第三章 暇つぶし 2
というのが、ついさっきの会話。そして今、私たちは失敗に打ちひしがれていた。
私たちがあっちの世界から持ってこようとしたのは、ドッジボールで使うようなボールだった。私たち二人が大事に抱えたそのボールは、視点をこの世界に切り替えたそばから消滅してしまったのだ。
「なるほど、白珠でも持ってくるのは駄目と」
黒曜は分析するようにそう言って、うんうんと頷く。その様子を横から見ていると、既定事実をもう一度確認しているように見えた。
「さっきのボール、どうなったのかな?」
その点が気になった私は、黒曜に問う。黒曜は淀みなく「あっちの世界のここにあると思うよ」と返す。私はその言葉を信じて視点をあちらの世界に切り替えると、黒曜の言う通りボールは所在なげに転がっていた。
どうやら、私達が関係する事物は、こちらの世界にやってくると白黒ですらなくなるみたいだ。そりゃそうか、と思う。白い人たちから見れば、白黒で表現されたボールが、ひとりでに浮いて動いているように見えるのだから。ちょっとした心霊現象である。
私達の行動が、“まがいもの”の世界に齟齬をきたさないように、調整されているのかもしれない。
「どうだった?」
白と黒の世界に視点を切り替えると、黒曜が微笑みながら聞いてくる。「言う通りだったよ」と私は返し、次の手段を考えることにした。運んでくるのが駄目なら、創り出してみようという案である。
「で、どうやって作るの?」
「それを失敗したって言ってる私に聞くのか」
「コクえもんなら知ってるかなって」
「猫型ロボットみたいに言わないでくれるかな。私が試したのは……、欲しいものをちゃんとイメージして、それを目の前に出す、みたいな感じだけど」
そう言って黒曜は腕を組み、視線を宙に遊ばせる。
「試しにやってみたら?」
「気軽に言うなあ……」
と私は返しつつ、黒曜の言っていた通りに試してみることにする。
目を閉じ、必要なものをイメージする。この場合はボールであろう。
この世界は実在するものではない。この世界におけるあらゆる法則は、遥か彼方の母星のものを基にしているが、それは暫定的なルールという気もした。
つまり何が言いたいかというと、この架空世界において、既存のルールを順守してやる必要はないということだ。
イメージする。翼がなくても空を飛べることを。この肉体のまま地上を獣のように疾駆できることを。エラがなくとも水の中に潜り続けることを。
そして、ここにないものを、ここにあると自分に、そして世界に信じ込ませることを。
それは唐突に始まった。脳内にある形が、そっくりそのまま掌の上に抜け出てきたような感覚。大気中を浮かぶ塵のような何かが集まり、それを構成しはじめる。
「おお」
と黒曜の驚く声が聞こえた。もう少しドラマチックに驚いてもバチは当たらないだろうと思う。
塵の集積が終わる。目を開くと、そこには宙に浮かぶ水色の球体があった。それがゆっくりと降りてきて、私の両手におさまる。
それは表面に小さな凸凹がある。それら凸凹の存在理由はわからないが、きっと素人の考えが及ばないようなものがあるのだろう。硬さは、少し力を入れて押せばへこむ程度のものである。これなら、蹴っても痛くはないだろう。
などと詳細に分析してみたが、要はよくあるボールだ。
しかし、よくあるというのは、元の世界での話。この世界、とりわけこの白と黒の中では、それはとても希少なものであり、そしてある種の革新をもたらしたものだった。
「あ、出来た」
と私は軽く言う。一方の黒曜は目を丸くしたあと、微笑みを浮かべた。
「やったじゃないか。これで、何でもできるね」
そう嬉しそうに言ってくれる黒曜の言葉に、少し嬉しくなった私は、「えへへ、そうかな」と言って頬を掻いた。
「なんでもってことは……」
ないけど、と答えようとしたが果たしてそうだろうかと、疑問を覚える。前述した通り、この世界は架空のものであり本当の世界ではない。絶対的法則というものは、存在しないのではなかろうか。今度、色々と試してみても良いかもしれない。
それはさておき、である。私達がこの世界にボールを持ちこもうとした目的は、二人で遊ぶためだ。だから、今すべきことは遊ぶことであろう。
「で、このボールで何して遊ぶの? あとどこで遊ぶの?」
「競技はさておき、まずは場所だね。……そうだ、グラウンドとかはどうだろう」
「……人、いそうだけど」
「人がいないときを見計らうしかないね。何、君は無から有を創り上げたんだ。いざというときは、グラウンドをもう一つ作ってくれればいい」
黒曜は自分がするわけじゃないのに、そう軽く断言してくれる。私はボールを両手で弄びつつ、「はいはい、わかりましたよ」と返した。
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