テキレボアンソロまとめ

行木しずく

淋しいおねだり/第5回 【嘘】

 悪魔は嘘を吐けない。

 天使は微笑まない。


 人間は嘘を吐いて、その魂を羽根と散らす。


***


「のばらちゃん!」

 廊下から教室に駆け込んでくる黒百合が視界に飛び込んできて、そっと眉根を寄せる。

「廊下は走らないって言われてるでしょ」

「それで怒るような先生なんてもうみんな消えちゃったでしょ」

 失礼極まりないことをしれっと言うと、彼女は薄く笑う。

「ねぇ、次の授業サボって私とデートしよ?」

「いや授業はちゃんと出ようよ」

「正確には次、自習になるからサボっても問題ないよ」

「え?」

 確信を持った彼女の台詞に違和感を覚えて聞き返した瞬間、教室の前扉ががらりと開いて「次自習だってさ-」というクラス委員の声が響き渡り、途端に教室内がざわめきだす。既に何人かは教室を抜け出していた。

 ね? といった感じで肩を竦めながら歩き出した彼女の背を追うようにして、私も教室を後にした。


「なんでさっき自習になること分かったの?」

「職員室の前通ったら、担当の先生が消失したってざわざわしてたからよ」

 今年に入ってまだそれほど経ってないって言うのにもう三人目ねぇ、なんて何でも無いことのように言って、彼女はどこかに向かって歩き続ける。

「ねぇ、どこ行くの?」

「視聴覚室。家を片付けてたら古い記録映像が出てきてね、学校なら見れるかなと思って持ってきたの」

「視聴覚室って、鍵かかってるでしょどう考えても」

 私の台詞に、目の前を歩く黒百合は無言で何かを振ってみせる。よくよく見れば、何かの……おそらく視聴覚室の鍵。

「……なんでそんなもの持ってんのよ」

「最近は便利だよね、鍵番号が写ってさえいれば、簡単なタイプの鍵は複製可能なんだって」

「優等生がなんつーことを……」

「あらゆる手段を駆使して目的達成するのは優等生でしょ?」

 分厚いレンズ越しに煌めく灰色の瞳が実に楽しそうに歪むのを見て、これ以上何も言うまいと口を閉じた。


 久しぶりに訪れた視聴覚室は、全体的にうっすらと白く埃が積もっていた。換気も兼ねて窓を開けると、空もいつもと変わらず白い。……気が滅入る。

「準備できたよー」

 振り返ると新聞紙を敷き、床に直置きされているデッキ付きテレビに記録映像とやらを突っ込んでいる黒百合の姿が見えた。実に行動が早い。流石は目的達成のためには手段を選ばぬ優等生様である。

 自分の隣をばしばし叩いているのに素直に従って、新聞紙の上に座る。

 画面の向こうでは、少し古いファッションの男女がなにやら屋上で語り合っている。こちらと同じく、空は白い。女性がくるくると回るのに合わせて、降り積もっていた羽根がふわふわと舞う。

 横目でちらりと黒百合を伺うと、存外彼女は真剣に画面を見つめているようだった。

「……楽しい?」

「あまり」

「あっそ」

 遠くでチャイムが鳴る。

 なんやかんやで随分と長い時間ここにいたらしく、画面の中もクライマックスのようだった。

『嘘でも良いの、好きだって、言って……?』

 男の腕に縋り付く嫋やかな女の手と目元に光るプリズム、震える唇から真っ白な羽根と共に吐き出された台詞に、顔を顰める。

「嘘吐かれたら目に見えるのに、そんなこと言われても虚しくない? そもそもこいつ、嘘で良いなんて全っ然思ってないじゃん」

「ドラマだからねぇ」

 暢気に笑うと、黒百合はさらりと続ける。

「でも私も、嘘で良いから、好きって言って欲しい。」

 彼女から吐き出された言葉に驚いて思わず顔を見ると、彼女も私を真正面から見ていた。

「…………正気?」

「私が嘘吐けないことは知ってるでしょ」

 外された眼鏡のせいで、輝く灰色の瞳が私を真っ直ぐに射貫く。

「だ、って、嘘ってわかってるんだよ? あんな風に白い羽根に塗れた言葉なんて、本当に欲しいと思うわけ?」

「それでも、好きな人から与えられた『好き』という言葉の響きだけで、消えられない私は生きていけるから、欲しいわ」

 いつの間にか触れ合っていた指先を離そうとするより早く、ぎゅっと手を握られた。


「私は欲しいわ、のばらちゃん」


 いつもとは違う熱を孕んだ視線に、知らず喉が鳴る。

「あんた……それ言うためにこれ持ってきたわけ?」

「……デートしよって言ったじゃない。雰囲気作りの小物も必要でしょ。本当は放課後にデートするつもりだったんだけど」

 私の返答がお気に召さなかったようで、先ほどまでの空気とは裏腹にからっと笑うと手を離した。

「いや、視聴覚室の合い鍵をこっそり作るのを小物と言い切るのはどうかと思う」

「これは元々サボり場所として使おうと思って作って忘れてたのを活用しただけ」

「ねぇちょっと、優等生って称号返上しなさいよ」

「別に自称してないもーん」

 少々ふてくされ気味に片付けを始める彼女の背中を見つめながら、心臓の辺りを強く撫でる。普段、嘘を吐くときとは違う音がしているような気がして、困惑する。いつもの耳障りな音ではなく、もう少し穏やかで苦しい音。

「あんたさ、私にもう嘘吐くなって口煩く言ってるじゃない」

「……そうだよね。もう羽根が視えてるんだもん、これ以上すり減らせないよね。ごめん、調子乗ってた」

「だから、一回しか言わない」

「え?」

 振り向こうとする彼女をそのまま押しとどめるように後ろから抱き締める。私と同じように鳴る心音と、私と違って存在しない魂。


「好きよ、黒百合」


 私の零した言葉が、私の魂を削り取って羽根として溢れさせていく。そんな光景を見ないように、彼女の首筋に顔を埋めて、強く強く目を閉じた。

 こんな嘘がいったい誰を幸せにするというのか、やっぱり私には分からない。

「……ありがと、のばらちゃん。大好きよ、ずっとずっと好き。貴女だけが好き」

 嘘に塗れた私に返す、嘘を吐けない彼女の言葉がこんなにも哀しいと思うこの感情も、たぶん嘘なんだろう。

 そうでなくちゃ、この心臓の、魂の、涙が出るような痛みに、説明がつかないじゃないか。

「授業出なくちゃね。付き合わせてごめんね」

「今から行ってもどうせ間に合わないし、もう一時間サボろうよ」

「不良だぁ」

「あんたと違って、そもそも優等生じゃないもの」

 笑って手を離せば、彼女も笑って眼鏡をかけた。

 私はもうすぐ世界から消滅するのだけれど、それまではせめて彼女の友人でいたいと、そう感じたことだけは嘘ではないと、信じたい。


 足下に散らばる薄汚い羽根を踏みつけて、強く思った。

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