第九章 黒曜の願い 2

 白珠の家を去る。白珠は玄関まで私を送ってくれた。この世界に夜などないが、なんとなく、夜暗の中を一人帰っているように思える。

 暗闇の中、玄関の灯に薄っすらと照らされた白珠を想像する。朧に光を反射する栗色の髪が、艶やかだった。

 白珠の家に背を向けて、私は帰路につく。私の家は、白珠の家から学校を挟んで反対側にある、マンションの一室だ。家といっても、勝手に借りたのだが。まあ、それは白珠も同じだろう。

 この世界には、基本的に音がない。私の足音も、この世界のように希薄だ。そしてそれを鳴らす私の存在は、どうなのだろうか。同様に希薄なのだろうか。

 例えそうだとしても、白珠の中でだけは、希薄でありたくないと思う。私の中の白珠は、何よりも鮮明だからだ。

「しかし、楽しかったなあ」

 文化祭を思い出して、そう独り言ちる。誰も聞く人がいないという、安心感なのか慢心なのかよくわからない感情が、私の声を大きくさせた。

 次は何をしようか。そんなことを浮ついた心持ちで考える。きっと、この世界の終わりはそう遠くはないだろう。それまでに、私と白珠で何ができるだろうか。

 私は色んなことを考える。“彼女”ができなかったことを、一つ一つ挙げていく。両手の指だけじゃ、足りなかった。

 そして、こんなことを考える。

 本当の最後の最後には、卒業式をしてもいいかもしれないな、と。

 卒業式か、と連想を始める。春、桜吹雪。制服を着た白珠が、その下で卒業証書を持って笑っている。そして、それを見る私も同様に、笑っているはずだ。

 これは、私が望んでいる光景なのだろうか。それとも、私の元となった人間が望んだ光景なのだろうか。……あるいは、両方か。

 卒業式のあとには、きっと終わりがやってくる。その終わりを、私はどのような心情で迎えるのだろうか。

 白珠に対して、生きることに飽きたと私は言った。あれは、嘘ではない本心だ。しかし、私の中にはもう一つ、大きな気持ちが生まれていた。それは、生きることに対する倦怠感を遥かに上回っている。

 それは、白珠と生きていたいという気持ちだった。かつて、白珠が生きていたいと言ったように、私も彼女と同じような願いを抱いていた。

 明日は、白珠と何をしようか。そんなことを想像し、楽しみに胸が躍る。

 しばらく歩き、私は学校を通り越して、自身の家の近くにやってくる。

 そのとき。

 唐突に、目の前の地面が割れた。何が起こったのだろうか、と混乱する私と、冷静に状況を把握している私がいた。

 私が立っている場所を含めて、世界が割れたのだ。これはまずい、と思ってすぐさま飛びのこうとするも、私の足は虚空を蹴るばかりで、望まない浮遊感に包まれる。

 見ると、私の立っている場所の周りは完璧に砕けて、崩れ落ちつつあった。そして、それらの瓦礫と共に、私も落ちつつある。

 終焉が、そのあぎとを大開きにして、私を飲み込もうとしているようだった。

 瞬間、これは無理だと察する。白珠のような能力を持っていれば、とっさに何かを創り出して逃れることもできるだろうが、私の能力は残念ながら“知ること”しかできない。

 黒に足が浸る。足先から自身が分解されていく感触を覚えた瞬間に、私の全身は黒に包まれた。

 私という存在が、無へと帰していく。

 これはもう無理だな、と観念した。

 そんな中、私はこのような状況に陥るのが、白珠じゃなくて私で本当に良かったと思う。それは白珠のことを思ったのではなく、ひたすら自己中心的な思考に起因するものだった。

 また独りぼっちになってしまったら、きっと私は泣いてしまうからだ。この世界が終わるまで、ずっと、ずっと泣き続けることだろう。

 私という存在が、無へと溶けていく。少しずつ、様々な記憶が抜け落ちていく感触が、ひたすらに不愉快だった。彼女との記憶を、どうしてくれようというのだ。

 白珠は生きていたいといった。そして今の私は、もはやそれを望むべくもない。

 しかし、今の私にもできることはきっとある。私は、かつて私にあった力――創造する力――の残滓を振り絞る。

 溶けていく意識の中で、ただ一つを望む。それは、この世界を繋ぎ止めるということだった。

 私の力で、この世界の消滅が少しでも長引くのならば、そのぶん彼女はここで生きていられる。

 そうなる未来を望んで、私は全てを投げうった。

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