第7話後頭部を触られるのは地雷です

レイには異国の血が混じっている。つまり、彼にとって頬へのキスは挨拶なのだろう。


(何それ、じゃあ私もキスした方がよかった? 嬉しいとキスしちゃうのかな?)


 そんな問答を繰り返し、混乱を極めたまま琴は教室へと辿りつく。思い出すたびに頬が紅潮してしまう。雨すら頬に触れれば蒸発してしまうのではないかと思った。


「琴ーどうだった? 男との同棲生活一日目は?」


「ちょっと紗奈さなちゃん、誤解を生むような発言はやめてよー」


 ショートカットが似合うボーイッシュなクラスメートの紗奈を、琴はたしなめる。窓際の後ろから二番目の席に座った琴は、ホームルーム前でざわついているクラスを見回し、誰かに聞かれていないか確認した。


「何、宮前って男と住んでんのかよ」


 真後ろの席に座る加賀谷隼かがやしゅんが食いついてきた。


 彼は野球部のエースで、日焼けした小麦色の肌に指定の白いカッターシャツがよく映えている。女子人気の高い彼だが、いかんせん口が緩いので、琴はまずい男にばれてしまったと顔をしかめた。


「お父さんたちが海外に転勤になったから、知り合いのお兄さんの家に居候させてもらってるだけだよ」


 琴が強めの口調で説明すると、加賀谷はあまり納得していないような声で「ふうん?」と言う。琴の前の席に座っている紗奈は


「それで? その髪はお兄さんに見せたくて気合い入れたんじゃないの?」


 と聞いてきた。


「違うよ。これは……レイくんがやってくれたの」


 手の込んだ髪を触りながら琴が言う。


「へえ、器用な人だねー。たしかモデルみたいに格好いいんでしょ? しかも二十代で警視庁の警部補! 超レア物件じゃん。落としちゃいなよ琴。あんた可愛いしイケるイケる」


 猫目をランランと輝かせる紗奈に、琴は慌てた。


「か、可愛くないよ! それにそんな、落とすとか……。相手は大人だし、私のことは手のかかる妹くらいにしか思ってないよ。昨日もさ……」


 琴は紗奈へ、昨日あった出来事を事細かく話す。話が進むに連れ、紗奈の目の輝きは増していった。


「えーハイスペックー! 羨ましすぎ。絶対モノにしなよ琴! ねえ、加賀谷もそう思うよねぇ!?」


 紗奈が興奮気味に同意を求めると、加賀谷は机に頬杖をつき、つまらなそうに言った。


「そんな男ホントに存在すんのかよ、完璧すぎて気味わりぃ……。そんなにお前の世話焼くなんて、その刑事、お前に下心があんじゃねえの」


「レイくんはそんな人じゃないよ」


 慕っている幼なじみを悪く言われ、つい声が尖ってしまう琴。今朝の頬へのキスだって、下心というよりあれは彼なりの、可愛がっている妹への愛情表現だろうと琴は思う。


 そもそも、あんなに完璧な人間が、顔もスタイルも平凡な自分に興味を持つだろうか?


「お前、たれ目で俺のこと睨んでも怖くねーぞ」


 加賀谷をねめつける琴だったが、たれ目のせいで迫力は欠けてしまったらしい。


「琴は目がまん丸だしねぇ……睨んでもウサギにしか見えない」


 紗奈は顎に手をやり、うんうんと重々しく頷く。琴が頬を膨らませると、加賀谷はニヤッと笑った。


「悪かったって、機嫌直せよ」


 加賀谷が琴の頭を撫でようと手を伸ばしてくる。が、琴は顎を後ろに引き、その手をよけた。加賀谷の手が行き場を失って宙をさまよった。


「ああ……。琴って他人に頭撫でられるの嫌いだよね」


 一連の動きを見ていた紗奈が言った。琴は驚いて肩を跳ねさせる。


「え? そうかな?」


「そうだよ。今だって加賀谷の手避けたじゃん。なぁに? 無意識なの?」


「え……私避けてた? 全然自覚なかった……ごめん、加賀谷」


「いや……」


 加賀谷が手を引っこめたところでチャイムが鳴り、担任が教室へと入ってくる。琴は教壇の方へと身体の向きを直してから、自分の頭にそっと触れた。


(私って頭撫でられるの嫌いなんだ……知らなかった)


「レイくんに撫でられるのは好きなのにな……」


 後頭部が絶壁なのがコンプレックスだったから、できるだけ誰にも知られたくないと思って避けてしまったのかもしれない。でもなんでレイに撫でられるのは平気なんだろうかと、琴は首を捻る。


(あ……)


 小さい頃、そういえばレイに断崖絶壁な後頭部が嫌で泣きついていた気がする。あの頃のレイは今の品行方正、温厚柔和を体現したような彼とは同一人物と思えないほどに尖っていた。だけど、ある時から急に優しくなって――――……。


(あれはどうしてだっけ……?)


 結局どうしてレイに頭を撫でられるのは平気なのか思い出せないまま、授業が始まってしまった。







「琴ー。お昼はお弁当?」


 昼休みのチャイムが鳴るとともに、前の席の紗奈が振り向いた。琴はカバンから財布を取り出しながら答える。


「ううん。昨日お弁当の食材買いに行く暇なかったから、今日は学食のつもり……」


 そこまで言ったところで、校内放送がかかった。


『二年A組、宮前琴。至急保健室まで来るように』


「……へ」


 簡潔な呼び出しを食らい、琴は目を丸める。保健委員の用事だろうか。


「今のエロボイス、保健医の伽嶋とぎしま先生の声だよね」


 紗奈が言った。


「琴、あんた今日はえらくイケメンに恵まれた日だねぇ」


「あはは……ちょっと行ってくるね」


 琴は財布を手に、足早に教室を後にした。


 紗奈が「イケメンに恵まれた日」と言うのには訳がある。一人はもちろんレイのことを指しているのだろう。そしてもう一人は……。


 特別棟の一階、中庭の様子がよく見える位置にある保健室へ、琴は足を運ぶ。入る前に二回ノックをすると、中から落ちついた低い声で「入れ」と声がかかった。


「失礼します。……サクちゃん、私に用事?」


 キョロキョロと室内を見回し、自分と保健医以外に誰もいないことを確認してから、琴は声をかける。


 奥に設置されたベッド、その手前に置かれた机でパソコンと向き合っていた長身の男が、ギッと椅子のキャスターを回転させ振り向いた。


「来たか」


 後ろへ流した漆黒の髪と、切れ長の瞳。烏のような見た目をした色男――――伽嶋朔夜とぎしまさくやが、白衣を纏って琴を一瞥した。

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