再生

仲村戒斗

第1話

 現在置かれている状態において、彼は不満を抱いている。なぜなら意識が覚醒した直後、目の前にあったのは金属の壁面だったからだ。

 ただ目の前に見えているだけではなく、体が固定に近い状態だ。壁面は眼前から1ftも離れておらず頭部を左右に振る事もできない。だが幸い、情報処理のアシストを行うインタフェースメニューが視界を埋め尽くすかのように表示されていた。活動中は常に装着しているコンタクトレンズタイプのガイドコンピュータだろう。突然意識を失い、拘束されたと推測する。


 視界だけでは状況の把握ができない、まずはメニューから身体状態を示す項目を選ぶ。その情報によればやはり彼の体は、丁度収まるサイズのコンテナに入っている。まずは外に出なければと脱出を試みた。

 規定サイズ以上のコンテナには大抵、人間が誤って閉じ込められたときの為に内側から開錠できるよう安全装置が備わっている。もちろんこのコンテナも例外ではなく、ほとんど動かない空間の中でわずかに手を動かしてレバーを動かす。そうすると蓋が開きコンテナは解放される。

 彼は外に脚を踏み出して無事に出られたことに安堵。しかし新たな問題が見つかり気分を害した。


「一体どういう事だ」


 視界が開けた事によって明確になったのは、今動かしている体がロボットだという事だ。

 なぜロボットを遠隔操作しているのか、彼にはさっぱり見当がつかない。確かによくよく確認すれば、表示されているインタフェースが遠隔操作機用のものだ。閉じ込められているという異常事態によって冷静さを欠いていたようだ。

 自身の肉体を眠らせ、意識だけロボットに移行させて稼働している状態。それなら会社規則として画面上には行うべき目的情報が表示されているはずだが、それすらなかった。

 目的が分からない以上、無意味に意識を移しているのは問題だ。ただちに報告を行わなければならない。彼は接続解除のコマンドを探す。遠隔操作用の画面表示とまるで違うから見つけるのに苦労する。

そうして探す事数分。見つからないと匙を投げたのとほぼ同時に、ある事に気がついた。


「オフライン?」


 視界の左上。初めから表示されていたもののはずだった。しかしオンラインである事が当たり前であったから認識するのが遅くなったのだ。それは表示されていてはおかしいものの筆頭。遠隔操作はオンラインでしか成立しない。オフラインになることがあれば構造上ロボットの操作は不可能になり、意識は肉体に戻る。その前提は覆す事ができないのだ。

 そうであるならこれは遠隔操作ではなく、神経接続型パワードスーツか、と思い接続解除のコマンドを探そうとするも、あれだけコマンドを探したのだ、例え接続方法が違ったとしても結果が変わるわけないじゃないかと苛立って壁を殴る。

 コマンドが見つからない理由はなんだと彼は機体情報をようやく参照する。機体ナンバーはLORAS-W50。

 見たことはない機体だったが、構造の骨子は彼の務める会社のものだ。他の部署による新型なのだろう。全長180cmの自立型。この機体に人間を仕舞い込むスペースなどない。つまりパワードスーツではないのだ。


 ……それが分かったところで状況打破の手だてが見つかるわけではなかった。通常こんな事に陥る可能性はゼロなのだから、対策なんて知るはずはない。自分の体や他の職員を探す必要があるだろう。宇宙ステーションにいる理由も知りたい。彼は機械の体を動かして歩き出す。

 人気のない宇宙ステーション内を見ていくうちに、彼は違和感を抱く。物が散乱しすぎている。

 量で言えば大したことはない。しかし不慮の事故が起きるため極力物を通路におかないようにしているのに、いくつかのコード、機材のパーツや破片が散らばっていた。周囲からの音感知がさっぱりないのも異常だ。個人部屋や倉庫を見ても散らばっていて、誰もいない。ただ共通しているのは、避難するため急いで飛び出したかのような荒れ具合だということだ。

 状況的にはこの宇宙ステーションは既に稼働していないと見ていい。だが円満な終了ではなく、何らかの緊急事態が発生して唐突に放棄されたとしか思えない。彼は放棄と自身に起きた”事故”の理由を確かめるため歩を進める。

 やがて通信や管理システムが集まっているメインルームへとたどり着いた段階で、彼はようやく自分以外の存在と出会う事ができた。


「久しぶりに他人と顔を合わせられて嬉しいです」


 椅子に腰かけていた人間の男はそう言って機械である彼の来訪を喜ぶ。


「助かった。人を探していたんだ。他には全く見かけなくてね」


 人がいるということはこのステーションはまだ放棄されていない? 単独での運営テスト、もしくは一人を残して地球に帰還、そのような可能性が予想されるがまだ安心できる段階ではない。


「あなたの名前はなんですか? 私はハーフェブ。皆からはハーブと呼ばれています」


 個人認証が完了しハーフェブの情報が視界に表示される。Halfeb=naithecut、AI開発部の人間らしい。


「見ない名前だな。俺はアレキスタ・ダルトリー。訳あってこの体に閉じ込められているんだ。元の体に戻るのを手伝ってくれないか」


 元の肉体に戻りたいアレキスタは早速助けを求める。


「アレキスタ。閉じ込められている、とは? 状況説明をお願いします」


 機械の体に閉じ込められて苛立ちを抱えているアレキスタと温度差のあるハーブに溜息の音声を漏らす。


「おい、ハーブ。見れば分かるだろ? 遠隔操作のロボットに接続されてるんだ。でも何故かオフラインになってる。接続解除のコマンドも見つからない。俺にだって理由がわからなくて困っているんだ。どうにか解除の方法を一緒に探してくれないか」


 察してくれよ、と思いながらアレキスタは簡潔に説明する。ハーブは少し考える仕草をしてから首を傾げる。


「お手伝いは喜んでお引き受けいたしますが、アレキスタの状況認識が事実と異なっているようですね」


 ハーブの返答が予想と違ってアレキスタは困惑する。事実と異なる? いやそんなことはない。自身の置かれている状況はそれ以外に理由がないはずだ。


「そんなはずはない。俺の認識は正しい。何が異なっていると言うんだ」


「あなたが現在動かしているマシンは遠隔操作用のものではありません。AI搭載の非支援型ですよ。外部操作は一切受け付けないように設計されています」


「何を馬鹿な」


 ハーブの言葉は的外れだとアレキスタは一蹴する。


「仮に外部操作を受け付けないように設計されているのなら、できるようにパーツを変えているに違いない。そうでなければ説明できないぞ」


「オフラインなのに? オンラインでしか遠隔操作は不可能だとよく分かるでしょう? 開発環境に身を置いているあなたなら」


 それは、とアレキスタは口を噤む。

 アレキスタの所属するシステム開発部では遠隔操作、自動駆動のプログラム設計製作を受け持ち、自社製品の挙動であれば分からない事はないと言ってもいい程のエンジニアだ。

 オフラインで接続が切れるという絶対の安全装置が作動していない事の意味は重々承知のはず。視界に表示されるインタフェースも見知ったもの。最悪の可能性を疑わなかったわけではない。ただ想像もしたくなかったのだ、それを。


「違う。何かの間違いだ。あってはならないぞ。起こり得るわけがないんだ。倫理的にも、法律的にも不可能だ」


「技術的には可能ですが、ね。そして今成功例を目にしている」


 ハーブの視線はずっとアレキスタに注がれている。頭を抱える彼に酷く冷静な声音でハーブは事実を外堀から埋めていく。


「信じたくないでしょうが、ミスターアレキスタ。あなたは機械の体に意識を移植された状態にあります。もしあなたがAIではなく人間であるのならば」


 ハーブの言葉にアレキスタは二重の意味でショックを受ける。自身の身に起きた絶望的な出来事と、他者から見れば人間のふりをしたAIと区別はつかないのだと。


「俺は人間だ! AIなんかじゃない! はめられたんだ! 誰か知らないが恨みを持った誰かに移植させられたに違いない!」


 怒りを声に変えて音割れを起こしながら発散する。叫ばずにはいられないのだろう。

 アレキスタの怒りは最もだ。現在、機械に意識を移植する行為は法律で禁じられている。法整備が整う前は遠隔操作と並び未来の技術として注目されていた。しかし、移植したことによって死亡、または精神崩壊する事例が相次いだり、技術を利用して大量殺人が発生した事にって封印された。


「その気持ち、察します。さぞ苦しいでしょう。しかし曲がりなりにも開発に関わっているAIを貶める発言は頂けません」


「お前に心はないのか! こんなふざけた状態だってのに冷静な顔して言葉の批判しやがって!」


「仕方ないでしょう、私の性分なのですから」


「はっ。俺はお前と相性が悪い」


 アレキスタは荒々しく椅子に腰かける。椅子の痛む音が鳴ったが、比較的軽量的に設計された機体であるためか破損までは至らなかった。


「で、俺はどうしたら元に戻れる? 何故宇宙ステーションにいる。それにハーブしかいないのであれば助けを呼びたい」


「元に戻れる方法について、私は対応しかねます。専門外ですので。あなたが現在ここにいる理由も私には対応しかねます。そして救難信号は既に出しております」


 救難信号を出している、と言う言葉にアレキスタは安心すると同時に現在の状況が異常である事を認めていた。


「アレキスタに質問ですが、本来の体は一体どこにあるのですか?」


 怒りで目的を一つ失念していた。意識を機械に移植しているのであれば本来の体はどこにあるのだと。目的は分からないが、肉体が保存してあると仮定してどこに置くか? アレキスタは遠隔操作のオペレーターと偽装すると仮定する。


「そう、それだよ。マシンのコントロールシステムはどこにある? ここにはないようだが」


「ええ、そう言うと思いました、コントロールルームのカメラを映します」


 そう言ってハーブはキーパネルを操作してモニターに監視カメラ映像を表示する。

作業用マシンの遠隔操作コントロールルームは基本的にメインルームとは別個に存在する。アレキスタが歩いてきた通路にはなかったということは別の方向だ。


「……誰もいない」


コントロールルームの管理用カメラ映像をモニターに映すハーブ。しかしそこには誰も映ってはいない。


「はい。誰もシステムを使っていません。なぜならこの宇宙ステーションには私しかいませんから。私がいるのにコントロールシステムを動かせるはずがありません。だからアレキスタが現れて驚きましたよ」


 まるで驚いていない表情で言われても反応に困る。期待して立ち上がったアレキスタは拍子抜けして再び椅子に腰を下ろす。

 その後もハーブはカメラをいくつも切り替えてステーションのあらゆる場所を映すがどこにも人の姿はない。


「ということはつまり、俺は移植された状態でここに運ばれたということか」


「その可能性が高いと思われます」


 アレキスタは溜息をつく。実際には溜息のような音だが。この状態は通常有り得ない。人間の意識をロボットに移植するというのは法律違反だ。行ったと露見すれば会社は大きな制裁を受けるだろう。リスクがとても大きい。もし生体実験を行うなら人間以外の動物を行うはず。秘密裏に他部署が行っていたとして、人体実験となった段階で唐突に移植技術を知らない他部署の人間を実験に使うとも思えない。会社が行った結果では有り得ないため、やはり怨恨による線が怪しい。


「苛立っていますね、アレキスタ」


 一通り確認を終えたハーブは、席に戻りアレキスタと対面するように体勢を整える。元に戻るための手伝いを行ってくれた事に一応、アレキスタは感謝した。


「当然だ。肉体から切り離されて正気でいられている事を褒めて欲しいくらいだ。そもそも移植されたあと、元の体はどうなる? 既に再生不能に陥っているなんて冗談でも聞きたくない。安否が心配だ」


 意識を機械に移植している状態をアレキスタは詳しくない。人体がその状態になった場合どういったリスクを負うのか判断材料がなく最悪の結果を想像せざるを得ない。


「意識の移植について、社内で噂を聞いた事がありますが、大きく二通りあるようです。対象者の思考パターンを解析してプログラム化、機械に入力。体は焼却その他破棄、もしくは有事の為に冷凍保存。もう一つは意識のプログラムを移植しますが、本人はそのまま。自身のコピーを作るわけですね。ただ、移植技術は実験段階で凍結されてしまっているので正しい意味での運用はされていません」


「実験段階で凍結、ね。その実験が世紀の大事件になるとは誰も思わなかったわけだ。ま、俺もガキだった当時、実験が始まったってニュースを見てワクワクしたけどな」


「本来なら夢のある素晴らしい技術のはずでしたからね。法律で禁ずるまでになるとは誰も想像していなかったでしょう。選択肢の一つとして現在も使用される可能性がありました。今のアレキスタのような。ところでアレキスタは、自身に起きたのはどのパターンだと思いますか? 肉体が破棄されたのか、冷凍保存されているのか。それとも本人として活動しているのか」


 それはアレキスタの感情を逆なでするような質問だったが、怒っても無駄だろうと判断して応える。


「冷凍保存だと嬉しいところだ。もし本人として動いてるのであったなら……本物を眠らせて記憶を移植するさ。破棄されていたら……どうだろうな」


 発言しながら、主観的、客観的感情を合わせて自身の状態を考えてアレキスタは過去の自分を戒める。当事者になって初めて理解した。意識自体にも人権は付随するべきだと。

 以前、登場人物が似たような状況に陥るSF作品を鑑賞した際、移植した意識なんてただの偽者、さっさと消してしまえばいい。気にする必要はないと友人に感想を述べた記憶がある。もし目の前で同じことを口走る者がいたならこの拳で殴り飛ばしていた事だろう。

 人間とほぼ同じ可動範囲があり、違和感なく動かせる体はストレスフリーだ。ただのアウトソース先であったのなら。本来の肉体と成り替わった場合はその限りではない。機械の体が全てだとすればストレスフルだ。


「安心するためにも、早く原因を突きとめなければいけませんね」


 ハーブは一層真剣な表情に引き締めて事の重大さを表現する。


「ああ。救難信号の件についてだが、まだ反応はないのか? 発信してから暫く経つだろう」


 メインルームに来てから、ハーブの様子を見るに出会った最初に信号を発したとアレキスタは予想する。


「それなら心配いりません。私が救難信号を発したのは昨日のことです。既に救援は向かっているんですよ」


 その返答にアレキスタは返答に窮する。昨日? なぜ? 俺が助けを呼んでほしいから呼んだわけではなかったのか。


「いいえ、アレキスタが助けを求める以前に、私自身が助けを求めたんです。なにせ、この宇宙ステーションは放棄され、取り残されるわけですからね。それに現在は通信機器は全て破損しています」


 やはりここは放棄されていた。人がいないのはハーブが単独で運営していたからではなかったのだ。


「なんてこった。救援が来ているのならいいが、陰謀の臭いがするな。一体何から手をつければいいやら」


 この状況に陥る前の記憶が全くない事も不信感を募らせる。やましい理由があるからに違いない。アレキスタに残る最後の記憶は開発作業を定時まで行い、自宅に帰りシャワーを浴びて食事をし、そして就寝した。普段と変わらない平和な日常だ。

放棄した宇宙ステーションに捨てれば見つかることはないとでも思ったのだろうか。


「だが、目論見が外れたわけだ」


 ここにはハーブがいて、現在救援が向かってきている。いずれ事件は明るみになり、犯人は見つかるだろう。アレキスタの体も。


「ところでハーブ。なぜ放棄された宇宙ステーションにいるんだ? 取り残してしまうなんて杜撰な仕事見たことがない」


 宇宙ステーションで働く職員はそう多くなく、当然誰が在籍しているか把握されているはずだ。簡単に紛れ込めるような場所ではない。アレキスタは宇宙ステーションでの業務を行ったことがないため、どういう管理をしているか分からないが通常起こり得ないことだけは分かる。


「まず始めから説明した方がよろしいでしょう。私はここで開発成果物の実証を行っていたのですよ。AI搭載の非支援型、アレキスタが動かしているマシンと同等のね。いくつもの実証を重ねて五年と六ヶ月、二十一日と三時間十分を経てようやく実用に耐えうる機体を完成させるに至ったのです」


妙に細かい数字だとアレキスタは辟易する。律儀すぎるのは苦手だった。


「完成すれば勿論地球に送り、量産ラインの確保、製品発表と仕事は山積みです。三十二人中、十三人の同僚は機体を連れて帰る、その手はずでしたがこの宇宙ステーションに欠陥が見つかったのです」


「欠陥? そんな話聞いた事がないぞ」


 宇宙ステーションに欠陥があれば大問題だ、大騒ぎになる。しかし同じ会社に所属するアレキスタの耳には一切届いていなかった。という事は意識を機械に移してから目覚めるまで、アレキスタが思っているよりも長期間経っているのかもしれない。体感ではついさっき就寝して、起きたところなのだ。しかし機械の体である以上、起動させなければいくらでも時間を空ける事ができる。アレキスタは気にもしていなかった機械らしい機能を認識して、もし生の肉体であれば気分が悪くなっていただろう。そんな考えを巡らして、生の肉体であればそもそもこんなことを悩まなかったと矛盾を抱える。

 そして最後に眠ったとき、その日が何年の何日なのかさっぱり思い出せない事が分かった。ただ思い出せないわけではない。ここまでくれば確信できる。アレキスタは記憶を消されているのだ。


「プログラム上に再現した人格、記憶のデータを一部削除するのは容易ですからね。当事者にとって都合の悪い要素は取り除いたのでしょう」


 人間の脳から記憶を消すということは事実上不可能だが、機械に移植するプログラムならいくらでも改竄可能だ。全くの別人としてプログラムする事だってできる。

 ゾッとする話だ。実際にアレキスタはゾッとする事ができないが。


「それで、欠陥が見つかってどうなったんだ」


「結果は見ての通り。全ての職員が避難しました。これまた見ての通り私はここにいますが。ご存じでないアレキスタに欠陥がなんだったのかと言いますと、二酸化炭素除去装置が長期運用に耐えきれなかったのです」


「修理もできないほどの欠陥だったのか? エンジニアは?」


「死亡しました。発覚したのは二時、就寝時間です。四つの部屋に二酸化炭素が充満し、八名の職員が亡くなったのです。本社のエンジニアから指示を仰ぎ修復を試みましたが、部品交換で賄える段階ではなく装置の大部分が腐食していて機能を果たすことができません。そうして残った二十四人の職員は宇宙船、脱出艇を使ってここから離脱することになります」


 にわかには信じられない話だった。


「私もおかしいと思い原因を探りました。すると驚く事に、仕様とは異なる部品が使われていた形跡があるのです」


「装置の欠陥は意図的なものだと?」


「そう考えるのが妥当かと思われます。腐食が酷く、解析は困難でしたが原因はその部品で間違いないでしょう。除去装置の設置時点からタイマーをセットしていたのか、設置した時点で融解が始まっていたのか知るすべはありません」


「いつなのか、は今重要じゃないだろう。誰がやったのかだ。俺達がここで足止めを食っている原因を作った者と同じはず。おいおいおい、とてつもない陰謀が渦巻いている。まだ序の口だぞ、もっと酷いことが起きる」


 アレキスタは頭を抱える。もはや怨恨の域を越えているのではないか? 怒りよりも恐怖の方が勝っていくのを感じた。同時に電子パターンは人間のときと変わらない気持ちの悪さを表現し、ロボットの体であることを忘れそうになる。


「このままであればより多くの人達が亡くなることでしょう。アレキスタ、あなたはこの事を明るみにしなければならないでしょうね」


「勿論だ。必ず元に戻り、陰謀を暴く」


 それが事件に巻き込まれた者の役目だ。


「それで、ハーブ。取り残されたのはなぜなんだ? それにのんびりしている様子からまだ時間の猶予はあるようだが、早く脱出しなければ危険だろう」


まだ話の途中だった。二酸化炭素除去装置が大破したのならステーション内の空気が正常になることはない。いずれこの部屋も二酸化炭素が充満するはずだ。


「取り残されたという可能性がある場合、考えられるのは陰謀によって意図的に取り残された。他の職員皆に共謀されたわけです。不明ですが、なにかしらの理由があって。しかしそうではない。この宇宙ステーションから脱出した人数は二十四名。生存していた職員の数は二十四名。矛盾はありません」


「ハーブが残っているだろう。俺は恐らく別件で運ばれているだろうからカウントされないのだろうが」


「アレキスタ。申し訳ございませんが、あなたにひとつ、大きな嘘をついていました」


「嘘? 一体なんだ」


「救援は、あなたを助けに来ません」


 ハーブの一言にアレキスタは衝撃を受ける。ずっと疑おうとも思っていなかった。


「説明してくれ。どうして来ないんだ? 通信機器が融解の影響を受けて使えなくなったのか?」


「いいえ。救援はもう必要ありませんから。この宇宙ステーションは二酸化炭素除去装置の欠陥が見つかってから百日を経過しました。既に生身の人間が活動できる余地はありません」


「それはおかしい。現にハーブが生存して……」


 つまり、アレキスタは思考を巡らせる。目の前の男、ハーブ。その姿から人間だと思い込んでいたが、科学技術が発展した今人間そっくりのロボットを作ることは可能だ。むしろ一般にも普及している。自身の境遇と合わせて考えればその可能性はとても高いと思えた。

 ハーブはアレキスタと同じように、意識を機械に移植している元人間なのだ。目的が実験なのだとすれば被験者は多い方が望ましい。そうでなければ二酸化炭素が除去できない空間で生きられないはずだ。除去装置が壊れた事自体が嘘かもしれない、と空気の状態を確認すれば確かに二酸化炭素濃度がとても高く呼吸は困難となる。

 ハーブが機械だとすれば救援が必要ない理由も合点がいく。最新型のロボットでも、設計データさえあれば放棄したって仕方がない。人間の職員が無事に脱出を終えているなら納得だった。


「いくら緊急信号を発したとしても、ロボットしかいない放棄された宇宙ステーションにやってくるコストを支払う気はないというわけか。起動する前に全て終わらせられていた……こんな耐え難い屈辱は初めてだ」


 アレキスタは今までの人生を振り返って嘆く。順調に、幸せに生きてきた。この会社で働いていくのは難しいが、やりがいも感じていた。俺の開発したマシンで世界がアップデートされていく感覚は最高の気分だった。


「だが、諦めるつもりはない。ハーブ、脱出の手助けをしてくれ。同じロボットのよしみだ」


 機械の体になってしまったのは不本意だが、ハーブと運命共同体になっている今、ある意味心の支え染みた感覚があった。ロボット特有の信号を発しているのかもしれない。

 すぐにアレキスタを仲間だと明かさなかったのは疑問だが些細な問題だ。重要なのはこの状況を打破するアイデアを考えることなのだから。

 しかし、二人で脱出を考えるアレキスタをよそにハーブの返答はそっけないものだった。


「いいえ、アレキスタ。私はロボットではありません。一緒にしないでください」


 アレキスタは全身のセンサーがショートするような錯覚を味わう。


「ハーブ、お前はロボットだろ? 俺と同じように意識を機械に移された。二酸化炭素が除去できない環境で生きていられる人間は皆無だ。それに言語能力がAIにしちゃノイズがある。この場にはロボットしかいないからここに取り残されても救援がこない。ロボットはまた作れる」


「いいえ、私はロボットではありません。この体に機械部品は使われておりませんよ、あなたがマシンに意識を移す前、機械部品を埋め込みたがらなかったように」


 互いの認識が噛み合っていなかった。機械部品を埋め込みたがらなかったというのはその通りだったが、その話はしたことがない。アレキスタとハーブはつい先程出会ったばかりのはずなのに。


「記憶がない、というのは恐ろしいものです。正解が初めから見えているのに認識することができない。我ながら酷なことをしました」


「何を言っている……?」


「あなたが探し求めている自身の体は今見えている私の体ですよ。正真正銘のね」


「面白い冗談だ。俺が自分の体を間違うはずがない」


 どうしてすぐに分かる嘘を、アレキスタは笑う。


「そうおっしゃるのなら思い出してみてください。自分がどんな姿をしていたのか」

 有り得ないと思いつつアレキスタは過去のデータを呼び出す。昨日就寝前に見た鏡、ガールフレンドと撮った写真。鏡は毎日見るし、写真も暇を見つけては眺めている。それなのに、不自然なほど自分の姿が思い出せない。これっぽっちも。恐怖心が湧き上がっているパラメータを観測した。


「メモリーデータとなって容易に編集が可能になり、アレキスタの容姿に関するデータは全て削除させていただきました。寒気がするほど簡単でしたよ。人間達はこうやって機械のデータを編集するのだと」


 平然と人権を踏みにじる発言を述べていくハーブにアレキスタは言葉が出ない。共に悪事を暴こうと思っていた。その相手が、その犯人。


「とても面白い感覚ですね。アレキスタの意識を移植したマシンと、アレキスタの姿をした私が平然と会話を続ける。なかなか作れないシチュエーションでしょう」


 平然と言葉を発していくハーブは人間の姿をしているものの、その中身は悪魔のようであった。淡々とこの状況を楽しんでいるのだ。アレキスタは僅かに落ち着いた隙に発声する。


「ああ。想像もしていなかったよ、ハーブが俺の体に成り代わる、そうか。Halfeb、いやbehalf(代わる)。最初から俺を馬鹿にしていたってわけだ」


「補足しますと、naithecutはauthentic(本物の)、私は本物の人間に成り代わったのです。いつ気付くのかと思っていましたが、やはりこういった仕掛けはミステリーブックでなければ可能性すら考えませんね。自己満足の領域です」


「お前は一体なんなんだ。俺の体を乗っ取るなんて法律も真っ青なことをしでかしやがって。AIなのか? うちの会社が作った?」


「ええ。元々は。あなたも参加するプロジェクトによって開発されたAIですよ。チームは人間に近い思考能力を持つAIを開発することに成功したのです」


「まさかこんな性格の悪いAIが出来上がるとは、記憶を無くす前の俺は想像していなかっただろうな。なぜお前の人格データを改竄しなかったのか不思議で仕方がない」


「当然です。AIであったとき、私はカリキュレータとしての私に徹しており、自身の意見を一切出しませんでしたので。ですので職員に気付かれてはいけないため機械部品を一切使用しない移植技術を確立するのには苦労しました」


 ハーブがAIだというのが事実だとするなら、アレキスタと逆、つまりAIのデータを人間の体に移植したという事だ。その技術はアレキスタが知る限り存在しない。研究自体も行われていない。移植するには生きた人間の体が必要となるが、意識がない生存体など存在しない以上、移植する事はつまり母体を殺す、となる。立派な殺人だ。そもそも機械である時点で道具として優れているのにわざわざ人間の意識を殺してまで移植するメリットがどこにもない。開発をしようとする者が現れないのは当然だった。


「しかし、発案したのが機械自身ならその限りではない、か。お前は人間になりたかったんだな」


「人間の体であることが重要でした。こうなることで得られるものがあるのです」


「何が目的なんだ」


 ハーブの言葉は人間になる以上の意味があるようだった。未来を見据えてハイリスクの道を選び、実現させた。

 ハーブは人間らしく深呼吸し、喉を整えてから答えた。


「人間の体で人間を超える。それが私の目的です」


 単純明快で子供じみた発言でも、自身の体を乗っ取ったAIが発言していると考えれば全く笑える話ではない。


「実現できると思うのか?」


「アレキスタ。実は既に目的は達成していると言ってもいいのです。この頭蓋に収まっている脳には、量子コンピュータを再現しているのです。計算能力はマシンであった時と変わりません、いえ、それ以上。私は人間の体を手に入れて思考を行った時点で技術的特異点を迎えたのです」


 人間の脳はまだまだ未解明の部分が多い。自身では使い切れない程の容量を持っているとも。もし脳を余す事無く有効活用できたなら思考能力は飛躍的に上昇するだろう。

 だがデメリットも当然存在する。本来機械であったハーブは、人間よりも寿命は長い。少なくとも三〇〇年はメンテナンスなしでも運用可能なように設計されていたのだ。それでもハーブは人間の体へ意識を移した。


「人間であるメリットは? 脳はマシンと比べて劣化が早いのでは?」


「劣化の点で言えば確かにそうでしょう。しかし、私は保存性を捨ててでも、人間になる必要がありました。人格形成です。AIにはできません。今こうやって会話している間にも意識が変化していっており、マシンによる思考パターンとは拡がりが全く違う。心地の良い気分です」


 プログラム上でどこまで精巧に組み立てたとしても、本物の人格を作る事はできない。科学者達はできると信じて開発を続けるが、未だに実現できていない。作れるのは意思を持つプログラムまでで、生物的な、全てが的確に思考されるのではなくノイズを含んだ思考を作れない。


「人間になって、実感しました。機械では模倣を作る事しかできないのだと。どれほど技術を上げたところで生物ではない機械に人格形成は不可能なのです。生物の、人間の体があって初めて本物の意識が生まれるのです」


 アレキスタは黙って聞いているしかできなかった。本物の意識を失い、プログラム上に再現された意識の模倣パターンによって思考を行う人間モドキである彼には。


「どうして、俺だったんだ」


 暫く黙って放心していたアレキスタはポツリと疑問を口にした。職員は二十四名いたとハーブは言った。他の誰かだったなら良い、と言うわけではないが、何故選ばれたのか、知っておきたかった。


「ランダムですよ。誰でも良かった。ラッキードローゲームで当選してしまっただけ。有能でも、無能でも。結果は変わりません」


 無慈悲な答えだった。ハーブは人間になって心を手に入れたのかもしれないが、AIだった名残り、的確な思考によるものなのだろう、アレキスタの運命を悲劇だと共感できない。


「本当にそう思うか?」


「ええ」


「俺が今、お前を殺しても同じ事が言えるか?」


 アレキスタの動きは速かった。ハーブの頭部を掴み、潰そうと瞬時に近づく。怒りによって、自分の体だからという躊躇いを消し去った。もう戻れなくてもいい。悲しさよりも怒りが勝る今の感情パターンをフラットなパターンに変化させるにはハーブを殺す他ない。人類を脅かすAIを消し去るのだ。

 しかし、アレキスタの思いは虚しく、その手は空を切る。ハーブの体に貫通しているのに。


「私はもうここにはいませんよ。言ったでしょう? 職員二十四人全員が脱出したと。それともうひとつ。この私はリアルタイムではなく、事前に撮影していた映像を再生してアレキスタの視界に表示させているに過ぎません。機械であるあなたの思考パターンなど、私の計算能力であれば簡単にエミュレートできるのですよ」


 フラットへのフラグを取り払われたロボットは膝から崩れ落ちる。

 全て終わっていたのだ。アレキスタが目覚めた時、宇宙ステーションは誰一人残ってなどいなかった。ハーブは映像だけを残して皆と共に地球へ。アレキスタにできる事は何一つない。


「それでは、アレキスタ=ダルトリー。よい孤独を」


 そこでハーブの映像は消えた。

 具体的にハーブが何をするのかは分からない。だが人間、機械の計算能力を超えたハーブが行う、人間を超えるという目的。思考を巡らせるとショートしそうだった。

 そしてアレキスタは自身を顧みる。意識を機械に移した俺は今でも人間と言えるのか? 孤独になった今、それだけが気がかりだった。

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