始まりのクライマックス 2
第2話 始まりのクライマックス 1-2
12月24日。恋人達にとって特別なこの日。この年、俺はこれまでの人生の中で最大級の吹雪が吹いたかのように、心も身体も凍てついた。
あの夜、えり子さんとの電話を切ってから、もう2週間ほどが過ぎた。
『りょーへー!クリスマスって暇?バイク乗って遊び行こうぜ!』
同じクラスのナツが無邪気なお誘いを掛けてきた。もちろん断る理由など無い。
『まだちょっと解かんないんだよなぁ』
なぜか意味不明に強がりの予定は未定を演じる俺。
『江ノ島行こうぜ!女の子とかけっこういるらしいよ!』
『マジか!行こう!』
即答。
今年のクリスマスは男と過ごすのか。。
聖夜、、キャンドルの灯に照らされた女神…
ならぬ、テールランプに照らされた男達が寒空に鼻水垂らしてバイクを走らせてる姿を想像する。
ああ、神がいるなら少年らにどうかあなたのご加護を。。
信仰心など皆無なくせにこんな時ばかり神に祈る。
赤、緑、白、ゴールドが主役として街を彩るこの時期、人も建物も路地裏の猫も、どこか浮ついているように見える。いつもとは全く違う様相を見せる街のこの変化に、俺もしっかりと浮き足だっていた。
駅ビルのテナントには、雪を模した綿と、キラキラしたなんだか解らない球体のオブジェに装飾されたショーケースが並んでいる。
普段、ウィンドウショッピングなんてしない俺でも、何故かこの季節がもたらすそこはかとない高揚感に促されて目を奪われ、手を伸ばしそうになる。
そういえばこの前えり子さんと初めて会った時、頬を真っ赤にしたえり子さん…可愛かったなぁ。。。そんな映像記憶の中に足りてない一品が目の前のショーケースにある。
そうだ!えり子さんマフラーしてなかった!
Xmasプレゼントにマフラーをサプライズプレゼントする、そしてそれを口実にデートなんてしてくれないでしょうか。。
シミュレーションでは大体成功する作戦も、実戦ではなかなか思い通りにはならない。
よし、今夜電話で話してマフラー買う予定とかないか、好みのブランドとかないか聞いてみよう。作戦成功の鍵を握るプロセスは、入念な下調べと手堅い準備だ!
えり子さんの電話番号の10桁はもう、頭じゃなく指が記憶してる。
1〜0のナンバーボタンを、ブラインドタッチで得意げに指を滑らす俺。
大してすごくもなんともないこの動作だが、俺がえり子さんを思う気持ちの力で覚えた10桁の電話番号と、小学校低学年の頃に7の段の掛け算を覚えられた時の達成感、これは同じだ!と自己満足に浸る。
『えり子さん!久しぶり!元気?』
『リョーヘー君、久しぶり。うん、元気だよ。』
うむ、絶対的にも相対的にも元気ではない。
ここはまず、彼女を笑わせてあげて無理矢理にでも元気を出してもらわねば。
当時流行っていたお笑い芸人のネタや、芸能人の声真似、あらゆる角度から彼女を笑わせようとする俺。
そしてそれを俯瞰で見て、呆れ顔で溜め息をつく俺の母親。
さぞかし滑稽だったのだろう。
少しずつ声の強張りが取れてきて、微かに笑い声とも聞き取れるような声も聞こえてきた。
よし、ミッション開始だ!
『そーいえばさ、最近バーバリーのマフラーの新色出たの見た?』
『あ、友達で付けてる子いたよ。グレーのやつでしょ?』
『そうそう!あれ可愛いよね!』
当時、高校生のあいだでバーバリーのマフラーが爆発的に流行していた。
正直言って、流行りにあまり興味がない俺にとってはそこまで大した品としての認識がなかった。
『ねー!あれ本当可愛いんだけど、今買ったら負けっていうか、絶対色んな人と被るよね。それに高くて買えないけど笑』
よっしゃ!話題の選択に間違いはなかった!
『定番の茶色か、紺か、グレーだったらどれが好き?俺はあのグレーのやつ欲しいんだよねぇ』
『うーん、うちの学校の制服に合わせるならやっぱ茶色かなぁ。でも買ってもウールのやつだなぁ。カシミヤのは高くて買えないね。』
なるほど、ウールとカシミヤって種類があるのか。ウールとカシミヤが何を意味するのかすら解らなかった俺は
『でもどうせならカシミヤが欲しいよねぇ』
なんて適当な相槌を打った。
今度調べに行こう。
この時代、世界にインターネットが普及し始めたばかりで、検索という作業も指先一つで…とはいかず、雑誌を見たり直接店舗に足を運んで見に行くぐらいしか調べる方法がなかったのだ。
『リョーヘー君はバーバリー持ってるの?』
『持ってないよ笑 俺にはそんな高価なやつもったい無いからタオルとかでじゅうぶんだね!』
『タオルぅっ!?なにそれぇ笑 全然マフラーじゃないよ笑笑』
今日イチの笑い声ごちそうさまです。とても嬉しいです。貴女が笑ってくれたそれだけで、俺の世界は、今日この日を国民の祝日に制定しました。
『えり子さんはさ、カラオケ行ったりする?』
『うん、ひとみとほぼ毎日のように入り浸ってるよ』
『ひとみさんて友達?』
『ひとみは、小学校からの親友!いっつも一緒にいて、高校も一緒にしたくらい仲良しなんだ。そういえば、この前リョーヘー君が文化祭で私のこと見かけた、って言った時も一緒に居たよ!』
『ああ!あの髪の長い子かな!?』
…すみません、貴女だけがショートカットだったので他の人は多分みんなロングヘアーでした。正直、貴女以外の女の子のことは全く覚えていません。
『そうそう!あの子だよ!なんでも話せる親友なんだ。実は、ひとみにだけはリョーヘー君のこと話しちゃった笑』
なんと!それは大チャンスではないか!
『マジで!?じゃあ俺が福山の弟だってことも知ってるの?』
『うん!もう知ってるよ!けどもちろんお兄ちゃんは知らないよ!私たちが知り合ってること笑』
うわぁ。。2人だけの秘密ができたぁ。(本当は3人だけの秘密だが脳内自動計算による)
めちゃくちゃ嬉しいぞこれは。
この勢いでいっちゃえ俺!
『じゃあさ!ひとみさんも誘ってカラオケ行こうよ!俺の友達も連れて行くよ!この前文化祭に一緒に行ってたやつ!』
『そんないきなりカラオケなんて緊張しちゃうよぉ』
『4人だったら大丈夫でしょ!それにさ、この前できたばかりのカラオケ屋で、部屋の天井がプラネタリウムみたいになっててカッコいいお店見つけたんだよね。めっちゃ綺麗だよ!』
えり子さんが、天体好きという情報はまるでない。
『プラネタリウム?どうやって部屋の中にそんなの作ってるの?』
よっしゃ食いつきました。
『どうやってるのかは解んないけど、とにかくすごいよ!』
語彙力…。
『そこのお店は学校帰りにも行けるし、気になるから、ひとみにも聞いてみるね。』
え?今なんて?
まさかの展開に急に焦り出す。
『マジでっ!!?やったぁ!行こう行こう!』
『まだひとみが行けるか解らないから!笑』
ひとみさん、なにがなんでもイエスと返答してください。なぜならひとみさんが今回のカラオケを快諾してくれないと、えり子さんと会えない。そうなると僕は今後出会うかもしれない、全く関係のないひとみという名前の女性たちを憎んでしまうかもしれないからです。
『超楽しみ!じゃあひとみさんの返事わかったら教えてね!ベル鳴らして!』
ベル鳴らして…とは、ポケベルでメッセージをください。の略である。
今夜の電話は、一気にえり子さんとの距離を近くした。
そして後日、えり子さんからのメッセージが届いた。
『ひとみカラオケOK』
ひとみさん、僕は貴女に感謝してもしきれません。千載一遇のチャンスをくださり、本当に!心から!ありがとうございます!顔覚えてなくてすみません!
そうとなったら準備開始だ!
まずはナツからのトワイライトツーリングの誘いを、丁重にお断りせねば。
『ナツごめーん!クリスマスの日行けなくなった!』
『ああアレね!オッケー!了解!』
ナツは高校からの友達だが、本当にいい奴だ。ナツとのエピソードはここでは割愛させていただく。
続いて江本だ
『えもっちゃん!今週カラオケ行こうぜ』
『オッケー!いつ?今日?』
高校生の会話はなんて展開が早くて書きやすいんだ。
『今日でも平気なら!』
『俺は今週はバイト入ってないからいつでも行けるよ!』
ナイス江本!さすがは親友!
君のあだ名を、この物語の中ではナイス江本ということにしよう。
えり子さんとの顛末を、ナイス江本に話していなかったので直近の出来事を、下記のように大急ぎで説明した。
➖学級名簿の電話番号から仕入れた番号に毎日のように電話して、会って話をする約束を取り付けた➖
文字にすると悪徳商法のようだ。
『マジかよ!りょーちゃん!すげーじゃん!ぜってー行く!2対2の合コンみたいだな🎵』
ナイス江本のテンションも爆上がり、これであとはえり子さんと日程を決めるだけだ。
えり子さんへポケベルでメッセージを送る。
『友達カラオケOKいつにする?』
文字数に制限があるため、こんな簡素な言葉でやり取りをしていた当時の人々に驚愕する人もいるであろう。
結局、その日にカラオケとはならず、夜、えり子さんと電話をして決めることになった。
『江本って奴が一緒に行くことになったんだけど、今週はうちらは毎日大丈夫だよ!えり子さんたちはどう?』
『私たちは明後日なら大丈夫、だけど私もひとみも門限あるから、1時間くらいしか遊べないと思う。それでもいい?』
もちろんですとも!
ただし、かなり警戒されていることは解る。少し安心させておかなければ。
『江本も俺もカラオケ好きでさ、よく2人で行くんだよね!んでミスチルとかラルクとかイエモンとかの曲を全曲歌ったりしてるんだよ!』
『そうなんだ。ミスチルいいよね!私もアルバム全部買ってるよ。』
なるほど、、、ミスチルの曲を普段よく歌っているのは江本だ。これはまずいぞ…俺もミスチルを大急ぎで何曲か覚えなくては。
『なんか好きな曲とかあるの?』
頼む!俺が知っている曲であってくれ!
『いっぱいあるけど、最近よく聞くのはReplayて曲かな。知ってる?』
『解らないけど、アルバムの曲とかかなぁ?』
『前にポッキーのCMで流れてたやつだよ。』
なんとなーく解った気がする。
『あ!アレね!あの曲いいよね!』
CMで流れてた数秒間しか知らない曲だが、ひとまず無難に相槌を打つ。
『歌詞がさ、すごく沁みるんだよね。今の私に。』
ふむ、元カレとの事に重ねてるんだな。
ここはピンチをチャンスに変えなくては!
『じゃあ明後日、俺Replay歌っちゃおうかな🎶』
『楽しみにしとくね!』
そんな会話で電話を終えた。
えり子さん達とカラオケに行く当日の朝、いつもと同じ通学の時間、12月の街の雰囲気と同調するように俺の気持ちも華やいだ。
クリスマスのデートスポットを特集する雑誌の吊り広告、赤白コスチュームに身を包むチキンのお店の白髭のおじいさん、ウォークマンから流れてくるミスチル、寒さに身を寄せるベンチのカップル、黒のチェスターコートにレザーグローブのサラリーマン。白く溶ける息。
この時期の当たり前な風景ではあるが、この日の俺にはどれも特別に見えて、気持ちを昂らせた。
えり子さん達、ちゃんと来てくれるかなぁ…。
そんなことを考えながら学校最寄りの駅にたどり着いた。
『りょーちゃん!チィーッス!!ヤバいよヤバいよ!今日だよ!超楽しみだよー!』
《ナイス江本…おのれは出川哲郎か。》心の中ではそうツッコミを入れつつも
『ウィーッス!めっちゃ楽しみだな!えり子さん達ちゃんと来てくれるといいんだけどな笑』
『もし来てくれなかったら、俺はりょーちゃんとイチャイチャするからそれでもいいよ🎵』
『超キツい笑』
通勤通学の時間帯、周りの人はみな無口に歩を進める。俺とナイス江本の2人は朝から向き合ってじゃれあって、明らかにテンションの違う異質な2人の男子高校生だっただろう。
それはまるで、アイドルのコンサート会場にいるファンのようなテンションだった。
これまでの学生生活の中で、最も長く感じた6限授業を終え、俺とナイス江本は稲妻のごとき早さで学校を飛び出した。
『学校終わったこれからカラオケに向かう』
えり子さんのポケベルへメッセージを打つ。
『ヤバいよヤバいよ!とうとうだな!早く会いてーなー!めちゃくちゃ可愛かったもんなーあの子達!』
《だからおのれは出が…》と、再びツッコミを我慢しつつ
『そーだな!とりあえずカラオケ行って、もしまだ来てなかったら先に入っておこうぜ。』
俺の学校の最寄り駅から、カラオケがある駅までは電車でだいたい30分くらいで着く。
その30分の時間に、興奮した男子高校生を落ち着かせる事などもはや不可能であった。
車内でも2人でくだらない会話で盛り上がっていた。
『りょーちゃんさ、菅野美穂と深田恭子だったらどっちと付き合いたい?俺は最近菅野美穂好きなんだよなー!』
『どっちも可愛いけど、俺は深田恭子だな』
全くもって不毛な会話である。
思春期真っ只中の男子高校生の会話は、だいたいが女の子中心の下世話な話ばかりだ。
ましてやこの日の俺とナイス江本は、テンションも上がりきっていたので声のトーンも大きかっただろう…電車内であることも忘れて。
『私たちもうすぐカラオケに着く』
えり子さんからベルが入った。
ベルが入った…とは、ポケベルにメッセージが届いた、の略である。
『えり子さん達もうすぐカラオケ着くって!いまベル入ってきた!』
一気に緊張が増した。。
目的地の駅にまもなく到着しようというタイミングで、たった1行のメッセージに俺とナイス江本は急に借りてきた猫のように静かになった。
お互いに言葉にせずとも、これから女の子に会うのに服装や髪型など大丈夫か…と電車内のガラスでセルフチェックしているのがわかった。
⚫️⚫️⚫️駅に到着でーす。
車内のアナウンスで、覚悟を決めて歩き始める。
カラオケ屋到着まであと1〜2分。彼女達はどんな気持ちで待っているのか。もしかしたら嫌々だったりしないだろうか。実は来ていないドッキリとかじゃないだろうか。
不安ばかりが心を占拠していく。
お店の入り口付近には女子高生2人組は居ない。
もう店の中なのか?不安が的中してしまうのか…。このまま音信不通になってしまうのか。
そんなネガティブな感情に支配されそうになった瞬間だった。
『リョーヘー君!』
振り返ると、そこに、彼女が、立っていた。
ファーストフードのドリンクを片手に、恥ずかしそうな表情でこちらに小さく手を振るえり子さん、そして隣にいるのがひとみさん…なのか?
『えり子さん!!!!待たせちゃってごめん!!』
『大丈夫だよ。マックで時間潰してたから。あ、ひとみだよ!』
えり子さんが右手で紹介する。
『こんにちは!ひとみです!』
『こんにちは!福山涼平です!で、こっちが江本!』
『江本ですぅ。』
江本がおとなしい。ちょっとスカしてるのが笑えてしまう。
『ここの駅だとさ、ウチの学校の生徒いっぱい来ちゃうと思うから早くお店に入ろ!』
えり子さんが促す。
兄貴の事もあるし、元カレの事もあるし、色々心配なんだろう。
『よし!行きますか!』
こうして店内へ入り、いざ、プラネタリウムの部屋へ!
が、お目当ての部屋が空いていない事実判明。俺少年大ピンチ!
『どうしよう、プラネタリウムの部屋開いてないって…ごめんね、予約でもしておけば良かったね…。』
情け無い。あれだけ作戦を練っていたはずなのに、詰めが甘い失態を晒す俺少年。
『え、じゃあこの部屋は?この水族館みたいな部屋!』
……えり子さんが隣に来て一緒に部屋を選んでくれている。
ものすごく近い。シャンプーのいい匂いがする。俺よりちょっとだけ身長低いんだ。化粧はしてないんだな……
『リョーヘー君?どうする?ひとみも水族館の部屋で良いって言ってるよ!ブラックライトで綺麗っぽいよ!』
彼女の問いかけで、あっちの世界へ逝きかけた意識を取り戻す。
『う、うん!そしたらその部屋にしよっ!』
もはや部屋などはなんでも良いのだ。
俺はえり子さんと一緒の空間に居て、声が聞けて、視線をやれば輝いて見える顔がそこにあって、彼女の動きに併せて香る髪の匂いを感じて、、、
心ここにあらずの状態で部屋へと入った。
各々がドリンクを注文し、あらためて空気を落ち着かせるために自己紹介なんかを…
と思った矢先、ひとみさんから質問が。
『涼平君は、本当にあの福山君の弟なの?』
そりゃそうだ、ここに至るまで俺の身分証明など一切できていない。疑われても当然だ。
『本当だよ、兄貴の誕生日も言えるし、家族構成とか生まれた場所とか全部言える。なんだったら兄貴が高校で仲が良い友達とかもなんとなく分かるよ!酒井君とか!?』
『うわぁ笑 ホントだ!本当に福山君の弟なんだね!信じられない!』
『俺と兄貴似てないもんね、顔も性格も!』
『『そうだねぇ!!笑』』
えり子さんとひとみさんがハモって返答してきた。
図らずも場の雰囲気が良くなった。ひとみさんありがとう!
各々が好きな曲を、、、基、自信のある曲を披露していく。そしてたまに皆んなで盛り上がる曲を熱唱する。
こうしてご褒美時間はあっという間に終焉を迎えようとしていた。
ポップなイントロが流れはじめる。
『はぐれた
きっとすぐ埋まるよ
ためらいのない想いが甦る』
えり子さんが最近好きだと言っていた曲。練習してきた通り一生懸命に歌う俺。
怖くてえり子さんの方を見れない。。。画面の歌詞を追うので精一杯。
えり子さん、どんな顔して聞いてるんだろう。
とりあえずナイス江本の方に視線をやる。
…なぜお前がうっとりした表情で一緒に歌っているのだ。
あっという間なのか、ものすごく長いのか、それすらも分からない状態のまま曲が終了した。
マイクを置き、恐る恐る皆んなが座っている方へ顔を向ける。
……!!!
えり子さんが涙を流していた…。
それをひとみさんが肩で抱えながら頭をよしよししている。
『涼平くんすっごい上手だねー!』
ひとみさんがお世辞フォローを入れてくれる。
『そうでしょー!ウチのりょーちゃん、めっちゃ上手いんすよー!!』
ナイス江本の全力ヨイショ。
だがしかし、俺はそれどころじゃない。えり子さんを泣かせてしまった。どうしよう、傷付けてしまったんだきっと…。
わずか数秒間だったと思うが固まっていた俺に気付き、ひとみさんが言葉で場を繋ぐ。
『今の曲ね、えり子の思い出の曲だったんだよね!ね!えり子!』
『ひとみぃー。』
泣き声でひとみさんに縋り付くえり子さん。
『ヨシヨシ、いい子だいい子だ!』
ひとみさんがえり子さんの肩をポンポンする。
『そうだ!江本くん!PUFFY入れて!私とえり子でPUFFY歌うから!アジアの純真ね!』
ナイス江本が座布団の山田くんの役割をこなす。さすがだ。
曲が始まり、ひとみさんがマイクを持って立ち上がる。そしてそれに呼応するようにえり子さんもマイクを持って…っておい、ナイス江本がマイク持って歌っちゃってるよ。
楽しそうに歌う2人。
えり子さんは画面と2人の方を見ながら、ちょっと涙目のままマイク無しで歌っている。
俺は…そんなえり子さんを見ている。
えり子さんは、俺の視線に気付いたのか、テーブルを挟んだ向こう側の席から
『泣いちゃってごめんね!でも気にしないで大丈夫だから!歌ってくれてありがと!』
部屋に溢れるミュージック音量と、ひとみ&江本の声にかき消されるくらいの音量で、えり子さんが俺に伝えてきた。
救われた。。
俺はこの時やっとわかった。えり子さんにとって、あの曲は元彼との恋を終わらせるための、ピリオド曲になっていたんだと。
そんな事もわからずに、ただただ熱唱し、えり子さんの心を抉るようなことをしてしまった。
俺は、なんてどうしようもないガキなんだ。と、深く反省した。
PUFFYを皆んなで歌い終えて、時間終了の内線がタイミングよく鳴った。
店の外へ出たら、辺りはもうすっかり暗くなっていた。12月の中旬ともなれば、忘年会シーズンでこの辺りは多くの人が行き交う。
だけど俺の視界には、まるでスポットライトに照らされているかの様に、カラオケの看板の下に1人だけで立っているえり子さんが見えていた。
『楽しかったー!また皆んなで行こうね!』
ひとみさんがそう言って、名MCの大役を終える。
『マジで!めっちゃ楽しかったっすね!絶対次も行きましょ!』
ナイス江本がアシスタント役として、ひとみさんの労を労う。
『リョーヘー君、江本君、今日はありがとね。すっごい楽しかったぁ!』
えり子さんも最後は笑顔で言った。
『あ!そういえば!2人ともピッチとか持ってないっすか?!』
江本よ、お前はなんてナイスな奴なんだ。
ちなみにピッチ…とは、PHSの略称で高校生の間ではピッチとベルの二つ持ちが主流だった。
いい意味で空気を読まない江本に、これまでも何度か助けられてきた。
『『持ってるけど…』』
困った感じで2人がささやく。
『じゃあ交換しましょーよ!』
ナイス江本がぐいぐい切り込む。
『リョーヘー君も持ってるの?』
えり子さんが問いかけてきた。
『持ってるよ!俺とも交換しよ!』
ナイス江本に続いて俺も切り込んだ。
最初は困惑した表情であったものの、えり子さん、ひとみさん、2人とピッチの番号を交換することに成功した。
ナイス江本、今日1番の功労である。
門限を控えた2人は、そろそろ帰らないとヤバいからと駅へ向かい歩き始める。
俺とナイス江本もそれに付き添う形で一緒に歩く。
駅の改札まで見送り、後ろ姿を目に焼き付けた。
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