緋色の目

間柴隆之

1.出会い

 幹の曲がりくねった古い大木が、幾重にも絡まり合い、一つの木のような様相で空に突き出ている。

 昼間でも日が射さず足を踏み入れる者も居ない、その街道筋の森の奥深いところから、かすれた声が聞こえる。

 押し殺したささやきのような、それでいて聞く者が思わず耳を塞ぎたくなるような、殺伐とした声。

 まるで生き物のものではないその声は、やがて森中にこだまする。


『あの娘はどこだ』


『あの娘を追え』


 そしてわずかに木の葉を散らして、獲物を追うようにその声は森を抜けて行った。

 あとには、息の詰まる程の静寂が森を包む。

 そして小鳥のさえずりと共に、白み始めた空に太陽が顔を出すと、途切れていた生き物たちの営みがそこここから聞こえはじめる。



 街道の外れ、広い湖を見下ろす高台に、たき火の煙が立ちのぼる。

 火にかけた小形の鍋を見守る後姿が、頭上に伸びる木の枝を振り仰ぐ。背中を覆い隠す薄い茶色の素直な髪が、その動きに従ってさらさらと流れた。

 細身でみるからに落ち着いた雰囲気の青年は、微かに表情を曇らせている。


「ディオ。・・・もう起きてると思いますが・・・。」


 言葉の終わらぬうちに、木の枝から黒い影が青年の目の前に飛び降りてきた。


「起きてるぜ。いいにおいがしてきたからな。」


 小柄な少年はどっかりと座り込んでにやりと笑うと、指定席に置かれたいれたてのお茶に手を伸ばしたが、カップに口につける前に動きを止めた。


「どうした?シフォー。」


 相棒の怪訝そうな表情に、彼は腰を浮かせ、辺りを見回しながら背中の剣の柄に手をかける。彼の体には少し不似合いなくらい大きめの剣は、日光を反射して重厚に輝いた。


「夢占いをやってみたのですがね。」


 腑に落ちない顔で言葉を切る相棒を、少年は黒い瞳で見返して先を促す。


「それが、待ち人現ると・・・」


「待ち人?何だそれ。お前の占いもいい加減だな。」


 すでに緊張の解けた少年は、お茶をずずずっとすすり始めた。


「私の占いは9割以上の確率を誇るんです。」


 自分もお茶のカップに口をつけながら、青年はなおも合点のいかない様子である。


「残りの一割弱ってこともあるんじゃん?それとも、こんなところに朝食の野うさぎちゃんがいるってか?」


 ディオがふざけて背後の茂みをかきわける。


「もういいですよ。確かに100%の確立ではありませんからね。」


 少し憤慨したように言ってシフォーがお茶をすすった時、ディオが妙な声を上げた。


「お、おわっ??」


「どうしたんです・・・?」


 ディオがかき分けた茂みの奥に、イバラのトゲに守られるようにして小さな身体が丸まってスヤスヤと寝息を立てていたのだった。

 癖のある金髪が、耳のある毛糸の帽子からふわふわとはみ出している。長目の前髪の間からのぞくふさふさのまつげに縁取られた瞳は、閉じられていてもその愛らしさを隠せない。

 華奢な手足は擦り傷だらけで、着ている上着もズボンも木の枝にひっかかったようにところどころ裂けていた。


「子うさぎちゃん?」


 ディオが帽子の耳をピンと引っ張った。


「ばかな・・・。それにしても、こんなに近くにいて何故気づかなかったんでしょう?」


 シフォーが更に近くに顔を寄せ呼吸を確かめる。


「疲れ切って寝ているだけのようですが。」


「でもここに放っておくわけにもいかねぇじゃん。・・・おい、起きろよお前!」


 ディオの声に少年は微かに身じろぎし、うっすらと目を開けた。


「大丈夫か?こんなに怪我して。」


 二人の気配に気づき、慌てて起きあがった少年の深い藍色の瞳は、人の心を見透かしてしまいそうな程透き通っている。


「怪しい者ではないですよ。傷の手当てをしてあげますから、そこから出てきませんか?」


 彼はしばらくためらった後、ごそごそと茂みから這い出てきたが、差しのばされたシフォーの手を振り切って勢いよく駆けだした。


「まるで脱兎の如くですね。」


「感心してる場合か!待てよ、お前・・・。」


 後を追おうとしたディオの目前をさえぎるように突然風が吹き込み、それはまるで竜巻のように凄まじい勢いで彼らを内側に閉じ込めてしまった。


「な、なんかおかしいぞ!」


 ディオは飛ばされまいと、大木の枝に必死の形相でしがみついている。


「わかってます!」


 シフォーは杖を地面に刺して風圧に耐えながら、なにやら呪文を呟いている。


「も、もう駄目だ・・・」


 体はすでに竜巻の風になびき、力尽きて最後の指が枝から離れかけディオが観念して目をつぶった途端、竜巻はいきなり掻き消え、ディオは重力に従ってそのまま地面にたたきつけられた。


「いてててて。」


「ディオ!早くあの子を!」


 地面に投げ出されて体中打ちつけたディオに、シフォーの容赦ない声が飛ぶ。


「何言って・・・!」


 シフォーの視線の先を辿り、ディオは罵声を飲み込む。少年の体が竜巻に飲まれ、そのまま湖の方向に連れ去られようとしていた。


「何てこったい!」


 ディオは駆け出しながら背中の剣を抜いた。幅が広く三日月のように弧を描くその剣は、日差しを受けて再び重厚な輝きを放った。


「待ちやがれ、てめーっ!その子を放せ!」


 こころなしか森の木々がディオの行く手を導くように道をあける。それを彼は当然のように駆け抜ける。


「正体現しやがれ!」


 ディオが剣を振るうと竜巻は一瞬にして掻き消え、代わりにいかつい体を持つモンスターが姿を現した。体の表面から異臭を放つどろどろの液体をしたたらせたそのモンスターは、腕に少年の体を抱えている。


「森のやっかいものが何やってやがる!その子を放せ!だいたいお前が昼間うろつくなんて契約違反だろ!」


 まくしたてるディオの傍らに、いつの間にかシフォーが弓を構えて立った。


「森の精霊よ。その子を放しなさい。さもなくば彼の剣があなたを切り裂く。」


 モンスターは牙をちらりと見せると、気絶した少年の体を抱え上げた。


『これは我々に害を為す者。だから始末する。』


「何言ってんだ?その子がお前達に何をするってんだよっ!」


 返事を返すことも無く、モンスターは少年の体を湖に投げ込もうとした。


「貴様ーっ!!」


 ディオは素早く飛び出すと、剣をモンスターの体に突き刺した。


『な・・・に・・・?』


 深々と突き刺された剣の回りから光が溢れ出し、モンスターの体が光に切り裂かれるように細かく掻き消えた。そして支えを失った少年の体は、そのまま湖上に落ちていく。

 間髪入れず水柱が立ち、ディオは沈みかけた少年を追う。


「待ってろ!助けてやるからな!」


 しかし、後数メートルというところで少年の指先が水面に消える。ディオは深く息を吸うと湖に潜った。思ったより透明な湖の水は、少年の姿をおぼろげに映す。

 ディオは少年の体を淡い光が包んでいるのに気付いた。ぼうっと発光しているような光。彼の剣の力と同じ種類の光が、今、この少年からも溢れ出している。

 そして、彼は見た。その光の源は、いつの間にか脱げてしまった帽子からこぼれ落ちた金の髪ではなく、少年の額であることを。

 帽子と長い前髪に隠されていたのは、緋色のあざ。そのあざが今、自らの存在を知らしめすように湖水の中で鈍く光を放つ。

 ディオはやっとのことで少年に追いつき、その身体を抱いて水面に向かう。

 その途中で、彼は自分の間違いに気づいた。帽子の中に押し込められていた長い髪を見た時に気づかなければならないことだったが。

 岸から陸地にはい上がり、火を起こして待つシフォーの元に向かう間、ディオは何とも言えない気持ちに囚われていた。


「お疲れ様。・・・どうしました?」


「い、いや別に。」


 シフォーに冷えた身体を渡し、ディオは火の側にゆっくりと腰を降ろした。

 ちろちろと燃えるたき火の向こう側、シフォーが介抱している光景を、彼はぼんやりと見つめている。

 腕の中の身体は思いの外柔らかく、赤い唇から漏れる吐息は甘かった。何より増して、自分と同じ種類の人間のにおいを、彼は嗅いだ気がした。


「腕と足は軽傷ですね。他に大きな傷はなし・・・。」


 かすり傷に膏薬を擦り込みながら、シフォーは少女の顔を見つめる。

 額にある緋色のあざ。それが生まれつきのものだとしても、何かを暗示しているようなその大きさにシフォーは胸騒ぎを覚えていた。

「私たちに何を語りかけているんでしょうかね?・・・なんにしても、この出会いは何かの歯車を回してしまったような気がしますよ。」


 シフォーは厚い雲に隠されていく太陽と、その遙かかなたに広がる漆黒の森を見つめる。

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