きみの汗でご飯を炊きたい

深瀬はる

第一章 ある日の山田さん

『やまちゃん、明日ヒマ?』

 午後十時。日帰り出張が終わりようやく帰宅した私はスマホを見てしまったことを猛烈に後悔した。

 返信めんどくせぇ。このクッソ眠い時に。

 明日ヒマ? ほど返信に困るLINEもないだろう。テメエの用件によってはヒマにもなるし血反吐まみれになるほど忙しい設定にもなりうる。

 ……のであるが、幸運なことに先方の用件に関わらず元々明日は忙しい予定だった。

 時は十一月中旬。最近はめっきり寒くなってきたので帰宅時間に合わせての暖房の入タイマーは抜かりない。鞄をベッド脇に投げ捨てる。コートとジャケットを脱ぎ散らかし、自分はベッドに潜り込んだ。布団の中でもぞもぞとシャツ、スカートを脱ぎ床に蹴落とす。そしてブラのホックを外す。解放感に満たされる。

 スマホを充電器に繋ぐ。LINEを起動して、返信先のアニメアイコンをタップした。

『ヒマですぞ、夜九時くらいなら』

と、先方のお誘いを暗に断る。

 送信した瞬間に既読がついた。どっちがヒマなんだ。

 肩ひもが鬱陶しいので、ささやかな乳に乗っかっているだけのブラを引っぺがして床に放り捨てた。

『明日土曜やで? やまちゃん明日も元気に社畜やんの?』

『おら東京さ行くだ』

 そう。この三か月ほど、明日のために生きてきたと言っても過言ではない。そう思うと、急に体の芯から熱くなってきた。

 壁のカレンダーに視線を送った。俳優・新堂ひなたのカレンダー。少し首を傾げて笑みを浮かべた陽くん。美しすぎる。尊い。この世に新堂陽を作り給うた神に感謝である。

 そして明日の陽くんとの握手会に見事当選した私の幸運たるや。先日VネックのニットのV字部分がいきなり裂けるという不運に見舞われたのは陽くんに運を使い果たしたからかもしれない。

 ――乳がないのにVネック裂けるの意味わかんねぇ。

 と、自分のあられもない姿が急に恥ずかしくなった。気付けばパンツ一丁である。しかもゴムがだいぶくたびれている。

 陽くんの前でなんて格好を。ベッドからずり落ちるように降りると、床に散らばっている羊柄オレンジ色の部屋着を拾ってクンクンと臭いを嗅ぐ。柔軟剤の香りがしっかり残っているので大丈夫なやつだ、ということでささっと着た。

『そーいや陽くんに会いに行くんだっけ? いつだったか、握手会に向けて痩せるゾ☆とかキモイこと言っとったな』

 よく覚えてるな、こいつ。

 陽くんに会うのに無様な姿では行けない。ダイエット頑張ったし、服もいいやつ買ったし、コスメもちょっと奮発した。

『聞いて驚けです。三か月で四キロ痩せた』

『うそん、毎年毎月痩せる痩せる言ってるけど五年間ほぼ同じフォルムじゃん山田さん』

『山田、やる時はやる女です。お肌も透明感出てきた気がする』

 カッコつけて透明感とか言ってみたのはいいものの、最近どの化粧品もやたら透明感を宣伝しているがそれって結局なんなのだろう。色白になるの? キメが整うの? 化粧が薄くなるの? ガッキーになれるの? ガッキーになれるなら欲しいよ、透明感。

『やまちゃんの体型で四キロってかなりじゃん。そのまま透明になって消えて』

『は? オッチャンが先に消えて。ついでに社会的にも消えて。てかオッチャンこっち来るんですか?』

『久しぶりに創パくらい行くかと思って。明日仙台着の予定』

 創パ、つまり私たちが大学時代に所属していたサークルの創立記念パーティーが明後日の日曜に開催される。このくだらないLINEに付き合ってあげている相手はサークルの先輩だった人だ。確か私の四つ上。掛川優一、仲間内ではゆいと呼ばれている。

『ゆいさん前日入りですか、気合い入ってますね』

『幸太やあっくんも来るらしいやん? せっかくやし』

 深道幸太さんは私の一つ上の先輩、あっくんこと東城篤は同期である。ゆいさんが来仙する主な目的は彼らと麻雀でもやるためだろう。どちらかというとパーティーはそのついでだ。

『私はパーティー行く気ナッシング。てか明日もあるんでそろそろ寝ますわ』

と、無理やりLINEをぶった切ってスマホを放り投げた。

 夜更かしはお肌に悪い。透明感大事。陽くんに最高のコンディションで会うためにもさっさと風呂に入って寝よう。

 風呂にお湯を張っている間にちらっとスマホを見ると、オッチャンから返信が来ていた。

『夜更かしはお肌に悪いからな、はよ寝な』

 ゆいさんと同じこと考えていたのがなんか悔しい。

『せっかくお前アナゴさんくらい立派なタラコ唇なのにカサカサになっちゃうよ。ついでにそのまま永遠に寝てて』

 アナゴさんは盛り過ぎ。石原さとみと言ってくれ……いやなんでもない。

『ゆいさんの遺言聞くまでは死ねませんわ~。唇のケアさぼるとすぐバリバリになる。面積のせい?』

『唇薄い人って良いよな。儚い感じして』

『喧嘩売ってんですか?』

 私はこの後、念入りに唇のお手入れをした。お風呂でスクラブ、そしてリップに唇のパック的なやつ。唇だけでも石原さとみになれただろうか。

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