ベナンダンテ:白銀の女王

The.Snow.Queen.

第1話 運命の変動者

 あの出会いは運命なのか、必然なのか。私には分からないけど、でも。

 大きく人生を変える出来事だった。


***


 見慣れた森の入り口で町の子ども達が石を投げてくる。子どもの手でも投げられる石は小さいけど、それでも当たると痛い。殴られる感覚に似ている。ざらついた石の表面は私の肌を傷付け、赤い線を引いていく。

 子ども達は石を投げるのに飽きたらず、殴る蹴るの暴力まで私に加えていた。

「おい! そいつに触ると赤眼がうつるぞ!」

 一人がそう叫ぶと他の子ども達は甲高い声を発しながら、その顔に笑顔を浮かべて私に触れていた男の子から逃げて行く。

 彼らにとってその行動は痛めつけるのではなく、遊びの一環だった。小柄で力も弱い私は、ただ涙を流しながら止めて、と懇願するしか方法は無かった。


「母さんが言ってたぞ! 赤眼は人間じゃないって!! 人狼だって!」

「ここから出て行けよ!」

 恐怖に従順で素直な子どもには、私が異質な存在だという事実が殴ることに対して罪悪感を生まない。また殴られる、そう思った瞬間、私の上に影が降り立った。


「やめろよ」

 まだあどけなさの残る少年の声。白銀のふわふわな髪は日に当たって輝いていた。私は助けが来たことよりも、目の前の少年の美しさに心が奪われていた。いや、私だけじゃない。私を痛めつけていた子ども達もだった。

 私を殴ろうとした男の子の胸倉を掴んで、白銀の少年は静かに告げる。同じくらいの背格好なのに、男の子の足が浮いていた。彼にそこまでの力があることにも私は驚いた。

「やるか? 次は俺が相手になってやるぞ」

 きっと本能で感じ取ったのだと思う。“彼には勝てない”と。白銀の彼が地面に投げ捨てるように男の子を離すと、みな一目散に逃げて行った。


「あんた、大丈夫?」

「う、うん……」

 振り返った彼は不思議な色合いのグレーの瞳に好奇心と私を浮かべ、形の良い唇で笑った。

「俺は赤い眼、かっこよくて好きだ」

 好きだ、と言われたのは私じゃなくて私の目なのに。何故か胸が弾んで体が熱くなった。


 私の心を占めたのは、白いふわふわの狼のような男の子だった。


***


 部屋中に鬱陶しい目覚ましの音が響く。目を閉じたまま、音源である時計のボタンを押す。

 ゆっくりと瞼を開けると、窓のカーテンの隙間から陽光が差し込んでくる。

 朝。壁にかけてあるカレンダーを見る。ディア暦1818年4月20日。

 私の初仕事の日だ。


 顔を洗い、髪を結う。鏡には不安げな表情で金色の髪を編み込んでポニーテールにする、赤眼の少女が映っていた。


「ひどい顔……しっかりしなきゃ」

 私は今日からハンターになる。人狼を狩る専門者。人狼狩りのプロ。

 たるんだ頬を両手で叩き、私は鏡を見つめた。


 食堂に着くと既にアンドレイとミレーナがいた。桃色の癖のある髪をおかっぱに、同じ色の瞳とそばかすがアンドレイだ。双子の妹のミレーナは桃色の髪をハーフアップにまとめている。

「お姉ちゃん、おはよう!」

 赤眼が来たぞ、と近くで囁き合う声をかき消すようにアンドレイは私を呼んだ。彼のボーイソプラノの声は特徴的で離れていてもよく聞こえる。

「ブランお姉ちゃん、昨日はよく眠れた?」

 ミレーナはサンドイッチを頬張りながら、私を見上げた。

「まあまあね」

 私はこんがり焼けたベーコンとふんわりした卵焼きを口に含んだ。RRHの料理長こだわりの卵は何もつけなくても美味しい。敷地内にある鶏が生んだ卵をその日のうちに使っているのだ。RRHは対人狼に特化した治安維持組織だ。正式名称はRed Riding Hoodで、世界中に支部があるが私が所属する総本部はラフィエ王国の首都フィーネに位置している。


「連続失踪事件、未だに詳しい事は分かっていないみたいね」

 私は机上に置かれたRRH発行新聞の一面を見ながら呟いた。2年程前から起きている連続失踪。犯人は人狼だという噂があるが、まだ詳しいことは分かっていない。アンドレイとミレーナはびくりと体を強張らせ、不安そうな表情を浮かべた。


 双子のきょうだいと朝食を済ませた直後、建物内をつんざくような音が響き渡る。

『出撃命令です。アクトの街で人狼が出現。第4部隊、第7部隊、出撃準備を』

 繰り返します、と事務的な口調で指示が繰り返される。

「あたし達の出番ってわけね」

 ミレーナは渋々といった表情で立ち上がった。


 私達は急いで食堂を出て、ゲートに用意されていた車に乗り込んだ。


 命令にあったアクトの街に到着すると、既にニコライ隊長が到着していた。いつも笑顔を絶やさないニコライ隊長はとても四十路過ぎには見えないが、実力は折り紙つきでRRHにもまだまだ数少ないデヴァイナーだ。

 デヴァイナーは人狼の動きを読むことが出来る能力を持つ。人狼が何人いるか、誰が化けているのかを判別することができ、別名占い師とも言われている。このRRH総本部にもそうそういない。

「ブランシェット、アンドレイ、ミレーナ。通報にあった狼はアクトで強盗を働き、それがバレた騒ぎでえらく精神が高ぶっている。現在は身を隠しているが、いつ狼狂になるか分からない。心して動くように」

「了解ラジャー」

「第7部隊と共同とはいえ、アクトは広い。小隊に分けて捜索する。ブランシェットとアンドレイペア、私とミレーナのペアで行動する。狼を発見したら通信をしてくれ」

「はい」

 座学でやったのは、部隊は基本ハンターとシンパサイザーで構成される。シンパサイザーはシンパサイザー同士で離れていても状況を送り合う事が出来る。部隊の通信手段を担っているのだ。そして、ハンターが人狼を狩る。これが基本の部隊編成。しかし、私が配属された第4部隊はハンターの私、シンパサイザーのアンドレイ、ミレーナ。デヴァイナーのニコライ隊長で構成されている。私達の部隊は総本部でも初のデヴァイナーが指揮する部隊ということで、能力面や性格面からの適性を重視した構成らしい。デヴァイナーが指揮しやすいように、隊員同士の相性を重視したものなんだとか。あくまでも噂ではあるものの、私はこの部隊が好きだ。


「では、任務開始」

 ニコライ隊長の合図に、私とアンドレイはニコライ隊長ペアとは反対方面の捜索に向かった。

 アクトの街は首都フィーネに近い街で、住人もそれなりにいる。人々は人狼が出たことが恐ろしいのか、家に閉じこもっているため、人気が全く無い。おかげで捜索がはかどる。

 人の気配が無いからだったのか、ふと見覚えのある姿が目に入った。白銀の短髪で背の高い男性。

「……グレイ?」

 今は任務中だし、しっかりしないと。しかし、どうしても気になって視線を戻してみると誰もいなかった。


「お姉ちゃん!」

 走っていると後ろからついてきたアンドレイが呼んだ。

「ニコライ隊長が狼見つけたって! ここから11時の方向だよ」

「了解」

 ミレーナから情報を受け取ったアンドレイに言われた方向に行くと、ニコライ隊長が人狼と対峙しているところだった。


 ニコライ隊長の武器であるナイフが指に挟まれている。ニコライ隊長の微笑みの先にいる男性も目を血走らせ、牙を出し、唸っている。臨戦態勢だった。

 肌に突き刺すような空気、油断できない時間が流れている。私はニコライ隊長の隣に立ち、毛を逆立てる人狼に静かに告げた。


「大人しく投降しなさい」

 尻尾や耳がもう出始めている人狼は、唸りながらも返答する。もう完全形態になるのも時間の問題だ。そうなる前に出来るだけ被害が少ない方法で捕えたい。

「お前らRRHが人狼を殺さないで済むわけがねぇだろうが」

「大人しく投降すれば殺しません。信じて、お願い……貴方を殺したくない」

「うるせえ!」

 彼は叫ぶと完全形態に入った。人間の皮膚からは毛に覆われ、手は前足に、後ろからは尻尾、顔は狼のそれに変化していき、大きく立った耳があちらこちらに動き、音を拾っている。唸り、牙を見せると地面を蹴って私達の方へと突進して来た。


「気をつけろ!」

 ニコライ隊長の声が響く。人狼は私を狙って走って来る。

 私はレッグホルスターからリボルバーを2丁取り出し握った。撃ちたくなんかないけど、牽制にはなるかもしれない。しかし、人狼はおかまいなしに牙を向けて来た。

 腕を狙って飛ぼうとした瞬間、足払いを掛ける。バランスを崩した彼は、石畳の道を転がった。


 私は地面を蹴りあげ、距離を縮めると彼の腹部に蹴りを入れる。人狼は呻き声を上げたがすぐに態勢を立て直し、今度は私の首元を掴もうと手を伸ばしてきた。私はしゃがみ込み、みぞおちを狙って立ち上がる。私の頭が彼のみぞおちに勢いよく当たった。骨が当たり、脳に波がくる。

 彼に反撃の機会を与えないように、私は拳銃のグリップエンドでこめかみをぶつ。右足に力を入れ、くるりと回転しながら左足で彼の顎を蹴りあげる。ひるんだ彼に全身の力で体当たりをした。


 大きく後ろに飛ばされながら地面を転がっていく。

 立ち上がろうとした瞬間、彼の後ろ足に縄がかけられた。

「やった!」

 アンドレイお手製の罠だったらしい。物陰からアンドレイがガッツポーズをした。人狼は多数を相手にしているせいか、みるみるうちに興奮していく。アンドレイの罠を千切り、再び私に向かって来た。

「ブランお姉ちゃんに手出しはさせないわ!」

 柔らかな声でミレーナが鞭で人狼の顔をはたく。勢いよくぶたれた部分は皮膚が裂けてしまっていた。


「糞が……クソッタレがアァァァア!!」


 大きく遠吠えすると牙の間から大量のよだれを垂らし始めた。手足が震え、爪が地面を抉る。目は焦点が合っておらず、フラフラと視線を彷徨わせている。

「様子がおかしい……」

「狼狂か」

 ニコライ隊長が静かに呟く。これが狼狂……? と聞くまでもなく、人狼はなりふり構わずこちらに向かって来た。応戦していたミレーナを飛ばし、突っ込んでくる。

 かわそうと身を翻すが、様子がおかしい人狼の方が素早かった。一瞬で間合いを詰め直し、そのまま体当たりされ、私は反動で地面を転がった。

 まるで馬車に突き飛ばされたかのような衝撃だった。鈍い痛みが体を支配する。手に持っていた2丁拳銃を握り直し、銃口を向ける。狼狂がどういうものなのか分からないけど、彼に私の言葉はもう届かない事は分かる。このまま撃つしかないのだろうか? もっと良い方法が、助かる方法があるかもしれない。


 考えを巡らせる頭を振り、私は人狼を見つめグリップを強く握る。撃てば彼は死ぬ。

 ――本当にそれで良いの?

 幼い自分の声が頭に響いた。私の迷いを鋭く咎めるように。


 そこからの景色は時計の針をゆっくりと動かしたかのように見えた。

 人狼の大きな牙が目の前まで迫り、同時にこめかみを槍が突き刺していた。一瞬で命を奪われた人狼は、血の海に亡骸となって横たわる。

 死んだ。死んでしまった。


「おい、コーリャ。お前の隊員は狼狂した人狼を殺せないのか?」

「彼女は初任務なんだ。仕方がないだろう」

 第7部隊の隊長が私を蔑むような、下品に笑った。ニコライ隊長は少しだけ表情を硬くして、第7部隊長から私をフォローしてくれた。

「役立たずの腰抜けが部隊にいるとは、災難だったな」

「よせ、セリョージャ」

「ふん」


 私は人狼だった“モノ”にもう一度目を向けると、そのまま意識を手放した。


 それからどうやって自室に戻ったか記憶はなかった。

 人狼が死んでしまったこと、狂ってしまったこと、全てが衝撃的で今も悪夢を見ているかのようだ。


「今日はゆっくり休むと良いよ」

 部屋まで送ってくれたらしいニコライ隊長の顔を見る。不安げな表情をしていたのだろう、出て行こうとした隊長は私に向き直った。

「狼狂というのは、文字通り人狼が狂ってしまうことを言うんだ。理性なんかないし、敵味方の識別さえ出来ない。目につくもの全てを喰らう。そうなってしまえば元に戻せないし、救う方法は殺すしかない」

「殺された人狼は……強盗の証拠なんてありませんでした。本当はやっていないのかもしれない、でも誰かに人狼だってバレてしまった……証言で何とでも罪を被せられる。本当は死ぬ必要なんて無かった人物かもしれない、普通に生きていただけなのかもしれない。私はそんな彼を撃って良いとは思えませんでした。あの時、足を撃っていればあんなことにはならずに、RRHに収容されただけかもしれないのに……」

「ブランシェット、これからこの仕事を続けるには切り替えが必要なんだ。デヴァイナーは、狼の位置や化けている狼を判別できる代わりに、欠点があるんだ」

 ニコライ隊長は少しだけ悲しそうに微笑むと、いつもの笑みに戻って続けた。


「1つは判別できる範囲が限られていること。もう1つは“彼らの声”が聞こえること。私も初任務は衝撃的だった。理性はないとはいえ、感情が入ってくる。痛い、助けて、いじめないで、ってね」

 もしかしたら今日の彼もそんな気持ちだったのだろうか。

「1週間寝込んだよ。まるで自分達が悪者になった気分だった。私達RRH、特に人狼を狩るハンターは人間からは英雄視されている。正義の味方だと思っていた。でも……その声を聞いた時は本当にそうだったんだろうか? ってね」

 ニコライ隊長はそっと息を吐いた。

「私にも生活があるし、私の人生がある。進むには犠牲が必要なのかもしれない、と言い聞かせて毎日を過ごしていくといつの間にか切り替えられるようになった。任務で人狼が死んで、最期まで声が聞こえていても、“あれは仕事だった”って。ブランシェット、君はとても優秀だ。感受性が高い。だが、その特性が君の首を絞めないようにするには、いつだって割り切る事が必要なんだ。不器用な人間ほど生きにくい世界だから」


 今度こそお暇するよ、とニコライ隊長は出て行った。私は扉に頭を下げ続けながらずっと考えていた。

 何が正解だったの? 私はどの選択をするべきだった?

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