第42話 月見の宴


月見の宴は、先月開かれる予定が雨で中止になり、楽しみにしている人も多かったのだろう。

南殿なでんに玉座と御座所がもうけられ、主上が見守るなか、すでにたくさんの人が袖をつらねていた。


そうの琴や和琴の音が響き、その調べにのって、漢詩や月にまつわる和歌が詠まれていく。


真雪は、まわってきたさかずきを受け流すと、南殿の前から人気の少ない方へ、ひとり歩みだした。


月がくまなく清涼な光を降りそそいでいる。

それを愛でる月見の宴なのに、一刻も早く欠けてほしいと願っているのは自分だけだろうと、真雪はおかしくなった。


宮中の遊びに興味がもてないのは、何も今に始まったことではない。

それなのに、笑いさざめく人々の輪に入っていけないことが、ことさら自分の欠陥のように思えてくる。


ここで奏でられる楽の音色は、きっと朔姫のいる場所まで届いているだろう。

そんな想像が浮かんでくるにつけても、ぼうっとしてしまい、集まった人々と話す気にもなれない。



その様子を見ていた人がいたのか、真雪のもとに近づく人がいた。

真雪が気配に気づくと、薄色の直衣をまとう、その人は微笑んだ。


「誰かと思えば、あなたは弓の名手で有名な方ですね。こういう場所には滅多に来ないので、よほど人嫌いなのかと思っていました」



皮肉にも聞こえない明るさでそう言われ、真雪は——どこかで見覚えのあるように思ったが、とっさに分からなかった。

その困惑を見てとったのか、その人はもう一度言った。



「今年初めの賭弓のりゆみで、惜しくも私は負け方になったので、覚えているんです。

私は右馬頭うまのかみ景清かげきよと申します。あの日の弓は、本当に見事でした。

ひそかに負け方の仲間内で、弓のすけと呼ばわしたくらいです」



その命名に、真雪は苦笑した。

そして、なぜこの人物に見覚えがあったのかも思いだした。

以前、照臣の屋敷で開かれた花の宴で、チラリと見かけたのだ。その時も真雪は終わりがけ寄っただけで、すでに殆どの人が退出していたのだが。


気兼ねしなくていい相手だと知り、真雪はふと打ち解けてみる気になった。


「出不精がたたってしまい、人の見分けもつかなくなってしまった。ところで、梧桐の宰相という方はいらっしゃるのかな」


ちょうど照臣の噂話を聞いていたのもあって、真雪は口にした。

ほんのたわむれに口にしたつもりだが、景清は打てば響く速さで言った。



「今、上座で扇を持っている、濃き紫の直衣を着ている方がそうです。あの方は不思議な妖艶さがあって、女君だったらと思う人も多いそうですよ」



照臣の話からどこか偏屈な人物を想像していたが、景清の方を見ると、確かにここから見ても物腰がやわらかく、優美な印象だった。


檜扇ひおうぎをかざしている動作のひとつひとつに品があり、奥ゆかしいとはこういう人のことかと思い知らされる気がする。


主上が掌中の球と育てている皇女ひめみこをご降嫁したいと思うのも、納得できる気がした。

話し足りないのか、景清は続けて言った。



「これは誰にも言っていないことなのですが、明け方、左兵衛府の辺りから出て来られるのを偶然見つけたのです。

誰かと逢い引きするには不自然な場所ですし、それに皇女すらお断りになった方がと思いますが、あれは確かに梧桐の宰相でした」



真雪は、思いがけないことを聞いた気持ちがした。


左兵衛府——といえば、今朔姫が隠れている辺りだ。

それに照臣によれば、梧桐の宰相は、誰かに並々ならぬ愛情をかけているという。


ふたつの話を比べあわせながら、真雪はつとめて何でもなさそうに言った。



「それは、いつ頃の話」


「ほんの数日前。お見かけした時は、本当に意外な気がして、女たちにも見た者がいたようでした」



朔姫が御所に移ったことを知っていて、その世話をしているのなら、『月読』の息がかかった者だろうか。


真雪は気取られぬようにもう一度梧桐を見たが、これまで独身でいたのがもったいない程の容姿で、隠密などとはかけ離れて見える。

主上からの信任も厚いというのだから、それは何かの間違いなのかもしれない。



——しかし。


胸騒ぎがして、真雪は疑いを消すことができなかった。あまり見ているのも失礼にあたるだろうと目線をそらしたが、疑惑がふくらむ程、上座の様子が気になって仕方がない。


もしも梧桐が朔姫のもとに通っているのなら、とても自分に勝ち目はないだろう。

正式に誰かのものになる前に、ひと目姿だけでも見ておきたい。


——そこまで考えて、真雪は自分をさげすみたくなった。


いつからこんなに身勝手になったのだろう。

朝霧の言うように、今は身を清めているさなかかもしれないのに。



南殿なでんからは横笛の音が細く聴こえてくる。

景清は、秋の除目じもくの話をしているようだったが、真雪は今し方の話に心を惑わされ、聞き流してしまうばかりだった。


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