第41話 憤怒
ひんやりとした空気に目を開ける。
「ここは」
そこは窓一つない空間だった。壁と床は綺麗に石が引き詰めてあるが、天井は剥き出しの岩肌がドーム状になっていて補強用の梁が走っている。ひんやりと湿った空気といい、ここは坑道か何かを利用して作られた部屋なのだろう。
ギシギシとロープが軋む音が木霊する。
あたしは裸に剥かれ、狩られた鹿の如くロープで両手両足首を一つに縛られ天井の梁から床寸前までに吊り下げられていた。そして、そんなあたしを見下ろす池がいた。
「池さん。その姿は」
池は裸であたしの前で車椅子に縛り付けられている。そしてその頭は頭蓋骨が刳り貫かれ、淡いピンクの脳が露出していた。瑞々しいピンクの脳には鍼が突き刺さされている。
「目が覚めた~」
「いっ池さん」
「あっは~、なにそのかっこいいきみ~」
池は自分の状態が分かってないのか、あたしの惨めな格好を見て優越感に浸っている。
ぷすっ、背後から表れた手が池の剥き出しの脳に新たなる鍼を突き刺した。
「あああっ~」
生暖かい液体が私の顔に降り注がれた。
池は恍惚に浸った顔を露わに失禁し、その姿を満足そうに見る倉石がいた。
「この娘の原罪は嫉妬。君によほど嫉妬していたらしい。君の惨めな姿を見て最高に昂ぶっているようだ」
「何て酷いことを」
「酷いとは無礼だな。これは私なりの食材に対する礼儀だよ。
食する以上礼を尽くして手間をかけねばならない。この娘は今最高の気分で脳内麻薬が溢れ肉に一味加わる。
言っておくが手間はこれだけではないぞ。この娘は先程まで腸内洗浄を徹底的に行って、薬草を腸内に詰め込んである。これで臭みもない」
倉石は為すべき事を為す一流の料理人のように淡々と言う。頭に気がいって気付かなかったが、池の晒された腹には綺麗に捌かれた痕があった。
「生きている人間になんてことを」
「何を怒る?」
倉石は不思議そうに言う。
「ああ、そうか君はまだ矮小なる人間なのだな」
「あなただって人間でしょうがっ」
「失礼なことを言うな小娘」
倉石は怒りを込めた目で睨んでくる。本気で自分を人間じゃ無いと思っているのか?
「なら、人間以下の獣とでも呼べばいいのかしら?」
「口の減らない小娘だな。
いいかね食べるというのは、新たなる自分の体を得るということ。新たな自分になる為には常に未知のものを食したいと願うのは、人類が生まれた時からある原始の欲求。
私は未知の食材を求めて世界中を旅した。そして食するたびに気付いていった。食するということはそのものの存在を食すること、その存在を体内に取り入れるということ」
倉石は説教でもする牧師のように朗々と語る。
滑稽だ。そんな話は別にこの男独特の思考じゃない、そんな思想昔はもっとずっと多くの人達が信じていた。アマゾンの一部族には倒した戦士の力を得るために体を食うなんて風習があったという話なんて本で読んだこともある。
「存在を取り込む。そう食するとはそのものより上位に立つということ。故に昔人々は自分たちより上位のものには最高級の贈り物として人を捧げた。そう生け贄だよ。私は神に捧げられる最高の食材人間をどうしても食したくなった。食を極めるには、どうしても必要だった」
彼が道を究めたいと思う気持ちは真摯であると感じる。なのになんでその道はこんなにも歪んでいるんだ。普通に料理人を極める、食材を求める冒険者を極める。どうして人の枠内に収まらなかったんだ。
純粋に強すぎる思いがこんなにも悪意を生み出すのか。
「人間を初めて食した時、私は人間の上位種に生まれ変わった。その時の感動とはまさしく魂が震えるほどだった」
これが魔術師。どこまでも己の我を貫き通す。世界と折り合いを付けるんじゃない、世界を自分に合わせて歪ませる。麝候、そしてあたしが踏み入れた世界なんだ。
「恐怖に震える顔を見ながら生きながら食する。極上の美人の顔を切り裂いて食する。色々と味付けを試してきてたのだが、悲しいかな最近は飽きが来てしまった。かといって現状人間より上位の獲物はいない。仕方がないので少し食材に手を加えてみることにした。そうクスリをばらまいたのは食材に味付けをするためなのだよ」
「味付けですって」
「そうだ。ナナシは人間が持つ原罪を覚醒させる効果がある。尤も普通の人間では飲み過ぎると覚醒に堪えられず狂ってしまうがね。それでも原罪に目覚め掛けた人間は普通の人間よりは味付けが良かった」
そんなそんなことの為にクスリをばらまいたというの。
「だがこの間のことで私は新たなる食材に出会えた。それは魔術師だ。私同様原罪に目覚め魔に覚醒した者達。あれを食した時私は更なる高見にいけるだろう。本来なら直ぐにでも君を食したいところだが、君はあの男を呼び出すための餌になって貰う」
「餌? ということは麝侯は生きているの?」
「ああ後一歩と言うところで逃げられてしまったよ。なんだ君はあの男の命令でここに来たのではないのかね」
「残念だったわね。あたしはあたしの意思で来た。麝候がどこにいるかなんて知らないわ」
「嘘ではないな。君の目を見れば分かる。曇りのない強い意志によって純度が磨かれた水晶石のようだよ。その瞳を今すぐにでも食したい。さぞやぷるっとして瑞々しいのだろうな。
だが今は我慢だな。なにあの男なら君が捕まっていることなど直ぐに知る。そして必ず助けに来る」
倉石は確信を持っているようだが麝候を正義の味方とでも勘違いしているか?
だがこれはいい勘違いだ、時間が稼げる。倉石はあたしがこの手で滅する。その為も今はおとなしくしてチャンスを待つんだ。
「しかし待つのはいいが、待っている間に腹が減る。なので、この娘には前菜になって貰うことにしたのだよ」
言うと同時に倉石はさっとその手に持つワインを池の剥き出しの脳に掛けた。
「あひっ」
「やっやめろーー」
やめろやめるんだ。池にはまた恨まれるかもしれない、でも許し合えるかもしれないんだ。そんな無限の可能性があるんだ。そんなあたしの願いを無碍にするように、倉石はスプーンで池の脳をサクッと掬った。
「うまい」
「あひゃっ」
池が奇声を発し、陸に釣り上げられた魚のように痙攣を始めた。
「この悪魔っ許せない」
「何を怒る?」
そう言う倉石の顔には何の罪悪感もなく歓喜だけがあった。これだけのことをして理屈で悪と思っていても、心に罪の意識は全くない。
「なんておぞましい悪意」
「悪意だと。高見に昇ろうとする行為を悪意と呼ぶか。それこそ、この娘と同じ嫉妬という悪意ではないのかね」
「この気持ちが悪意だと」
見下してくる倉石をあたしは下から天に唾する如く睨み付ける。
「違うとでも。私は純粋に高みに登ろうと努力をしている。その為によりよい食料を得ようとしているだけだ。決して、他人を貶めて愉悦に浸っているわけではない。
人は豚を食う、私は人を食う。何の違いがある」
淡々と語る倉石はあたしを嬲っている。倉石は暇潰しとばかりに己の持論を述べて、あたしの心をへし折りに来ている。倉石は体だけでなくあたしの心までもしゃぶり尽くすつもりなのか。
「どうした。何も言い返せないのか」
「人を食べるなんて許されるはずがない」
負けてたまるか、考えるより先にあたしは思いのまま口を開く。
「そんなもの時代の価値観だ。人を食することを罪では無く貴人に対する最高の饗しとされていた時代もある。
つまり、君が今振りかざした道徳など何の価値もない」
道徳なんて何の価値もない。ならあたしは、何の為に立ち上がった。何の為に悪魔の手を取り復讐を誓った。
「さあさあ、答えてみろ小娘」
悪戯をした子供を叱る親のように、宿題を忘れた生徒を叱る先生のように、倉石は正しい上位者として私を糾弾する。
口が開かない。胸に渦巻く怒りはあるのに倉石を悪と糾弾する理論が出ない。
なぜ、あたしは怒る?
「ふむ。屈服したわけではないようだな。
そもそも悪意と言うが、悪意無くして人間は生きていられるのか?」
「えっ」
「君に合わせれば、食は悪。ならば小娘、他の生物を一切害さないで生きてみよ。んっ出来るか?」
「そっそんなこと出来るわけ」
「そうっ。なら君が言うように悪を否定するなら、君は自殺をするしかないのではないかね」
言い返せない。所詮小娘にしかないあたしでは倉石を言い負かすことなんて出来ない。あたしはこのまま屈服してしまうのか?
心が折れそうになるあたしの耳に声が聞こえた。
「ごっごめんね」
池だった。脳を剔られ事切れる寸前、池が発した言葉だった。誰に発した謝罪なのか分からない。それでも池は謝罪の言葉を口にしたのだ、罪の意識がない倉石とは決定的に違う。あたしだって池とやり直せたかもしれない。そう思った瞬間あたしの口は開いた。
「理屈なんて知るかっ」
「なにっ!」
「あたしはあたしの家族を破滅させた奴が大往生するような理不尽を許せない。それ相応の苦しみを味逢わせたいからあたしは悪魔の手を取った。
理屈なんかじゃない理屈なんか知るかっ。そして今、池を殺したお前を許せない感情で溢れる。
あたしは正義を成したいんじゃない、この怒りを晴らしたいだけだ。
憤怒。これがあたしの原罪というなら、あたしは敢えて罪深く生きる。
この憤怒と主に嚇灼たる世界を生きる」
「そっそれだ、その赫く染まった瞳を喰いたかったのだ」
倉石はあたしの赫く染まった瞳を覗き込んでしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます