第八章 白珠の願い 2
私たちはこの白の果てにやってきた。すぐ近くには、終わりの黒がある。
そして、私たちが住んでいる町は、私たちの後方だ。その距離は、私がかつてこの黒に触れたときよりも、ずっと近くなっていた。
「で、どうするんだい?」
隣に立つ黒曜が問う。
「明確な手段は無いわ」
そう私が言い切ると、黒曜は目を丸くする。
「……それで、いいのかい?」
「ええ。だって、こんな滅びに対する手段なんて、誰も知ってるわけがないじゃない」
だからこそ、私は諦めきれないのだ。この崩壊を止める手段が確立されていないのなら、最後の最後まで全力を尽くす、ということすらできない。私が全力を尽くしたと思っても、私が手段を尽くしたと思っても、まだ何かが残っている可能性だってあるのだ。
足掻いて、足掻いて、足掻いた果て。そこにあるものを、私は見たい。
「……それは少し、無策に過ぎるというか」
「まあ、一応いくつかは考えてるんだけどね」
私はそう返して、手をゆっくりと黒曜に向けて差し出す。
「……握ってて、欲しい。黒曜が前やったみたいに、私もすごい力を出せそうな気がするから」
「ああ、なるほどね。……いいとも」
黒曜がそう言って私の手を握る。温もりを手に感じつつ、黒曜の顔を見る。
「ありがとう。これで、いくらでも戦えそう」
私はそう強く、自分に言い聞かせるように言う。黒曜は、優しく微笑んでいた。
そして私は、黒い海に向き直る。心の中に満ちるのは、黒曜がいるという安心感。
勝負だ。黒い海に対し、心中で挑戦状を叩きつけた。
「……いくよ」
そう私は呟き、まずはこの世界に溢れる、形を成していないデータを集める。大気、というのもおかしな話だが、この世界の大気には、そういったデータが溢れていた。それらを用いて、私は無数のキューブを創り上げる。それらは、強固であり容易には崩れないようにしてある。
以前は、この量のキューブを作成すること自体、簡単なことではなかった。しかし、今は違う。それは私が熟練したからだろうか、それとも黒曜のおかげだろうか。
それらを、私は一挙にまとめ上げて、島のようにする。そして、それを黒い海に向けて射出。キューブで出来た島は、黒い海に着水した。
私はすかさず、先ほどと同じように形を成していないデータを集めて、細い棒状にする。それを伸ばして、黒い海に浮かぶキューブの島と接続する。島は、すでに溶解しながら沈みつつあった。
データの棒を通じて、私はキューブの島の再生を試みる。私が大気中のデータを集め、棒を通じてデータの島に送り、補修する、という流れだ。
しばらくの間、黒い海と私との格闘が続く。データが溶け落ちれば、すぐさま私が補修する。私が補修したそばから、更にデータが溶け落ちる。そんな、いたちごっこが続いていた。
しかし、それも終わりを迎える。私が持っていたデータの棒が、酷使に耐えきれず壊れて崩れる。粉々になった棒は塵となって白い地面に広がり、黒い海に浮かんでいた島は、静かに溶け沈んだ。
失敗、という二文字が脳裏に大きく浮かぶ。私は小さく悪態をつきつつ、地面に座り込んだ。
「……大丈夫?」
黒曜が私の顔を覗き込み、尋ねてくる。私はそれに首肯して返し、口を開く。
「大丈夫。ありがと」
「……惜しかったね」
黒曜は残念そうに言う。私は小さく笑って、「ほんとにね」と返し、続ける。
「でも、まだ終わりじゃないから」
そう言って、黒い海を見据える。今のはお前の勝ちだが、私にはまだいくつかの方法があるのだ。
休憩を終えて、私は立ち上がる。その際、握った黒曜の手が、私を引っ張りあげてくれた。
「ありがと」
「いえいえ」
とやりとりを交わして、互いに微笑みあう。その際、一瞬であるが、黒曜の整った相貌に目を惹かれた。黒曜の顔を見て、私の中に力が満ちる。
「さて、次!」
そう言って、私は地面に膝をつく。そして、空いている右手を地面につけた。
しばらくそうしていると、黒い海に変化がおきる。白い地面のほんの一部であるが、そこが少しずつ黒い海を浸食しつつあった。
今度の作戦は、白い地面の面積を増やして、黒い海に対抗しようということだ。一部を広げ、そしてそこから扇状に展開していくつもりだった。
渾身の力を込めて、大地を広げていこうとする。私たちが、かつて持っていた世界の全てを想像して、届けと願う。
最初のほうこそ、それは上手くできていたように思える。白い地面はすこしずつ広がり、そして黒い海を追いやっていた。しかし、途中からそれもうまくいかないようになる。白い地面の広がりが衰え、やがて止まる。そしてそこからは、一気に黒の逆襲が始まった。
それからは、いくら努力しようが力を振り絞ろうが無駄だった。黒は元々の“領海”を取り戻してしまった。
私はその様子を見ながら、無力感を覚えつつ座り込む。やはり、駄目なのか。そんな思考が私の中に芽生える。
「……大丈夫?」
「ええ、大丈夫よ」
黒曜の心配に、微笑みを作って返す。しかし、その微笑みは作り物だと見抜かれていたらしく、「無理しないでね」と言われてしまった。
「……そう見える?」
「うん、見えるよ。目の下のクマ、さっきまで無かったのに、今は色濃くなってるし」
「え、嘘⁉」
と私が驚くと、黒曜はブレザーから手鏡を取り出して、差し出して来た。
「はい、どうぞ」
「……ドラ〇もんかお前は」
そう言いつつ、鏡を開いて自分を見る。なるほど、確かにクマが色濃く浮かんでいた。また、顔はやつれており瞳は濁っている。疲弊していることが、見ていてよくわかる。
確かに、私は消耗している。しかし、だからといって、ここで諦めるわけにはいかなかった。
私は再び立ち上がり、黒の海と対峙する。そこからは、ありとあらゆる手段を、今まで用いた手段を全力で試した。
そして、案の定というか、その全ては失敗した。
力尽きた私は、地面にへたり込む。全身が重い。
黒曜の言う通り、この終わりに対して、有効な手段は何一つ無いのだろうか。
無いのだろう。事実、私はあらゆる方法を試して、その全てが無駄だと証明した。
どうしようもない、という言葉が浮かぶ。その言葉が、黒と対峙しているときに何度も私の中に浮かんでは、私の歩みを止めようとしてきた。そのたび、私はそれを振り払って戦ってきた。
でも、もう今度ばかりは無理かもしれない。そう思った。
無理。その言葉が、強く脳裏に焼き付く。私に敗北者の烙印を押そうとしてくる。それに私は頭を垂れて、甘んじて受け入れる――
わけはなかった。くそったれ。こんちくしょう。そんなもの、絶対に受け入れてたまるか。
「ぐ、ああああああああああああああああああああああああ!」
叫喚を振り絞り、闘志を奮い立たせる。まだだ。私は、まだ戦える。
例え全てを、私自身を含む全てを燃やし尽くしても、お前らを止めてやる。
一歩、二歩、ゆっくりと踏みしめるように歩く。遠くで、黒曜が私を呼び止める声が聞こえた。
そして私は黒い海の直前に立つ。両手を振り上げて、黒い海に手をつこう……とした。
「……それは駄目だ。今度こそ、君が消えてしまう」
黒曜が、私の背後に立って、私の手を掴んでいた。
「……黒曜。頼むから、止めないで」
「止めるよ。さすがにこれは止める。君は……、生きたいからこそ、あの黒と戦うんだろう?」
「……それは」
黒曜の言う通りであった。私の目的は、もっと生きていたいというものだ。その目的を果たすための手段が、黒の侵食を止めることだった。
いつしか、その手段と目的が逆転していた。黒曜に指摘されて、初めて気づく。
しかし、私は諦めきれない。諦めれば、それは終わりを認めることになる。この世界が消えること、そして私と黒曜が消えることを、認めることになる。
「……私は、まだ」
「……君は強情だなあ」
そう言って、黒曜が苦笑する。その表情に、少し苛立ちを覚えると、その直後に黒曜が私を抱きしめてきた。唐突のことに、私は驚いて目を丸くする。
「ねえ白珠、この世界を守りたいという君の願いは、間違いなく尊いものだ。でもね、明確な方法も確立していないのに、やみくもに挑んでは傷つく……なんてことを繰り返してたら、君がボロボロになってしまう」
黒曜は、まるで幼子に言い聞かせるように、丁寧な言葉使いで話す。
なるほど、幼子か。今の私は、やがて来るものが嫌だと駄々をこねている子供に似ている。
「今日は、終わりにしよう。終わりが来るまで、……きっと、まだ時間はあると思うから」
「…………うん、わかった」
釈然としない、不完全燃焼であるが、今日は我慢することにした。これ以上は、私の体力がもたないし、それに黒曜の言うことを聞かないと、黒曜の立つ瀬がなくなってしまう。
「うん、それでいい。生きている限り、次はあるから」
そう言って、黒曜は爽やかに笑った。
今の私が抱いている感情を、黒曜も幾度となく覚えたのだろうか。黒曜の笑みを見て、そんなことを思った。
それを聞くか、私は迷う。「ねえ……」と言葉が、口を突いて出た。
「どうしたの?」
「…………いや、なんでもない」
そう言って、私はぷいと黒曜から顔を逸らす。黒曜は、「そっか」と言う。その顔は見ることができないが、その口調から察するに、先ほどのような笑みを浮かべているのだろう。
私を抱きしめていた黒曜は、私を解放してその代わりに、私の左手を握った。
「……まるでリードみたいね」
そう私が自嘲すると、黒曜は「人聞きの悪い」と笑った。
「人なんて、私と黒曜以外はいないじゃない」
「……まあ、それはそうだけど」
そんなやりとりをしつつ、黒い海から離れ、白い町へと向かう。その最中、黒曜がおもむろに口を開いた。
「今度は私の番だね」
「……何が?」
「ほら、今まで白珠に付き合ったから、今度は白珠が私に付き合う番」
「ああ、なるほど……。で、何をするの?」
そう私が問うと、黒曜は「そうだな……」と言って、空いた手の指先を、唇に当てて思考する。
黒曜は、しばらくの間思考していた。その間、私たちは足を止めない。私が悪戦苦闘を繰り広げ、そして徒労に終わった跡が、どんどん遠ざかっていった。
そして、黒曜が口を開く。
「そうだね、文化祭がしたい」
「……文化祭? 文化祭って、あの?」
「そう、その文化祭。出店があったり、劇があったり、謎の展示があったりする、あれ」
冗談を言っているのだろうか、と思って黒曜を見る。黒曜の顔は真剣そのものだった。
「……本気で言ってるの?」
「ああ、本気の本気だとも」
そう言って鷹揚に首肯する黒曜であった。私は黒曜のことが好きだ。しかし、黒曜のこの要望は、あまり承諾しかねるなあ、と思う。
「……私たち二人しかいないのに?」
私が渋顔をしている理由の第一は、これである。この世界に意思を持っている人間は、私と黒曜しかいない。
「ああ、君と私だけで十分だよ。というか、それ以外は要らない」
黒曜は、私を真っ直ぐ見据えてそう言い放つ。
「……それ、すっごい大変そうだけど」
「ああ、別に私たちが全部するってわけじゃないよ。そういうのは、白い人たちにやってもらおう。せっかく君の能力があるんだから、それを活かせば余裕だよ」
「……そうなの? てっきり、自由に物を作ることができる能力なのかと」
「いや、それは違う。詳細に言えば、君の能力はこの世界のルールを、可能な限り好きなようにする、という能力だ。無論、制約はあるだろうけどね。だけどまあ、白い彼らを動かして、文化祭を開かせることは可能だろう」
「……そんなことができるなんて、素敵ね」
そう言う私の中には、先ほどの出来事が去来している。そういうことができたとしても、私が一番したかったことは、果たせなかったではないか。
「というか、本当はそんな能力なんだぞって、早く教えて欲しかったんだけど」
これは本音である。私は目を細めて、じとーっと黒曜を見つめる。私の視線を浴びた黒曜は、苦笑しつつ「これには理由があって」と言った。
「理由?」
「今の能力に慣れてから、言った方がいいなって」
「……そう言うけれど、今唐突に教えられた気がしてならないわ」
「さっきの白珠を見たら、もう大丈夫かなって」
さっきとは、あの黒い海と対峙したときのことだろう。それを聞いて、多少なりとも納得した私は、「そう、それならいいわ」と返し、続ける。
「……で、文化祭って言うけれど、細かいところとか全然わからないわよ」
この体の中に、文化祭という知識はあるのだが、しかしその知識は実像を伴っていないのだ。例えるならば、本で読んだ異国の文化を、漠然と理解するようなものであろうか。
「……それはつまり、細かいところは私に丸投げするから頑張れ、と」
「そういうこと」
私が微笑むと、黒曜は愉快そうに苦笑して、「オッケー」と指で丸を作った。
「……ま、とりあえず、細かいことは帰ってから決めようか」
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