第50話 かつての英雄①

 声の主の方を振り返ると、ざわめく人混みの奥には、ひと際大柄な壮年の男が一人で椅子に腰かけていた。


(あの人は……?)

 

 すでに何本ものワインが開けられた様子で、グラスがいくつも散乱している。

 給仕がグラスを持っていくが、そのペースに追いついていないようだ。

 明らかにかなりの酒気を帯び、顔は赤ら顔となり、目は座っている。

 何よりも印象的なのは、その右腕に、本来あるべき腕がないことだ。

 彼も招待客の貴族なのだろうか。それにしては異様な雰囲気がある。

 それまで周囲でこそこそと噂話に花を咲かせていた他の貴族たちも、怯えるようにしてそそくさとその場を去っていく。


(一体誰なんだろう……)


 だが、よくよく見ればどこかで見たような印象を受ける。


(そうだ、この薄紫の髪の色……どこかで……)


 ラシェルの脳裏に、同じ髪の色をした人物が浮かび上がった。

 ――その時だった。


「父上! 他の騎士団の方に対して、そのような失礼な物言いはおつつしみください」


 毅然とその男の前に立ちはだかったのは、リュークだった。

 先ほどまで、フレデリカと行動を共にしていたはずだが、今は一人のようだ。

 その髪色はまさしく、謎の男性と同じ薄紫色だ。


(やっぱり……この人、リュークさんのお父さんなんだ)


 確か、以前サイラスから聞いた話では、リュークの父は神聖近衛騎士団の元団長――名はグレッグ・エクセレイアというはずだ。

 魔獣との戦いで隻腕となったことで引退したと聞いていたが……。


(『紫電の槍騎士』とまで謳われた人だったはずなのに、随分と飲んだくれてるみたい……)


 ラシェルの困惑は、周囲も同じだったのだろう。

 わずかに目をひそめて、かつて英雄と呼ばれたその人を見やる貴族たちもいる。

 そんな視線に構うことなく、グレッグはリュークを睨み付けた。


「なんだと? 真実を言って何が悪い? 楽器を弾いて遊んでいるような奴らなど、騎士ではない」


 それに対して、リュークは毅然とした態度を返した。


「いいえ。一見そう見えるかもしれませんが、彼らには彼らなりの信念があります。私たちとはやり方が異なるだけで、しっかりと人を救い、女神をお守りしています!」

「剣をふるわぬことの、何が信念だ! ただの臆病者だろう! そもそも、何故お前が奴らを庇う!」

「それは……私はこの目で見たからです! 彼らの戦い方を――」


 言い募ろうとしたリュークだったが、その前にグレッグがぬっと立ち上がり、大きく手を振りかぶった。

 その直後、ぱあん! と大きな音がダンスホールに響いた。

 グレッグの手のひらから繰り出された衝撃でリュークが吹き飛び、人混みの中に倒れ込んだ。


「私に口答えできる立場か! そのような甘い考えだからこそ、先日の地上任務でも魔獣を仕留めきれなかったのだろう!」


 唸るように吠えたグレッグの大喝に、会場内の貴族たちは慄然とする。

 リュークは身体を起こしながらも、ぐっと唇を噛み締めて俯いた。


「任務を全うできなかった己の恥を知れ! そもそも、お前は何故このようなところにいる? 己の身の不徳を思うのであれば、さらに訓練を積もうと思わんのか! そのような無様な姿でエクセレイア家の名を名乗れると思うな! 家名に泥を塗るエクセレイア家の恥さらしが!」


 畳みかけるように繰り出される罵倒に、リュークの顔がゆがむ。

 その顔があまりに悲しげで、ラシェルはいてもたってもいられず、思わず飛び出していた。


「いい加減にしてください!」

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