第4話 暗黒騎士とヒーリング
「お父さん!」
悠斗が歓声を上げ、男が眉尻を吊り上げる。
八重樫さん、こんな目ができるんだ。リーゼロッテは、精一杯悠斗の小さな手を引きながらそう思った。いつも穏やかで臆病にすら思える八重樫は、篝火のような赤い怒りを瞳の奥で燃やしていた。最も近しい守るべきものに危害を加えられた人間の放つ、厳しく激しい感情だ。
遠巻きに見つめていた人々は明らかな暴力の登場にさらに逃げ惑い、駆けつけたカレイドプラザの警備員がそれを誘導している。八重樫が連れてきたのだろう。戦闘を止めずに退避だけさせている手際を見ると、警備側にこちらの話は既に通してある可能性が高い。暴走する
本物の父親の登場に、男は怯むかと思いきや、反対に猛り立った。
「よ、よ、よってたかって、私とコウを、また」
両手を差し上げる。リーゼロッテの頭は自由になったが、今度は暗黒騎士ナイトヴァルザーブレードと八重樫の身体が同時に引っ張られた。
糸は今は見えないが、きっとそこにある。おそらく片手につき一本ずつ。悠斗を連れていたから使えなかった手が自由になり、ふたりを同時に相手にできるようになった。そういうことだろう。リーゼロッテは悠斗を逃して自分も後ろに下がりながら、大きく声を張った。
「その人、手で糸を操ってます。それで、動きを。気をつけて!」
言って何になるものかはわからない。糸の軌道を読むのはさすがに無理だ。でも、できることは全てやる。わかることは全てフィードバックする。そうすれば、きっと活路は開けると彼女は信じる。
彼女は、仲間を信じている。
糸の男は、軽く鼻で笑うとさらに大きく右腕を振った。暗黒騎士がつい、とたたらを踏む。身体が倒れる。八重樫に向けて。手には、剣と化したままのバルーンアート。切っ先は。
まっすぐ、八重樫の胸に向いている。八重樫も糸に絡め取られたか、剣に向けて吸い込まれるように動く。
「……おのれ!」
暗黒騎士は顔を歪め、自ら暗黒瘴気剣ドラグザルディムカイザーを放り捨てた。風船に似つかわしくない高い金属音が一度だけ床に響く。やがて剣はただの風船に戻り、軽くバウンドして転がった。同時に、ふたりの身体がぶつかり合い、倒れ込む。
敵が暗黒騎士の能力を正確に把握していたのかどうかはわからない。だが、結果的に武器は失われ、隙が生じた。一度手から離れた物を剣と化すのには、ずいぶんと時間がいるのだと聞いている。多分、本人の思い込みの問題なのだろう、と以前同僚の葵川は推測していた。
そして、同時に男は動く。精一杯走る悠斗を捕まえようとする。その直線軌道上で遮ったリーゼロッテは思い切り突き飛ばされた。見えない糸に引かれ、悠斗の小さな身体が引き寄せられる。短い悲鳴に八重樫が顔を歪めた。
「悠斗、大丈夫か!」
「……馬脚を現したな」
暗黒騎士も立ち上がりながら声を張る。
「力にて弱き者を無理に従わせる、それが親たるものの振る舞いか」
背負ったリュックサックから抜き放たれたのは、半ば折れかけたダンボールの剣。その言葉はリーゼロッテの心も軽く揺さぶった。彼女は起き上がる。歩き出す。手を伸ばす。
「在るべき者を、在るべき場へと」
剣を構えて身を沈め、駆け出したその姿は、ちらりと後ろを見た瞬間に横あいに飛び退る。
「還すが良い!」
暗黒騎士の背後からは八重樫が、傍に転がっていたテーブルを投げつける。きらりと光る糸が脚に巻きついて放物線の軌道を変えようとし——瞬間、がたりと重たく地面に引き寄せられた。奪われた重さが、巧みなコントロールにより瞬時に戻ったのだ。両の手から伸びる糸は二本。今は悠斗と、テーブルに巻きついて。
「『燦然雷華・ゼナルヴ=レスカダス』」
暗黒騎士が隙をつき飛びかかった。ダンボールの剣を振り回し、男を追い詰める。男が雑貨屋の前に走り寄り、飾られていた皿を床に叩きつける。大きな破片が宙を舞い、意思を持ったような動きで暗黒騎士に襲いかかった。彼は逃げない。
破片は研ぎ澄まされた刃のように、暗黒騎士ナイトヴァルザーブレードの左肩に深く突き刺さった。痛みを堪える歪んだ顔のまま、彼は肩を破片ごと掴んで大きく後ろに跳ぶ。見えない糸が破片から離れるその前に。引っ張られた糸は反対に男の身体を引き寄せ、大きく体勢を崩した。
その時。
ぱん、と耳につく破裂音が響いた。バルーンアートフェスタの看板まで走り寄っていたリーゼロッテが、飾りの風船を思い切り割ったのだ。突然の音に、男は目を見開き振り返る。転倒しかけた身体を立て直す猶予は、失われた。
身体は糸に、意識は音に。
男は見えない力に操られ、なすすべもなく引き倒された。
八重樫が、必死の形相で倒れた男の上に馬乗りになる。子供を襲われ、攫われかけた胸の内は、きっと誰よりも激しく煮えたぎっていたことだろう。だが、彼はむやみに殴りつけたりなどはせず、あくまで冷静に声を上げた。
「確保……確保しました!」
警備員が数名、ぱっと駆け寄ってくる。目を丸くしながら父親の仕事ぶりを見ていた悠斗がふらふらとそちらに近づくのを、リーゼロッテは慌てて駆け寄り止めた。男は暴れこそしなかったものの、行くな、行くな、コウ、と声を絞り出すように叫んでいた。
「危ないから、もうちょっと待ちましょうね」
「うん」
あれだけの戦闘に巻き込まれたにしては、けろりとした顔をしている。肝の据わった子だ、とリーゼロッテは半ば感心し、半ば呆れた。
「怖くなかったの?」
「怖かったけど……」
目線は、どこまでも八重樫を追う。本当の父親は男を取り押さえていた。横では暗黒騎士が肩を押さえながら油断なく見張っている。早く治癒をしないと、と思った。いくら回復を早められるリーゼロッテがいるとは言え、捨て身の戦いぶりには毎度心配になってしまう。
「でも、お父さんはすごいから。絶対大丈夫だと思ってた。お母さんもよく言ってるんだよ」
そう、と小さな声で呟く。昔彼女も持っていたはずの、父親への無条件の信頼を見せつけられているようで、まぶしくて、懐かしくて、うらやましくて、切なかった。八重樫家を繋ぐのは、きっとこの絆だ。
八重樫さん、落ち込むことなんてないのに。あなたの家族はこんなにもあなたのことが好きなんですよ。そう言ってあげたかったし、多分それは本人もきっとよくよく知っていることなのだろう。
警備員に男が連行されるのを見届けると、リーゼロッテは悠斗と手を繋いでふたりの方へ近寄る。最初は彼女が手を引いていたが、途中からは悠斗が走り出して引っ張られた。八重樫は、なんだか耐えられなくなったような顔をして、息子を強く強く抱き締める。
暗黒騎士ナイトヴァルザーブレードは風船の剣を拾いながら、その様をどこか優しい目で見つめていた。
「結局、あの人は悠斗くんを自分の子だと思っていたんですよね」
カレイドプラザの裏手の一室、椅子に座らせてもらったふたりは、暗黒騎士ナイトヴァルザーブレードの肩の傷の治癒を進めていた。半袖のパーカーが破れて、血が滲んでいるのはいかにも痛々しい。無茶はしないでほしいと思う。
「かの者にはかの者の信ずる世界があるのであろう……」
光のない目が、微かに揺れた。この目に映る視界にも多分、リーゼロッテが見る世界とは違う、夢のような薄いヴェールがかかっている。
「でも、人に迷惑をかけてはいけないと思います」
「無論、我らに刃向かうなど愚の骨頂。罪は相応しき罰により贖いの痛っ」
思慮深げなポーズを取ろうとしたのだろう、左腕を動かそうとして顔をしかめる。リーゼロッテはすくめられた肩に手を置いた。
「無理しないでくださいね。少しすれば良くなりますから」
触れたところから温かくなるのは、彼女の力が発動したのと、それから暗黒騎士の体温が伝わるため。
リーゼロッテは力を流し込みながら考える。あの男性は、何かの理由で子供と離れてしまったことがあるのではないか、と。それがSME発症のきっかけなのかどうかはわからない。だが、繋ぎ止めるための糸、という力はなんとなくその想像に合っている気がした。詮索する気はない。ただ、納得をしたかっただけだ。
糸の男性には彼の視野がある。親とはぐれた子供を、自分の子として連れて帰ろうとするような。暗黒騎士にも彼の世界がある。それは現実と比べれば歪んでいるけれども、とても真面目で優しい。とはいえリーゼロッテの見る現実だって、本当に他の人と同じものなのかなんてわからない。自分から見た八重樫と、悠斗の見る頼れるすごいお父さん像とが、ほんの少し食い違っていたように。
「八重樫さん、格好良かったですね」
「うむ。我が同朋と認めし男であるからな」
「暗黒騎士ナイトヴァルザーブレード様も、もちろん格好良かったです」
「当然の摂理であるが、そなたのその喝采、受け取っておくぞ」
いつか、暗黒騎士の力……自らの妄想を具現化する力の影響で、その世界の片鱗を眺めたことがある。美しい、この世ならぬ満天の星空を目にしたことがある。普段は、その力は手元の剣に宿るばかりだが。
——また、あの景色が見たいな。
それはすなわち、彼の暴走を望むということで、危険な願いだということはわかっていた。だから、こっそりと想うだけにする。
——また、同じ景色が見たいな。
そんなことを考えながら、リーゼロッテは手をそっと傷口から離した。
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