ディスプレイ
(エリア5114・残骸)
近づいていたエイムがふいに動きを止めた。
おそらくジャミング波の繭を通して残骸の影にあの人間を不自然な熱源として見つけたのだろう。
このままじっと動かなければエイムの判断を混乱させて、あと二十秒ぐらいは生きながらえるかも知れない。
そこでエイムが攻撃予備動作に移った。
相手がわからないから念のためにだろう、目標を視認してレーザーで撃つのではなく、この残骸ごと破砕弾を使って吹き飛ばすつもりらしい。
やれやれ、荒っぽい性格の奴だ。残骸からは少し離れていて正解だった。
アクラがこれまでにメイルやエイムと戦った経験や、メイルやエイム同士が戦った残骸の痕跡からも言えることだが、そのほとんどが破砕弾ではなくレーザー砲による攻撃で決着が付いていたことから、積極的に破砕弾を撃ってくる個体は少数派だと言って良かった。
メイルやエイムの搭載している破砕弾は強力といえど、それほど確実性の高い兵器ではない上に、アクラのような誘導システムも持っていないらしく、高い弾道を描いて垂直に投射されるという特性から、そもそも動いている標的や、発射した後に素早く相手が動いたりした場合の命中率はあまり高くないようだった。
しかも破砕弾を発射する際にはいったん動きを停止して発射筒のハッチを開かないと攻撃できないらしい。総じて言うと、メイルやエイムにとって破砕弾は主に待ち伏せ時に使う武器という位置づけのようだ。
ともかく、これでアクラにとってはますます有利な状況になったと言える。
破砕弾が残骸に着弾した直後にこちらからレーザーで砲撃したら、エイムがその攻撃を察知して避けることはまず不可能だ。
さらに、上空のドローンを通じてどこかから監視しているかも知れない人間の本隊に対しても、破砕弾の爆発後のノイズに紛れて隠密にこの場を離れることも難しくないだろうと思える。
残骸の影にいる人間の体が、さらに小さく縮こまったように思えた。
全体に表面が振動しているのがわかる。
体表を振るわせているらしいが、それにステルス装甲のような幻惑効果があるとは思えない。
もうまもなくこの人間は破壊されて活動を停止するだろう。
自分に近づいてくるエイムがいったん停止したことを感じて、その姿を残骸の足の隙間からのぞき見ようとしたらしく、震えている体の向きをわずかに変える。
その時、人間の顔が見えた。
怯えていた。
なぜかそのことは解った。
そう、この人間は間近に迫った完全な破壊、自分の『死』に対して怯えているのだ。
それは仕方がないことだ。
この小さな人間の存在は、アクラの目と鼻の先で、あと数秒で消え去ってしまうのだろうから。
アクラは想像する。
敵の武器に照準を合わせられ、反撃することも退避することもできず、その武器からの強烈な力が自分に向けて発射されるのを待つだけの時間とは、ただ破壊されるのを待っている時間とは、どんな風に感じるのだろう?
怯えるという概念はなぜか知っていたが、それを体験した実感のないアクラにとって、具体的にそれがどういう思考過程を伴うのかは、上手く推測できなかった。
人間が再びうつむいた。
エイムの姿が確認できたらしい。
その折りたたんだ体を自分で抱きかかえるように、膝の上にうつむいた小さな顔を乗せてさらに縮こまる。
今度はアクラの位置からも人間の顔がよく見えた。
黒い小さな二つの目が、力なく地面を見つめている。
それは、とても、とても、小さな顔だった。
次の瞬間、アクラはあえて兵装システムのハッチを開けて、エイムの注意を自分に引きつけていた。
不意に現れた敵の不完全なデータに混乱したエイムがワンダラーの残骸への砲撃を逡巡し、こちらに射線を向けようとした間隙を突いて、アクラは頭を上げレーザー速射砲を撃ち込む。
そのまま真横にすっ飛ぶように移動しながら間髪入れず空中でレーザーを連射し、着地と同時にレールガンを解き放いて、目標地点に正確に散開スティングを叩き込んだ。
すかさず次弾を装填してチャージし、同時に敵の動きをスキャンする。
だがどうやら、最初のレーザー砲の連射で仕留めていたようだ。
エイムは完全に動作を停止し、放射状に散らばりながら着弾したスティング弾頭に貫かれたあちこちの穴や裂け目から、崩壊するナノストラクチャーの回路が埃のように吹き出し始めている。
と、まもなくエイムのボディがほとんどバラバラになる勢いで地面に崩れ落ちた。
アクラは念のためにできたてほやほやの残骸を入念にスキャンし、敵エイムのボディが完全に活動停止したことを確認してから、最初の残骸と人間の方に向き直ってステルス装甲を解除した。
残骸の影に縮こまっていた人間にしてみれば、突然茂みの中から火花が飛び出し、その後アクラが空間から姿を現したようにしか思えないだろう。
その人間は、もはや体表を振るわせることさえ停止して、姿を現したアクラの方をただ凝視していた。
アクラは、その人間が戦闘行為に直面した強いショック状態で次の行動プランが立てられない状態にあると推測する。
それはアクラにとってもある意味で同じことだった。
たったいま、自分が取った行動がわからない。
いや、行動の内容は分かっているのだが、なぜ、自分がそういう行動を取ったのかがわからない。
さっきまで、そんな戦術プランは何処にも無かったはずだった。
自分で自分を不利にする行動を取っている。
プランより先に行動が生まれていたとしか考えられない。
それはおそらくなんらかのショック状態なのだろう。
それでもアクラは次の行動を決めなければならない。
まず、この人間から自分が攻撃を受ける危険は極めて少ないと推測できる。
そう考えてアクラは小さな人間に近づいていった。
残骸の周りは、まだジャミングの繭が揺れ動いているが、人間の通信リンクも念のためにアクラ自身でジャムしておく。
小さな人間はまだ残骸の影に座っている。
いや、立ちあがれずにいると言うべきなのだろうか?
その小さな人間は、近づいていくるアクラから目が離せないようだった。
怯えている。
やはり怯えているままだ。
なぜかその事実は、アクラをとても残念な気持ちにさせた。
これも理由はわからない。
アクラが近づく。
人間が少し動こうとする。
いまさら逃げようというのだろうか?
アクラが更に近づく。
だが人間はそれ以上動かないようだった。
アクラは理解した。これは『諦める』という概念だ。
この人間は、どうやってもアクラから逃げられる可能性がないことを解っている。
自分の生命が、すでに自分の管理下にはない事実を突きつけられて、次に取る行動の判断を放棄している。
人間は、実際の損傷がなくても強く怯えると判断ができなくなるのだろうか?
いや、もしかすると判断の放棄というのも一つの判断なのかもしれない。
そうだとすると、これは新しい知見だ。
すでに、アクラと人間の距離は10メートル以内に縮まっている。
やはり人間は怯えている。
アクラはそこで止まった。
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(エリア5114・邂逅)
エミリンは、とても長い長い時間が過ぎた気がしていた。
さっきまで自分は死ぬと思っていた。
それも二回続けて。
残骸の調査に夢中になっていてセンサー異常を見逃し、メイルの接近に気づかないままだったことを知ったとき。
そして、そのメイルが突然破壊されて、攻撃を行った別のもっと大きな異型のメイルが突然目の前に現れたとき。
メイルは攻撃を躊躇しない。
先手必勝とはメイルの行動原則を表現するためにあるような言葉だし、エミリンの知るメイルの概念と照らして、自分がその場を生きて出られるチャンスは、二回ともゼロのはずだった。
だが、新しく現れた見たこともない形のメイルは、自分の仲間のメイルを破壊したのに、なぜか人間であるエミリンを攻撃してこない。
ある程度まで近寄ってきたのに、そこで止まって動こうとしない。
初めて見るそれは、普通のメイルとは大きさも雰囲気もかなり違うけれど、エミリンは、やはりそれがメイルだと確信していた。
エミリンは、ただじっとその場にうずくまって、自分の命が消える、いやメイルに掻き消される瞬間を待つだけの存在だったのに、まだ死んでいなかった。
残骸含めて合計三体のメイルに囲まれて、まだ自分が生きている理由がわからない。
そして、あと何秒生きていられるのかもわからない。
ひょっとして、この巨大なメイルは、もう壊れているんだろうか?
もしそうだとすれば、まだ自分には生き延びるチャンスがあるんだろうか?
ふとそう考えたとたん、メイルがまたゆっくりと動いた。
ただし、さらにエミリンに近寄るのではなく、姿勢を下げている。
それはなぜかエミリンにとって、動く気がないと言うメイルの意思表示のようにも思えた。
やがてうずくまったメイルの頭部の先端に小さなハッチが開いて、するするとケーブルのようなものが伸びてくる。
武器には思えなかった。
そのケーブル的なものは、エミリンのすぐ前まで伸びてくると、そこで一旦動きを止めた。
まるで考えあぐねているようにも思える。
エミリンはメイルを刺激しないように、と言っても何が刺激になるのか解らなかったが、できるだけそっと動いて、肩から提げたスキャナーを目の前の地面に置いた。
特に考えが有ったわけではなく、他にできる行動が何も無かったからというだけに過ぎない。
それに、どうせいま走り出しても意味はないのだから。
だがケーブルは、エミリンが置いたスキャナーに静かに近づいてきた。
まるでヘビが鎌首をもたげるように、スキャナーの周りを立体的に探っている。
おそらく中身を電子的にスキャンしているのだろうと思った。
人間のスキャナー機材を解析して、メイルはいったいどういう答えを出すのだろう?
次がどうなるかわからないままエミリンが動けずにいると、不意にスキャナーのディスプレイに光が浮かんだ。
ぼんやりした光、幾つかの点、不鮮明な線、無意味な模様の変化、そういった表示が繰り返し浮かんでは消え、でも、徐々に表示される線が鮮明になってきている気がする。
突然エミリンは理解した。
スキャナーの内部構造を掴んだメイルがディスプレイ制御素子を解析して、思い通りに表示ができるかを試しているんだ。
そして、徐々にそれに成功しつつあるように思える。
じゃあ、いまだにエミリンを殺そうとせず、時間を掛けてまでディスプレイ表示を思い通りに制御したい理由はなんだろう?
コミュニケーション...?
そんな突拍子もない答えが頭に浮かんだ。
自分でもまさかとは思う。
でも、ひょっとしたらこのメイルは、なぜか私とコミュニケーションを取ろうとしているのかもしれない。
エミリンは、さっきまで死ぬはずだったことも忘れて、いや、もしかして生き延びられるかも知れないという希望を自覚することさえ飛ばして、メイルとコミュニケーションができるかも知れないという可能性に驚愕した。
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アクラは、人間が地面に置いた装置を丹念に解析した。
最初は武装解除の意思表示のつもりだろうかとも考えたが、この人間にとって、そんな行動に意味はないはずだ。
これがいくつかのセンサー類と簡単な通信システムを組み合わせた単純なスキャナーであることは、すぐに解った。
興味を引いたのはフラットで光を透過する素材の部品だった。
内部構造を解析してみたところ、電荷が掛かることで均一に並べられた素子が発振し、一定方向に電磁波のかたちでエネルギーを放出するらしい。
電磁波の放出と言っても、レーダーや武器になるようなレベルではとてもない。
透過素材の方向にエネルギーを放出して...それはおそらく人間の可視光域で発光するのだろうとアクラは推測した。
作動原理としてはレーザー砲と変わらないが、その出力は桁違いに小さく、アクラのボディとナノストラクチャーの構造一つを比較するほどの差がある。
試しに、センサーケーブルの終端から素子に向けて、周波数の範囲を変えながら電磁波でエネルギーを送り込んでみた。すると装置の平面がわずかに光を帯びた。
正解だ。
この平面上に光のパターンを浮かび上がらせることで、人間はスキャナーの得た情報を視覚的に把握するのだろう。
機械内部の微細構造をチェックするための電子スキャナー機能を流用し、ケーブルから送り込む電磁波のスペクトルやビームの絞り方を工夫することで、徐々に点や線を思い描く通りの形状で光らせることができるようになってきた。
だが、何を表示すれば良いのか?
まずは、この場の情景を簡略化したパターンで描いてみることにした。
発光素子が用いているスペクトルの領域から人間の視覚で利用していると思われる電磁波の帯域を推定し、そのスペクトルで見えるはずの情景を脳内に組み立て、その一視点からのエッジを抽出する。
それを線として平面上に表示すれば、人間は、そこに映っているものがこの場の状況のメタファーであると認識できるのではないだろうか?
そうアクラは推測して、何度か描画モデルを変更しながら、まず自分自身のボディのエッジ、つまり一方向から見たときのボディの輪郭を描いてみた。
これはもともと持っている自分の三次元データを出発点にすれば良いので、簡略化して形状を設定することは簡単だった。
人間は、じっとスキャナーの平面を凝視している。
上手くいきそうな予感がする。
次に、残骸と、その場にうずくまっている人間自身の輪郭をできるだけ抽象化して、つまり線の数を減らして描いてみた。
これも、時間は掛かったがなんとか認識されたように思える。
あれこれ工夫している間に描画プロセスがだいぶ洗練されてきたと自分でも思うので、次に、空間座標で見た場合の、自分と、メイルの残骸、人間、そして先ほど破壊したエイムの位置関係を、できるだけ特徴的な形状にして俯瞰した二次元座標に描いてみた。
その三種類の図形を、二度づつ交互に表示してみる。
図形を見た人間が頭を縦に交互に動かす動作は、おそらく理解を示す動作だろうという仮説を立てた。
簡易かつ一方的ではあるが、これで情報伝達の手段は手に入れたようだ。
さて、では自分は、この人間に対していったい何を伝えたいのだろうか?
それが問題だ。
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エミリンは興奮していた。
スキャナーのディスプレイにランダムな線や点がひとしきり表示された後、徐々に線の数が減っていった後に現れてきたのは、まさに目の前にいるメイルの形状を示しているように思えた。
しばらくの間、その「絵」のようなものが表示された後、画面が消えて、今度はもっと複雑な線の組み合わせが浮かんできた。
最初は何か解らなかったが、じっと見つけめていると突然、これはいま向かい合っているメイルから見た自分、残骸の影に座り込んでいる自分の姿だということが閃いた。
エミリンは、思わず頷く。
その次に現れたのは、点在する幾つかの塊だった。
3つある塊の形状はどれも少しずつ違っていて....だがこれも突然解った。
これは、上から見下ろしたときのこの場の情景だ。
真ん中にある不規則で大きな形状が、倒れていたメイルの残骸とその陰にいるエミリンで、画面の端の遠い方にあるのがさっき破壊されたメイル。
そして近い方にあるシンメトリーな形状が示しているのが、いまやり取りしている相手の、この大型メイルだ。
エミリンは、また強く頷く。
つまりメイルとは空間概念を共有することができるということだ。もちろん向こうが合わせてくれている可能性はかなり高いが。
メイルの行動原理はわからない。
現にいま、仲間のメイルを破壊しておきながらエミリンを殺さない理由はまったく想像も付かない。
ひょっとしたら、このコミュニケーションもメイルにとってはなんらかの実験や調査のようなもので、向こうの気が済んだらあっさり殺されてしまうのかも知れない。
だが例えそうであっても、人間とメイルがコミュニケーション、つまり概念の共有をできているというのは驚愕すべき事実だった。
『できれば死ぬ前に、このことをジャンヌに伝えたいな...』
エミリンはそう考えて、少し寂しくなった。
それはやはり、いまでも自分が生き延びられるチャンスがさして大きくはないことを覚悟せざるを得なかったからだ。
ディスプレイの画面がまた消えた。
何が表示されるのだろうとエミリンが見つめていると、今度は曲線の組み合わせが画面一杯に表示されてきた。
様々な曲線が揺れ動いていて、次にどんな形状が描かれようとしているのか中々はっきりしない。でもなんだかエミリンには、それが何なのか、すでに知っているもののような感触がある。
そのまま待っているとようやく画面のパターンが固定され、エミリンは数秒後にそれがなんであるかを理解した。
これは一種の地図だ。
いまエミリン達のいる、このエリア5114TR沿岸地帯の地図だ。
エミリンが強く頷くと、ディスプレイに新しい光点が追加される。
この地図がエミリンの理解している通りの縮尺であれば、それはいままさに自分たちがいる座標位置だった。
エミリンが再度頷く。
さらに小さな図形が追加される。
今度は湾内に停泊しているスレイプニルの位置だ。
咄嗟に、『まずい、メイルはスレイプニルの位置を掴んでいる』という考えが浮かんだ。
ついさっき、この大型メイルが見せた凄まじい攻撃力を思い出す。
これまでにエミリンがドローンを通じて交戦したことのあるメイルとはパワーの桁が違う感じがする。
このメイルならスレイプニルでさえ沈めてしまうかも知れない。
だが、いまさらそれをどうこう考えても始まらない。
ジャンヌに危害が加わらなければ良いけど、という思いを半ば無意識に浮かべながら、エミリンは頷いた。
光点が更に追加される。
いや、光点がどんどん増えていく。
一定のペースでゆっくり増え続けるその光点は、中央の現在位置から増え始めて一本の軌跡を作り出し、やがて線となった。
その線は、明らかにこの場所から、奥地の森林へ向けて伸びている。
そして、ほぼ画面の端までのびた線の横に、一個の図形が浮かんだ。
これは見覚えがある。
さっきの俯瞰図に使われていた、この大きなメイルの姿だ。
このメイルの縮小された形状がディスプレイの端にアイコンのように浮かんでいる。
その意味を考えていると、また別の光点が中央に現れ、今度は反対方向に伸びていく。
エミリンは直感した。
この点は間違いなくスレイプニルに向かうだろう。
まもなく、予想通りに点の繋がりは現在位置とスレイプニルを結ぶ線となって完成した。
そして、スレイプニルの横に浮かぶ図形は、先ほどのうずくまっているエミリンのアイコン。
やがて二つの線は、表示されたときの順を後追いして、中央からそれぞれ反対方向に向けてゆっくりと消失していく。
二本の線が消えた後、それを追うように画面の端に表示されていたメイルの形状も消えた。
いま地図の上には、スレイプニルとエミリンを示すアイコンだけがそのまま消えずに残っている。
それの意味するところは何だろうか?
エミリンは今度は頷くと同時に、ゆっくりと顔を上げてメイルの前端部を見つめ、口を開いた。
「あなたは、私に船に戻って良いと言っているの? あなたはこのまま、森の奥にもどっていくつもりなの?」
言葉が伝わると思っていたわけではないが、エミリンはそう口に出さずにはいられなかった。
たったいま、この大きなメイルが自分に見せてくれた図形と展開は、そう言っているとしか思えない。
しかしそれは、これまでにエミリンが知っているメイルの行動からすればありえない行為だった。
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アクラは最初、自分がこの人間に何を伝えたいのか解っていなかった。
なんとか、共通理解ができそうな概念を設定し、それを図形化して見せて、意思の交換が可能かどうかを図ってみた。
回数をこなすほど、それはスムーズになって行くように思えた。
人間が頭部を上下に揺らす動作も、最初の頃よりしっかりしたものになって来ている。これは明らかに理解もしくは同意を示す挙動だと考えられた。
二次元座標にこの場の情景を描いて見せたあと、アクラは漸く自分がこの人間に何を伝えたいかを思い至った。
アクラにとって、その概念が余りにも異質だったので、初めのうちは自分の中にそれが存在していることすら把握できていなかっただけなのだ。
だが、いったんそれをつかみ、分析したいまでは明確に思考化することができる。
アクラは、もしも戦えば一方的に勝つであろうこの人間と戦いたくはないし、この人間に損傷を与えたくない。
どう分析しても、先ほど自分が事前の計画と乖離しておこなった戦闘行動は、この人間をエイムのもたらす危険から防衛するという以外に意味は無かった。
そうだとすると、アクラの行動は、この人間を危険から防衛したいという欲求を感じたからこそ行われた、というのが理論的な帰結だ。
なぜ自分がそう考えたのかは相変わらず不明だったが、もはやアクラはその欲求を自覚したのだから理由は不要だった。
それはすでに、他の様々な欲求、自分を守ること、巣を出て哨戒活動を行うこと、定期的に補給を受けたりメンテナンスを自分に行うことと同じような、リアルな欲求として自覚された。
ならば、「なぜそれを求めるのか?」という疑問は不要だ。
例え理由は分からなくても、アクラは自らの欲求の実現を求める。
アクラはその実現に向けて判断し、行動する。
これまでに必要なことはそれだけだった。
アクラは考える。
自分が危害を加えないということを理解して欲しい。
このまま戻っていいと言うことを理解して欲しい。
仲間のいる場所へ帰れると言うことを理解して欲しい。
それをこの人間に伝えるにはどうすれば良いのか?
アクラは、それを二次元空間上で言語化してみることにした。
まず、このエリアの地形を二次元化した様式で表現してみたが、それはどうやら支障なく理解されたようだ。
次に、自分が危険ではないことを示すために、まず自らの撤退ルートをそこに表示する。移動の概念を示すために、ルートの表示に時間差を持たせてみた。
位置のズレと時間のズレを上手く組み合わせれば、それが移動を示すことを、この人間も理解できるのではないだろうか?
さらに、その撤退ルートが自分のものであることを明確に示すために、先ほど使った抽象図形を線の末端近くに小さく表示する。
その上で、この人間の理想的な帰着ルートを同じ手法で合わせて表示してみた。
線の末端には、アクラなりにこの人間の本隊と考えるものを示す図形を表示してある。
それは以前、すんでの所で攻撃を中止した海上移動ユニットだ。
おそらく攻撃していたら、同時にこの人間を粉砕していた可能性は非常に高い。
アクラは、あのとき攻撃しなくて良かった、という初めての感覚を抱いた。
人間が強く反応した。
アクラからの意思の伝達が上手くいったように感じられた。
いまは、その小さな小さな顔を、スキャナーの平面ではなくアクラ自身の方に向けている。
顔が動き、ごくわずかに空気が揺れる。
音が生まれた。
アクラはその空気の振動を記録する。
ー アナタハ ワタシニフネニモドッテヨイトイッテイルノ? アナタハコノママ モリノオクニモドッテイクツモリナノ? ー
音で表現されたこの言語の意味はアクラには分からない。
これまでのアクラにはさして人間の活動に興味がなく、人間達の情報を積極的に収集分析しようという意欲も無かった。
だがアクラはいま、自分の意思が伝わったこと、簡単ではあるが相互理解が成されたことを確信した。
そして、この先は図形言語ではなく、行動で示した方が良いと判断したアクラは静かに立ち上がる。
センサーケーブルを回収し、先ほど、この人間の見せた理解あるいは肯定の意思表示であろう動作を真似て、一度だけわずかに、ゆっくりと頭部のユニット全体を上下動させてみた。
そのまま、自分に理解できる範囲で人間に脅威、いや恐怖だろうか、怯えに繋がる感覚を与えないように、注意深くスピードを抑えて体の向きを百八十度変える。
ー ネエ アナタハ ワタシヲタスケテクレタノ? ー
人間の出す音は、さっきよりも強くしっかりとなっていた。
やがて人間に対して完全に後部を向けたアクラは、あえてステルス装甲を作動させないまま、森林の奥へ向けて静かに移動を開始した。
ステルス装甲を作動させないのは、自分の進行方向が先ほど図示したものと同じであることを、この人間に向けて明確に示したかったからだ。
その背中を、再び人間の発した大きな音が追いかけてくる。
アクラはそれも記録しておいた。
ー アリガトウ! ー
という音を。
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(エリア5114・スレイプニル)
ジャンヌをなだめるのは大変だった。
喜ぶ、泣く、怒る、泣く、泣く、良かったと笑う、泣く、泣く、泣く、また怒る、泣く、喜ぶ、泣く、ちょっとすねる、喜ぶ、泣く、以下繰り返し。
立場が逆ならまぁわかる。
だけど、エミリンが無事スレイプニルに帰艦したときのジャンヌの反応は、どんな状況でも余裕を持って冷静沈着に指揮を出していた、これまでのジャンヌの印象からは考えられない取り乱し振りだった。
そもそも『泣いているジャンヌ』という存在自体がエミリンにとって想定外だし、それだけでも、プロジットのテラスで初めて会ったときの、落ち着き払って得も言われぬオーラを纏ったジャンヌとは、どこかで別人にすり替わっていたのかと思っても不思議じゃないほどだ。
とは言え、自分のことを心配して、あばらが折れるのではないかと思うほど抱きしめては感情を振り乱してくるジャンヌを見て、エミリンはジャンヌのことをますます好きにならざるを得なかったのだけども。
「お願いだからエミリン、もう二度とあんなことはしないで頂戴」
ジャンヌが真っ赤に腫らした目を向けて言う。
命令ではなくてお願いだというあたりで、もう作戦行動に関する指示でないことは解っている。
ジャンヌは、今後はエミリンに行動基準として『興味』よりも『自分の命』を大切にして欲しいと言っているのだ。
それは積極的にリスクを取る資源探査局の日頃の活動ポリシーからすると、むしろ逆方向ではあるし、ましてやリスクテイカーテストでエミリン以上のスコアをとっているジャンヌの口から出るセリフとも思えない。
だが、これまで『自分が死ぬかも知れない』リスクは、さして気にしなかったジャンヌなのに、『エミリンを失うかも知れない』というリスクには耐えがたかった。
もはやジャンヌにとってのエミリンは、部下である以上に妹であり家族であり、つまり、かけがえのない存在になっていたことを自覚させられていた。
実際、残骸含め三体のメイルに囲まれていたエミリンが無事に戻ってきたことは、ジャンヌにとってはもちろん、その当事者であったエミリン自身にさえ未だに信じられない出来事だ。
いまでもつい、あれは夢や妄想ではないのだろうかと考えてしまう。
普通なら死んでいるはずだったし、跡形も残らず粉砕されているはずだった。
あれは、明らかに二人の心の緩みが産み出した拙速な状況だった。
もっと用心するべきだった。
追い返されたドローンの原因に気を取られて、通常通りに周辺エリアを警戒するドローンを飛ばすことさえしていなかった。
一刻も早く現地へ行こうと慌てずに、先に調査用のレイバーマシンも上陸させておくべきだった。
ドローンを電磁ノイズの中で自律行動させるべきでは無かったし、事前に手動のドローンも準備しておくべきだった。
いや、そもそもノイズを出し続けているメイルの残骸に近づいたりするべきでは無かったのかもしれない。
安易な判断を行ってしまったエミリンにも、つい押されて、その行動を許可してしまったジャンヌにも、反省すべき点は山ほど有る。
だが、一部始終をドローン越しに見ていた...いや、見せつけられていたジャンヌにとっても、その先は想像を遙かに超えた出来事だった。
エミリンに近づいてくるメイルが突然粉砕されたかと思ったら、もう一匹の、見たこともない巨大なメイルが現れ、まさにエミリンに飛びかからんばかりの距離まで近づき...心配の余り半狂乱になっているジャンヌをよそに、二人?は、なにか静かに会話のようなものを始めだしたのだった。
やがて、巨大なメイルはエミリンに背を向けて森の中へ姿を消した。
ドローンは決してそれを追うことができなかった。
エミリンはそのままATVに歩いてもどり、無事にスレイプニルに帰ってきた。
何ごとも無かったように無傷で。
ー メイルと向き合って、何ごとも無かったように生きて帰ってきた。 ー
これほどの大事件はかつて無かったと言っていい。
考えられないほどの予想外の幸運によってエミリンは無事に戻って来られた。
それを迎えるジャンヌだって予想外の反応を示して何が悪いというのだろう。
突然出現した、あの巨大なメイルがいなかったら、おそらくエミリンは最初のメイルに殺されていたはずだと思える。
あの場所でいったい何が起きたのか、二人ともその本質はいまだにわからない。
結局、あの倒れたメイルの残骸からは、電子データも回路サンプルも何も取れずに戻ってきてしまったし、スキャナーのメモリーも電磁放射を浴びてまっさらになっていた。
でも、とにかくエミリンは無事に帰ってきた。
いまはエミリンにとってもジャンヌにとっても、それだけで十分だった。
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(エリア5114・岬の丘)
今日もアクラは湾を挟んだ岬の丘に上がり、その開けた草地の一角に体を下ろして海を眺めていた。
何かをスキャンしているのではない、ただ光学視野一杯に海を映し出していただけだ。
いまのアクラは、この場所の地形を活用した戦闘を予想して、地の利を得るようなポジションをしめていようとも思わない。
なぜ、自分はここでこうしているのだろう?
疑問は尽きない。
あの『小さな小さな顔の人間』を乗せた海上移動ユニットが、またこの地に戻ってくることはあるのだろうか?
その想像は、何か満たされるようであり、また不安なようでもあった。
あの人間をもう一度観察したいという欲求はとても強く存在している。
しかし、人間が陸に近づくと言うことは、またそれだけメイルとの戦闘に巻き込まれるリスクが高まると言うことでもあるからだ。
アクラは思う。
ー あの人間に損傷を与えたくない。 ー
ー あの人間を危険から防衛したい。 ー
だから、あの人間をもう一度よく観察したいという新しい欲求は、あのとき存在を確認した欲求に反するものだ。
なぜなら、いまアクラがいる場所こそが、人間にとっては危険地帯そのものなのだから。
あの人間の安全とアクラとの再遭遇は相容れない条件だ。
これは矛盾だった。
なのに、新しく生まれた欲求は、これまでの何よりも強いように感じる。
ー あの人間とまた遭遇したい。 ー
アクラはその実現を求める。
アクラはその実現に向けて判断し、行動する。
そしていまは巣や窪地に隠れているよりも、あるいは周辺エリアを哨戒活動しているよりも、海がよく見えるこの剥き出しの丘の上に佇んでいる方が、なぜかずっと気分が良かった。
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[ 第二部:スタンド・バイ・ミー 〜 仲間 ] へ続く
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