第61話 終章・槍騎士の決意②

 ギリアムの剣が宙を舞う。

 ゆっくりと弧を描きながら、石畳の地面にからりと剣が転がる。


「……なに?」


 しんと静まり返った通路に、ギリアムの呟きが落ちた。

 彼も、突然何が起こったのかわからなかったのだろう。

 自らの手と地面に落ちた剣を交互に見返し、そして、目の前に立つ双剣を構えた男を、ぽかんと腑抜けた顔で見つめた。


「サイラスさん?」


 ラシェルもまた突如現れたその男――サイラスを、唖然と見つめた。

 ざわざわと周囲の騎士たちがどよめく中、


「そこの君たち、お取込み中すまないね。ちょっと通してくれるかな?」


 よく通る軽快な声が、通用門の奥から響いてきた。

 ぱんぱんと手を打ち鳴らしながら群がる人々を掻き分け、悠然とした態度で歩み出て来たのは、アルベルトだった。


「だ、団長? 団長がどうしてここに?」


 ラシェルはぽかんとアルベルトを見つめた。

 アルベルトは呆然としたままのギリアムの前に立つと、にこりと輝く笑顔を見せた。


「ここは神聖なる騎士団領と、医療院の中間地点……この場所で刃傷沙汰を起こすのはいただけないと思うけれどね?」

「な、なんだ? お前は……確か、お遊戯騎士団の団長じゃないか?」


 それが何故こんなところにというギリアムの動揺もよそに、アルベルトは肩をすくめた。


「お遊戯騎士団とは心外だね。我らが『栄光ある女神に捧げる聖音騎士団』は、君たちよりはよほど、女神のご意向に沿った働きをしていると思うけれどもね?」

「なんだと!?」

「おや、気に障ったのならば失礼。だけど、手傷を負った美しいレディに刃を向けるとは、聖騎士の名が泣くのではないかな?」

「こ、これは……我が騎士団の団長命令だ。よそ者のお前に指図される筋合いはない」


 ギリアムはふんと鼻息も荒く、アルベルトを睨みつけた。


「よそ者は口を出すなということだね。なら、心配は無用だよ。こちらは当事者だからね!」


 ふふっと笑みを浮かべるアルベルトに、騎士は怪訝そうな顔を浮かべた。


「どういうことだ?」


 すると、サイラスが「説明してやる」と、構えていた双剣を腰に収めた。

 そして一枚の紙を懐から取り出すと、それをギリアムに突き付けた。


「今日付けでリューク・エクセレイアは我が騎士団に異動した。すでに上層部にも申請し、受理済だ。よって、お前たちに手出しされるいわれはないというわけだ」

「なっ……なに!? 異動だと!?」


 ギリアムはサイラスから紙をふんだくると、それを凝視した。

 そして、そこに記載された事実に愕然と手を震わせた。


「……待ってくれ。お前たちは、私のような魔獣化した危険因子を引き取るつもりなのか?」


 話を聞いていたリュークが、おそるおそるアルベルトを窺った。


「そのとおりだよ。我らにとって、魔獣化なんて別に脅威でもなんでもないからね」


 アルベルトの自信満々な回答に、騎士が目を剥いた。


「魔獣化が脅威ではないだと?」


 すると、ギリアムの疑問に対する答えを、サイラスが引き継いだ。


「俺たちの見立てでは、魔獣化は一定の条件下でなければ起こらない。よって、それを引き起こす状況さえ作らなければ、まず問題はないとみている」

「魔獣化を引き起こす状況? なんだそれは」

「端的に言えば、魔獣化したものに触れることで闇の因子が植え付けられる。植え付けられた種は本能的欲求や不安や怒りなどの感情負因によって成長し、魔獣化を引き起こす。これが魔獣化の法則だ」

「そして、この闇の因子は、女神の祈りを受けた聖なる音楽によって浄化される……。魔獣の心にも届く、女神に与えられた至上の癒し。それが音楽なんだよ。このことは、我々がこれまで実証してきたことだよ」


 サイラスの言葉を引き継いだアルベルトが胸を張ると、一瞬、ギリアムはぽかんとした目を向けた。

 しかし、プルプルと震えだしたかと思うと、口元をひきつらせながらリュークの異動命令書を地面にたたきつけた。


「一度魔獣化した者が再発しないと、何故言い切れる!?」

「これもまた、過去の実例に基づいているんだけどね。例え万が一、闇の因子が消滅し切っていなかったとしても、身近に美しい音楽があれば、きっと女神の慈悲は継続して与えられる。だからこそ、僕らは心配していないということだよ」

「そんな話、信じられるわけないだろう!」

「信じるかどうかは貴殿にお任せするよ。だけど、リューク殿がそちらの団長たるハンクロード殿に伝えたかったのは、このことだと思うけれどもね?」


 アルベルトはそう言って、リュークを見やった。

 すると、リュークは顔を曇らせながら一つ頷いた。


「……そうだ。事実、私はあの闇に取り込まれてなお、彼らの奏でる音が聞こえていた。音楽を聴くことで、波立っていた心がどんどんと穏やかになってくのを感じたんだ」


 そんなリュークを、ギリアムは鼻で笑った。


「ばかばかしい! そんなことを団長にお伝えするために来たのか?」


 吐き捨てられた言葉に、リュークは唇を引き結んだ。しかし、顔を上げてギリアムを見つめた。


「お前にとっては信じられないことかもしれない。だけど、あの音が道しるべとなって、私は人に戻れた。それは事実だ。だから、そのことを団長にお伝えせねばと思った。本来ならば助けられるはずの人命を、無闇に奪うことがないようにと……」


 リュークの必死の訴えを前に、しばらくの間ギリアムはこめかみを引きつらせたまま黙り込んでいたが、やがて大きなため息をついた。


「もういい。何に感化されたかは知らんが、我らの信念は変わらん。とはいえ、もはやお前は我が騎士団の団員ではないからな。これ以上お前に時間を割くつもりはない」


 突き放すように冷たい視線を向けられ、リュークは唇を噛んだ。

 そんなリュークの肩を、サイラスが叩いた。


「ならば、彼女はこちらで引き取って問題ないな?」

「ああ。決定事項に口を出すつもりはない。自由に連れて行け。ただし、一度魔獣化した人間を騎士団領に入れることについては、我らを含め、賛同できない者の方が多いだろう。簡単な問題ではないということは自覚しておけ。上層部がこいつの異動をあっさり認めた意味についても、な」

「まあ、そうだろうな」


 サイラスが肩をすくめると、ギリアムはふんと鼻を鳴らした。


「わかっているならば、我々が言うことはもう何もない。我らはこれから任務がある。では、失礼」


 ギリアムは最後に一度、侮蔑ともとれる視線をリュークに向けた。

 しかし、そのまま踵を返すと、周囲を取り囲んでいた神聖近衛騎士団の面々を連れ、通用門の奥へと姿を消した。

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