冬恋・5
サリサは外に出て深呼吸していた。
「はぁ……言ってくれますよねぇ……」
もう一度、息をつく。
カシュの言ったように、今日の風は悪い。今夜は荒れ模様の天気になるだろう。
途方もなく長すぎる髪を風に遊ばせながら、サリサはぼうっとして、放牧場の柵にもたれかかった。
サリサの放つ銀色の光に惹かれたのだろう、馬たちがまたやってきて、サリサの髪を一斉にもぞもぞと鼻面で遊んだ。だが、サリサは気にも留めなかった。
カシュの言葉が、けっこう痛かったのだ。
だがな、惚れた惚れられた、だけじゃ駄目だ!
わかるか? 男は見てくれでも地位でも血筋でもねぇ!
惚れた女を幸せにできねぇ男は屑だ!
「はい、おっしゃるとおりです」
独り言。
こんな風が騒ぐ夜。霊山の気に守られているわけではない。
祈り所の闇に閉じ込められているエリザのことを思うと、胸がきゅんとするのだ。
祈り所の夜以来、サリサは常にさいなまれている。
あの人は死のうとしていたのではないだろうか?
あんな火の焚き方をしたら、窒息するだろうことは、子供でもわかる。
もしもあの夜。エリザに会いに行かなかったとしたら?
考えると怖い。
あれは事故だった……と思おうとしても、そうじゃない、現実を見ろ! 自分を騙すな! と、内なる声が聞こえてくる。
あの夜。
サリサは、エリザと会えることだけを楽しみにしていた。
そして、エリザも喜んでくれるだろうと思っていたのだ。
愛している。
あなたが大切です。
ではなぜ?
なぜこんな目にあわせるの?
どうして自由にしてくれないの……。
エリザの声が頭の中に響き、サリサは思わず耳を塞いで頭を振った。
そんなことをしても、あの悲しい声が消えるわけがないのに。
「あぁ、本当に屑だなぁ……情けない」
そう嘆いたとたん、馬が一斉に走り去った。
銀の結界にかかる不穏な空気――サリサは振り向いた。
「あーあ、やっぱり『銀のムテ人』様であられますよ。ばれちまった」
やや酒が入ったリューマの男たちだ。さっきの食堂にいた面々である。
「なにか用事でもあるのですか?」
男達は笑った。
「……あるのですか? ときたもんだ! あるのですよ! ってか?」
発している気がどうも気に食わない。サリサは眉をひそめた。
「いやー。どうも怒らせちまったようだよ、べっぴんさんをさ」
舌なめずりして男が言うと、他の男達も一斉にひひひ……と嫌な笑い声を発する。
「おっかあばかりじゃつまらんし、リリィさんには手ぇ出せネェし……」
……やはりそういうことである。
だいたい、その『べっぴんさん』という呼び方には笑ってしまう。
たしかに、リューマ族に比べるとひょろひょろしているムテ人は、男でも女のように見えてしまうのだろう。いや、好色なリューマには、男が好きだという者もいるし、両刀遣いもいる。ムテには存在しない娼婦宿だって、リューマ族が住むところには付物なのだ。
ムテのリューマ族は少ないが、時々とんでもない事件を起こしてくれることもある。そして、そのターゲットは女性よりも男性のほうが多いくらいだ。
なぜならば、五年に一度しか出産の機会がない純血種の女に手を出すことは大罪なのである。男ならば、ちょっとは大目に見られるという、奇妙な噂がリューマの中にあるからである。
性的欲求に乏しいムテ人のサリサにとって、死をも覚悟して破廉恥な行為に及びたがる彼らの気持ちがさっぱり理解できない。
サリサよりも頭ひとつ背の低い男が、いきなりサリサの顎を押さえた。
「だいたいよぉ、あんたにはリリィさんを抱くのは似あわねぇ。あんたは、女をうめかせるよりも、自分がうめいたほうがお似合いだぜぇ」
……まったく品がない。
これだから、ムテの地にリューマのような混血魔族なんか入れたくはないのだ。
結界を強めるとか、通行証の発行を厳しくするとか、居住許可を与えないとか、霊山に帰ったら対処しようか?
でも、もしかしたら。
彼らは、リリィをカシュから奪おうとしている純血のムテ人が憎いだけなのかもしれない。
カシュは部下たちの尊敬を集めているようだし、あの態度ならば、誰でもカシュの気持ちなど、わかっているに違いない。これは、一種の警告というか、嫌がらせみたいなものなのだ。
「私は、暴力は嫌いです」
どっと笑い声がたった。
が、サリサの顎を押さえていた男だけは、目を白黒させていた。
「うぐぐぐ……」
と声をあげ、その場にうずくまる。サリサの顎にかかっていた手は、苦しそうに自分の喉元をかきあげていた。
笑っていた男たちも、男の奇妙な仕草に気がついて、徐々にざわめく。
「うぐ、息が……」
男がのたうちまわり始めたので、男たちは恐れおののきだした。
「おまえら! 何をやっている!」
突然、雷のような声が響いた。
カシュの声である。
「客に手ぇ出すやつは許さんと、あれほど言っておいただろうに!」
闇の中、カシュはツカツカと歩いてきたかと思うと、一番近くの男の首根っこを掴み、ぼかんと殴った。哀れな男は勢いよく飛んでいき、近くの茂みに姿を消した。
「それが、あのその……」
部下たちのいいわけを聞かずに、カシュは真直ぐにサリサの元へ歩み寄ると、ぺこりと頭を下げた。
「すまねぇ。コイツラの不始末は俺のせいだ」
頭を下げたカシュは、その場で「うん?」と声を上げた。足元にもんどり打って苦しんでいる男がいたからである。
「おまえ、何やっているんだ?」
「親方ぁ……。俺、息できネェー。死ぬぅー」
カシュは驚いてサリサの顔を見つめた。
サリサはしゃがむと苦しんでいる男の手をとり、助け起こした。
「息ができないなんて、気のせいです。あなたの思い込みですよ」
サリサがそういって微笑むと、男は首に手を当てたまま、目をぱちくりさせた。
「う……? あ、本当だ」
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