クライムハンター~正義の咎人~

卯月

第1話 闇夜の狩人



 人類が火を手にしてから幾年、幾星霜。人は闇夜を恐れなくなった。

 街には蒸気機関とガス灯がひしめき、誰もが夜の帳を引き裂く時代。誰もが手軽に煌びやかな夜を楽しむ事を堕落と嘆く聖職者も居ないわけでは無いが、多くは快適な生活を満喫し、明日への希望の灯をともす。仮に文明の恩恵を堕落と呼ぶなら、そもそも自らに纏う法衣も、日々の食事も、装飾で凝り固まった清浄なる教義とやらも文明の恩恵ではないかと我が主ならば皮肉るだろう。

 都合の良い時ばかり他者を攻撃するのは人の本能と言えるだろうが、人ならざる我が身にはさして関心が無い。不特定多数への批評など今の状況に何ら寄与しない。

 そして都合の良い人間と言うなら、まさしく目の前の男が正しく当て嵌まるであろう。頬や額に刃物傷を持つ、一目で堅気ではないと分かる風体。明らかに暴力によって日々の糧を得ている無法者といった雰囲気を纏った男が、脂汗を垂らしながらも月明かりに照らされた我が主を見て、あからさまに侮っていた。


「へっ!どんな性格の悪い野郎かと思ったら、ただのガキじゃねーか!おおかた俺様の前に立つのが怖くて後ろから襲い掛かったんだろうが、ガキにヘマを打つほど俺は間抜けじゃねーぜ!」


 確かに我が主は齢18を数えたばかり。相対する男の半分しか生を重ねていない。故に子供扱いはある種の必然であろうが、その子供に無様に追い立てられて裏路地の袋小路まで逃げ込んだ臆病者が吐く台詞ではない。誠に愚昧なり、無知蒙昧なり。

 しかし我が主は男の罵倒を受けても微動だにしない。どうでもいいとばかりに懐より紙切れを取り出し読み上げる。


「『放火魔ミッキー』判明しているだけで五件の放火殺人と七件の放火強盗、さらに婦女暴行が十件。シティから賞金が賭けられている。訂正する部分はあるか?」


「大アリだぜぇガキ!殺したのは八件で、犯した女はその倍だ!この前なんて10歳のガキでさんざん遊んでヤッて生きたまま焼いてやったぜ!ありゃあ面白かったから、てめえも同じ目にあわせてやるよ!」


 この手の愚か者は自らの犯罪歴を大仰に語り、相手を委縮させるのを常套手段とするが、残念ながら我が主には毛筋も効果が無い。否、自らの罪科を誇らしげに語るような男の言葉など許し難いと憤り、却ってどうあってもここで逃がさず、この白痴なる匹夫の命を絶つであろう。

 脅しに効果が無いと見た男は逆上して右手を眼前にかざす。その手には何も持たず、一見して虚空を突き出す行為に何の意味があるのか皆目見当もつかぬ。だが次の瞬間、男の手より闇を照らす炎が生まれる。赤い炎はまるで蛇のように宙を曲がりくねり、荒れ狂いながら主へと向かうが、余裕をもって横に飛ぶ事で難なく回避して繊維一本焼く事はない。何をするか狙いが分かり切っていれば避けるのは至極容易い。当初の目標を見失った炎は路地を抜けて行く。不幸中の幸いと言うべきか、現在は深夜であり人通りは無きに等しい。巻き添えで炎に焼かれた不幸な者は居ないだろう。このまま放って置けば狭い裏路地は火事になり大惨事となるが、それを座して許すほど我が主は間抜けではない。


「ふん、これが放火魔の由来か。その右手首に嵌めてあるアーティファクト、随分と気に入っているらしい」


「応ともよ!《サラマンドラの尻尾》と言ってな。ご主人様の思い通りに火を出してくれる可愛いコだぜ!ガキの下手くそな銃なんか目じゃねえ。てめえの母ちゃんでも分からねえぐらいにこんがり焼いてやるから今のうちに泣いて神様にお祈りするんだな!」


 主は返答をリボルバー拳銃の銃弾で済ませるが、生意気にもそれを読んでいた卑劣なる放火魔はアーティファクトより発せられる炎により迎撃し、銃弾を跡形も無く蒸発させてしまう。亜音速で飛翔する銃弾を瞬く間に蒸発させる熱量が直撃すれば脆弱な人の身など一瞬で消し炭となる。八名の犠牲者はさぞや惨たらしい最期を遂げたのだろう。人ならざる我が身では、主の悲憤が如何ほどの物か計り知れない。

 銃撃を受けて這う這うの体で逃げ回っていた惰弱さを覆い隠すかのような尊大さを見せつけ、今度こそ逃さぬとばかりに再度炎をぶつけようとする。頼みの綱であろう銃が効かない絶望的な状況にありながら、しかし主は極めて冷静に鉄をも溶かす灼熱の炎とは対極たる、溶鉱炉すら凍り付かせるかのような極低温のごとき冷徹さで初めて我に下知を下す。

 闇を払う炎を操りながらも下劣なる獣欲に眼を曇らせた盲目暗愚たる放火魔よ。我と我が主の名を冥府の神にしかと名乗るがよい。


「我がアーティファクト《グリモワールの王》に主たるミューズが命ずる。周囲に捕食結界を展開、しかる後、一片たりとも逃さず存分に食らい尽くせ!」


「諒解した、我が主よ」


 腰のホルスターの金具が解かれ、書籍たる我は中空へと飛び立ち、残火の夥しい裏路地に無数の頁となって瞬く間に散らばる。腐敗臭の漂う非衛生的な裏路地の中にあって唯一清浄なる隙間が形成される。低俗な獣に使役されるアーティファクトでは前菜にも満たぬのが些か不満だが主の命では致し方ない。今よりここは我の聖餐の卓となる。


「あ、アーティファクトだとお!?てめえもか!」


「その通りだ。アーティファクトにはアーティファクトをぶつけるまで。至極単純な回答だろう?」


 目下では主と放火魔が対峙しているが、同じアーティファクト使いであってもその差は歴然としていた。一方は相手が同じ場所に立つ者とは微塵も考えておらず哀れなほど無様に狼狽し、もう一方は心理的優位に立ちながらも一切の油断をせず、人面獣心の輩への怒りに囚われず勤めて冷静さを失わない。もはや勝敗は決したようなものである。

 常に自らよりも弱い者を嬲るだけの卑劣漢は優位を失っただけで冷静さを失い、あたら火をまき散らそうとするも、肝心の炎がマッチの火ほども生まれず、ただただ困惑するばかり。道具を使うどころか振り回される様は実に見苦しく嘲りすら抱いてしまう。

 これが我が創造者より与えられた権能。ありとあらゆるアーティファクトを喰らい、この身に編纂する《魔書の王》の名に相応しい力と言えよう。


「《サラマンドラの尻尾》下級ツールと査定、ライブラリに登録。――――――この程度の粗悪品で悦に浸るなど、何たる愚かさ。滑稽なり大愚なり」


 周囲の炎も完全に消え去り、再び月明かりが唯一の光源となった裏路地。闇は確実に恐怖を増幅する。

 一歩、また一歩と距離を詰める主に、放火魔は恐怖から逃げようと、おぼつかない足取りで逃げようとするも、肝心の道は袋小路であり、唯一の道は主によって塞がれている。


「な、なあ。同じアーティファクト使いなんだから見逃してくれよお。お前だって力があったら振りかざしたいって気持ちは分かるだろう?いいじゃねえか、俺達は選ばれたんだ!女の一人や二人、ガキの一人ぐらい殺したってなんで俺達が殺し合わなきゃならねーんだよ!金か、金が欲しいなら俺達組もうぜ。俺とお前なら、きっとこれからたんまり稼げるぜ!」


 あろうことかこの下劣な男は主を懐柔しようと媚びへつらい歓心を買おうとしていた。愚昧ここに極まる。そして我には主の返答は分かり切っている。侮蔑の視線と銃口を向け、引き金を引いた。

 銃弾は火薬の燃焼によって銃口より押し出され、亜音速で男の左の足首を貫通する。絶叫してのた打ち回る男を冷ややかな目で眺めながら、さらにもう一度引き金を引くと次の銃弾は肩口に突き刺さり、さらなる悲鳴を生み出す。ゴミの散乱する裏路地に汚い男の血と肉片が散乱するが、そのような些事を気にするような者はこの場は居ない。

 激痛でのた打ち回り、痛みに耐えかねて幼児のごとく喚き散らす男に主はゆっくりと近づき、力任せに胸を踏みつけ、銃口の射線を額に固定する。

 月を背負う形の主は放火魔からは酷く映え、まるで自らの命を刈り取る死神を視てしまったように恐怖に脅え竦む。その掌に収まる小さな道具が己の命を握っているとなれば平静ではいられまい。


「た、助けて…」


「お前は一度でも被害者の懇願を聞いてやった事があったか?」


「そ、それは―――」


 窮する姿が何よりの返答ではなかろうか。おそらくこの卑劣漢は犠牲となった女性の懇願を嘲笑し、却って苛烈な仕打ちを強いたのだろう。そのような暴虐な振る舞いがいざ自らの身に降りかかって来た途端、恥も外聞も無く命乞いをするなど愚かしい限りである。そのような輩に主が情けを掛けるなど億に一つも無く、掛ける言葉など唯一つしかない。


「…いやだね」


 短い、しかし悪への憎悪を凝縮させたようなただの一言が全てだった。明確な拒絶の言葉を聞いてなお、何かしら言葉を紡ごうとした悪漢は放たれた必滅の弾丸によって額を撃ち抜かれ、脳が弾け飛び絶命した。

 悪を一つ消し去った所で犠牲となった被害者やその家族には何の救いにもならないだろう。失われた命は還らず、傷を負った者が癒える事も無い。だが、主にとってはそれが一つの救いである。

 静けさを取り戻した裏路地で、主はあらかじめ用意しておいた死体袋に遺体を詰める。その際に口の中に硬貨を一枚含ませておくのを忘れない。この国で信仰される宗教の世界観では、現世と死後の世界をわけ隔てる川を渡るのに必要な舟渡の金らしい。一般には死者への弔い品になるが、我が主にとってはこれ以上この世に迷い出てくるなという拒絶を意味する。

 結界を解除した我は再び書籍型へと戻る。


「助かった。リム、お前が居なかったらもっと苦労していた」


「そのような礼は道具である私には無用だよ我が主」


 道具は主に異を唱えない。ただ使われ、主の望む結果を生む手助けをするだけである。悪漢を物言わぬ躯に変えたのは主の揺るの無い意思の成せる業であり、道具たる我の成果ではない。故に礼を言われる筋合いなど有りはしない。

 このやり取りも何度目であったか。何度不要と申し上げても止めようとしない。若年性認知症を患うような身ではないだろう。ならば知っていて止めないのだ。とは言えそれに何故と問う事は無い。忠言はそこに含まれていない。ただ編纂し模範する事こそ我が存在意義である。

 だが不思議と主の労いの言葉が心地良かった。


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