第31話 逃亡

「まさか死のうとするなんて貴方の怒りとはその程度なのですか? 全てを騙し利用し踏み台にしてでも達成すべき復讐ではなかったのですか」

 麝候のあたしを見る目が明らかに失望している。

「違うっ。あたしは復讐のために誰かを犠牲にしない。それじゃあたしの家族を破滅した奴らと同じになってしまう」

 怪士は素早く反応して麝候に向かい合った為、あたしは自由になった口で反論する。

「それはご立派。それについてとやかく言うつもりはありません。

 ボクが言いたいのは、なぜあなたは、その楔を砕きその男を倒そうとしないのです。安易に自殺などを選んで、全くの期待外れです。その程度の決意だったとわ。契約を続ける価値はないですね。

 おっと、体を麻痺されているから無理とか言わないで下さいね。出来ないことをやってこその最高の復讐でしょう」

「勝手なことばかり言うなっ」

 頭に来た。そもそも麝侯が頼りないからこうなったのに。なにより麝侯に馬鹿にされたくない。怒りで腹筋が締まり体が海老のように一気に跳ね上がった。その勢いのままにあたしは足枷に手を伸ばした。あたしが動けないと油断して、完全にロックしてなかったのが幸いした。留め金を外し、あたしは雌豹のようにしなやかに床に飛び降りる。

「やれば出来るじゃないですか」

 悔しいが麝候の言うとおりだった。あたしは着地の勢いのまま走り出す。

「逃がすか」

 逃げようとするあたしに向かって怪士が腕を伸ばしてこようとする。

「「動くな」」

 怪士の動きが一瞬止まり、その一瞬で怪士の脇を抜けて麝侯の元に辿り着いた。

「くそっ」

「残念でしたね。貴方はまだまだボクの言霊の支配下にありますよ」

「ぬかせ。一瞬動きを止めるのが精々ではないか」

「闘いにおいてはその一瞬が命取りになりますよ。というわけでセウ君」

「なにっ」

 また何か嫌みでも言うつもりか?

 いいよ。素っ裸で戦えというなら戦ってやる。噛みついて頸動脈の一つくらい噛み千切ってやる。

 今あたしは脳内麻薬で興奮しているのか何でも出来る気分になっている。

「一人で逃げて下さい。貴方を庇いつつこのお方と戦うのは少々きついんですよ」

「あたしは足手纏いってこと」

 麝候の言葉は死ぬ気で戦えと命じられるより悔しかった。

「いえいえ、自力で逃げただけでも大したものです。その行為契約継続に値しますよ」

 麝候は一瞬だけだったけどあたしに初めて見せる視線を向けていた。

 父が子を見るような。

 直ぐさま人を小馬鹿にするような目に変わったけど、あの目をあたしは見逃さなかった。

「っとなると今度はボクの番だ」

 契約。あたしは最高の復讐を果たし魂を麝候に差し出す。麝候はあたしの復讐の手助けをする。これは互いに命をかけて果たすべき約束、ならここで遠慮するのは契約を汚す行為になる。

「分かったわ」

「外で大神さんが待機しています」

 それだけ聞いてあたしは振り返ることなく全速力で逃げた。廊下に出ると所々に人が倒れていた。

 麝侯がやったのだろうか?

 他に誰もいない以上そうなのだろうが、魔術でやられた様子は無い。死んではいないがみんな格闘で倒された感じである。

 麝候はもしかしてあの魔術抜きでも強いのだろうか。

 それにしてもこの人達は何なのだろう? 怪士がここで何をしているのか知っているどころか協力すらしている様子。

「なら遠慮はいらないわよね」

 あたしは免罪符を唱えつつ女性が倒れているのを見付けると彼女が着ていたチャイナ服を剥ぎ取って纏った。外に逃げる以上裸ではまずいからしょうがないんだ。下着は流石に遠慮したのでスリットが非常に気になるけど仕方ない。

 その後も襲われることなく階段を下り裏口から建物から出ることが出来た。裏手は駐車場になっているようで車が数台止まっていた。

「おい、こっちだ」

 車の陰から大神が出てきた。

「大神さん。ここは?」

 あたしは大神さんの傍に掛けよると尋ねた。

「ここか。あの化け物とその信望者が経営しているレストランだよ」

「レストラン!?」

「ああ、いい隠れ蓑だ。攫ってきた人を保管しておく大型冷蔵庫もあるし残骸も怪しまれずに廃棄できる」

 信望者? あんな化け物の何を信望するというのだ!

「人間色々あるんだよ。それより逃げるぞ」

 あたしの怒りを読み取ったらしい大神が言う。そして、大神は強引にあたしの手を引っ張り駈けだした。

 あたしは結局この夜麝候を出し抜くどころか何の手掛かりも得られず助けられるだけだった。

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