殴られたら殴りたい

大木佳章

第1話 殴られた

   殴られたら殴りたい


「あのクソ親父め、いきなりなんだよ。思いっきり殴りやがって。いてえじゃねえか」

 自分一人しかいない部屋で思った事を口にしてみた。

 気分は最悪。頬は腫れ上がり、大きく脈を打っている。部屋に音はなく、いつもにまして虚しい。

 親に殴られたからだけではない。今の予定のない毎日、思い描けない未来。そういったことから自分が世の中のクズでニートと呼ばれる人種で、社会から見捨てられた存在である事を思い出させてくれるからだ。

 そんな俺の唯一の居場所がこの家の俺に与えられたこの部屋だ。ネット上もある程度居心地がよいが、現実での居場所はここにしかない。社会の輪からはみ出した者がとどまる場所。便所に行くときや腹が空いたときにしか開けられない扉。

 深夜二時頃、いつものようにパソコンでネットの世界をさまよっていた。そんなときに俺には重く大きい扉を親父は軽々と開け、俺の前に立ちはだかった。

「お前、いい加減にしろよ。いつまでも俺が働けると思うな」

 俺は黙って親父を見ていた。いつの間にか老けたな。久々に親父の顔を見て思った。

「聞いてるか? おい」

 俺に近付きながら言う。ああ、顔が赤いや、酔っ払っているんだ。そうわかると親父に背を向け、パソコンの画面に目を落とした。

「おい、聞いてるのかって聞いてんだ。答えろ」

 親父は俺の肩をつかみ、更に怒鳴る。

「お前がな、引き籠もってから俺の負担が減らねえんだよ。桃子はお前と違ってな、必死に頑張ってるんだよ。同じ血をひいているはずなのにどうしてこうも違うんだ? なぁ、教えてくれよ。どうしてなんだ?」

 返事もせず、ただにらみつける。そして、手を強引に払いのけ、再びパソコンの画面を見る。

 桃子とは俺の姉の事で、今はバイトをしながら自分の描いた絵を売っている。確かに俺とは違う。明日に希望を持って生活をしている。

「てめぇ、ふざけんじゃねえぞ。俺の話を聞け」

 怒鳴り声が家中に響いているのか、母さんと桃子が部屋を覗きに来ていた。ちゃんとドアぐらい閉めろよな。それに近所の人も迷惑なはずだ。

「俺の質問に答えろ、このクソガキ」

 パソコンの前に座っていた俺を強引に引っ張り、親父の前に寝ころぶ形となった。

「おら、立てよ。立ち上がって質問に答えてくれよ。なぁ」

 立ち上がって顔を改めてみてみると、親父は酷く興奮している。どうやらこのまま無視し続けるのは不可能なようだ。

「早く立てって言ってんだろうが」

 しつけえな、分かったよ。答えてやるよ。

「質問の意味がわかんねえよ。そもそも姉ちゃんと比べる意味がわからんねえ」

「なんだと、この野郎」

 親父の声を聞くと同時に、左の頬親父の拳が飛んできた。その衝撃に耐えきれず、思わず腰を落とす。

「このクソガキ、殴り返してみろよ。かかってこいよ」

 やってやろうじゃねえか。クソ親父、お望み通りぶん殴ってやるよ。

「どうした? 殴られても殴り返せないようなクソガキだったのか?」

 殴ってやりたい。酒に飲まれて息子を殴るようなクソ親父を。なのに立てない。腕に力を入れても震えるばかりで、体を支えるのに精一杯だ。

 親父が近付いてくる。

「お父さん、やめて」

 桃子が叫んだ。親父は意表を突かれたように立ち止まり、振り返った。

「なんだ、母さんと桃子もいたのか。だったら言ってやれ。なんで部屋から出ないの? ってな」

 言いたい放題言いやがって。このクソ親父め。そう思いながらも口も利けないほどにビビってる自分が嫌になる。

「お父さん。やめてって言ってるの。聞こえないの?」

 桃子が落ち着きを払った声で言った。親父も静かに成り、静寂が生まれる。

「分かったよ。みんなこのクソガキの味方なんだな。それなら俺が消えた方が良いな。ちょっくら外で酒でも飲んでくる」

 親父は長い沈黙を破り、ドアの近くにいた母さんたちをはねのけて部屋を出て行った。

 親父がいなくなると、母さんたちが部屋に入ろうとしたので、立ち上がって軽くなった扉を勢いよく閉めた。

 足音が遠ざかっていく。桃子は自分の部屋に戻ったのだろう。母さんは氷嚢持ってくるからね。少し待っててと言い残して、去っていった。

 母さんが戻ってきても扉を開ける気はしない。

 思った事をつぶやいてみても悲しくなるだけだった。ベットに体を傾け、眠る事にした。今はあのクソ親父の事を忘れていたい。


 ノックの音で目を覚ます。ベットから出て、パソコンの画面の電源を入れる。右端の時計は朝の十時を示している。

 親父ではないだろう。この時間なら既に出勤しているはずだ。母さんか桃子のどちらかとなる。

 返事もせず、この訪問の意味を考えていると再びノックの音が部屋に響く。

「ねえ、起きてる?」

 扉を挟むと母さんの声なのか桃子の声なのか分からない。親子だから当然なのかもしれないが、声がそっくりなのだ。こんな事でも血のつながりというものを感じるから不思議だ。だが、多分、母さんだ。

「ああ、今起きた」

 パソコンの前に座り、ぶっきらぼうに答える。

「中に入っても良い?」

 流石に嫌だとは言えず、黙っていた。

「このままでも良いから、少しだけ母さんの話を聞いてくれないかな?」

 マウスから手を離し、椅子を扉の方に向けて、俺なりの話を聞く姿勢を作る。

「昨日の夜のことだけどね、やりすぎだと思うけど、やっぱりお父さんの言ってること、間違って無いと思うの」

 俺にだってそれぐらいのことは一応理解している。認めるかどうかは別として。

「それにね、お父さんが一番怒ってる理由って働かないことじゃなくて、部屋に閉じこもっていることなんだと思うの。お父さんね、いっつもあなたのことを心配してるのよ」

 それも何となく分かっていた。親父はたまに俺の部屋のドアを叩く。いつも寝たふりをして黙り込んでいるが、親父はそれでも扉に向かって話をする。母さんのこと、桃子のこと、近所のおじさんのこと。それを一人で扉に向かって笑いながら喋る。

「じゃあ、お休み。たまには一緒に晩飯食べような」

いつもそう言って扉から離れていく。

「父さんも、勿論、私も心配しているのよ。少しおかしなことを言うかも知れないけど、無職だって良いじゃない。どうにしたって、私とお父さんの子供であることには変わらないんだから。あなたが二十歳になろうが、四十歳になろうが、私たちが死んだとしても、あなたは間違いなく私とお父さんの子どもなの。親である私たちは例え間違った道を選んで、過ちを犯すことがあったとしても、子どもを許すわ。だからたまには一緒に晩ご飯を食べましょう。いっつも一人分余って困ってるのよ」

 黙っていると母さんは急いで扉から離れていった。

 俺はまたベットに潜って、少しだけ泣いた。

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