第60話 終章・槍騎士の決意①

 天空の聖地エンデに魔獣が現れたことは、騎士団内では大きく取り沙汰されなかった。

魔獣化したのが騎士団内部の人間で、しかも神聖近衛騎士団の副団長だったのだ。

人的被害が無かったのをいいことに、騎士団としても大事にはしたくなかったのだろう。

 とはいえ、実際は多くの目撃者がおり、また、リュークが医療院に入院したという事実も含めて様々な憶測を呼んだ。今回の事件は表ざたにはならなかったものの、噂となってまことしやかに騎士団領内で囁かれているようだった。

 ラシェルもまた、当事者として本部から事情を聞かれたりもしながら、何かとせわしない日々が続いていた。

 アルベルトやサイラスは会議続きで、ほどんど訓練室にも顔を出さないことが多かった。

 しかし、事件から二週間が経った今日――。


(やっとリュークさんの目が覚めた!)


 朝一番にサイラスから報告を受けたラシェルは、喜び勇んで、昼休みに医療院へ向かった。

ところが、入院していたはずの病室には、すでにリュークの姿はなかった。

 慌てて状況を確認するために騎士団領へ戻ろうとしたところで、通用門の前で複数名が群がる騒ぎに遭遇した。


(一体何の騒ぎ……?)


 人垣の中に見知った顔を見つけ、ラシェルは人混みの中に首を突っ込んだ。


「ザック! 何が起きてるの?」


 肩をがっしりと掴むと、ザックが苦虫を噛み潰したような顔で振り向いた。


「ああ、ラシェルか。見ての通りだ。リュークが突然騎士団に現れたってんで、神聖近衛騎士団の奴らが行く手を塞いでるらしい」

「なんですって!? リュークさん、今日目が覚めたばかりなのに、なんて無茶を! 医療院でちゃんと体を休めないと! 神聖近衛騎士団の皆さんも、そう思って止めに来たんじゃあ……」


 二週間も寝たきりだったのだ。まだ体も思うように動くわけがない。

 当然彼女の同僚だった神聖近衛騎士団員たちも、リュークのことを心配して、行く手を阻んでいるのだろう。

 そう思ったのだが、ザックがうんざりとしたような表情をした。


「まあ、普通はそう思うよな。でも、あいつらはそんな親切心なんか持ち合わせてないみたいだぜ」

「どういうこと?」


 ラシェルが眉をひそめると、答えを聞く前に罵声が飛んできた。


「消えろと言っているだろう! 神聖近衛騎士団の面汚しが!」


 神聖近衛騎士団の騎士に突き飛ばされたリュークが、よろけて地面に倒れ伏したのが見えた。

 すでに何度も突き飛ばされたのだろう。リュークの真白の制服が土色に汚れている。

 土と埃にまみれた顔は、憔悴の色が濃い。まだ本調子ではないのだろう。

 だが、それでもリュークはひるまず、再び立ち上がった。


「ギリアム、お願いだ。団長に会わせてくれ! 今回の件について説明に来た。団長に会わずして、ここを去ることなどできん」


 ギリアムと呼ばれた四十代くらいの厳めしい顔つきの騎士は、ぎりりとリュークを睨み付けた。


「その団長自らが、お前はもう用済みだとおっしゃっているんだ!」


 その無慈悲な言葉に、リュークだけでなく、それを聞いていたラシェルもまた息を飲んだ。


(神聖近衛騎士団の騎士たちが、リュークさんを排除しようとしている……!?)


 その理由は、何となくだが察することができた。

 誇り高い神聖近衛騎士団員が、一度ならず二度までも、魔獣化してしまったのだ。

 しかもその片方は団長の右腕たる副団長で、さらにはエンデの中での初の魔獣化だった。

 神聖なる女神の地に、穢れた魔獣の血を持ち込んでしまった――例え公には秘匿とされて大事にはならなかったとしても、団員内には伝わっているはずだ。この事実を、決して許すことができないのだろう。

 その精神は、今まで神聖近衛騎士団に所属していたリューク自身もまた、理解しているようだった。


「……確かに、私にはもう、騎士団領に足を踏み入れる資格は無いのかもしれない。そのことはよく理解しているし、責任も取るつもりだ。しかし、今回の件でわかったことがある。その事を、どうしても団長に……ハンクロード団長にお伝えしたい。これ以上、被害を拡大しないために、重要な情報なんだ!」


 リュークはギリアムの胸ぐらをつかみ上げて揺さぶった。

 しかし、ギリアムはリュークを引きはがして突き飛ばすと、腰に佩いた剣に手を伸ばした。


「うるさい! これが最後の忠告だ。何も言わず帰れ」

「だが……!」

「これ以上御託を抜かすのならば、危険分子は排除してよいと命令が下っている。貴様も元団員ならば、我らの使命は理解しているだろう?」


 すらりと引き抜かれた剣に、リュークは一瞬目を見開いた。

 しかし、すっと目を細めると、ふと自嘲気味に笑った。


「……ああ。そうだな。疑わしき悪の芽は摘まねばならぬ。お前は間違っていない」


 先程までの剣幕はなりを潜め、リュークは静かに微笑むと、ぎろりと同僚をねめつけた。


「だがな、それはすべて、女神を――そして、女神の愛する人々を守るためにあるべき信念だ。そして私も、女神のために為すべきことを為そうとしているだけだ。それも果たせぬというのならば、いいだろう。我が身が犠牲になろうとも、このちっぽけな命で多くが救われるのならば、喜んでこの身を差し出そう」


 リュークは不敵に笑うと、一歩、また一歩と、ギリアムに近づいた。


「な、何を言い出す!? 血迷ったか!」


 怯えたように上ずった声が、ギリアムの口から漏れた。

 リュークをけん制するように、周囲の近衛騎士団の若手騎士たちもまた、一斉に剣を引き抜いた。

 しかし、リュークは止まらない。


「この命を消し去る事で、お前達の聖騎士としての真の使命が果たせるというのならば、その剣で私の胸を貫くがいい!」

「こ、この……! 魔獣に成り下がった分際で、我らを愚弄するか! 許さん!!」


 ギリアムが、目を血走らせた。

 そして、リュークを袈裟懸けに斬ろうと剣を振りかぶった。


「リュークさん!!」


 たまらずラシェルとザックが走り出そうとした、その時。


「そこまでにしてもらおうか」


 涼やかな声とともに、金属がぶつかり合う音が響いた。

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