朔姫

第56話 身をつくしても

「水泡（みなわ）が、今朝早く届けてくれたのよ」

小萩は、朔がゆっくり見られるようにと配慮したのか、それ以上は言わずに立ち去った。

朔は、その白い紙を見つめた。

これが誰からの手紙か、小萩ももう分かっているのだろう。

胸が高鳴るのは、今まさに考えていたからだ。

あの日からずっと、

私はあの人のことを思わない日はなかった。

そのために今まで生き延びてしまったのだ。

あの場所で、

もう現世（うつしよ）に戻れなくても、ちっともかまわないと思っていたのに。

朔は、そっと白い紙に触れた。

外の冷気を吸って、表面は冷たく、少し湿（しめ）っている。

なかを開くと、——歌が書かれていた。

よほど歌を詠むのが苦手なのか、また引用されたものだったが、それすらも珍しく、好ましい気がする。

あの人の筆跡（て）と分かる、角ばった文字で大きく、

わびぬれば 今はた同じ難波（なにわ）なる

みをつくしても 逢はむとぞ思ふ

( つらい思いに嘆き苦しんでいる今は、難波にある「澪標（みおつくし）」という言葉のように、この身をつくしても逢おうと思います )

——これは、密事が発覚した時の歌じゃなかったかしら。

曖昧な記憶のなかで、朔はそう思った。

この歌のつくり手も、許されない恋をしていたのだ。

手紙の末尾に、

——いつか必ず、会いに伺います

と短く書かれているのを見て、朔は思わず微笑みたくなった。

それが実行に移されれば、今の立場も揺らぎかねないというのに。

朔は手紙を前に、御格子（みこうし）の方を見る。

未だ雪は降り続いていて、辺り一面、白く染まっている。

——ずっとこのまま、降り続けばいい。いつまでも溶けてしまわないように。

そう思いつつ、朔は文箱のなかから美しい紙を選んで、返事を書くべく再び筆を取った。

《了》