膨大な時間に生まれたミステリー

「人が見ているものの中には錯覚もありますよね?

でも、錯覚もうちは真実だと思うんです。

ですから、真実だと思いますが、

違ゃいますか?」


「確かに深く広い意味では真実と言えば真実じゃな。

しかし、わしが言いたかった意味合いは少し違うんじゃ。

アテンションスキーマ注意力模式の仮説は一度説明したが、

大切なのでもう一度復習するぞ。

 人間の脳には膨大な情報が入る。

しかしな、そのすべてが生存に有用とは限らん。

仮にすべての情報が意識に到達するとすると、

脳の処理能力がオーバーして脳はクラッシュし、

場合によっては時間と空間の因果的な認識すら壊すおそれさえある。

じゃから、ほとんどの情報は脳が常にブロックしていると言われておる。

そうやって潜在的な生存本能にとって優先順位の高い部分しか認識できないようにしているんじゃ。

人間が自分の意識だと感じているのは

意識として考えうる領域のうち ほんのわずかにすぎん」


「どうしてそう言いきれるんですか?」


「これから話すのは空間としての考察のほんの一例じゃが……。

ロボットの目を研究していた研究者がいてな。

その研究者はあるときロボットの目用に『人が描いたスケッチ画から立体を読みとる』プログラムを開発したのじゃ。

そして、試しに騙し絵や不可能立体をみせてみたそうなんじゃ。

すると・・・」


「すると、どうなったんですか?

もったいぶらないで早く教えてください!」


「谷はどうなったと思う?」


「え、うちですか?

うちは、『そんな立体は無い』っていう答えが当然返ってくると思いますけど……。

違ゃいますか?」


「わしもそう思った。

しかし、結果は違うんじゃ」


「え!?

違ゃうと言いますと!?」


「ちゃんと作れる立体として認識してしまったんじゃ!」


「そんな馬鹿な!

それ、ホンマですか!?」


「本当じゃ。

そして、その研究者はある疑問に行き着いたんじゃ」


「疑問・・・ですか?」


「そうじゃ。

人間の目には作れそうにないものがコンピュータでは作れるというその不可解な結果。

そこから、

なぜ人間は作れそうにないと判断してしまうのか?

とな」


「でもっ、ちょっと待ってください!

それはコンピュータが間違ってたか、

それかうちら人間が考えていた不可能立体がそもそも不可能ではなかったか、

そのどっちかなんでしょ?」


「わしの支持するその研究者の意見はこうじゃ。

人とコンピュータとでは想定する、つまり

見えている世界が違うということなんじゃ」


「見えている世界?」



「立体をある一方向から見て、画面に投影して二次元の図形にすると、奥行きの情報が抜けてしまうな。

ある二次元の絵から、それと同じように見える立体を復元しようとすると、答えは1つではなくて、無限の可能性があるんじゃ。

奥行きの部分に自由度があるからな。

 絵を見たとき、コンピュータは方程式を立てて立体を探すのですべての可能性を列挙できるんじゃが、人間はすべての可能性には思い至らずある特定の立体だけを思い浮かべてしまう。

そして、そのある特定の立体が実際には作れないものだった場合、

人間の脳は先入観から『その絵は間違っている』という判断を下してしまうんじゃ」


「え〜と、つまり人が認識する段階で抜け落ちてしまう部分があるということですか?」


 「そうじゃ。でもな、それは人間の脳がコンピュータに比べて劣っているということでは無い。

生きていく上では、その方が人間にとって都合がいいからなんじゃ」


「うち、その意味わかります!

例えば網膜に映ったある画像を見て、目の前の立体が本当はどうなっているのか調べるときに、いろんな可能性があるというのを全てチェックしていたら、時間ばかりかかって仕方ないですよね。

自分が一歩進んだときに、物にぶつかるかどうかの迅速な判断ができなくなってしまいます」


「そうじゃな。その状況下で最も可能性が高そうな形を人は原始的な本能から瞬時に認識してしまうんじゃ。

人が猿として野生で暮らしていた頃は、生きていく上でそれは本当に重要な能力だったのかもしれんな。

ところで、余談じゃが、

谷はボルツマン脳問題を知っているか?」



「はい。え〜と確か、人間のような自意識ある存在が多次元宇宙のランダムなゆらぎから突然生まれた可能性を考えるものですよね?」


「そうだ。

量子論はな、最小量のエネルギーが時折分子を発生させることがあると教えてくれるんだよ。

すなわち、無限の時間さえあれば宇宙すら存在しない何もない空間から自意識を持つ脳だけを発生させることも確率的に起こり得るんじゃ。

脳が作り出す意識は膨大な数の確率から成り立っておる。

さて。

ボルツマン脳の話からは離れるが、

膨大な時間内での確率という意味では自己複製という特徴を持つ遺伝子の起源も確率に深く関わりがあるんじゃ。

谷はRNAワールド仮説は知っておるか?」


「はい。

単独では自己複製出来ないdnaではなくて、

リボザイムという単独自己複製可能なrnaが遺伝子の起源かもしれないという仮説ですよね?」


「そうじゃ」


「丘先生?

ところで、膨大な時間内での確率って言うのは無機物の分子から遺伝子、つまりリボザイムが誕生した

ということですよね?」


「その通りじゃ。

スタンレー・ミラーの実験は有名じゃな。

太古の地球の大気と似たようなガスをガラス管の中で循環させ、そこに電気放電を繰り返した。

すると、無機物のガスからアミノ酸などの生命を構成する有機物が生まれたんじゃ。


「無機物に強い刺激を加えると、生命の基礎であるリン脂質やアミノ酸、糖や塩基、リンなどの有機物が生まれる可能性があるんじゃよ。


わしの考える遺伝子誕生のシナリオはこうじゃ。

はじめに「糖」「塩基」「リン」が集まり、

核酸といわれる遺伝情報を担うリボザイムが生まれた。

長い歴史の中で、そのリボザイムのなかにたまたま生命を作るのに適した情報をもつ分子が生まれた。

いつの頃からか、リボザイムの役割をリボザイムが変化して生まれたDNAが受け持つようになった。

リン脂質ができ、外界とを隔てる「膜」という境界線が生まれた。

アミノ酸が生まれ、そのアミノ酸が集まり、生命の部品となる「タンパク質」が生まれた。

タンパク質は筋肉や酵素、ホルモン、抗体などのほとんどの生命の部品を作るようになった……」


「丘先生、ちょっといいですか?」


「どうした、谷?」


「生命の素になる分子が誕生する流れはわかりました。

ですが、場所はどこですか?

深海の熱水噴出孔とかですか?」


「わしもな、生命の素になる分子の一部は深海の熱水噴出孔で誕生したと考えておる。しかしな……」


「他にもあるんですか?」


「ある。

生命の素になる分子の多くは、

地球から離れた遠い宇宙からもたさられた可能性が高いんじゃ!」


———————————————————————

【登場人物】

•谷先生

•丘先生

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