4-3: 開発者会議
情報処理研究所はそれぞれの開発者とのコミュニケーションの場の用意や連絡に追われていた。いくつかの会場が必要なら、 MOO (MUD, Object-Oriented) を使う方法もあるように思えた。だが、それは「会場」という概念に縛られたものであり、議論の場としては適切ではないかもしれなかった。なにより、第一の選択肢はIRCだった。
結局のところ、IRCが現実的であるとなったが、開催時間も問題だった。日本、アメリカ、フランスやスイス。どこを基準にしても、他の地域の開発者には無理を強いることになる。worms については情報処理研究所が主導権を持ち、時間も日本時間に合わせていいのではないかという意見も寄せられた。ブラウザの開発者チームからは、やけになったのか「UTC 00:00から開催にしてはどうか」という意見も寄せられた。結局のところ情報処理研究所のチームは、JST 21:00、UTC 12:00 から開始することとして告知した。
そして、その日が来た。15分前に会場分のチャンネルを開き、worm チームも
だが、黒田はどのチャンネルの担当にもならなかった。最近の英語の検定でのサーティフケイトをチームの助教授に見せたところ、チャンネルの専任の担当としてチャットに入るのは難しいかもしれないと判断されたからでもあった。
「だけど黒田君、君はむしろすべてのチャンネルのバックアップという仕事があるだろ?」
実際、なにかを誰かに訊ねる必要が生じたら、それは結局黒田の仕事になる。仮に黒田が先走った答えをしたとしても、それが基本方針となる。非公式であり、変更の可能性が充分にあるとしても。
ポツポツと、各チャンネルに参加者が入って来た。簡単な挨拶がされ、そしてどのチャンネルでも「黒田はいるか?」と訊ねられていた。
各チャンネルで議論が始まった。黒田が興味を持っていたのは、権利関係のチャンネルだった。
「ともかく経緯を教えて欲しい」
それに対しチームの担当は、先に訳しておいた文部省からの通達、その他の連絡事項を転送、あるいはタイプした。
「選択と集中」という文言に対して、各チームから声が挙がった。
「すくなくとも、こちらではそういう意味では使わないな」
yorm のチームが言った。
黒田は助教授を呼び、通達、連絡とそれらの英訳を確認した。翻訳に問題はないようだった。
その間に xarm のチームが言った。
「こっちでも、それをこういう状況でやるなら、人員を一箇所に集めるだろうな。だけど、もう集まっているわけだが」
「情報処理研究所の知的財産権がどうなっているか知らないが、」ブラウザのチームが言った。「君たちの知的財産権は国が持っているという契約になっているのか?」
「最終的には、」助教授が口頭で言った。「国になるんだろうが。やはり発明者と情報処理研究所が持っている。これまでの特許でもそうだし、これも例外ではないと思う」
「そうすると、」フランスからの参加者が言った。「worm の規格を公開したな。だから皆がこうやって集まっているわけだが。君たちが権利を放棄したわけではない。著作権の中の、日本だとどう呼ばれているかは知らないが、それは特殊な条件の下でなければそもそも放棄すらできないものだ」
「ちょっと待ってくれ。」ブラウザのチームが言った。「文部省からの通達や連絡には、あくまで委譲とあるんだな?」
「そうだ」チャンネルの担当者が答えた。
「文部省か、その天下り教官かはわからないが、単純なミスをしたと思う」ブラウザのチームが言った。「すこしこちらの法務に代わる」
すこしの間の後、またブラウザのチームから発言があった。
「ブラウザを開発しているN社の法務の、ジェイムスン・カーターです。まず、あなたがたは worm に関するなにも委譲していない。それでいいですか?」
「もちろん」チャンネルの担当者が答えた。
「では、委譲すると理解できる発言や文書、文書にはe-mailも含みますが、そういうものも相手に出していない。それでいいですか?」
「そのとおり」チャンネルの担当者が答えた。
「よろしい。文部省やその教官がどう考えたかを、こちらで考えてみました。つまり、あなた方は worm の規格をRFCとして公開した。これにより、 worm の規格は公知となりました。ですから、その企画に基いて、 yorm や xarm の開発者および開発者チームは、自身のそれらを開発できる。開発し、それを公開しても、なんの問題もない。むしろ、企画に合致していないなら、その点を指摘できる」
「だからこそ、 yorm についても xarm についても細かく検証をした」チャンネルの担当者が答えた。
「しかし、こう考えてみましょう。公開され、公知のものとなった。ならば、それに基づいてなにかを作ることにはなんの問題もない。いいですか?」
「それは問題ない」チャンネルの担当者が答えた。
「ここで飛躍が入ります。公知のものであるなら、その利用は自由である。そして、その自由には、以後自分たちが主導すると主張するというものも含まれる」
チャンネルの担当者が黒田と助教授に振り向いた。助教授は首を横に振った。
「理解できない」チャンネルの担当者が答えた。
「でしょうね。私もブラウザの制作会社を通してインター・ネットの文化に触れたときには驚きました。なんであれ、開発者の権利を保護するものがない。もちろん著作権は存在すると考えられていますが。それ以外、他の開発者と利用者の善意による、開発者への敬意がなによりの基盤にある。こんなものが機能するのかと思いました。しかし、こうして集まっているのも、その基盤があってこそであり、そしてそれのみに拠っている」
「それらの点について主張すればいいのか?」チャンネルの担当者が言った。
「基本的にはそうです。規格を利用する自由は存在する。しかし、規格に関するあらゆる権利は、あなた方の同意がなければなにも委譲されることはない。そして、あなた方は、誰にも、何も委譲していない。それを委譲されたと言うのであれば、すくなくとも著作権周りで問い詰められるでしょう。コンピュータや、このようなサービスの規格についての権利や権利の保護は、まだ検討の最中ではあります。しかし、規格はすくなくとも思想などを現わした文書でしょう。そして、コンピュータ関係も含めた著作権およびその他について詳しい日本人の友人がいます。もちろん、日本在住の」
黒田と助教授は顔を見合わせた。
「ぜひ紹介して欲しい」チャンネルの担当者が答えた。
「では、彼の連絡先を」
カーターは、連絡先をタイプしてきた。
「彼にはこちらからも連絡を入れておきます。それから、もう一つ。ぜひ、これに関するすべてのチャンネルのログを公開することをお勧めします。すでに開発者間での意見交換がなされていることの証拠として」
「ありがとう」チャンネル担当者が答えた。
「では、先の者に戻します」
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