人を好きになれない僕と、人を嫌いになれない彼女
ゆずこしょう
人が嫌いな僕らの話
僕は人を好きになれなかった。それを一言で言ってしまえば極度の対人恐怖症と言えるかも知れない。人の目、人との会話、人との関係。この世のあらゆる他人に関するものが嫌だった。
だから、僕は出来るだけ人と関わらずに生きていく術を子どもの頃から身につけていた。
例えば小さい頃から僕はなるべく人と接触しないように本を読んで話しかけられないようにしたり、目立たないように大人しく行動した。
それでも学校では積極的な交流というのが模範とされている為に仕方なく他者との交流を行わなければならない事がある。そのときは決まって相手に合わせて行動をして相手の機嫌というのを損ねないように努め、そして印象に残らないようにして出来るだけそれから関わりを持たないようにしていた。
そうやって僕は人を避けてきた人生を送り、やがて成長をすると人は助け合わないと生きていけないという言葉が嘘であるという事にも気づいた。
だから高校進学に際しても僕が一番重要視したのは、やはり人との関係であった。なるべく人との関わりを持たなくてもよい環境を得られる場所はどこかと考えた時に僕の頭の中で浮かんできたのは地元から遠くにあって、偏差値の高い学校だった。
元々、人間関係を得意としない僕に取っては勉強というのは人と関わる事がないので自然と趣味の一つと言ってもいい。だから、この高校へ進学しようと決めてからというもの、僕はそれまで以上に人を遠ざけて勉学に励んだ。
そうして勉強している間は自分の世界に入る事が出来たし、人を近づけない手段として有効だった。
おかげで難なく県有数の進学校へと進学すると、僕の予想通り多くの課題を出され、生徒達は友達を作る間も与えられずに勉強に勤しむようになった。
この環境は僕に取ってみれば平穏そのものだった。
そんな、僕も気が付けば2年生へと進級した。
だからと言って、友達と呼べる人間を作ることもなく、よく授業が終わると図書室へと足を運んで勉強をしていた。
これといって理由はない。僕は少なくとも引きこもりの様に家で閉じこもるというのを好まない。
この学校は進学校という事もあって放課後になると多くの生徒が塾へと向かうのも図書館という場所に人が来ないことに拍車をかけているようで、その静けさが僕は好きだった。
いつものように、図書館の中でも陽の当たらない隅の席に座ると参考書を開いて左手に握ったシャープペンシルでノートに文字を書き込んでいく。得意である数学になると頭の中に考えるよりも手が動いて答えを導いていった。
不意に窓の空を見つめてみると夕暮れのきれいな雲が浮かんでいた。
「今日はこのくらいにして終わらせるか」
僕は筆箱に文房具を詰めこみノートを畳み、スクールバックに入れようとした。その時になって初めて国語の教科書がないことに気が付いた。
どこでなくしたのか記憶を探ってみると、今日の一限の授業で国語があって、そのときに自分の机の中に入れたままのを思い出した。
僕はため息を吐き出しながらどうするべきか迷った。家に帰って授業の復習をする予定だったので、取り行かなければならないがどうにもまた教室に戻るのが気乗りしなかった。
今いる図書室から、目的の2-G教室は校舎の反対側に位置している。
つまりは現在地から一番離れている場所である上に図書室は2階に対して教室は4階なので引き返すには骨が折れるのだ。
僕はしばらく戻るかどうか考えたが、やがてバックを背負うと再び教室へと引き返すことにした。
廊下を歩いていくと、外からは陸上部の揃った掛け声や野球部の金属バットの音が聞こえた。
途中でいくつかの教室の前を通ったが、どこも電気はすでに消えていて、人の姿は見えない。まだ、陽は暮れていないけれど、誰もいない学校の通路を歩いて行くのはどこか奇妙だった。
目的の2年G組の教室まで来た。薄くらい教室は一般的なもので床は木材で壁は鉄筋コンクリートの白塗り、生徒35人分の机と椅子が並べられており、教室前方には黒板と教壇が置かれ後方には小さな黒板と掃除用具入れが置かれている。
夕暮れの日差しが射し込んでいる窓は開いているのか、白いカーテンが風に大きく揺られていた。
僕は、その揺れるカーテンに気が向いて教室に数歩入った時にはその異変に気が付かなかった。
「あっ」
お互い教室に他の人がいるなんて思わなかった為か、彼女と目を合わた瞬間、小さな声が漏れて聞こえたような気がした。
教室には一人、女子にしては少し短いショートカットの髪をカーテンと一緒に吹き込む風に揺らしていたのは見知った顔だった。
「橋下君?」
互いに牽制する重たい空気を何とか変えようとしてか彼女は僕の名を口にした。
「どうして僕の名前を?」
「だって、同じクラスだよね」
確かに同じクラスメイトではあるが、普段誰とでも友好的に話を弾ませクラスを明るくしている彼女、小湊凜花がまさに正反対の存在である僕の名前を知っているとは思わなかった。
何て言えばいいのか言い淀んでいる間にも気まずい時間が過ぎていき、困った僕はぎこちなく口を開いた。
「忘れ物を取りに来ただけなんだ」
言ってから明らかに不自然だとは思ったが、しょうがない。
僕は小湊のいる窓側とは反対側の席列の机の前にいきその中身に手を伸ばした。
机の中に手をいれて探ってみようとしても、なかなか教科書の感触には触れなかった。
誰もいないと思っていた小湊がいることに酷く動揺して手が震えていた。
早く、この気まずさから逃れたい。
振り返ると、未だに僕に視線を向ける小湊と目が合った。
何かを思い詰めているのか、少し困惑した目が印象的だった。いつも明るい彼女からはあまり想像が出来ない表情に驚いた。
同時に、机の中で動かしていた手が冷たい感触に触れた。
教科書だと思いそれをつかみ取ろうとした、その時だった。
「あの橋下君、ちょっと相談があるんだけど聞いてくれない?」
僕は耳を疑い、呼び止めた小湊のことをもう一度まじまじと見つめた。
「僕に?」
「うん、だめ?」
「僕のような人間が誰かに相談されるような事なんかないと思うんだが」
僕は、人間違いの可能性も考えた。けれど、それはすぐに否定された。
「それは、橋下君が適任だから」
「適任?」
「橋下君って人を好きになったことある?」
その言葉を彼女は言いにくそうに少し視線を落とし、どこか申し訳なさそうに続けて呟いた。
「私、人を嫌いになれないの」
「それは、僕が誰の人間を好きになれない駄目な人間で、自分は誰のことも好きになれる聖人君主とでもいいたいのか」
「いや、そんなつもりはないの。本当にそう思われても仕方がないんだけど、正確に言えば人の事をあまり嫌いになれないんだと思う。そうやって、相手に合わせたりしていれば誰も嫌な思いをしないから」
「だったら尚更どうして人を嫌いになれないのが悪いんだ。僕からしてみれば、自分の人間嫌いのせいでこれまで誰も好きになった事はなく、周りからは誤解や偏見、疑いの目でしか見れなくなっている。そんな人生よりも誰も嫌いにならずに生きていける方が良いと思うんだが」
小湊は僕の意見に頷いて、ある一定の同意をしたように思えた。
「確かに橋下君の言うとおりかも知れない。けど人を嫌いになれないのも良いことばかりじゃないの。例えば幾ら嫌なことをされた人間だとしても許してしまう。そんな時に私は思うの、もしこの人を嫌いになれれば簡単に切り離してしまえば私の心はどんなに楽だろうかってね」
「それでも僕には贅沢な悩みのように思えるが。少なくとも人を好きになれない人間は誰からも好かれる事は無いんだ、それに比べれば正直羨ましい限りだよ」
「羨ましい?」
小湊はその言葉を再確認して聞いてきた。
僕は、過剰に見えるその反応に驚いて、肯定するように小さく頷いた。
「ああ」
「それじゃあ、私の人を嫌いになれない性格と橋下君の人間を好きになれない性格を交換しようよ」
彼女の提案に、最初は何を言っているのか分からなかった。
彼女は僕と性格を交換しようと言ったがそれは何かの比喩なのだろうか。
「つまり、お互いに真似をするということか?」
「真似ではなく本当に交換するの、私達の性格をね」
「そんな事は出来る訳ないだろう。性格を交換するなんて聞いたことがない」
「それが出来るらしいの。非対称の性格の人同士でまじないをすると性格を交換出来るらしいの」
「そんなオカルトな事あるわけないだろう」
僕は小湊の話を疑った。
けれどもし、本当にそんなことが出来るのであれば僕がここまで性格を拗らせ、歪んでいる性格で人々に疎まれることもなくなるだろうか。
いや、性格を交換するなんてそんなことありえない。
「本当にそう思う?」
「ああ、馬鹿馬鹿しい」
「じゃあさ」
疑い続ける僕に、小湊はいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「試してみようよ。私と橋下君の性格を実際に交換しよう」
「そんな簡単に出来るのか?」
「うん、ちょっと手を出して」
言われて僕は素直に右手を差し出した。
小湊はその手をつかむと用意していたのか、ブレザーのポケットからマジックペンを取り出して、何やら魔術のような文字を書き、それを円で囲んで、再び線を書き足していった。
「本当にこんなので交換が出来るのか」
「良いから、動かないで」
言われるがまま手に書かれ続け、次に左手を差し出して再びペンを走らせると次は不思議な模様を手のひらに書き始める。
毛先が僕の肌の上に通るたびにくすぐったいのを我慢してその様子を伺った。
「よしこれで完成」
両手のひらを見てみると不思議な文字や数字だったり模様がびっしりと書かれている。
こんな子どもじみたもので、本当に性格が変わるとは思えなかった。
「それじゃあ、私と手をつないで」
「手をつなぐのか?」
「そうしないと交換は出来ないの」
仕方がなく僕は小湊と両手をつないだ。もし、今この教室に僕と同じように忘れ物を取りに来たような生徒がこの光景を見たらどう思うだろうか。
高校生が二人して手を取り合っている光景は変な誤解を生むかもしれないのに、小湊は平気そうに手を握り返す。
「大丈夫、すぐ終わるから」
続けて呪文のような言葉を口ずさんだ。それは日本語とも外国語とも言えないようなもので何を言っているのかは正確には分からない。
しばらくその言葉が続いたと思うと、彼女は瞼を閉じた。
それは一瞬の出来事だった。何が起きたのか気づいた時には小湊の顔はすでに離れていた。
「え?」
僕は何が起きたのか分からなかった。けれど、小湊の方はそれが儀式の最後だというように手を放した。
「それじゃあ、橋下君また明日。成功していたらいいね」
それだけ言うと、小湊は足早に教室を出て行ってしまった。
「なんだよそれ」
僕は茫然としてその時だけ時間が切り取られたように、キスをした瞬間を思い出して頭の中で思い浮かべていた。
僕にとってはそれが初めてのキスだった。それは思っていたよりも味のない、といっても味わう暇もないほど一瞬で、だけど唇に触れた柔らかな感触は確実に忘れることはないだろう。
それから、僕はへまなことにわざわざ教室に戻って取りに来た国語の教科書を持ち帰るのを忘れて自宅へと帰ってきてしまった。
それどころか家についても僕が勉強をしようとしても、頭の中であの儀式の事がついて回るだけではなく問題を解き進めようとしても視界の端に写り込むように小湊の残影が見えてくる始末で、ついには一息つくと僕はペンを置いた。
あの儀式で僕の捻くれた性格が変わった様子はない。それどころか勉強に支障をきたしていて迷惑でしかない。
「なんであんな」
いくら性格を変える噂を試すにしても、あそこまでするだろうか。
僕は勉強をやめると部屋の電気を消してベッドに潜り込んだ。
人と仲良くなって話し合うことが出来るだろうか。少なくとも今の自分には想像することは出来なかった。
次の日。目を覚まして洗面台の鏡で自分の姿を見ても何か変わったところはなかった。
「なんだ、何も変わってないじゃん」
別に期待をしていたわけではない。
僕は顔を洗うと、急いで制服に着替えて電車を乗り継いで学校の最寄り駅からは色づいた桜並木の下を一人で歩いていく。
近くには真新しい制服を着た1年生が友達と楽しそうに話しながら歩いている姿が目に入った。
僕は、その姿から視線を逸らすとイヤホンから聞こえるリスニングの英語に耳を傾け、急ぎ足で学校の校門に入った。
昇降口につくと自分の上履きに履き替え、階段を上っていき自分の教室に入る。
いつもの朝、いつもの日常。何も変わらない一日が始まるのだと思っていた。
けれど、その異変に気が付いたのは教室に入ってすぐだった。
クラスメイトの誰にでも明るく振舞っていた小湊が自分の席に座り、虚ろ気に外を見つめていた。
「だれか親戚の人が亡くなったとか?」
「あんな元気なさそうなの見た事ないけどな」
教室の入り口では何人かがグループを作って小湊の様子を見ながら何があったのかを話していて、教室全体が異様な雰囲気に包まれていた。
僕は自分の席に座ると、遠巻きに小湊の様子を見つめた。
憂鬱な表情を浮かべたまま窓の外を眺めているその姿はまるで、人に興味が無いと言ったように、噂話をするクラスメイトの方には全く見向きもしないで自分だけの世界に入り込んでしまったようだった。
そんな中で一人の女子が友達たちに促されるようにして小湊の席に近づいて、愛想笑いを浮かべながら聞いた。
「小湊ちゃん。なんだか今日は元気がないみたいだけど、体調でも悪い?」
当たり障りない言葉を選んで聞いた質問に小湊はその女子の方をちらりと見た。
「別に、いつも通りよ」
それだけ言うと、小湊は再び外のなんでもない風景に目を向けた。
その反応は自らの意思で人を避けているのは明らかだった。
質問にきた女子も、その態度に驚いて「そっか」とだけ言い残して足早に後ろに下がった。
その姿はまるで、人を好きになれない僕の生き写しのようだった。
その日の午前中、僕は小湊の事を観察した。
彼女は10分に一回のペースで黒板に板書された文字をノートに書き込み、残りの時間は窓の外を見つめて退屈そうにしていた。
教師の中には授業の終わりに小湊に近づいて当たり障りないように「何か心配事でもある?」といったような口調で様子を聞いていた。
しかし、そんなやさしさに対しても小湊は
「別に大丈夫ですから」とそれだけ言うと視線を逸らして、それ以上何かを言おうとはしなかった。
午前の授業が終わって、昼休みになるとクラスの人間がそれぞれ行動し始め小湊もひとりでに席を立つと存在を消して教室を出て行った。
僕はその姿を見て彼女を追いかけようかと考えていたが、僕が立ち上がる前にその動きを制止するように声をかけられた。
「小湊のやつを大分気にしていたみたいだが、気になるのか?」
言われてそちらに振り向くと僕の目の前の席に座っている男が椅子の背もたれに腕を持たれながら、後ろの席の僕に話かけてきていた。
「それはどういうことだ」
「いや、ただ何となく小湊の事をずっと見ていたからお前も気があるのかと思ってね」
「別にそんなんじゃないさ」
言いながら僕はこの男の事を考えていた。これまで他人という存在をあまりに避けてきたので、前の席の人物の名前を思い出せなかった。
「まぁ、小湊は人気だからな。見惚れるのも分かるさ」
「だから、違う」
僕は、前の男の姿を伺いながら小湊の後ろ姿を追いかけるために席を立って教室から出た。
その時になって前の席の男は柳という名前だったのを思い出した。
教室から出るとすでに小湊の姿は大瀬の人ごみの中で埋もれて見失っていた。
だから、僕は可能性がある場所を探して食堂から中庭のベンチと探して、最後にたどり着いたのは屋上に続く階段だった。
ここなら誰にも見られることもなく、関わることもなく平穏に食事が出来る、まさに良い隠れ場所で僕もよく利用していた。
「性格が変わると、食べる場所も変わるのか」
「この場所なら誰の人目にもつかないから落ち着くの」
そう言って僕が隣に座ると、小湊は足の上に広げていた弁当箱を片付けるところだった。
「今のは冗談で言ったんだが、本当に性格が入れ替わったのか?」
「見ての通り、私は人を嫌いになることが出来ました。橋下君はどうですか、もしかして人を嫌いになれなくっているんじゃない?」
「どうだろうな、実感がないが」
「橋下君はまだ受け入れ切れていないから、完全には交換が出来ていないんじゃないかな。きっとこれまで人の事を嫌いにばかりで自分のアイデンティティみたいに思っているから」
その言葉は僕に深く心を動かした。性格を入れ替えた彼女だからこそ、僕の根暗で捻くれた性格の事をよく理解していた。
もしかすると、小湊は僕の捻くれた性格を手に入れたことで僕の思考さえも交換したのかしれない。
「小湊は、それでいいのか?」
僕は昨日会った時よりも俯いて、その表情を隠しているせいでどこか陰湿さを感じる彼女の姿に問いかけた。
「どういうこと?」
「僕には今の小湊がとても良いようには思えない。本当に人を避けて、人を嫌ってそれはお前が本当に望んだものなのか?」
小湊は僕に向き直り、昨日の教室で出会った時のように目を合わせた。
「すべてが望んだものとは違うとしても、人を嫌いになれなく悩まないですむならそれで良いよ」
それだけ言うと、小湊は弁当箱をそそくさと鞄にしまうとその場から逃げるように立ちさってしまった。
屋上のドアの隙間から流れてくる冷たい風が僕の頬に当たった。
昼休みが終わり教室に戻ると柳はさっそく僕に聞いてきた。
「どうだった、距離は縮まったか?」
「いや、それどころか僕は嫌われたみたいだ」
僕はそれ以上知らないふりをして席に座った。
小湊の席を見てみたが、そこに座る彼女は相変わらず手に本を持って、その視線は窓の外に向けられていた。
それから一週間が過ぎると、最初のうちは周りも落ち込んでいるだけだと思っていたのが、人を近づけさせない態度が続けば誰もがその様子の変化は異常なものだと思う。
徐々に小湊に自分から近づいていこうとする人間もいなくなり、自然と孤立していった。
その反面、僕はこの一週間でこれまで会話すらなかった人物と(といっても以前に話をするような時は相手が必要に迫られて僕に話しかけてくる時くらいだったが)前の席の柳を中心として、話しかけてくるようになった。
かつての僕のような小湊の様子を見て思ったのは、人に好かれるかどうかは単純にオーラの問題ではないかと思う。人はそのオーラを見分けて人に近づくかどうかを判断しているのではないか。
何はともあれ、この一週間で小湊と僕の性格は入れ替わった事により、お互いの明暗は逆転しようとしていた。
「今日、小湊が学年指導の先生に呼び出されたらしい」
一日の授業が終わり、図書館に向かおうとした時に不意に柳が僕に話しかけてきた。
「どうして小湊が学年指導になんかに呼び出されるんだ?」
「さぁ、そこまでは僕も分からない。けど最近の小湊の様子は明らかに変だ。
先生たちが何かあったように感じているのは間違いないだろうな」
「つまり、最近の小湊のことについて聞いているということか」
「おそらくは」
そういうと僕は小湊の方へと向いた。帰りということで、彼女はそそくさと立ち上がり教室の外へと出ていく。
僕はその動きを横目にしながら、柳の方に向き直った。
「そういえば前から気になっていたんだが、柳は小湊とはどういう関係なんだ?」
「どうと言うほどのものでもない。小湊とは小学校からの幼馴染なだけだ」
いいながら柳は僕と目を逸らした。
「それだけで、そんなに気にするようには思えないが」
「お前は人をよく見ているな」
「そんなことないと思うが?」
「いや、少なくとも俺と小湊と関係があるのかと疑ったやつはお前が初めてだ」
そう言いながら柳は不敵な笑みを浮かべた。
どうやら、他人と関わらないようにしたせいで逆に他人の細かな行動からその心情を読み解く癖みたいなものがついてしまっていたようだった。
嫌いなものだからこそ、一番知っているというのはもしかしたら他にもよくある話なのかも知れない。
「それで、小湊とは何があったんだ?」
改めて僕は質問を投げかけた。
柳は少し困ったような表情を浮かべながらも、口をひらいた。
「昔から小湊とは仲が良かったんだ、といっても彼女の方から話しかけてくるような感じで俺はそれに合わせる感じだけだったが、そのおかげかある日俺と小湊に変な噂が出回ってな」
「変な噂?」
「中学ではよくある話だろう。俺と小湊が付き合ってるんじゃないかっていう噂がクラスの中だけではなく学年全体にもその噂が広がったんだ。そのおかげで俺と小湊は顔を合わせるのが気まずい関係になったというわけだ」
それを聞いて僕は、そういえばと思い出した。小湊はクラスの大半の人間に話しかけていた。それは人を好きになれない僕を除いたとしても、クラスでも特に問題がない柳に話している姿を見たことはなかった。
「橋下、お前はどうしてそこまで小湊にこだわるんだ?ああなる前は彼女のこと以前にクラスの人間に興味を示さないような奴だったのに」
柳は僕の方に再び振り向くと、興味深いといったように見つめた。
「そんなんじゃない。ただ、僕が小湊をああいう風にしてしまったかも知れないんだ」
「それってどういうことだ?」
「言っても信じてもらえないさ」
僕はそれだけ言うと、柳に軽く別れの挨拶をすると教室を出た。
向かったのは、図書室だった。
それまで人が嫌いだから消去法で残った勉強が、唯一の趣味だと思っていたが、性格を交換した今でも放課後に勉強をしないと落ち着かないのは、性格という領域を離れて拗らせてしまったんだと思う。
図書室への扉を開けると人影があった。放課後の図書室は人の数がまばらで、それこそ僕以外に生徒がいないこともあるくらいだが、その日は、僕がいつも夕陽の光が当たらない机に小湊の姿があった。
僕は、ごく自然に小湊の前の席に座った。こんなに席があるのに目の前に座るのは明らかに故意であることは彼女も分かっていた。
「何か用?」
そう言われて僕は困ってしまった。図らずも僕は何か惹きつけられるようにして小湊の前に座ったのは、話したいとかそういうのはなかった。
「調子はどうだ?」
「そんなことを聞きに来たの?」
「いや、違う。本当は理由なんてないんだ。ここに座ったのはいつも僕が座っている席が取られていたから仕方なく近くに座ったに過ぎない」
「そう」
それだけ呟くと小湊は手元にある本を再び読み始めた。
素っ気ない態度でまるで突き放しているように聞こえるが、僕の性格、ここで言う所の小湊の人間嫌いを踏まえて考えてみると、集中するときに目の視界の端に人が写ることを許すだけでも、まだ良い方だった。
それからは時々、放課後に図書館へ行くと小湊に出会うことがあった。
何を話すわけでもないがお決まりの席で僕が勉強をする傍らで本を読み時間を過ごした。
本を読むこと自体、それが他人との接触を遮断する方法だというように、小湊は人前でよく本を読んでいた。
それはかつての僕が勉強をすることで他人との関わりを遮断する手段と同じだろう。
僕らは、会えば挨拶もしないでただ黙々と向かい合って時間を過ごしていた。
けど、お互いの性格を一番に分かりあえている同士で、友達と話しているのとはまた違う高鳴りがあった。
それから月日は過ぎて、夏休み前の7月の事になる。
僕と小湊の性格を入れ替わってから約3カ月の月日が経った。
それだけ月日が経つと今までよりもはっきりと僕らの性格を交換した影響が明確になっていた。
僕は友達と呼べる人間が初めて出来て、不器用ながらもこれまでよりも笑みを浮かべることが多くなった。
一方で小湊の方はというと、一日の中で彼女と会話をする人がいないことの方が多くなり、ますます孤立を深めていった。
その姿に明るく、誰にでも友好的な性格だったのを小湊の名前から連想する人間は僕以外にいなくなってしまっていた。
そんな小湊について、ある出来事が起きたのは昼休みにクラスメイトが何気なく話していた噂話を小耳に挟んだ所からだった。
端的にその噂について言えば、小湊が嫌がらせを受けているというものだった。詳しく耳を傾けてみると、その内容は苛めとほぼ変わらないものもあって、先生たちもそのことについて問題にしているようだった。
僕は実際にその現場にいたわけではない、けれどその片鱗をみることはあった。
それは、図書館からの帰り。小湊が自分の下駄箱を開けたときに一枚の手紙が入っていた。その内容を読むことはなかったが、小湊の顔が険しい表情になり、その紙を握りしめたのを目撃したことがあった。
「何かあったのか?」
僕がそう聞いても小湊は何も無かったように靴を履き替えて校舎の外へと出ていってしまった。
そんな噂が広がり始めた頃、それは昼休みの時間で、僕は昼飯を飛べようと教室から出ようとしたときだった。
「ちょっと待ってくれる?」と呼び止める声に振り返ってみると、そこにはクラスメイトの白峯朱里が立っていた。身長は女子の平均身長くらいで、長い髪をポニーテールにしている。
強気な性格なのは知っていたが、僕とは一度も会話を交わしたことはない。
だから、最初は誰かと見間違えたのかもしれないと思ったが、どうやらそうでもないらしかった。
「少し付き合ってくれる?」
どうしてかと理由を聞く間もなく彼女は僕の横を通り抜けると廊下をどんどん進んで行った。
ついて行くかどうかを迷ったが、白峯の顔は何か鬼気迫るものがあった。
僕は周りがどう思うか不安には思ったが、遠くで振り向き僕がついてくるのを待っている彼女の背中を追いかけることにした。
それからしばらく、校内を歩きまわり白峯に連れられた先は人影がない旧校舎の階段下でそこに放置されている机やその上に乱雑に置かれている椅子は埃を被っていて息を吸い込むとカビの匂いが鼻を突くような場所だった。
「まさか、こんなところで昼ご飯を食べようなんて誘いをしているんじゃないだろう?」
「大丈夫、要件を話して答えてくれればいいだけだから」
白峯はそう言うと続けて半歩、僕の方に近づいて鋭い視線を僕に向けてきた。
「橋下君は涼花ちゃんについて何か知っているの?」
「涼花って小湊の事か」
「ええ、そうよ。それで彼女の事について何か知っているの?」
白峯はそう言い僕の事を疑い深く、今にも怒り出しそうな表情だった。
「どうして僕が小湊なんかの事を知っていると思ったんだ」
「だって、ここ最近で彼女の傍にいてるのはあなたくらいだし。何か彼女について知っているんじゃないかと思って」
「小湊とはそんなに仲良くはしゃべったりはしていない」
「でも放課後の図書館で二人で向かい合って勉強しているじゃない」
僕はため息を吐き出して放課後に小湊と向かい合っていたことを目の前の白峯に見られていたということ、そしてそれを白峯が僕自身に打ち明けるということに驚いた。
「確かに放課後に僕らが図書室で会っていたのは事実だ。けれど勉強を教えあっていたり、ましてや会話さえしていないんだ」
「そうなの?それじゃあ本当に彼女の事については何も知らないの?」
「ああ、小湊について僕はほとんど何も知らないんだ」
その言葉通り、僕は小湊の性格が変わったというくらいしか知らなかった。
そして、性格の交換について誰にもいうことはなかった。
交換したことを本気になって信じる人間はいないだろうと思ったし、交換したことを言えば、僕と小湊の微妙な関係が壊れてしまい、彼女は本格的に孤立をしてしまうんじゃないかと思った。
「それにしても、どうして隠れるような真似をして僕らのことを見ていたんだ?」
「それは」
白峯は言い淀んだ。
「何か言いにくいことでもあるのか?」
「それは、ないけど」
「じゃあ何で」
何かを悩むように瞼を閉じてしばらく考えると、周りには人影は一人も見えなのに、小さな声で話を切り出した。
「私と凜花ちゃんは高校に入ってからの初めての友達で、彼女からしてみれば私はただの一人の友達なのかもしれないけど、私からしてみれば彼女は大切な友達。それが4月頃から人が変わったように塞ぎ込んでしまった。何かあったのか本人に聞こうと思っても、「何もない」って言われてあれだけ明るかったのに何かあったに違いなと思って彼女の様子を気にかけるようになったの」
そこまで話して白峯は思い切り息を吐き出した。
「あの日から、彼女は孤立を続けている。どうしてこうなったのか、検討もつかない。それに、最近になって彼女に変な噂が立っているし」
「それって、小湊が虐められているっていうやつか」
「ええ、そうみたい」
「まさかその噂は本当なのか?」
「わからない。実際の所、私もその現場を目撃したことはないけど多分小さないたずらみたいのはされてるとは思う」
白峯はそれから彼女の間に噂されていることとして「家族が不幸になったショック」だったり「何か病気を患っている」なんてのも教えてくれた。
少なくとも、現在の彼女の変化についてその全てを知っている僕からしてみれば、馬鹿らしいものだと思った。
「もし、私に出来ることがあれば協力したい。そしてもう一度友達として彼女の笑顔を見ていたい」
切実な表情で何かに縋るように語る白峯の姿を僕は立ち尽くしかなかった。
今の小湊にした原因は何かといわれれば、間違いなく僕のせいだ。
薄暗く埃が舞う場所で、僕は考えていた。
僕はその日の放課後、いつものように図書室へと向かい、先に席に座っていた小湊の前へと座ると深呼吸をした。
彼女の姿を見ていると心がいたたまれなくなることがある。だから僕はこの3カ月、あまり直視することはなかった。
「お前についての噂話を聞いた。嫌がらせを受けているって」
「急になに?」
「本当なのか?」
「もし仮に...」小湊はそう言って前ふりをしてから言った。
「本当だとしたらどうするの。その状況を知って、何かするつもりなの?」
「それは」
僕は言い淀んでしまった。小湊の言うように仮に小湊に関する噂を事実だと知った所で何が出来るのか。いや、直接的に彼らを仲裁に止めることは出来ないだろう。これは小湊と彼らの問題であり、僕が何かをしたところで変わることはない。
だからこそ、僕はある考えを巡らせてこの日、小湊に話しかけた。
「提案がある。もう一度だけ僕たちの性格を入れ替えるのはどうだ?」
それこそ僕が出した答えだった。明らかに性格が変わる前に比べて落ちこぼれた小湊の様子を見て、僕はこの決断に至った。
もちろん、この提案に快諾してくれるものだと思っていた。
けれど彼女から出た言葉は想像とは違った。
「本当に橋下君はそう思っているの?」
「そうさ、だからこうしてお前に提案しているんだ」
「それじゃあ」そこでやっと小湊と目が合った。その瞳は僕をまっすぐに捉えていた。
「橋下君は性格を交換して友達を手に入れた。今までの望んでも手に入れることはできなかったものが多く手に入った。それを全て捨ててまでまた私と性格を交換したいと本心で言えるの?」
その言葉は確かに僕の心を抉り、痛みを伴うものだった。
小湊に僕の弱みを見透かされているように思えた。
それまで、望もうとも望んでも手にれることが出来なかったものを手に入れてから、過去の性格の事を考えるととても惨めな気持ちになることがある。
手に入れてしまった現在、僕はそれを手放してしまうことをどこかで恐れている。
考え込む僕の様子を見て、小湊は続けて残酷に呟いた。
「それに、性格は戻せない」
「もう一度あの方法をすればいいんじゃないのか?」
「性格を入れ替えるのは一方通行みたいなもの、だから再び性格を戻すことは出来ない」
性格を再び入れ替えることが出来なければ、彼女はこのまま一生、捻くれて暗い人生を歩むことになるのだ。それはかつての僕が歩むはずだったものだ。
彼女の姿を見ていると、それはかつての僕がこうなっていたかも知れないという思いに駆られる。直視するのが嫌になってつい視線を逸らしてしまう。
「こうしてみると色々と分かったの」
「何が?」
「かつて私が友達と呼んでいた人たちというのは上辺だけの関係だったんだって。つまりね、人間なんてのは結局は人の事を利用しているだけなんだよ。利用して自分をよく見せたくて、利用価値がなくなれば、すぐに捨てたり逆に下に見下すことで更に自分を確立させようとしているだけなんだよ」
「でも、それでも」
僕は何か否定する言葉を言いたかった。けれど、かつての友達に裏切られ、今では自分の性格を受け止めている彼女になんて言おう。
「いや、違う」
少なくとも僕らは性格を交換したものとして。彼女の性格を考えを捻くれを他人が分からなくとも僕は知っていた。
「そうだ、人間なんてのは結局は他人を貶めてでしか生きてはいけない。けれど結局そんなのは妬みなんだよ。羨ましいけど自分には他人を信用することが出来ないからそうやって自分自身に言い聞せて、怖いから他人と関わらないようにしているだけだ」
「他人の事なんて分からないじゃない。私の何を知っているの」
「知っているよ。お前が僕の気持ちを知っているように。僕もお前のその気持ちは痛いくらいに分かる。だって僕らは互いに性格を交換しているんだから」
それが僕らにとってとてつもない救いのように思えた。
「幸いなことに明後日から夏休みだ。その間なら学校の人間に会わなくていいだろう?」
「一体何を考えているの?」
「性格を元に戻すことは出来ないんだろう?」
「うん」
「元に戻すことは出来ない。けれど性格なら変えることが出来るはずだ」
小湊は言われてもピンとはきていないようだったが僕はその時から考えていた。これは僕にしか出来ない、性格を交換したものにしか出来ないやり方だと思った。
夏休みになり僕たち学生たちは学校という拘束から一時的に解放される。
それは、人間嫌いな例年の僕からしてみれば最小限の人間と触れ合えば良い一番好きな期間だった。
性格が入れ替わった小湊も同じようで夏休みの初日から僕が用事を作り外に出させたことに対してとても不服に思っているのはその様子から分かった。
「どうして、夏休み初日から会うの?」
「性格を戻せないなら、その捻くれた性格を直せば良い。この夏休みの間に人間嫌いを払拭していければと思ってな」
小湊は少し怒っているのか、被っていた帽子を目深に被りなおして視線を逸らした。
僕は彼女の性格を彼女以上に知っている。だからこそ僕に出来ることはその段階を作り人を好きになれない性格を直していこうと思った。
その為に僕はわざわざ夏休みの初日から小湊に会い克服の一歩を初めようとしていた。
待ち合わせの公園の日陰のベンチに腰掛けて昨日考えた一日の行程を僕は思い出すと立ち上がった。
「それじゃあ行こうか」
小湊の、といっても元は僕の人間不信を直すのはそう簡単なことではないのは自分自身が一番知っている。だからこそ僕は順序立てて人に慣れさせようと思った。
まず初日のこの日、僕らは街の図書館へと行った。人と関わることは極端に少ないこの場所は僕が好んでいたのもあるから小湊も別に拒絶をすることなく一緒に向かい合うとお互いに山のように出された夏休みの宿題をした。
次の日は図書館に加えて近くのファミレスに行った。注文などは僕がしたおかげで小湊も特に嫌悪感を示すことはなかった。これがつい3ヶ月前の事だったら僕と小湊の役回りというのは逆になっていたのだろう。そう考えるとなんだか不思議な気分だった。
一日の終わりには集合場所の公園のベンチに座ると小湊と会話をした。
互いの性格以上の事を補完するように例えば家族構成のことだったりや好きな本の話や癖の事だったり、話を続けるのは最初は難しかった。
けれど僕らは元々通じる共通点が多くあって、性格は対照的な僕らだけど、作家は村上春樹が好きだったり、音楽はキースジャレットが好きだった。
「どうして、橋下君は人を嫌いになるようになったの?」
ある時、何気ない会話の中で小湊がそんな話題を振ってきたことがあった。
僕は少し躊躇いながらも過去の話を思い出した。
「小学生の頃に僕は地元の野球チームに入っていたんだ」
「なんだか想像できないけど」
「ああ、両親が特に父親が野球が好きだったから半ば無理矢理にやらされたんだ。それで、野球をしていたんだけどある試合の事さ、僕はその日ひどく体調が悪くてね、けれど人数も足りないから出るしかなくなったからこっちにボールが飛んでくるなと願ったんだけど、その願いも空しく僕のところにボールが飛んできた。頭上に降り注ぐ太陽の日差しにボールが隠れたし体調も悪かったせいもあって飛んできた球を僕は掴むことが出来なかったんだ」
その時の事を思い出すと、僕は胸が苦しくなった。
すでに遠い昔の事なのに、今でも思い出すとあの時の緊張感が伝わって手に汗が滲んだ。
「そのせいもあってか、その日のチームは試合に負けたんだ。そこで僕らのチームメイトは争いが始まったんだ。何が悪かったのか、誰が悪かったのか、人を名指しにして批判していった。とても気持ちのいいものではない。
そこで、僕が指名されてそのエラーが悪いということで話は決着した。
ほんの小さな出来事かもしれないけど、僕にはそれが人間不信の始まりになったんだ。それからというもの僕は人の事を嫌いになっていった。嫌いなものっていうのは嫌いでいると更に嫌いになっていくもんだろう。そして、食べ物が時間が経過すると腐っていくように、人との交流を閉ざした僕も時間の流れとともに確実に腐っていったんだ。それが捻くれてねじ曲がり歪んだ僕の性格を作りあげていったんだ」
小湊は僕が話している間は憮然として、視線を自分の足の上で握られている両手を見つめていた。
今の彼女が何を考えて、何を思っているのかは分からなかった。やがて、視線を横にいる僕へと向ける。そこには最初に出会った時の小湊の面影を彼女から感じた。
「今なら橋下君のその気持ちも分かる気がする。きっとそれは性格を入れ替える前だと分からなかったんだと思う」
「それは」
その感覚には僕自身も身に覚えがあった。
「僕も今なら過去の小湊の気持ちを完全ではないけど分かる気がする」
人と関わるということは、それだけ人間関係に悩まされることもある。
きっと、優しい人間ほど悩むんだろうと思う。
そんな二人で性格を直す日々を過ごして気づけば8月に入り、僕らは夏祭りへ行くことになった。
といっても僕が性格が変わったのは最近の事だから、これまでの人生の中でそういった不特定多数の人が集まるイベントごとは避けてきたせいで夏祭りで小湊を上手く助ける自信が無かった。
そこで僕はその日のうちに携帯電話の電話帳を開いてある人物に電話を掛けた。
待ち合わせの場所はいつも通りの公園のベンチだった。そこに現れた小湊は浴衣を着ていた。彼女の話によると母親が夏祭りに行くというと着せてくれたそうだ。
きっと久しぶりに積極的に人の前に出る娘の姿を喜んでの事だろうと勝手に思った。
「行かないの?」
合流してからも動こうとしない僕の姿を見て小湊は言った。僕は携帯の時刻を見て「もう少し待ってくれ」と言った。
その時、遠くの公園の入り口から人影が微かに僕の名前を呼んだ。
「遅くなって悪いな。歩きだと少し遠いんだ」
「いや、別に良いさ」
そう言ったのは柳だった。その隣には白峰の姿もある。
二人は僕が事前に声をかけて誘ったのだが、視線を小湊に移してみると二人の姿を見て少し罰が悪そうな顔を浮かべながらも視線が合うと小さな声で「よう」と言った。
「それじゃあ行こうか、祭りの会場まで」
僕らは歩き出して夏祭りの会場である最寄りの神社まで向かった。
歩いている途中、小湊は僕の裾を掴んだ。
「どうして二人がいるの?」
「僕はこれまで人間嫌いで夏祭りなんてのは避けてきたんだ。だからどういう風に楽しめばいいのか分からない、だから二人に頼んだんだ」
「だからって」
「これも人間嫌いを克服していくためさ」
人嫌いの性格を直すためには、人を信頼することも必要だ。
少なくとも小湊は親友であった人間から裏切られたのだから、もう一度、誰かを信用することは難しいだろう。
けれど、確かな友情や信頼と言ったもののつながりが無ければ、いくら人混みに慣れたとしても、いつまでも日陰の下を歩いているのと同じようなものだ。
小湊はそれ以上何か言いたげだったが言葉を言うのをやめて素直についてきた。
夏祭りの会場は近くの神社で、そこには多くの家族連れから中高生の姿が境内の石畳を挟む出店の間を埋め尽くしていた。人それぞれ浴衣だったり洋服だったりを提灯の明かりの中で微笑んでいる姿があった。
前を歩く柳と白峰は人込みを気にすることなく出店を巡っていく。僕らはそれについていくようにして、提灯の下をくぐっていった。
今までの人生で僕がずっと避けてきたはずの人混みの中に自分自身が溶け込んでみると、自然とそれを受け入れることが出来た。
思っていたよりも、僕は人並みにこうしたイベントを楽しめるようになってきたんだろう。
けれど、やはりまだ人ごみの中に長くいるのは僕も小湊も得意とはしていなかった。
「大丈夫か」
道の途中で膝に手を付いた小湊に手を差し伸べた。
少しつらそうな表情を浮かべる、彼女はその手を握り返すか困った表情を浮かべていたが、やがて諦めて手を掴んで体を起き上がらせた。
「ありがとう」
そんな僕も人の波に圧倒されて、少しだけバテていた。
「少し休もうか」
白峯がそう言うと出店が挟む石畳をまっすぐ行き僕らは神社の本殿の階段に腰掛けた。
「二人ともこんなのでバテて大丈夫かよ」
「ああ、悪いな。しばらく休めば何とかなるはずだ」
「凜花ちゃん、大丈夫?」
「ええ、ちょっと人酔いしただけだから」
僕ら4人は石段に座りながら夏の夜空を見上げていた。そこから見える夏の大三角と天の川は蒸し暑い夜の中でも瞬いていた。
風は穏やかで汗でべたついた服が気持ち悪い。
「なぁ、小湊」
最初に話かけたのは柳だった。
「こうしていると昔の事を思い出すよな。一緒に話したり、どこかに行ったりして」
「そうかもね」
「俺、お前に謝らなきゃいけないな。中学の時に手を差し伸ばさなきゃいけなかったのは俺だったのに何もできずに今までお前の事を忘れていたみたいに接して。本当に悪い」
その言葉に小湊は何も返事をしなかった。けれど、柳は話をつづけた。今思えばその時に僕は何か嫌な予感がしていたからその時に止めればよかったんだろう。
けれど、それもすでに遅かった。
「凜花ちゃんの様子が最近おかしくて私心配で」
柳につられるようにして白峰が話を切り出した。
「何か悪いことをしたなら謝るから。だからお願い、もう一度、あの時の小湊ちゃんに戻って」
「小湊、もし良かったら、もう一度あのときのように俺と友達になってくれないか」
二人への返事は冷たいものだった。小湊はその場から立ち上がると柳と白峰から僕へと視線を向けた。
「ずるいよ、そんなことを言うなんて」
それだけ言うと暗闇に溶け込んでいくように石段の上を下駄の音を立てながら人ごみの方へと向かって行ってしまった。
白峰は後を追いかけようとした。けれど僕はその腕をつかんだ。
それを察してか白峰はそれ以上は追いかけようとせず、再び境内の階段に腰掛けた。
「虫が良すぎるのは分かっていたんだ」
「分かっているさ。小湊も今は少し気が滅入っているんだ」
「凜花ちゃんに悪い事しちゃったな」
茫然とする白峰は顔を俯かせて今にも泣きそうなのを我慢するような声でつぶやいた。
「悪いのは僕さ」
それだけしか言えなかった。残されたのは夏の蒸し暑さと、小湊と僕らに溝が出来てしまったということだった。
夏祭りの夜から小湊に連絡を取っても返事が返ってくることはなかった。
いつもの公園のベンチに腰掛けて、いくら待っても姿を現すことはなかった。
ただ夏休みが過ぎていく。あれほど集中していた勉強も身が入らず、ただぼんやりと過ごしているとあっという間に一週間という月日が過ぎて世間ではお盆に入り、騒がしい街も静かになった。
もうこれ以上は無理なのかもしれない。僕が始めた小湊の性格を直すということも結局は罪滅ぼしだと勝手に思っていた自分勝手で抱いていた感情も都合の良いように捉えていたように過ぎない。
僕はその一週間の間に色々な事を考えていた。過去の、性格を変える前の自分を思い出し、僕がそれまでしてきたそれまでの行動について考えるようになっていた。
そして、僕はこの一週間の間、柳と小湊の二人から小湊の話を聞いた。
話では小学生の頃の小湊は今の、と言っても性格を交換する前の時のように誰から見ても明るい生徒というわけではなったようだ。
それが中学を上がる頃から明るくて誰にも分け隔てなく話すような性格になったのだという。
その変化は確かに喜ばしい事なのかもしれないけれど、けどもしかすればそれは偽りの小湊の姿であって本当は今のような人を寄せ付けないのが小湊自身の本来の姿なのかもしれないと柳は語った。
そして白峯の方は高校に入ってからの小湊の事を話した。
誰にでも人当たりが良い小湊は多くの人に好かれていて、友達も多かった。けれど、ある意味で目立つ彼女を利用しようとする人間が現れたりや、そうした彼女の事を邪魔者扱いする人間もいたようだ。
「私は、小湊ちゃんに取ってみれば大勢の友達の中の一人に過ぎないのかも知れない、だけど私にとっては彼女は大切な人なの、こんな私でも一度でも友達だと思ってくれたから、私は彼女が困っているなら役に立ちたいと思っているの」
白峯は最後に力強い瞳で僕に言った。
お盆も終わりになる頃、小湊から電話があった。
「いつもの公園で待っています。午後3時に」
一方的にそう伝えると電話を切られてしまった。時計の針はもうすでに2時を過ぎていて、僕はすぐに体を起き上がらせて公園へと向かった。
街は閑散としていて公園内にも人の姿はまばらだった。入り口からしばらく舗装された道を歩いていくとやがて日陰にあるそのベンチに座る小湊の姿があった。
隣に腰掛けてからしばらくは僕たちの間に会話はなかった。何を話すのか決めかねているといった方が正しいかも知れない。それでも話を始めたのは小湊の方だった。
「あれから一週間連絡しなくてごめんなさい」
「別に気にしてないさ」
そこで一旦会話が途切れる。沈黙の間に公園の噴水の音と蝉の鳴き声が耳のあたりでよく聞こえた。
「それより、僕の方こそ悪かった。自分勝手に小湊の性格を直そうだなんて考えて連れまわすようなことをして、もう僕はお前が嫌なら関わらないようにする」
「私はこの性格になって、人の醜さだったり欺瞞を痛いくらい知った。他人に関われば裏切られるかもしれない。傷つくかもしれない。だから他人と関わらなければ良い」
その言葉を僕はどこかで聞いたことがあるように感じた。いや、聞いたことはなかった。けれど、それは紛れもない性格を変える前の自分自身の考えだ。
僕は小湊の言葉に重ねるように言葉を紡いでいく。
「人と関わらないようにすることで小湊には何が分かった?」
「人と関わるようになって橋下君は何が分かった?」
問いかける。それは一人では答えが出なかったもの。
人間を好きになれない僕と、人間を嫌いになれない小湊。正反対の僕らが性格を交換したからこそ辿りついたもの。
「人を嫌いになるのも、人を傷つけるのも簡単だ。だけど、だからこそ、傷つけても嫌らわれても許し合える人間を僕は信じてみたいと思ったんだ」
僕らは互いに目を見つめ合った。今まで言葉に出来なかったものを言ったその時、心は確かに一つに重なり合った気がした。
足元からしっとりとした風が吹ういて、ふと空を見ると遠くの方に見えた入道雲が近づいてきた。木々を揺らしたその風が過ぎると上空で雷鳴が響く。夏の夕立が僕らに向かって近づいてきていた。
僕と小湊はベンチを立つと公園の出た所にある、屋根付きのバス停へと避難した。
「橋下君」
「大丈夫か、濡れなかったか」
「うん、大丈夫だけど」
そこで、小湊の手を握りしめていたのに気づいた。
「あ、悪い」
僕は急いで手を放したが、小湊は再び僕の手を握り返した。
その手は雨に降られたのに暖かった。
「この前の夏祭りの時に手をつないだでしょう。その時に気づいたんだけどこうしていれば人混みの中にいても少しは大丈夫みたいなの」
「本当か?」
頷いた小湊に僕は思わず握っていた手を強く握り返した。
通り雨はやがて止み、雲の切れ間から夏の日差しが射し込んできた。すると、それを合図に公園には再び多くの人の姿が見えた。
僕は暖かくなった小湊の手を握ったまま、公園を歩いて人の集まる場所につれていった。
心臓の音が高鳴るのを感じ、握っていた手に力を入れて人々の群れの中を通り過ぎていく。
「本当に大丈夫か?」
「ええ」
小湊は大きく息を吸い込んだ。
同じように僕も息を吸い込んでみる。すると心臓の鼓動は徐々に和らいでいった。
どうやら、小湊だけではなく僕も本当に手をつなぐことで人混みの中の恐怖心も良くなるようだった。
「今度、二人にも謝らないと」
雨の滴がぽつりと落ちてくるのを眺めていた。
「そうだな、お前には良い友達がいるんだから、大切にしないとな」
その日から再び僕らの夏休みの人間不信を克服する日々が再び始まった。
人間嫌いの根底にあった人に対する恐怖心を徐々に和らいでいくために僕らは人ごみの中をわざと歩いて行き、人が集まり場所に行ってみた。例えば水族館に行くことで少しずつ人に慣れていったり、遊園地に行ってみたり、とにかく人の多い所にいき、人への恐怖心をなくしていった。
もし、人混みに耐えられなくなったときにはお互いに手を握り合い、互いに支え合うことで段々と人間嫌いを和らいでいく事にした。
それから、もう一つ。僕は電話で柳と白峯の二人を呼び合わせた。
集合場所に選んだ、あの夏祭りの会場である神社の境内に現れた二人は小湊に会うとすぐに謝ろうとした。けれど、先に頭を下げて謝ったのは小湊の方だった。
「この前はごめんなさい」
二人とも驚いて、下げようとした頭を上げて小湊の方を見た。
「謝るのはこっちの方だ」
「そうだよ、私たちの方こそ身勝手に思いあがって、小湊ちゃんの為とか言って嫌なことをして」
「ううん、私二人の事を間違っていた。こんな状況になったから私に優しくして近づいてきたのかと思っていた。けれど、違う。二人はこんな状況でも私の事を嫌わずにいてくれた。むしろ感謝しないといけないのに」
小湊は二人の顔を見て再び謝る。
「言い方とかそういうの全然考えずに言ってごめんなさい」
「そうだ、あんなに都合の良いこと言ったんだから謝るのは俺たちだ」
三人して謝り続けて、いつまでもそんな調子が続きそうだ。
「三人ともそろそろ謝るのは終わりにしたらどうだ。それじゃあいつまでも仲直りとは言わないぞ」
「確かに、橋下の言う通りだな」
三人は顔を見合わせると少し笑みを浮かべた。
暫く、笑みを浮かべていたが途中で咳払いをして小湊の方を見た。
すると、小湊は笑みを浮かべるのをやめて静かに一回深呼吸をすると口を開いた。
「柳君、朱里、詳しい事情はあんまり言えないんだけど。今の私は別に私が望んでこうなったの、だから前までの、偽りの私に戻ることはないと思う」
その言葉に二人は傷つく可能性もあった。
けれど、再びこの場所に来るだけの二人にはそれだけの覚悟みたいのがあったんだろう。
「それがどうした。俺はそんなんで人を気にしない」
「私も、今の凜花ちゃんでも構わない」
柳と白峯はまっすぐに小湊を見つめて言い返した。
「小湊、お前にも良い友達がいるじゃないか」
僕にそう言われて小湊は少し微笑んで頷いた。
こうして、夏休みの中旬からは4人となって小湊の人間嫌いを直していく事になる。
「明日、4人で宿題をしないか」
夏の日差しが強くさして日に当たる中、僕は提案をすると他の3人も頷いて僕の家に集合することになった。
どうして、僕の家なのかは、昼間は両親が共働きで空いているからだった。
翌日、時間にになると夏休みの宿題を持って3人が僕の家のチャイムを鳴らした。
「橋下の家って案外和風なんだな」
「なんだそれは」
「でもなんか橋下君っぽいよね」
それぞれを部屋に通すと、座布団の上に座らせて早速、残っている夏休みの宿題に取り掛かった。
僕と小湊は二人でよく勉強をしていたから、残りの数はわずかとなっていたが、柳はまだまだ多くの宿題を残していた。
「お前、これ本当に夏休みに終わらせるつもりはあったのか」
「さぁな、そこは神様しだいだ」
「いや、そこはあんた次第でしょうよ」
そう言っている白峯は残り半分くらいというくらいだ。
「そう言って、朱里さんも半分残っているけど終わるのかい?」
「私は、部活もあって忙しかったから」
「二人ともとりあえず手を動かせ」
そう言って、僕らは勉強を開始した。
すると早速、二人は分からないところに躓いたようで頭を悩ませ僕と小湊が気付くように目配せした。
僕は一旦、手を止めると二人が解いている問題を見た。
「ここは、この数字を代入すればこうなるだろう」
シャープペンシルの先で式の数字を指しながら説明をしたが、どうやら二人には中々伝わらなかったようだ。
「ちょっと、待ってね」
見かねたように小湊はそう言って立ち上がると、二人の間に入り、余白に問題の解説をする。
「ここを、こうして数字の2を入れて...」
小湊の教えに二人は、うんうんと頷いた。
確かに2人で勉強をしるときは気づかなかったが、小湊の方が僕よりも教えるのが上手い。
思えば、僕は誰かに勉強を教えるということ自体は性格を交換する以前は体験をしたことが無かったから教え方を知らないのは当然ではあるが。
それ以前にこうして誰かを部屋に招くことだって、勉強を共にすることだって昔では考えられなかった。
しかし、今ではそれをこの4人でいられる時間に楽しさすら覚えているなんて、不思議な気分だった。
僕らはとりあえず午前中いっぱいを使って夏休みの宿題に取り掛かった。その間どこか分からないことがあれば小湊に聞いて、それでも分からなければ僕に聞くという一連の流れが出来ていた。
「とりあえず今日はこのくらいで良いか」
「あー、疲れた。けどおかげで宿題もそろそろ終わりそうだわ」
皆疲れてその場で横に転がり込んだ。時間を見てみるとすでに夕方になっていた。
お昼を食べたり、所々で休憩をしたとはいえかなり長い時間やっていた。
開けていた窓から風が吹き込むと、風鈴がなるのと同時に肌に触れた。
「少し寒いな」
「もう、夏も終わるしな」
そう言われて、僕は改めて部屋にかけてあったカレンダーを見た。
人間嫌いを直す日々は過ぎて、夏休みも残り一週間を切っていた。
「そうだ、これ夏休みの最終日にやるみたいなんだけど皆で行かない?」
そう言って白峯はカバンから取り出して僕らに見せてきたのは隣町で行われる花火大会のポスターだった。
「これ毎年やっているやつだよな」
「そう、最後の打ち上げ花火がすごいやつで、みんなで一緒に行かない?」
僕が目配せをすると、小湊は首を縦に振った。
「それじゃあ8月31日にね」
「ああ、分かった」
僕は花火のポスターを見つめた。
隣町で毎年、夏の終わりに開催されているこの花火大会は海岸で行われ、何万発と打ち上げらることで全国的にもそれなりに知名度がある物だった。
ポスターの写真にはその最後に打ち上げられる大きな花火が使われていて、とても幻想的な雰囲気が伝わる。
その光景を想像していると、夏祭りの時の着物を着た小湊を思い出した。
あの時の小湊の姿は嫌そうな表情をしながらも、いつもより明るい顔がとても印象的だった。
「楽しみだな」
僕は寝転びながら瞼を閉じる。風鈴の音と同時に再び夏の終わりの冷たい風が触れた。
花火大会の日まで、僕らは夏休み最後の休みを満喫していた。
四人でプールに行ったり、ショッピングモールに行ったり。夏を詰め込んだような日々を過ごした。
そして、夏休み最終日のその日、隣町までの電車に乗り多くの出店と人の間を縫って花火が見れる場所を歩いて探した。
因みに小湊と白峯は、いつかの夏祭りに着ていた浴衣だった。
「二人とも似合うな」
柳がそう言うと二人は少し照れくさそうにした。
「しかし、人が多くて場所を見つけるのも大変だな」
「そしたら二手に分かれて探そうか」
言われて、僕と小湊、柳と白峯で分かれることになった。
「人がすごいけど大丈夫そうか?」
僕が手を差し出すと小湊は手を握った。
「大丈夫」
少し息を整えているが、どうやら大丈夫そうだった。
僕らは人ごみを避けながら歩きながら、良い場所が無いかを探した。
「ねぇ、橋下君」
「うん?」
「こんなに楽しい夏休みは初めてだったよ」
「奇遇だな、僕も同じだよ」
握った手を強く握り返された。その手から心臓の鼓動の音も聞こえてしまいそうな気がした。
「私ね」
小湊が良いかけた時だった。目の前からの人の波に飲み込まれて繋いでいた手が、紐を解くように離れた。
「小湊」
僕の呼ぶ声に返事をしようとした小湊が、人の群れの中に流されていった。
反対に僕は後ろからくる人に押されてしまい、やっと人の波から出た時には元にいた場所から随分と遠くに引き離されてしまっていた。
小湊の名前を呼びかけて、周りを見渡してもその姿は見当たらない。
僕は急いで携帯を取り出すと電話をかけた。
「つながれ、つながれ」
どれだけ通話をしても電話には出ない。
焦る気持ちを抑えて、僕は柳に電話をかけた。
「柳、小湊とはぐれた」
「分かった、こっちでも探してみる」
「悪いな。助かる」
僕は携帯電話を乱暴にしまい込むと走り出した。
有名な花火大会ということもあって、かなりの人が見物に訪れていた。その中から小湊を見つけることが出来るだろうか。
焦る思いの中で辺りを見渡してもそこには見知らぬ顔がいくつも側を通るだけで、小湊の姿を見つけることは出来ない。
もし、僕ならばどうしただろうか。もし、小湊ならどうするだろうか。
連絡がつかない、これだけ人がいるならばきっと人があまりいない場所に行くだろう。
僕は海岸沿いに波止場があることを思い出した。小湊は多分そこにいるだろうと思った。
人の波を縫っていきながら僕は駆け出していた。
波止場は打ち付ける波の音以外の音がなく、空はすでに暗くなって辺りは止みに包まれていた。
「小湊」
叫んでも聞こえる声は無かった。ここにはいないのかも知れない。そう思った時だった。
「橋下君?」
声の方を振り向くとそこには波止場の端に座っていた小湊の姿があった。
「小湊なのか?」
「うん、私だよ」
僕は近づいてその姿を確かめた。どうやらケガもしていなさそうで、その場で立ち上がると心配する僕と対照的に何事も無かったような表情をしている。
「携帯に電話したんだぞ」
「あ、ごめんなさい。今日浴衣だから巾着袋に入れてて気づかなかった」
そう言った次に小湊は僕を見て微笑んだ。
「橋下君なら見つけてくれると思ったから」
その言葉の瞬間、夜空に一瞬の光が暗闇の空に瞬き消えていった。
それを追いかける隣の小湊を見つめる。打ちあがる花火の音と心臓の音が混ざった。
「綺麗」
夏の夜空を見つめながら小湊の瞳が色鮮やかに輝いた。
「小湊」
その声に、小湊は花火から僕へと視線を傾ける。
「性格が正反対の僕らはそれ以外に接点がなかったんだろうから話すことはなかったかもしれないな」
「そうかもね。少なくとも性格を交換しようと思わなければ今こうして一緒に花火を見ることもなかっただろうね」
「性格を交換する前よりも状況は良くないのかもしれない。けど得たものはかけがえのない物のような気がするんだ。性格を交換して、人を嫌いになれないのはそれだけ人の嫌な所も認めるということだ。それは良い事かもしれないが、それだけ大変な思いもする」
「私も、性格を交換したことで気づいた。人を好きになれないのは人に悩まされることはない。けれど、人とのつながりをなくせばきっと大切なものが見えなくなる。
全員の人間を好きになることは難しいと思う。だからすべての人を好きになる必要は無くて、大切にしたい人を大切にしていけたら良いんだと思う」
「そうだな。本当に人を信頼するのも好きになるのも難しい、だからこそそれが可能な人との関係の大切にしていければと思う」
「ねぇ、橋下君」
名前を呼ばれて僕は小湊の目を見つめた。
次の瞬間、僕の唇に優しい唇が重なる感覚。それと横目に映る花火が小湊の閉じた目を淡く映し出した。
顔が離れると小湊は照れくさそうに柔和な笑みを浮かべた。
そうやって小湊の笑みを見たのは久しぶりな気がした。
「そろそろ戻ろうか。朱里と柳くんも心配しているだろうし」
僕は振り返った小湊の手を繋いだ。温かな体温を感じるのを強く握りしめた。
「もう離すなよ」
「うん、ありがとう」
夏の花火は闇夜に溶けるようにして光っては消えていった。
「二人とも心配したんだぞ」
柳と白峯と無事に合流をすると、僕と小湊で頭を下げて謝った。
「ああ、悪い心配かけて」
「ごめんなさい」
僕らの謝りに二人とも笑みを浮かべているようだった。
「まぁまぁ、二人とも反省しているんだしさ。それより、花火見ようよ」
白峯が指をさした空を見ると、そこにはさっきとは打って変わって赤い花火が頭上高くに打ち上げられていた。
僕ら4人はその花火にすっかり見惚れてしまった。周りから上がる歓声につられて声を出そうとしても、感動をして声が上手くできなかった。
「3人ともありがとう」
不意に呟かれた、その言葉に僕らは小湊を見つめる。
「俺の方こそこんな楽しい夏休みは久しぶりだ」
「私も、この4人で夏休みを過ごせて良かった」
「ああ、本当にこんな楽しい夏休みを過ごせたのは初めてだ」
人を好きになれない僕と、人を嫌いになれない小湊が性格を交換した所から始まった僕らの関係。
捻くれた性格を直すために始めた夏休みの不思議な関係は、途中からは4人となっていった。
今思えば、性格を交換する前の僕からは想像も出来ないくらい色々な時間を過ごすことができて、友達も出来た。
性格を交換して、人との繋がりについて一番気づかされたのは僕だったのかもしれない。こうして、いる時間が何よりもかけがえのないものだと強く感じた。
こうして、僕と小湊の性格を交換した夏は終わりを告げて、9月になり新学期が始まった。
教室の中に入ると夏休み以来の再開を喜ぶクラスメイトの騒がしい声が聞こえてくる。
その中でも、小湊は相変わらず本に向かっていて、クラスの中で孤立していた。
僕はその姿を見つけると、相変わらずだと思いながらも真っ先に近づいた。
「おはよう」
本から視線を変えた小湊は、僕を見つめる。
そして、ささやかな笑みを浮かべた。
「おはよう」
その様子を見て周りの人間たちは驚いた。
彼女がこんなに明るい表情をクラスメイトの前でするのは、性格を交換してから初めてだった。
「よう、二人とも」
「凜花ちゃん、橋下おはよう」
そう言って柳と白峯も会話に入ってきた。
僕ら四人は他愛もない話で盛り上がる。主に白峯と柳が話して、僕らに会話を振ってきてくれる。そんな時間が心地よく感じた。
昨日、再びキスをして性格が戻ることはなかった。けれど小湊は今までの、もしかしたら性格を変える前の彼女よりも本当の表情を見せているように見えた。
おしまい。
人を好きになれない僕と、人を嫌いになれない彼女 ゆずこしょう @si-na_natsu
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