第35話 変貌⑤

 二人のやり取りを見ていたアルベルトがにこりと微笑んだ。


「さあ! 再開しようじゃないか! 美しい音楽をここに! 闇にとらわれたものに癒しを!」


 アルベルトが指揮棒を振り上げると、金の粒子がはじけるように踊り、ラシェルの音を拾い上げて青く変化する。

 ラシェルのハープの音に、横笛の澄み渡るような高い音が乗せられた。

 この曲は、本来は一直線に大空へ飛び立つ鳥のイメージを主旋律の横笛が担当し、視界に広がる大空、そしてエンデに至るクライマックスをハープ独特の和音が美しく歌い上げる一曲だったという。

 もとは横笛との協奏曲として作られたこの曲を、モルナーが練習用にとハープの独奏が出来るように書き換えてくれていたのだ。

 だが、今のこの形こそが、本来作曲家が思い描いていた形だ。

 ラシェルがここまでメロディーラインを弾いていたにもかかわらず、するりとサイラスがそれに合わせてくる。

 音は途中で入れ替わり、知らず知らずのうちに主旋律を横笛が持っていく。


(なんて自然な入り方……さすがはサイラスさん)


 二つの音が重なり合う。

 そして生まれたハーモニーは、魔獣へと響いていく。


(もう……やめませんか? 何かをうらやむことも。何かに縛られることも)


 何かを失ったならば、また一から始めればいい……。

 辛い思い出から解き放たれ、何者にもとらわれることのない、まさに鳥のような自由を表すこの曲の気持ちをヨハンに伝えたくて、ラシェルは旋律を紡いだ。

 サイラスへと視線を向けると、サイラスの目が和らぎ、かすかに頷く。

 二つの音は絡み合い、青と緑の色を帯びた金の粒子となって輝きだす。

 金の粒子はそのまま風に乗って、ヨハンが変貌した魔獣を優しく包み込んだ。

 魔獣はキラキラとした輝きに包まれながら、苦悶に身をよじっている。


「……なんだこれは?」


 動きを止めた魔獣にリュークが目を見張った。


「……まじかよ?」


 はじめて魔獣との戦いの中で音楽に触れたザックもまた、呆然としたようにその光景を見つめている。

 そんなザックに、アルベルトが声をかけた。


「さあ。ザック君。君の出番だ! 軽く、自由に、飛び跳ねるように叩きたまえ!」

「へっ……!?」


 ザックはちゃんと準備をしていた。だが、それがあまりに唐突だったのだろう。

 彼は度肝を抜かれ、少し硬直した。

 完成された音の中に踏み込んでいくことの怖さを、ラシェルは自らの体験で知っている。

 ザックがちらりとアルベルトを見やる。すると、アルベルトはにこりと微笑んだ。


「大丈夫だ。信じたまえ。君の周りにリズムはあふれている」


 そこにサイラスがザックの前へと踏み出し、ステップを踏み始めた。

 目の前でタン、タン、タン、タンと四拍子で踏まれるステップに、ザックははっとしたように顔を上げた。

 サイラスの真っすぐな視線がザックを射抜いた。


『ついて来い。ステップに乗れ』


 そう目が語っているのが、ラシェルの目にも分かった。


「……っ! くっそお! サイラスにできて、俺にできねえわけねえだろ! 言われなくてもやってやる!」


 苦々しい表情を浮かべたザックだったが、ステップに合わせるように太鼓をたたき始めた。

 打ち鳴らされるリズムに乗って、赤の粒子が飛び出してくる。

 元気よく飛び出した粒子はそのまま一直線に魔獣を取り巻く音の粒子の中に飛び込んでいった。

 曲は佳境に差し掛かり、麗しくも荘厳なエンデの姿を描くようにダイナミックになっていく。


(元の貴方へ戻って! そして、帰りましょう。私たちのエンデに!)


 金、赤、青、緑の粒子が魔獣を覆い隠し、魔獣の咆哮らしきものを最後に霧散した。


 ――あとに残されたのは、気を失った一人の男の姿だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る