第58話 月影の夜想曲①

 崩れ落ちたダンスホールを見て、ラシェルは一人、立ち尽くしていた。

 晩餐会が開かれていた頃の賑やかさや華やかさは影も形も無く、あちらこちらに崩壊した壁や落下して粉砕したシャンデリアの残骸が残るのみだ。

 父シャルルはアルベルトと共に後始末をどうするか、話し合い向かったようだ。

 招待客に怪我人はいないようだが、これだけの騒ぎだ。何らかのフォローが必要なはずだ。

 間も無く、騒ぎを聞きつけた騎士団領からの事情聴取が入る可能性もある。

 元の姿に戻ったものの、意識を失ったままのリュークはフレデリカによって担がれ、数人の付き添いと共に医療院へと去って行った。


(リュークさんは、これから、どうなるんだろう)


 誇り高く気高いリュークのことだ。意識を取り戻した時、どのようなことを考えるだろう。

 それに、周囲の反応も気がかりだ。

 先のことを考えて、俯き、はあ……と大きなため息を落とした。

 と同時に、ドレスの裾が目に入って、何だか複雑な気持ちになった。


(そういえば……晩餐会は滅茶苦茶になっちゃった)


 楽しみにしていたわけではない。むしろ面倒に思っていた――はずだった。

 けれど、サイラスがラシェルのためにドレスを見繕ってくれたと知って、嬉しかった。


(なのに、結局、ダンスの一つもしないままだった……)


 サイラスの心遣いを台無しにしてしまったようで、申し訳ないような気持ちになった。

 そしてまた、残念に感じている自分がいることに気付いて、驚いていた。


(私は、何を残念だと思ってるんだろう? 晩餐会が中止になったこと? せっかくのドレスを無駄にしてしまったこと? それとも……)


 心の中で悶々と考え込んでいたその時、背後から声がかかった。


「ラシェル。どうした」

「あ……サイラスさん」


 振り返ると、サイラスが立っていた。

 こちらを真っ直ぐに見据える瞳に内心の迷いまで見透かされそうで、思わず目を泳がせてしまった。


「その……今日は何かとご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした。お忙しいサイラスさんのお時間を割いていただいて、晩餐会に出席していただいて……それに、こんなに素敵なドレスも用意していただいたのに。結局こんなことになっちゃって」


 すると、サイラスは「確かにな」と渋い顔をして頷いた。


「今日のために色々と用意していたんだが、無駄になってしまったな」


 そう言いながら、サイラスは懐から小さな箱を取り出すと、ラシェルの目の前に差し出した。


「え?」


 状況が飲み込めないまま、渡された箱を開けると、そこには――


「ゆ、指輪!?」


 小さな緑の石がはめ込まれた、金の指輪が入っていた。


「こ、これは一体……!?」

「婚約の証として、皆の前で渡すつもりだった。不要になってしまったが、貰っておくといい」

「で、でも」

「お前のサイズに合わせて見繕ったものだからな」


 ラシェルは指輪をじっと見た。繊細な唐草模様の細工が掘られた、美しい指輪だ。思わず「綺麗……」と呟いてしまった。


「今、つけてみてもいいですか?」


 すると、サイラスは少し微笑んで、「もちろんだ」と頷いた。

 指輪を自分で左手の薬指にはめてみる。サイズはぴったりだ。

 月光にかざしてみると、月の光が指輪にはめ込まれたエメラルドを一層輝かせる。


「素敵……ありがとうございます!」


 目を輝かせてサイラスを見上げると、サイラスはわずかに目を細めた。


「この間にお前が暴飲暴食してサイズが変わっていないかひやひやしたが、どうやらぴったりなようで安心した」

「なっ……サイラスさん、ひどい!」


 肩を怒らせると、サイラスは声をあげて笑った。


「だけどまあ、せっかくこんなに気合入れた格好をしてきたんだ。一曲、踊るか?」

「ええ!?」

「このまま帰るのも釈然としないだろう。楽師は避難してしまったから、音楽は無いないがな」

「で、でも、私……下手ですよ?」

「気にすることはないだろう。今は観衆もいない」

「確かに……」

「そういうことだ。では婚約者殿。一曲踊って頂けませんか?」


 にっと口角を上げて、珍しく冗談めいた口調でそう誘って来たサイラスに、ラシェルは思わずくすりと微笑んでしまった。


「……はい。喜んで」


 エメラルドの輝くその手で、サイラスの手をとる。

 そして、その手に導かれるままに、静かに踊り出した。

 崩れた壁の裂け目から見える月が、静かにこちらを見下ろしている。

 何とも荒廃的なダンスホールで、二人きりのダンスパーティが始まった。

 不慣れなドレスの長い裾とハイヒールに足を取られそうになるが、サイラスの軽やかなリードのお陰で、思っていたよりも的確にステップを踏むことができた。

 音楽は無い。けれど、日々サイラスと共に紡いでいる音楽が、心の中に流れて来るように思えた。


(……私、この瞬間がずっと続けばいいのにって、思ってしまっている)


 そんな自分に戸惑いながらも、しばらくの間、ただひたすらに踊り続けた。

 やがて、ダンスはスカートを翻すややリズミカルなものから、ゆったりとした動きの優雅なものへと変わっていく。

 ステップを踏みながらも、サイラスが静かに口を開いた。


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