第21話

   二十一


 五本目のジョイントがまわっていた。部屋の中は煙がたちこめ、タバコの煙と混じりあって異様な臭いがした。眼はしばしばして、頭は重く、体はしぜんと揺れ動いた。


 ジョイントを吸い終わると、われ先にといった感じに大麻を出して、過剰(かじょう)な量のジョイントをあつしが巻いた。


「もうすっかり、くらくらですよ」しんご君はとろんとした眼で言った。


「なに? いいかんじだって?」あつしは手に持っている巻紙の上のくずに注意して言った。


「はい、すっかりきまっていますよ」しんご君は視線を動かさずに言う。


「この“くさ”思ったよりもいいね」トマト君は真っ赤(まっか)な眼をして言った。


「ああ、ほんとだよ」あつしは口元に巻紙を近づけて言う。


「もう天国だね、量を気にせずに吸えるっていうのは」僕はなんとか言葉を出した。


「まったくだ。日本では、なかなかこうはいかない」トマト君がうなずく。


「道産子(どさんこ)だったら大量に入るけどね、悪いねたはいくら吸っても限界がきまっているからな」


 あつしはジョイントの先をひねりながら言った。小型のスピーカーからはビートのはっきりした、テンポの速い音が流れている。僕はその音に意識をとられていた。


「“くさ”は安あがりだし、手軽だよ。“たま”じゃこうもいかない」トマト君は言う。


「“たま”はどのくらい効くの?」僕は聞いた。


「ものによるけどね、だいたい、二時間から四時間かな」トマト君は言った。


「ピークはそんなもんだろうね、でも、効くやつはもっと長時間効くよ」あつしはジョイントに火をつけて言った。


「そうだけれど、この“島”の“たま”はそんなものだろう。強くもなく、弱くもなくてほど良いんだ。それがさらに追加させるんだよ。おかげで毎日あごががくがくだ」トマト君はもうしわけなさそうに言う。


「えっ? なんで?」


 僕はとろんとした眼で言った。横ではチャッキーさんがぶつぶつとなにか言っている。僕はそれを無視した。


「“たま”を食べるとあごが痛くなるんだ。気がつかないうちにあごを強くかんでしまうんだよ。なんだろう、体中から力をふりしぼるのからかも」トマト君はジョイントを受けとって言う。


「だから、ガムを噛(か)むといいんだよ」あつしがすぐに息を吐いて言った。


「それが、噛んでもだめなんだよ」トマト君はそう言ってジョイントを吸った。


「“たま”はふだんからやるの?」


 僕は眼を細めて聞いた。トマト君は手を横に振る。


「ふだんはやらないでしょ! レイブがあるときだけだよ、四六時中やったらジャンキーでしょ」


 あつしがバカにしたように言った。トマト君は数回うなずいた。


「いや、よく知らないから」僕はばつの悪い感じがして、どもってしまった。


「だってそうでしょ? “くさ”ならまだいいけどさ、そんなにやる必要ないでしょ」あつしは言った。


「だめだ、もうだめだ、ちょっと外の風を吸ってきます」しんご君は首を振りながらいきなり言い出した。


「ああ、そうしたほうがいいよ」


 あつしは言った。僕はトマト君からジョイントを手渡された。これ以上吸いたくなかったが、ジョイントを口につけて勢いなく吸った。頭が割れそうに痛く、心臓の鼓動が響いている。流れている音が気持ち悪かった。


「ぼくもちょっと」


 そう言って、どこを見ているかわからない細い眼で、チャッキーさんが立ち上がった。とたん、ふらついて転びそうになった。


「だいじょうぶ?」トマト君は顔色を変えずに言った。僕はあつしにジョイントをまわした。


 スピーカーからは騒(さわ)がしい音が止(や)むことなく流れている。僕は体を揺らしたまま黙っていた。言葉を忘れてしまったように、なにもしゃべることができず、話しつづけている二人を見ていた。ときおりジョイントがまわってきて、僕は少しだけ吸った。


 しんご君とチャッキーさんは戻ってこなかった。僕は忙しく動く心臓の鼓動が気になり、今にも心臓が止まってしまうのではないかと、びくびくしていた。二人はまるで僕の方を見ることなくしゃべり続け、存在していることさえ知らないように思われた。


 僕は自分自身が虫のように思えた。二人がなにをしゃべっているかわからず、笑いながら話し続ける二人を見ていて、僕は二人が憎(にく)たらしかった。この部屋から一秒でも早くいなくなりたいと思っても、指を一本動かすのでさえまずいように感じ、不規則な呼吸のまま体を揺らし続けていた。動きたくても動けず、ただおびえていた。


「暖まってきたことだし、ビーチも人が集まっている頃だ、そろそろ外へくりださない?」


 あつしはトマト君に言い、僕の顔を一度も見なかった。僕は小動物のように小刻みにうなずき、二人が立ち上がるのを見て立った。思わず倒れそうになってしまった。二人は僕をちらっと見るだけで、なにも言わない。僕は恥ずかしさが混じった罪悪感を感じた。二人が憎たらしかった。


 外に出ると、廊下にしんご君とチャッキーさんが倒れていた。あつしがふたりをゆすり動かすと、力が抜けきったようにやわらかく動いた。何度か動かすと、二人は眼を覚まし、ふらふらと立ち上がった。


 チャッキーさんは苦しそうな顔したまま宿へ戻った。僕としんご君は楽しそうに話し続ける二人のあとを、ただついていった。彼らはときたま振り返り声をかけたが、それだけだった。僕は早くビーチに着いて欲しかった。


 ビーチは人であふれかえっていた。二人はブースに向かって走りだし、慣れているのを見せつけるように、目立って踊り始めた。裸足(はだし)になり、体全身を使って踊っていた。


 あつしは飛び出したあごをしゃくりあげ、体を上下に揺らして、蒸気機関車の車輪のように踊っていた。僕はそれを見て柔軟性を感じなかった。


 トマト君は飛び跳ねるようにステップを踏み、長くて太い髪をざわつかせ、下を向いて踊っていた。一昨日見たときと同じように、ヒステリックな猿に見えたが、柔らかさがあった。


 僕は二人に負けないよう、無理に笑顔をつくって踊り始めた。しかし、音についていけず、しっくりこない。救いを求めてビールを買ったにもかかわらず、まずくて飲む気がしなかった。


 しんご君はどこを向いているかわからない顔で、操り人形のようにぎこちなく踊っている。僕はそれを見て感心するとともに、不愉快な気分になった。


 僕は無理して踊ったが、音は体の芯まで響かず、どこか違和感があった。まわりには陽気に踊る様々な人種の人々がいて、その人々の顔を見るのが怖かった。笑いかけられたらどうしようと思い、誰とも眼を合わせないように下を向いて、一人だけ浮いているのを感じながらも、そのことに気づかないようにしていた。


 僕には居場所がなかった。ビーチに来れば陽気な気分になるという期待は、すっかり裏切られてしまった。楽しく踊れない、場に取り残された無残な自分をひしひしと感じた。僕は踊るのを止めて、踊っている三人を見ながら、ゆっくりと歩いた。まるで、自分だけ違う世界にいるような気がした。


 ビーチのはずれに行くと人はまばらになり、遠くから低音が鳴り響いていた。僕はゆっくりと砂浜に仰向(あおむ)けになり、夜空を見上げた。空は雲が浮かんでいた。まずく感じるビールをちょびりちょびり飲み、自分の存在を感じる静けさを味わった。おもわず、顔をしかめた。意識がはっきりせず、眼をつぶった。


 はっと気がつき、眼を開けた。頭は痛かったが、だいぶ思考能力が戻っていた。僕は立ちあがり、ビールビンに口をあてた。ビールは温かった。


 ビーチを支配する音の出所に近づくと、人々はだいぶ少なくなっていた。左腕の時計を見ると、針は三時をまわっている。歩いて三人を探したが、その姿はどこにも見つけられなかった。


 僕はビーチを離れ、宿へ向かう道を歩き、衣類にこびりついた砂をはらった。人はほとんど歩いておらず、にぎやかだった通りはすっかり息をひそめていた。帰り道は暗く、静寂(せいじゃく)がやけに耳に痛かった。そのかわり、心は落ち着いていた。空を見上げると、ビーチで見たよりも星が多かった。

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