#風呂短編

キューマン

排他選択的心身傷害症候群 Route:Main

 俺の彼女は厄介な体質を抱えている。

 それが発現したのは二人が大学生の時だった。

 付き合い始めてから初のお泊り。

 それは楽しい時間などではなく、目の前で苦しむ彼女を一晩中さすり続けた、地獄のような時間だった。少なくとも彼女にとっては。

 それから毎晩、彼女は夜中に苦しむようになった。

 俺にできることは彼女を抱きしめてさすることくらいだった。

 日に日に彼女はやつれていき、その解決策を見つけられないまま過ごすのはとても辛かった。

 それから割とすぐに、彼女は解決策を自分で見つけた。

 きっとその時は彼女もそれが相対的に嬉しかったんだろう、笑顔で俺に話しかけてきた。

 俺も解決策があると聞いて嬉しさに飛び上がった記憶がある。それだけに、その中身を聞いたときの俺はさぞかし複雑な気持ちをしていただろう。


「体を傷つけると苦しくないんだ!」


 そう言って笑顔で生々しい腕の傷を見せつけてきた彼女に、俺はどんな顔をすればよかっただろうか。その答えは、数ヶ月経った今でもわからない。

 だが、実際多少の体の痛みと地獄のような心の苦しみどちらを取るかと言えば俺だって前者を取るだろう。

 結局彼女は最善策を取ったに過ぎない。人間は多少の傷で死ぬほど柔ではないのだから、それでよかったのだ。

 俺はそうやって自分を納得させたが、それでももっと良い策がないかと考えることをやめられなかった。

 最終的には、医者さえ匙を投げたという事実で無理やり心を抑え込んだ。


 彼女が救急車で運ばれたという話を聞いたのは昨日だった。

 俺は深夜にもかかわらず家を飛び出し、病院へ向かった。

 幸い彼女の命に別状はなく、俺が到着して数時間後、彼女は普通に目を覚ましたそうだ。

 そんな報せを聞いて、俺は昼過ぎに仮眠室から彼女の病室へ向かった。


「来てくれたんだね、ありがとう」

「当たり前だろ…自傷するなとは言えないけど、本当に気をつけてくれよ?それで、どこをやっちゃったんだ?」

「ここだよ」


 彼女は服の上から腹と胸の中間あたりを指差した。


「…痛そうだな…」

「あの苦しみに比べたら、全然」


 彼女は澄ました顔でそう言ったが、その表情の裏には苦しみのようなものが見え隠れしていた。


「…なんだけどね」


 彼女が続けて言ったのは、彼女にとって致命的とも言えることだった。


「ナイフが持てないの…自分を傷つけられないの」


 これは今朝試してみてわかったことだそうだが、彼女にとってはこれが致命的だった。

 体を傷つけられなければ、心が苦しむ。

 彼女はそれを想像したのか、体を縮めた。

 もう既に苦しそうな彼女を見て、俺は思わず言ってしまった。


「…俺が代わりにやろうか?」


 夜。深夜ではなく、夕食が終わって少しした頃だ。

 彼女の心が苦しむ時間帯まではあと2時間程度といったところか。

 俺は彼女の病室を訪れた。


「ナイフはそこにあるから」


 彼女は棚を指差す。たしかにそこにナイフはあった。

 俺はそれを手に取り、彼女のベッドへ向かった。


「お願い」


 彼女は服を捲り上げ、白い腹を俺に見せた。

 そこには既に痛々しいたくさんの傷跡があった。

 目を逸らしたくなる気持ちを抑えて、俺はナイフを手に取った。


「…やるぞ」

「うん…お願い」


 これから来るであろう痛みに耐えようと、彼女は目を瞑った。

 その表情がまた痛々しい。

 俺はそっとナイフの先を彼女の腹に食い込ませた。

 痛みに耐える彼女の声が聞こえないふりをしながら、俺はナイフを動かし、彼女の腹に一本の赤い線を刻んでいく。

 そうして、だいたい他の傷跡と同じくらいの長さの傷ができたところでそっとナイフを離した。


「…終わったよ」


 俺は未だ痛みに耐える彼女に、努めて優しく声をかける。

 彼女の目から一筋の涙がこぼれ落ちるのと同時に、腹の傷から血が一滴滴った。

 俺は丁寧に血を拭き取り包帯を巻いた。


「ありがとう」


 彼女はそう言ったあと、独り言のように呟いた。


「これじゃあ明日はお腹は無理だね…腕かな」


 受け入れているような彼女の言葉に、苛立ちさえ募った。

 彼女はそんな俺の気持ちを悟ったのか、


「私は大丈夫だよ、心が痛むよりずっと楽だから」


 と慰めるように言った。

 本来は俺が慰めるべきなのに。

 そう考えると今度は自分に苛立ちを募らせることしかできない。


「…おやすみ」


 俺は考えるのをやめようとして、そう呟いて病室をあとにした。

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