第9話 道具に溺れた者



 今まさに二頭の屈強な虎に貪られようとしている賞金稼ぎアッシュの窮地に主の命令が下る。


「リム、権能再現・選択≪煙羅煙羅の顔≫。種類は非殺傷の白煙、目標はアッシュを中心に可能な限り煙幕を広げろ」


「諒解した、我が主よ」


 主の命により記録領域内を検索―――該当例あり。煙幕生成の権能を起動―――目標設定―――対象生命を中心に煙幕を放射。―――指定座標への到達を確認。

 権能≪煙羅煙羅の顔≫――――以前主が倒したアーティファクト使いの使用していた権能。≪サラマンドラの尻尾≫よりもさらに低級、せいぜいが護身用に作られたツールだろうが利便性は高い。≪煙羅煙羅≫とはかまどや風呂場から立ち上った煙の中に住まう不気味な顔が浮かび上がった妖魔の事を指し、特に人に危害を加える習性は持たないとされている。

 突然の煙幕に工場内の主を除いた全ての人間が混乱に陥る。それをただ見ているだけはなく、主は足音を極力消しながらアッシュへと近づき、耳元で声を立てるなとだけ囁き、彼を引っ張って男達から離れた物陰へと隠れる。そしてナイフを使い手を縛る縄を切って自由にする。


「お、おいお前ミューズかよ。何時からここにいたんだよ!?」


「ほんの三十分前ぐらいだ。虎に迫られたお前の間抜けな面に笑いを堪えるのは辛かったぞ」


 主の心にもない軽口にアッシュの顔に朱が差す。しかし、絶体絶命の窮地を救った事には変わりなく、心底悔しそうに唇を噛んで耐え忍んでいる。我が言えた義理ではないが、このような鉄火場で軽口を叩くのは趣味が良いとは言えない。

 腹立たし気なアッシュを放って置き、主は麻薬組織の運び屋達のいる方に向かって数発拳銃を発砲する。しかし煙で碌に人影も見えない状況では銃弾は掠りもしないだろう。


「おい、どこ狙ってんだよ。当たるわけないだろうが」


「知ってるよ。けど、向こうは慌てるだろうよ」


 主の言葉通り相手は俄かに騒ぎはじめ、あちらこちらに発砲しては、当たるはずもないのに出鱈目に銃弾を撃ち込み始める。完全に視界を奪われた所で銃撃されれば恐怖心から応戦するのは珍しい事ではない。そして一人始めればそれに引っ張られて次々と身を護るために撃ち合う。たとえそれが味方同士でもだ。さらに怒号が飛び交い、統制など望めるはずもない。上手く行けばこれで半数は同士撃ちで沈められる。


「で、手持ちの武器は当然無いだろうから、これ貸してやる」


 そう言って主は懐から取り出した小ぶりな拳銃と銃弾の入った袋をアッシュに押し付けた。予備の拳銃である。

 弾丸を込めながらアッシュはこれからの方針を尋ねる。当然敵を倒さねばならないが、視界が制限される状況下ではこちらも有効打を与えられない。かと言って煙幕が晴れた所で相手はこちらの数倍の火器を備えている。まともに撃ち合わないほうが賢明だ。しかしながら我に記された権能には攻撃手段が乏しい。《サラマンドラの尻尾》は閉鎖空間で使用するには色々と制約が多い。下手をすれば燃え広がって酸欠でこちらを含めて全滅しかねない選択は可能な限り執りたくはないだろう。他に使える権能が無いわけでは無いが、十名と虎二頭は相手には出来ない。


「では先に我が敵のアーティファクトを無力化してはどうだろうか?恐らく相手はアーティファクトを用いて虎を制御している。そこで我が権能を無力化すれば虎は制御下を離れて向こうに襲い掛かる可能性がある」


「それ採用。アッシュ、アーティファクトを無力化している間はリムは権能を行使出来ない。だから煙が晴れる間は俺達が奴等と張り合わないといけない。出来るよな?」


「誰に言ってんだ!あいつらには散々殴られたからな、三倍返しでやってやるよっ!」


 互いに頷き闘志を高め合う。そして我は主の命により権能を発動させた。

 書籍の型より解き放たれた我は無数の頁となって煙幕の頭上に展開、捕食結界を構築し始めた。今よりこの地は清浄なる聖餐の卓となる。

 結界を構築し、対象ツールを解析、然る後、吸収完了まではおよそ二分を要する。この二分間我々は極めて無防備となる。

 煙幕が薄くなり、互いの顔が見えた事で同士撃ちをしていた麻薬組織は冷静さを取り戻すが、既に二人地に伏している。これで残るはアーティファクト使いを含めて八人。

 血を流す仲間を見た男達は冷静になっても怒気を孕み、自分達を虚仮にした相手を必ず血祭りにあげてやろうといきり立つが、アッシュの銃撃を肩に受けて一人が膝を着く。他の男達は咄嗟に紡績機械の陰に隠れるも、お返しとばかりに数倍の火力で応戦する。


「お前達はそのままあっちの間抜けなガキを殺せっ!俺は煙を撒いた方を相手にする!バース、オマリー、狩りの時間だ!」


 リーダー格のロッコが虎へ命令すると二頭の屈強な虎はまるで機械の如く主人に従い、猛然と主へと向かって行く。やはり虎は原始的な調教によって従っているわけでは無い。おそらくロッコの頭部に取り付けられた装具から思考によって操作されているに違いない。

 ネコ科特有の強靭な筋力を遺憾無く発揮したバースとオマリーはものの数秒で主の喉元へと到達するが、主も何もしない訳が無い。機械を足場にして飛び退き、貯蔵タンクの梯子を掴んで虎の牙より逃れた。すかさず反撃に銃弾をお見舞いするが、二頭とも銃口を向けられた瞬間その場から退避した。しかし目ざとい敵が主を狙撃する。幸い着弾点は大きく外れるが、このままではいい的でしかないので裏側へと隠れつつ、虎の位置を把握してから手動式クレーンの鎖を伝って離れた場所へと降りる。

 だが虎の瞬発力は人間の比ではなく、すぐさま主を補足して一瞬で距離を詰めるが、主は冷静に虎の進路上の隣に据えられたタンクへ銃弾を浴びせる。見当違いの場所に弾を撃ち込んだのをロッコは嘲るが、次の光景を見て忌々しそうに虎を罵倒する。銃弾を撃ち込まれたタンクの穴から染料が飛び出て、虎の進路上へインディゴブルーのシャワーを降らせる。

 途端に虎は染料を嫌がって立ち止まり、その隙に主は移動してしまった。

 幾らツールの力で動物を操っても、臭いに敏感な野生の本能までは自由に操る事は出来ない。石炭から摘出した染料の異臭を嫌って虎は主への攻撃を断念したのだ。

 こうして動き回って時間を稼ぎつつ、虎を引き付けておけば主の方はおそらく大丈夫だろう。


 一方アッシュの方はといえば、七人の男達からの集中砲火に晒されて碌に反撃出来ずにいた。彼の手持ちの武器は主から借り受けた拳銃が一丁。対して相手の武器はライフル銃が三丁に拳銃が四丁。数倍の射程と七倍以上の火力では、ほんの僅かでも機械から身体を出せばたちまちハチの巣にされてしまう。


「くっそーこれじゃまた一方的に嬲られちまう!何か手は無いか考えろ俺―――――っミューズの奴、良いように虎をあしらってやがるな」


 一方的にとは言えライバル視している相手が虎を上手く捌いているのを見れば対抗心が疼くのだろう。そして主が染料の入ったタンクを撃ち抜いたのを見て、アッシュも何か閃いたのか、僅かに機械から頭を出して相手の位置を確認する。途端に銃弾を撃ち込まれて慌てて頭を引っ込めるが用は済んだとばかりに今度は頭上を見上げ、10メートル足らずの天井部から吊り下げられたガス灯を見てにんまりと笑う。

 すぐさま銃口を天井のガス灯に向け、天井との接合部に全弾を叩きこんだ。それには運び屋達は手を叩いて嘲笑するが、アッシュは笑っていられるのも今のうちだと言い返した。

 その言葉は正しく、銃弾によってガス灯の金具が破壊され、重力に引かれて運び屋の一人に直撃した。男の頭部は完全に破壊されて脳が飛び散り痙攣しているが、まもなく完全に動かなくなるだろう。さらに近くにいたもう一人にガラス片が突き刺さって、悲鳴を上げる。これで二人は撃破した。主に絡む程度には実力があったと内心評価を改める。

 しかし仲間をやられた男達は怒り狂ってありったけの銃弾を叩き込み後が続かなかった。


「お前ら何やってるっ!ガキ二人に良い様にやられてるんじゃない!バース、オマリー、お前達も遊んでないでさっさとガキを食い殺せ!」


 状況はさほどこちらの優位に傾いてはいないのだが、向こうからすればたかが若造二人に遊ばれていると焦れている。特にリーダーのロッコが最も苛立っており、冷静さを欠いて機械の上に立って全方向に罵声を浴びせている。そしてそれを見逃さなかったアッシュが拳銃で狙撃すると、運良くロッコの左肩をかすめ、痛みに喘いで転げ落ちた。


「くそくそくそくそがっ!!バース、オマリー早く俺を護れ!!」


 痛みと恥辱により正常な判断を失ったロッコが護衛、あるいは単に盾にする為なのか虎達を自分の元へと引き寄せた。分不相応な力を手にして尊大に振る舞う者ほどいざ窮地に追い込まれれば生来の気質が浮かび上がる。あの男は性根が臆病で、他者から攻撃を受ける事を極端に忌避すると見てよい。アーティファクトの権能が無ければ鉄火場に飛び込むほどの度胸もあるまい。馬脚を露すとはこの事である。そしてその臆病な選択が決定的な致命傷になるとは彼等は知る由もない。


「《ドラゴンの手綱》下級ツールと査定、ライブラリに登録。――――――笑止な。この程度の粗悪品で悦に浸るなど、何たる愚かさ。滑稽なり大愚なり」


 捕食結界により敵の用いたアーティファクトの権能は喪失。それは虎達が理不尽な支配から脱却した事に他ならない。

 そして支配から脱した虎達がまず最初に目にしたのは、かつての主人であるロッコ。アーティファクトに支配された頃の記憶があるかどうかは定かではないが、餓えた身で眼前には流血して弱った肉が転がっていればどのような選択を取るか。猛獣の本能と気質を知っていればおのずと答えは導き出されるであろう。

 突如護衛の虎二頭が文字通り牙を剥いて主人たるロッコに襲い掛かり、どちらがバースかオマリーかは分からないが、一頭に喉を食いちぎられて大量の血を噴出しながら必至で抵抗するも、もう一頭が腹部を服ごと食い千切った事で徐々に抵抗は弱まった。

 味方と認識していた虎達の突然の凶行に他の運び屋達は全員呆気に取られて、凄絶な光景をただ見ているしかない。いや、見てはいるが正しく目の前の惨状を認識出来たかどうか。脳が認識出来た所でそれを受け入れられる精神ではない可能性もある。

 かつての主を襲い、遅いディナーを満喫している虎達を下手に刺激しては不味いと判断して早々に退避した主とアッシュとは違い、リーダーを食い殺された運び屋の一人が恐怖心によって判断を誤り、虎へとライフルを向け発砲してしまった。

 幸か不幸か、放たれた弾丸は正確に一頭の虎の腹部に命中。絶叫を上げ虎はのた打ち回り、もう一頭はすぐさま臨戦態勢に入ると、生存本能を刺激された肉食獣は最も近くにいた男に飛び掛かって喉を食いちぎる。それを間近で見た男達は恐慌状態に陥り、碌に照準も付けずに銃を乱射するが、既に虎は移動して次の脅威の排除へと動いていた。

 次々に脅威となりかねない生き物を刈り取った虎だったが無傷とは言えず、所々に銃弾を浴びて見事な縞の体毛を血で染め上げていた。それでも闘志と言うべきか生存本能と言うべきか判断に困るが、力尽きて果てるまで散々に暴れまわったおかげで運び屋のほぼ全員が無残な死体と化した。

 その血だまりの中にあって、唯一身を起こしてこの場から逃げ出そうとする男が居たため、主とアッシュが彼を捕らえて拘束した。

 アーティファクト使いを倒し捕虜を一人確保。成果としては上々と言える。


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