第34話 変貌④

 弦を爪弾くと、優しくまろやかな音が零れ落ちた。

 アルベルトが作曲してくれた曲は合奏用なので、一人きりで主旋律を紡ぐには適さない。

 だからこそ、ラシェルが選んだ曲目は、自らが知る楽曲の一つ――古い時代の作曲家ヴェーゲン・ハンホッフによる、『故郷』。

 エンデの聖市民であったヴェーゲンは、あらぬ容疑をかけられ、エンデから流刑地とも呼ばれていたこのメイデンズブルーへと落とされた。

 地上から飛び立つ鳥を見たヴェーゲンは、自らも飛んで行けたならと願うようになる。

 ある日、彼は自らの意識が鳥に乗り移っていることに気づく。

 飛び立った鳥は空高く舞い上がり、やがてエンデへと降り立った。鳥の目を借りて見た故郷エンデの光景に、彼は涙する。

 ――この逸話は彼の見た夢だったと言われているが、ヴェーゲンはその時に見た光景を心に刻み、この曲を作ったという。

 大空に広がる美しい蒼の光景を描写するこの曲がラシェルは大好きで、この曲を弾くと、自然に心が透き通るように晴れ渡った。

 驚いたようにリュークの目が見開かれる。

 こんな場面で突然ハープを弾き始めたのだ。当然だろう。


(それでも……今、私にできるのはこれしかない……)


 その一瞬、魔獣の動きが止まった。


(え……?)


 決して、浄化の力が働いているとは思えない。

 けれど、魔獣はラシェルが紡ぐ音楽に耳を傾けている。そして、何かを懐かしむように天を仰ぎ見ている。……そんな風に思えた。

 だからこそ、ラシェルは必死に弾き続けた。

 ――その時だった。


「ラシェル君。待たせたね!」


 快活な声がラシェルの耳に飛び込んできた。


「団長……っ!」


 路地に駆け込んできたのは紛れもない、太陽のようにきらきらとした輝きを持つアルベルトその人だ。


(やっぱり来てくれた……!)


 ハープを弾いたのは、もちろん魔獣に対して何らかの効果があれば、という思いもあった。だが、それ以上に、この周囲にいるはずの彼らをこちらへ呼び寄せる目的もあった。

 耳の良いアルベルトのことだ。メイデンズブルーでは珍しいはずのハープの音……ましてや聞きなれたラシェルのハープの音を聞き間違えることはない。そう確信してのことだ。

 アルベルトは目を輝かせながら、感極まったように言った。


「ラシェル君、素敵な演奏を聴かせてくれてありがとう! 思わず飛んできてしまったよ。本当はもっとこの感動を熱く語りたいところだけど、今はその暇が無いようで残念だよ……!」

 

 そう言いながらも、すっと指揮棒を取り出す。

 どうやら状況は把握しているようだ。


「さて、サイラス、笛を頼んだよ。ザック君も太鼓の準備を。これが君の初陣だよ! 途中のパートから入ってもらうからね!」

「お……おう!」


 見れば背後でザックがわたわたと腰にぶら下げていたスティックを引き抜き、サイラスもまた笛を取り出している。


(全員そろった。これなら、練習していたあの曲を……)


 そう思って、演奏の手を止めようとしたラシェルを、サイラスが制止した。


「そのまま続けろ。魔獣はお前の音に酔っている。音を止めるな。俺たちがお前に合わせる」

「え!? で、でも……この曲を知ってるんですか?」


 エンデを追放された人間が作ったような曲は、一般的には好まれない。

 若干ひねくれたところのあるモルナーだからこそ、好んでラシェルに与えた練習曲だ。

 ラシェル自身は気に入っている曲だが、それを即興で合わせるなど無謀ではないだろうか。

 音をつないでいると、それにしばらく耳を傾けていたサイラスが一つしっかりと頷いた。


「曲は知らん。だが、できる。俺を……いや、俺達を信じろ」


 ラシェルにとっては目を瞑っても弾ける曲だ。まだ練習が足りない新曲に比べれば格段に安心できるのは間違いない。


「……わかりました。サイラスさんを……皆さんを信じます!」


 はっきりと頷くと、サイラスがふっと微笑み、ぽんとラシェルの頭をひと撫でした。


「いい子だ。ならば、その信頼に応えなければな」

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