晴れの海から/第7回 【海】

 ギリギリまで光量を絞ったランプが、俺の足元をぼんやりと揺らめかせる。

 頼りなく揺れる光と、しん、と静まり返った通路。

 普段は人通りも多くて子供の声がひっきりなしに聞こえるエリアだから、不思議な気分になる。


 例えば、世界に一人だけ取り残されてしまった、みたいな。


 とりとめもなく浮かんだそんな気持ちに笑いながら、『はれのうみ』と色褪せたプレートの掲げられた目的の扉をそっと開く。

 やはりここにも人の気配は……あった。

(あれ?)

 手探りで壁のスイッチに触れて、部屋の明かりをつける。

 一瞬、眩しそうに顔をしかめながらこちらに視線を向けたかと思うと、ぱっと表情を明るくして駆け寄ってくる姿があった。

「セノ!」

「ユゥイ、何してんのこんなとこで?」

 足下の砂をきゅし、と踏みしめながら、俺の方からもユゥイに近寄る。

「セノこそ、なんでここに?」

「俺は、今日ここの掃除当番だから」

「なるほど、じゃあ僕はセノの手伝いってことで」

「調子のイイ奴だな……」

 いけしゃあしゃあと言い放つユゥイの後ろを、苦笑いしながら着いていく俺。

 昔から変わらない景色に、薄く薄く息を吐く。

「セノ、スイッチ切って」

「俺、掃除しに来たっつったじゃん」

「何言ってんのさ。掃除の基本は上から、でしょ?」

 ああ言えばこう言う、を地で行くユゥイに呆れながらも、分厚い内扉を閉じて、調節用ダイヤルの裏にある重たいスイッチハンドルへ手を伸ばす。

 こんなことしてるからユゥイがつけあがるのだ、と、声を荒げたのは誰だっただろう。

「窓まで登りたいだけだろ」

「そうともいう!」

 そうとしか言わないだろ。

 というセリフは辛うじて飲み込んで、重たいスイッチを切ってやった。

 途端に、身体にかかる圧力がふっ、と和らいで、踏み出す一歩が異常なほどに軽くなる。

 ユゥイの方を見やれば、持ち前の身体能力を活かして軽やかに飛び、既に天窓近くの手すりに腰掛けているところだった。

 いや、流石にあれは無理。

 素直に天窓へ続く階段へ回り込みながら、俺はもう一度苦笑を溢した。

 冷えた蒼い光の降り注ぐ天窓を見つめながら、螺旋階段を登っていく。ほとんど、足音もなく。

 大きく採られた窓からは、蒼い惑星と不毛な海が見える。この景色もなかなか好きなのだけど、ユゥイはそうでもないらしい。

「あー、疲れた」

 いつもならば「オッサン臭いよ、セノ」というセリフがユゥイから飛んでくるはずなのに、今日は不気味なほどに静かだ。

「……ユゥイ?」

 そっとユゥイの方を窺えば、彼はいっそ険しいと言っていい表情で外を見ていた。


 蒼い惑星を。


「……ねぇ、僕達はいつまでここにいればいいんだろうね?」

 余りにも冷えたその声色に、ざわざわと、心が騒ぐ。

「ユゥイ!」

 咄嗟に彼の腕を掴むと、ようやくこちらを見てゆるりと微笑む。

「ねぇ、僕達はいつまでここにいればいい? いつまでこんな墓守をしていればいい?」

「落ち着けよ、今朝のニュースでやってただろ、母船に信号を送ってるって。向こうからももうすぐ戻るって信号が返ってきたって。俺達の世代で、墓守は終わるって」


「嘘だよ」


 きん、と冷えた音がした。

については僕の方が詳しいの、セノも知ってるでしょ。嘘だよ、全部嘘だ。信号なんて返ってこない、僕達は見捨てられてるんだ、最初から……分かってたことじゃないか」

 ユゥイの腕を掴んだ俺の手が震える。


『遠い遠い昔、我々は母船に乗り込めず、蒼の墓守としてここに残りました。けれど、母船に乗り込んだ人々は我々に向かってずっと信号を送ってくれています。いつか必ず戻ると、ずっと』


 おとぎ話を読み上げるような、うっとりとした教師たちの声が脳裏に蘇る。

「……セノ、」

 しらず、ユゥイを腕を離していた俺の手を、今度はユゥイが強く握り締める。

「見える? あそこ」

 誰もいないというのに、ユゥイは俺の額に自身の額をくっつけるようにして声を潜めると、そっと外を指差す。

 この部屋のような作り物ニセモノではない、本物の晴れの海。

「二人までなら、乗れるよ」

 二人だけで見た、昔の記録映像で出てきた『魚』と呼ばれた生き物のように流線的なフォルムを描く『何か』が、その白い指の先にあった。

「……どこへ?」

「もちろん、目の前にあるあの蒼い惑星へ」

 惑星よりもなお蒼い、ユゥイの瞳が目の前でとろりと微笑う。

「セノだけなら、連れて行くよ」

「……片道切符だろ」

「そうだよ? でも、ここにいたって同じだよ」


 昔から、ユゥイはそうだった。

 近くて遠い、あの蒼い惑星に囚われ続けていた。

 賢いユゥイは追いかけて追いかけて追いかけ続けて、ついに手が届くところまで追い詰めてしまったのだろう。


 いつか、ユゥイはいってしまうのだろうと、思っていた。


「辿り着くと、思ってんの?」

「思ってなかったら実行しないし、誘わないよ」

 どくどくと、自分の心臓が煩い。

「行こう、セノ」

 いつの間にか、俺もユゥイの手を握り締めていた。


 冷たく震えるその指先に、俺は蒼い海を夢想する。

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