも当然だった!
(ああ……俺、嘘を吐いていた! 俺の心にあるのは『愛』だけなんて……そんなの、嘘だ!)
何倍にも膨れ上がった『それ』が……心の
(俺は、なんて卑怯なんだ……そうだ! こいつはずっと、心の奥底にあったんだ。いつの頃からか、もう忘れてしまったけれど……!)
どちらかなんて、選べなかった。片方なんて無理だった。
だから『そいつ』に枷をつけて、どこまでも深くに沈めてた。
必死で気づかない振りをした。どれだけ騒いでも、無視していた。
だけど、もう気づいてしまった!
(俺、ずっと……ずっと前から……砂月と雪乃に『恋』してる!)
溢れ出す恋心が切なくて、涙が流れる。触れ合う素肌が熱くなって、砂月の事が、ただひたすらに愛おしい。
そして、そんな大切な存在が腕の中にいるというのに……雪乃が側にいないことが……
(ちくしょう……! 『二人とも』欲しいだなんて……なんて身勝手で、なんて一方的で、なんて欲張りなんだろう!?)
……わかっていた。
こんなものが、『良い感情』であるわけないと、わかっていた!
だから、封印してたのだ!
だけどもう、破られてしまった。
自由にしてしまった。
暴れる恋心が、止められない。
今まで抑えられていた
しかし、これが罰だというならば……なんて甘美な痛みなんだろうか。
空那は、砂月を力いっぱいに抱きしめながら言う。
「ごめん……ごめんな、砂月! こんなの、お前が耐えられるわけないよなっ!? そして……忘れていて、ごめんなさい……シェライゴス」
抱きしめられた砂月は、わんわん泣きながら空那にすがりついた。
「ううんっ、もぉ……もういい! もう、いいんだよう! だって、だってぇ……っ! よ、ようやく思い出してくれたんだもんっ! あ、あの約束をっ! やっと……やっとぉ! う、うわあーんっ!」
「あぁ……ああっ! でも、今は……っ!」
そうだ。今は、語り合う時ではない。
みんなを助けなくては……その力を、取り戻したのだから。
大切な大切な約束と一緒に、やっと思い出したのだ。
『それ』が、どこにあるのかを。呼び方を、動かし方を思い出す。
空那は、屋上の淵に立つ。
大きく両腕を広げると、天空に向かって人ならぬ声で、歌った。
それは長く複雑な数式を、声の高さと長さに当てはめた物だった。
歌声が空気を震わせて、空へと消えて行く……瞬間、人知を越えた法則が、空を彩る!
天空に銀色の波紋が、ゆっくりと広がる。
まるで夜空に、水銀の膜が浮かんでいるようだ。
雲が渦を巻き、月光が虹色に変化する。
それから不意に、ガラスが割れるような、澄んだ音が響いた。
そして、夜空に浮かぶ満月が、緑色に光った後……空に、巨大な船が現れた。
スキーズブラズニル。神々の遺産。
オーロラの帆をたなびかせ、無数の世界を行き来する、異次元戦艦だ。
同時に、船から数えきれないほどの光が走り、次々と地面に落ちていく。それは身の丈4メートル以上ある、巨大な鎧達だった。それらは地面に激突する前に足裏からプラズマを
鎧達は、アスファルトの上を、ゆっくりと歩き出した。
それはかつて、数万にも及ぶ不死身の悪魔を蹴散らした、無敵の『神の軍隊』だった。
……知に優れるだけで、『知将』とは呼ばれない。
軍を統べ、動かす力があるからこそ、『知将』なのである!
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