それぞれの準備


(ダーゥインシティ・スレイプニル)


どうやらジャンヌは、スレイプニルの船倉を満載にして再出航するつもりらしかった。


普通、探査船の船倉というのは、往きはほとんど空っぽか、せいぜい必要な調査資材や機器類が積まれている程度で、帰路にこそ鉱石見本や地質サンプル、その他もろもろで満載になっているべきものだ。


だがジャンヌは先日の航海でもともと持って行っていた物をムーンベイに_資源探査局の名称としてはエリア5114TRに_ほとんど降ろしてきた上に、さらに何やかやを持ち込もうとしているようだ。


それどころか、ムーンベイに降ろしてきた沢山の資材だって、そもそも公式にはいまでも積んでいなければならない物のはずだから、そのあたりをどう処理するのか、いままさに運び込まれている物資がどういう名目で支給されたものなのか、エミリンには皆目見当がつかなかった。


とは言っても、ジャンヌがやっていることなのだから、隅から隅まで辻褄が合っているに決まっている。

エミリンは毎日のように船倉に運び込まれる多量の物資を驚きを持って眺めつつも、その出所と返却に関する不安を口に出すのは控えておいた。


ある日の夕方、朝から本局に出かけていたジャンヌが大きな箱を抱えて戻ってきた。


「ショウ部長がくれたのよ。ぜひオフィスの壁に飾ってだって」 


ジャンヌはそう言って箱を開けると、中から綺麗な大ぶりのブーケを取り出してエミリンに手渡した。


綺麗に乾燥させたグリーンの葉としなやかな枝で編んだ大きな丸いリースを土台にして、これまた花の色と風合いが失われないように保存処理されたゴージャスな花が色とりどりにレイアウトされていた。

花や葉は水分を完全に取り除いた後に樹脂を浸透せて、柔軟さを失わないように固めてある。

このまま壁にかけておけば、きっと何年でも美しい姿を楽しませてくれるだろうと思えた。


「オフィスって、操舵室の壁にかけておくの?」

 

スレイプニルの操舵室兼CICは、もはやジャンヌとエミリンにとっては一般家庭における居間と変わらないほど馴染んでいるスペースではあったが、こんな大きなブーケを目立つ場所にかけておくには、戦術ディスプレイ群の位置関係を変えたほうがいいだろう。


でも、それよりはギャレーというかダイニングキッチンの壁にかけておいたほうが見栄えがいい。

他にもスレイプニルにはジムや作業室や沢山の部屋があるけれど、船内で二人がいる場所は、操舵室か艦長室かギャレーがほとんどなのだから、そういう場所では日頃、目に止まらなくなってしまう。


それにしてもどうしてこんな飾りをプレゼントしてくれたのだろう? 

二人が言いわけ程度に持ち帰った資源サンプルには、開発局が小躍りして喜ぶほどの内容はなかったはずだ。


「そうじゃなくって、第一〇七支局の遠隔地探査用補給キャンプのオフィスに」 

「へ?」 


「うん、入港してすぐから色々と根回ししてたんだけど、ようやく公式に承認されたの。今日からムーンベイは第一〇七支局専用の『遠隔地探査用補給キャンプ』よ。資源探査局の公式施設だわ」 


「ジャンヌ、なんか凄い感じがする」 


「ありがとう。まぁ、根回しの最中から物資の調達は始めちゃってたし、何が何でも実力行使するつもりではいたのだけど、やっぱり公式なお墨付きがある方がやりやすいし、気分もいいもの。

これで私たちがしょっちゅうムーンベイに行き来していても、誰にも文句は言われないわ。まぁ、たまにはどこかにちょっと資源探査に行って小さな鉱脈くらいは見つけてこないと後ろめたいわね」 


「凄い、凄いジャンヌ! 最高!」 

エミリンは思わずジャンヌに飛びついていた。


「言ったでしょう? 私にできる方法であなたとアクラを守るって」 

「うん...ありがとうジャンヌ...」 


またしてもエミリンは涙声だ。


ジャンヌにしてみれば、自分の胸に頭を押し付けて泣いているエミリンを守ることに比べれば、資源探査局の出世ポジションなどなんの価値もない。


アクラとエミリンの探査が満足にバックアップできる状態さえ維持できれば、それでいいのだ。


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(ムーンベイ・巣)


森林の中央部の、周囲から一段小高く盛り上がったところにアクラの巣はある。


二体のエイムも、ここまでしっかりとアクラの両脇に_時々遅れたり道を踏み損ねそうになったりはしていたものの_付いてきていた。


明確にプランを持てない時は、何かできることを行動してみる。

アクラは、その『エミリン方式』でやってみることにした。


巣に確認コードを送ってゲートを開かせる。

自分はこれまで、巣の防御システムについてあまり留意していなかったので、始めてエミリンとジャンヌをここに連れてくることにしたときには、自分の知らない危険な自動防衛装置が作動していないか、アクラ以外の個体を識別して排除する仕組みが隠されていないかを、事前に徹底的に調査していた。


結果はまったくの白で、逆にアクラは拍子抜けしたほどだったが、峡谷のメイルから他のメイルが巣を持っていないことを聞いた後では納得できる。

そもそも巣を襲撃する奴なんているはずもなかったのだ。他のメイルやエイムは元からそんなものを知らないのだから。


ゲートを開いて、アクラが中に入ると、二体のエイムもおずおずとついてきた。

その行動の素振りやスピードから、若干の警戒心が生まれていることがわかる。


そのままアクラは奥に進んでいく。

巣の構造は一種のトンネルだ。アクラのボディでも余裕があるほどの幅のトンネルがまっすぐに伸びている。

床や壁の内張はアクラの装甲板の外面と同じようなナノストラクチャー素材で、エミリン風に言えばプラスティックぽい材料でできていた。


二体のエイムは横に並んでアクラの後をついてきた。

トンネルの奥行きはそれほどないが、メンテナンスケージを設置しているあたりは一段と幅が広がっていて、楽に方向転換することができる。


そこから後ろは全部資材のストックで埋まっているのだが、必要な資材はパレットに乗って自動的に運び出されてくるため、それがどの位の量なのかは把握していても、アクラ自身が踏み込んだことはなかった。


ケージに入る前で方向転換し、エイムたちと向き合う。

アクラがそこで体を下げて_座ると_二体もアクラと向き合ったまま、静かに足を折り畳んで体を下げた。ただ、それで止まってどうするでもない。 


『やれやれ、まるで親犬になった気分だ...』

そう思い浮かべてから、アクラは自問した。


『親犬』ってなんだ? 

いや、知っていた。

その言葉の正確な意味だけでなく、その言葉が持つニュアンスも理解していた。


エミリン達に出会って以来、自分がいろいろなことを「なぜ知っているのか?」 について悩むのはやめていた。

それは自分の出自とメイルの秘密を知るまでは、どうせわかりっこないことだと思うようになったからだ。

本当に知らないことと、知っているのに思い出せないことを区別する方法は、思考している本人にもない。


そのインスピレーションが一つのアイデアをもたらした。


ジャンヌの言うように、メイルとエイムの作り手が違うという可能性はあるし、その場合、メイルとエイムとでは言語体系が違っている可能性もあった。

メイル語や人間語は理解できなくても、なんらかの言語体系を持っている可能性はあったし、本人たち自身が『それがあることに気がついていない』という可能性もある。


ただ、いずれにしても、彼らの行動から分析した予想では、そう高い知力を持っているとは思えない。


攻撃性を失った後も行動の取り方は野生動物的だし、『高い攻撃性+低い知力』がエイムの行動特性を生み出していたという当初の推定は間違っていないように思える。

そうすると、どのような言語体系であったとしても、あまり抽象的な会話ができるとは思わないほうがいい。


つまり、メッセージはシンプルにするべきだ。


アクラはケージに指示を送り、予備のエネルギーパックを三つ、奥の倉庫から取り出させた。

普通は、ケージに入れば必要に応じて勝手にエネルギーパックの交換をやってもらえるのだが、アクラはあえて作業腕を展開して、パレットに載せて運ばれてきたそれを床に降ろす。


二体はただアクラのすることをじっと見ているだけだ。


そこで自分で装甲とボディ外板を開き、エネルギーパックを体外に取り出した。

まだ反応材は十分に残っているが、それは構わない。これは一種のデモンストレーションなのだから。


そして、作業腕を使って自分で自分に新しいエネルギーパックを装填する。


それから両腕に新しいエネルギーパックを一つづつ保持すると、腕を前に伸ばしてそのエネルギーパックをそれぞれのエイムの前に置いた。


すると、まず左側のエイムがゆっくりと外板を開いて、使用中のエネルギーパックを外に出してきた。

少し間をおいて右側のエイムも同じ動作をする。

この二体の動作にあったタイムラグは、恐らく個性の揺らぎなのだろう。


作業腕をさらに伸ばし、古いエネルギーパックを外して、新しいものをボディに装填してやる。

エイムたちはおとなしくアクラに交換作業をしてもらうと外板を閉じた。


二体のエネルギーパックを装填し終わると、古いパックは回収してパレットに戻しておく。


きっとこのエイム達が本物の仔犬だったら、いまは尻尾を振っているはずだ。

僕は本当に親犬みたいだな。

まぁそれならそれで、適切に振舞おう。

少なくともこの二体の面倒を見ている間は、固定設置型破砕弾の利用は危険だろう。


『やはり、目的と意思から離れた兵器を自律作動させておくべきではないな...』


じっと座っている目の前のエイムたちを眺めながら、アクラは強くそう思った。


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(ダーゥインシティ・ポートエリア)


「ふまり、『へん隔地はん査用の補ひゅうヒャンプ』ってひうのは、資材ほき場みらいな考え方ってころ?」 と、ハンバーガーをくわえたエミリンが聞いた。


「そうね、口にものを入れたまま喋るのは控えたほうがいいわよエミリン」 と、ジャンヌが答える。


でも、ここのハンバーガーは最高だった。

パティはキノコとカリフラワーとナスを細かく刻んでつなぎで固めたもののようだ。それにスライスしたトマト。パティにたっぷり塗ってあるソースの食感は、あの、レストラン・ファローの芸術的な豆スープを彷彿とさせる。


今回の帰港中にもレストラン・ファローにもう一度連れて行ってもらえたので、勇気を出してお店の人に聞いてみたら、豆だけじゃなくて海藻からとったエキスも入っているそうだった。


「ごめんなさい」 


「いい子ね。資材置き場プラス休憩施設ってところかしら。

人間も上陸して休めるようにしておけば長丁場でも乗り切れるし、停泊地の条件が良ければの話だけど、例えばハリケーンのシーズンでもどこかのセルまで避難しておかなくて済むようになるわ」 


「そっか、それだったら往復の手間がかなり少なくなるわね」 


「ええ、ムーンベイは直接外洋に面してない『内海の湾』だから、激しいハリケーンで外洋がかなり荒れても影響を受けにくいわね。

潮流的にもサイドパスは緩いし干満差が小さいでしょう? 

もちろん低気圧の規模次第だけど、例年の規模だったらムーンベイに逃げ込んでいればまったく問題ないと思うわ」 


去年のハリケーンシーズンには、エミリンにとって初めての航海ということもあり、大事をとってちょくちょくワイルドネーションから近場のセルまで戻り、気象情報に気を配っていた。


しかし、セルの密集地帯を離れたら気象情報などないに等しい。

確かにムーンベイなら、広さも深さも十分だし、懐が深いので外洋からの波の影響も受けにくい。

近隣が海側からの強い風を受けて波立っている時でも、背の高い岬の張り出しに守られて湾内は静かだった。


基本的にセーリング時以外は収納しているフィンキールを船底から出したスレイプニルの『ロール復元率』は百八十度を超える。

つまり、転覆して完全にひっくり返されても勝手に元に戻れるということだ。


エミリンには、そもそもスレイプニルでさえひっくり返されるような波なんて想像もできないけど、もし存在するのなら実際に出会うのは絶対にご免だった。


「それに実際的な意義もあるのよ。陸上探査用のレイバーマシンや機材を多めにストックしておければ、有望な鉱脈を発見したときに作業の下準備をしやすくなるわ。そもそも、陸上探査にかけられる時間も長くなるから探査の効率も上がるでしょ?」 


「うん。きっと開発局の手間も少し省けるわ」 

「ええ。ただ、これまでも試みがなかったわけじゃないんだけど、長続きしなかったの」 


「どうして?」 


「寂しいからよエミリン。シティを離れて何ヶ月も暮らすんですもの。私とエミリンのように仲良しで二人っきりを楽しめてる船は例外よ?」 


「あ。そうよね...」 


言われてみれば、それは当然だ。


「たとえ仲のいいチームでも、普通は二ヶ月も経てば休暇が欲しくなるわよ。

その度に交代でセルに戻るんだったら、キャンプを置いている意味はあまりなくなるでしょう? ヴァルハラ級以前は乗員数も多かったし。

でも、ショウ部長もあなた達なら大丈夫でしょうって言ってくれたわ。

去年なんて、ほとんど一年間出ずっぱりだったものね、私たち」 


そう言ってジャンヌが椅子の上で足を組み替える。

今日のジャンヌは久しぶりのロングスカートだ。

布地は柔らかな深いブルーのベルベットで、あんまり素敵なので、一度せがんで履かせてもらったら、裾全体がモップのように床にへばりついていた。


それにショックを受けて、もう二度とジャンヌの服を借りるのは止めようと心に誓ったのだ。

スカートだけじゃない、シャツやジャケットだって、丈はともかくも胸の周辺の布地が余りすぎる。


「ただ、今回は長期滞在の補給物資と陸上探査用の機材だけじゃなくて、本格的な検査機械を幾つか積んだわ。

あの、エミリンが都市遺跡で見つけた手記があったでしょう?」 


「あれはジャンヌが見つけたんでしょう。私は単に箱を見つけただけだわ」 


「そんなことはないわ。あの箱も、あの都市自体も、あなたが調査したいって言わなかったら確実に素通りしてたんだから。

それはともかく、もし内陸部の調査を進めることができたら、ああいうものを発見する可能性も高いと思うのよ」

 

「そうよね、きっと奥地には私たちの知らないものがいっぱい眠ってるっていう気はするもの」 


「そうよ。でも、もしそういうものを発見できたとしても、詳しい検査のために毎回ダーゥインシティまで持って帰りたくはないもの」 


そういってジャンヌは茶目っ気たっぷりにウィンクしてみせた。もちろん、アクラのことを言っているのだ。


「ふふ、それにそういうものを見つけたときにはジャンヌが頼りだわ。私はサイエンスは全然ダメだし。あの、あれ...を見つけた時だって」 


なんとなく、COREと攻撃中枢の名前を口にするのが憚られて、手でシリンダーの形を作ってみる。


「アクラったら、私がそれを手に持ってるのに『是非それはジャンヌに調べてもらおう』って慌てて釘さしたのよ! もうっ!」 


ジャンヌは大笑いした。


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(ムーンベイ・浜辺)


浜辺で高台の草地に座るアクラの両脇に、二体のエイムは座っていた。


より正確に言うと『腰を下ろしていた』が、普通、メイルやエイムは、こういう体の下ろし方はしない。

物陰に身を隠すなどで背を低くしたい時は、六本の足を同じように畳んで、昆虫が腹ばいになったような姿勢をとる。


いまは後ろ足をきっちりと畳んだ状態で前脚は伸ばし、自然とボディが斜めに上向く姿勢を取っていた。言うまでもなくアクラの真似をしているのだ。


エミリンがアクラを動物的だと言った理由はこういうところにもある。

アクラの足のつき方は普通のメイルと違って肩と腰から垂直に出ているし、まぁ肩が二つあることは置いておいて、手足のつき方も関節の動き方も哺乳動物のそれだった。


アクラがどこに行こうとしても、二体は必ずついてくる。

哨戒活動の時も岬の丘の上で物思いにふける時も、かならず横か後ろにはこの二体がくっついている。

これが人間だったら、あまりのプライバシーの無さに発狂していたかもしれないが、幸いアクラにはそういう意識はなかった。


しかし現実問題として困ったこともあって、この二体が常に横にいて一緒に動いているということは、ステルス装甲がほとんど意味をなさないということだ。


それに万が一敵意を持つメイルやエイムが現れたときに、自分だけがステルス装甲で姿を消したりしたら、攻撃中枢を失っているこの二体は、間違いなく『囮』になってしまうだろう。


アクラにとって、それはもはや耐え難い行為だった。


幸いエミリンの再訪以来新たなメイルやエイムの襲来は受けていなかったが、それは単に時間の問題で、必ずいつかは訪れるだろう。


それにいまはもう、あの『地雷』のような装置を作って置くつもりにも到底なれなかった。

あれは、敵意のない存在でも見境なしに破壊してしまう装置なのだ。

その悪意たるや敵への先制攻撃どころではない。


来るべきエミリンの防衛で頭がいっぱいになっていたからこそ、あんな醜悪な兵器を生み出したのだといまは自分でも思う。

二度と作る気はなかったし、そのことをわかる機会を作ってくれたという意味では、心の中で、この二体のエイムに感謝もしていた。


あの時は、自分がこのエイムたちを助けたと思っていたが、本当は、自分の方がこのエイムたちからチャンスを貰っていたのだ。


兵器というものの意味について、より深く考えるようになれるチャンスを。


そういうわけでアクラは、できれば今後もこの二体の面倒を見たいと考えていた。

もちろん、エミリンの行動サポートが最優先ではあるが、それに影響を与えない範囲では、この二体の生存性を高める方策をなんとかして見つけてあげたかった。


巣のメンテナンスケージで、二体のレーザーポートの機能を停止させ、破砕弾の弾頭も取り出してある。

もはや適切に使うことができないであろうそれらの兵器は、不測の事態、平たく言えば事故を引き起こすリスク要因でしかないからだ。


二体は、アクラにメンテナンスケージに押し込められて、スキャンとマニピュレーターの操作を行われている間も、じっとおとなしくしていた。

最初にエネルギーパックの交換をやって見せたのは、きっと正解だったのだろう。


あれ以来、エイムたちと少しでもコミュニケーションを図ろうと努力してきている。

メイル言語の理解についてはほとんど諦めかけているが、恐らくなにか方法はあるはずだと信じて試行錯誤を繰り返していた。


本来はジャンヌの知恵と手を借りた方が早いのかもしれないが、できることならジャンヌやエミリンが戻ってくる前に、最低限のコミュニケーションを確立して、あの二人に脅威を感じさせることのないようにしておきたかったのだ。


さておき、アクラはとりあえず今日の哨戒パトロールに出発することにした。

さして意味のある行動ではないが、じっとしていても始まらない、それだけだ。


アクラが腰をあげると、二体も続けて腰を上げた。

この一週間ほどの経験で、もうそろそろパトロールに出かける頃合いということは予期していたらしく、行動が微妙に早い。


アクラが歩き始めると、二体が両脇に並んだ。いつものコースだ。


このコースも、特に意味があるというわけではないのだが、エミリンとの邂逅前から習慣になっていたコースだった。

メイルの感覚からすれば哨戒パトロールという名の散歩コースのようなもので、別に敵を探しているわけでなくても、馴染んだ道を歩いていると心が落ち着く。


しばらく進んだところで、いつも通りに少し開けた草地に出る。

と、そこで右脇にいた方のエイムがアクラの前に出た。

もうコースを覚えてしまったからだろう。アクラがいつもと同じルートを辿ると推定して、自分が先導するつもりだ。


こういう動作からも、この二体のエイムがエミリンたちの使っているレイバーマシンのように単純な『装置』ではなく、自意識を持つ知性体だということが伺い知れる。


自我を持たないマシンは、自ら欲求を生み出して目的を定めることはできず、指示やプログラムなしには決してこういう行動をとったりはしない。似ているように見えても、それはただの反応だ。

条件反射が星の数ほども集まれば知性になるのかもしれないが、そのあたりの考察は自分の手には余る。


それをしばらく見ていた左手のエイムは、やがて速度を落としてアクラの後ろ側に回った。こっちは後衛のつもりだろうか。

先に一方が動いたのを見たことでこちらも刺激受けて、自分の取りうる行動について思考したのだろう。


高原からの帰り道に傷を負ったアクラのボディーガードを自ら任じていたように、目的を設定する力と、なにかを守る本能のようなものは、攻撃中枢がなくてもしっかりと生きている。


それを見てアクラは少し嬉しくなった。

身を守る本能と目的意識が残っていれば、自分を守ることができる。

攻撃ができなくても、あの峡谷のメイルのように、身を隠し続けることで生き残れる可能性も高い。


それはアクラにとって、『責任感』の重さを少しだけ和らげてくれるものだった。


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やがてアクラはエイムたちとのコミュニケーションに取り組むに当たって、メイルの言葉ではなく人間の言葉に重点を移した。


いうまでもなく、エミリンやジャンヌと引き合わせることも考えた上での判断だ。

というか、この二体が自分のそばを離れようとする気配はまったくないので、このままだったら引き合わせるしかない。

そうなったときに、微かでも通じるコミュニケーションが可能なのであれば、それはエミリンやジャンヌとも共有できた方が、はるかに都合が良かった。


作業腕を展開して木立の一つを掴む。

そして人間の音声で『木』と言ってみせる。


それを何度もやって見せた。

予想通りだが、何回繰り返しても返事はまったくない。


これまでの経過で、この二体には音声・音波を出力する装置がないか、そもそも、その制御概念がまったくないのではないかと考え始めていた。

つまり、メイルと違って音でコミュニケーションする言語を最初から持っていないという可能性だ。


これまで、たとえ憎まれ口であっても、自分が一度もエイムの声を聞いていないことがそれを裏付けている。

峡谷のメイルに初めて会ったときのように、電磁波系を使ったアプローチも色々と試みてみたが、どれも微妙な『反応』はあるものの『返事』はなかった。

この二体の思考レベルではスキャンは単にスキャンであって、何かそこからの連想によって意味を掴み取るのは難しいのだろう。


それでも、この二体が自分や峡谷のメイルのように『表層的には忘れているが、内部に言語的知識を内包している』可能性はあるし、言葉を音にできないことと言葉を知らないことが同じでもない。


『木』とまた音声を発してから、次に作業腕のレーザーで木を切り倒した。

あまり期待せずに『木を切る』と言ってみる。


『木を切る』そう繰り返しながらレーザーで枝を払い、倒した木を脇へよけて次に取り掛かる。

それを何度か繰り返して木立の一角をあらかた伐採すると、いつの間にか丸太の山ができていた。


特に木材の利用目的があったわけでもないのだが、これもエミリン方式の結果ということだ。


とりあえずの結果を利用すべく、一本の大きな丸太を作業腕で掴み出して背中に乗せる。三角州の橋をかけたときに散々繰り返した作業なのでお手の物だ。


すると一体が丸太の山に近づいてきた。


どうするかと見ていると、作業腕を持たないエイムは、頭側の一対の足を根元の関節からくるりとひっくり返して腕のように持ち上げ、折り畳んであったマニピュレーターを展開して丸太に近づいていく。


よく見ると、四本足で移動してもバランスを崩さないように、足の付け根が接続されているシャシーの部分のレールの上で、ボディ全体が少し後ろにスライドして重心をずらしていた。


なるほど、あのレール構造は単に移動時の重心バランスを取るだけではなくて、こういう『手を使う』作業のときにも役立つのかと感心した。

同時に、自分がメイルやエイムについて大して理解していないことをまたしても実感する。

峡谷のメイルも、この機能を上手く使って急斜面でボディを保持しているのかもしれない。


彼はそのまま臨時の『両腕』で丸太を掴むと、それをアクラと同じように頭上で転回させて背中に乗せた。見ていて動作を覚えたのだろう。


まもなく、もう一体も丸太の山に近寄って同じことをする。


そういえば、巣でエネルギーパックを交換した時も、哨戒ルートの先導を始めたのも、いま、率先して作業を真似し始めた方の個体が早かった。

行動がほとんど同じに見えるエイムにさえ、わずかながら個性があることが面白い。


二体が揃って丸太を背中に担いだのを見て、アクラは『木を運ぼう』と言うと、浜辺へ向かって歩き出した。


高台の草地までそれを運び、適当な場所に背中の丸太を下ろすと、二体も続けて同じ場所に丸太を下ろした。そして、その場でそのままアクラの方を見上げている。


物は試しとアクラは言ってみた『木を運ぼう』


すると、二体は_例によって少しのタイムラグを置いて_立ち上がり、森の方へ向かっていった。


これは期待できそうだ。


しばらく待っていると、二体のエイムはそれぞれの背中に丸太を抱えて戻って来た。同じ場所に丸太を下ろして、またアクラの方を見る。

『木を運ぼう』アクラが再びそう言うと、また森林の方へすぐに向かっていった。


やはり音声は伝わっているし、その音のパターンと目の前でアクラが見せた行動のパターンを結びつけるだけの知力もある。

やはり微かとは言え人間の言語体系の存在を感じる以上、メイルとエイムの作り手は、たとえいまは別の存在であったとしても『由来』は同じだとアクラは思った。


峡谷のメイルが、初めて出会ったときにはたどたどしい言葉しか交わせなかったのに、対話を続けるうちに、あっという間に語彙も話し方も豊かになっていったことを思い出す。


エミリンと一緒に会いに行ったときにはすでに随分と洗練されて、しかも興味を満足させるために自分のボディを危険に晒すことを選ぶほど知的な存在になっていた。

彼が人間語を話せるようになるのは時間の問題だろう。

エミリンと出会ったあとの自分自身の経験も同じだ。


最初の出会いの時は、何を言われたのかさえ理解できなかったのに、次に出会ったときには、自分で音と言葉を関連づけることができた。


つまり知力は使用しなければ減退し、使用すればするほど増進するということを示している。

ならば、この二体も_限界はあるにせよ_自分と一緒にいることで知力を増進させる可能性はあった。


後は、メイルとエイムの根本的な差がどの程度か、という点が問題だが、それも試してみないことにはわからない。


引き続きエミリン方式で行こう。


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(ダーゥインシティ・スレイプニル)


「そう言えば、あの手記はどうなったの?」


エミリンは、ふと思いついてジャンヌに聞いてみたが、特に深い意図はなかった。言うなれば、曇り空を見上げながら「明日は雨かしら?」と、さして答えなど期待せずに口にする。そんな感じだった。


だが、エミリンの気軽な言葉に対し、思いがけずジャンヌは表情を曇らせた。


「後期都市遺跡時代の社会やテクノロジーを研究している部署に送られたとは聞いてるんだけど、その後の解析結果とか資料価値の評価はまだなにも戻ってきてないの。

なんどか問い合わせをしたんだけど、ずっと『解析中』って返事なのよ」


「えー、あんな凄い発見だったのに。それに手記だけじゃなくて、いろんな資料やデータも一緒だったんでしょ?」


「ええ、私としては、当時の社会を知る上で、とっても参考になるデータだと思ったわ。

混乱状態が拡散した流れを記した地図とか、あのニューダーカーの人口や産業の統計資料だとか、市の組織や管理体制の目録とか。あれを書いたオマルって人は、かなりまじめな人だったみたい」


「沿岸部じゃ印字された歴史資料って凄く貴重なのにね」


「そうよねぇ。後期都市遺跡時代の大都市があった場所は、大抵が水面下に沈んじゃってるものね。

それに当時の技術でデジタル化されたらしいメディアも全部まとめて送ってあるわ。どうせスレイプニルの設備じゃ解析できなかったし」


「今度の、その...内陸調査...でも何か見つかるといいなぁ。せっかくそれ用の機材も積んだんだし」


「そうね。でも、まずはアクラとメイルの由来を探る方が優先だし、都市遺跡の図書館に行き当たるなんてことは、そうそうないと思うから」 


ジャンヌはそう言ってにっこりと笑った。エミリンの調査意欲自体に水を差す気はない。


「あの手記に関しては、密度の濃い情報源だからこそ、丁寧に分析に時間を掛けているとも考えられるし...。

それに、資料から直接写し取ったデータ自体は私たちも一式持っているのだから、いずれ時間ができたらシティの図書館に入り浸って自分たちで分析するのも楽しいかもしれないわね」


「そうだよね。私なんかには意味もわからない数字や単語ばっかり並んでたし、ちょっと数学パズルみたいな感じがするかもね」 


エミリンは無邪気にそう言って笑い、並んだドローンの方に向き直ってやりかけの作業に戻った。

レイバーマシンのメンテナンスはレイバーマシン同士で行うとはいえ、やはり人間の目によるチェックは必要だ。

特に、エミリンは、艦載ドローンのメンテナンスをマシン任せにしてしまうのは好きではなかった。


ジャンヌはくるりと背中を向けたエミリンを微笑ましそうに眺め、出航準備の最終確認を行うためにCICに通じるステップを上がっていった。

だが心の中には、わずかだが微妙なざわめきが残っている。


あまり気にしないようにしてきたけれど、あのニューダーカーで発掘した手記には、歴史好きのジャンヌでさえも知らなかった事実 〜 もちろん、それが事実だと仮定すればだが 〜 が、記載されていたし、しかもそれらの『事実』は、なんとも重苦しい出来事の積み重ねの挙げ句、人類が滅びかけたということの裏付けだった。


気候の激化による食糧難や資源の枯渇、それに伴う環境破壊と疫病で人類が滅びかけたことは誰でも知っている。

しかし、あの手記に書かれた様子はどうやらそれが、『特に男性種を標的にした人為的な物だった』と匂わせていた。


だれかが明確な意思を持って行動した結果、人類の99パーセントを死に追いやったとでも言うのだろうか?


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