四章《おすすめ本と貸出記録》
#1
本をめくる手がかじかむ季節、冬。
吐く息が白くなり、曇った窓ガラスに誰が書いたかわからない落書きが散見する。
大学附属図書館に務める紙本シオリは、暖かな息を自分の指先に吐きかける。
末端冷え性のシオリには厳しい季節だ。何が厳しいって読書がし辛い。
何をおいても読書優先。そんなシオリも読書以外のことで悩むことも(少なからず)ある。
同僚の本田ショウスケからの告白。意識しないわけにはいかない。なにせシオリは彼をフッたのだから。
せめてもの救いは、二人が面と向かって言葉を交わしたわけではないと言う事だ。
蔵書を並び替えてメッセージを作るという遠回しな方法をとってくれたおかげで、互いに何もなかったフリをすることが出来る。
傍目には、ショウスケに今までと変わったところは見受けられない。
シオリが鈍感なだけなのかもしれないが、それはそれでいい。気づけないのであれば、そのまま気づくことなく過ごしたい。
悩みの種はもう一つ。
本学学生、棚本フミハルのことである。
恋とは人を盲目にする。実は最近シオリの読書量は落ちている。
文字を目で追えど追えど全く頭に入ってこないのだ。
本を閉じた後には何も残っていない。何の感想も抱けない。近頃はカウンターの下に積み上げた本を繰り返し読んでいた。すでに三、四回は同じ本を読んでいる。
閑古鳥が鳴く図書館に学生がやって来る。
足音を響かせて、歩くのは悩みの種こと棚本フミハルだ。
並んで同級生の帯野アキラもいる。
「こんにちは」
フミハルの挨拶にオウム返しで返す。
ここの所フミハルは本を借りてない。ほぼ毎日図書館を訪れているのに一冊も本を借りない。
それでいて閉館間際まで本を読んでいる。
借りて読めばいいのにと思うのだが、それはダメなのだとフミハルは言う。
自宅よりも図書館での読書の方が集中できることもあるだろう。
お昼の挨拶を交わすとフミハルは二階へと向かう。
今日もきっと最後に借りた本を読みに向かったのだろう。彼は毎回読んだ本の感想を話してくれる。
貸出期間中に読み切れなくても必ず最後まで読んで感想を述べてくれる。
住野よるの『君の膵臓を食べたい』を読んだ感想を述べている時に思い出して泣いたりしていた。
きちんと読んでくれていることがわかって嬉しく思った。
今は佐藤友哉の『デンデラ』を読み進めている最中だろう。
シオリはパソコンを立ち上げ、貸出記録を見つめる。
『ストア派のパラドックス』 著 マルクス・トゥッリウス・キケロ
『君の膵臓を食べたい』 著 住野よる
『デンデラ』 著 佐藤友哉
いつになったら読んだ感想を聞かせてくれるのだろう。
他人からの本の感想――評価なんて今まで何とも思わなかったのに。シオリにとってフミハルという存在は特別らしい。
貸出時の何気ない事務的会話が待ち遠しい。
シオリはフミハルに本を薦める時にいつもメッセージを送っている。
気づいてもらえてはいないが、いつかは気づくだろう。希望的観測なのかもしれないが、自分の口で言葉にするのは難しい。
今日にでも気づいてくれないかな。
フミハルのひらめき力に、淡い期待を抱きながら今日もシオリは本を読む(業務中)。
***
図書館は暖房が利いていて最適な環境だ。
学生の大半は寒いからと言ってさっさと帰ってしまう。
図書館に来れば寒さもしのげるのに。七時になったら閉め出されるけど。
少し暖を取るにはちょうどいいと思うのだけれど、他の学生の考えは違うらしい。
棚本フミハルは、木々から葉が落ち始めた頃から図書館に入り浸っていた。
本を読むペースは相変わらず遅いため、なかなか次の本を借りるに至らない。
ちゃんと本を読んで感想を言いたいと思っていたのだが……よくよく考えれば今フミハルが読んでいる本――『デンデラ』はシオリのおすすめ本ではないのだから感想を言う必要もないのではないか。だとすれば読む必要もないのでは? 疑問符が浮かんだが、その疑問符はいつの間にか背後に立っていたショウスケに打ち消された。
「ダメだよちゃんと読まなきゃ」
「うわぁっ――!! ビックリした。何で背後に立つんですか」
「いや、普通に来たつもりなんだけど」
悪気はなさそうなので多分彼の言う通り普通にやって来たのだろう。ただ気づかない程影が薄いのだ。
「紙本さんは僕なんかと違って本当に本が好きだから、本を愛せる人でないとダメだよ」
「本を愛するって感覚はよくわかんないですけど……『純愛の讃歌』は好きですよ。この俺が一気読みできましたから」
「ほんとに!? 僕はあの本自分に合わなくてね。読むのに時間がかかったよ」
「読書の好みってヤツですか」
「そうそう。そんなとこ、君は紙本さんと気が合うのかもね」
「そうですか? よくわかんないですけど」
首を傾げていると、
「紙本さんはプロだから」
「プロ? 読書のですか?」
ショウスケはフミハルの問いに答えることなく、喋り続ける。
「自分を好きだとってくれたも同然だからね。相性ばっちりだったんだね。僕とは大違いだ」
寂しそうに目を伏せて頭を振って天を見上げて「仕方ないか」独り言のように言うと踵を返して背中越しに手を振って職員専用通路に消えてった。
ショウスケの姿が見えなくなってからフミハルは本に視線を落とす。
彼の言う通りどんな本でも――誰に薦められたかなど関係なく、読み始めた本はきちんと最後まで読もう。なんでもシオリはプロらしいから。
***
「読み終わったー」
大きく伸びをするのと同時に思わず声が出てしまう。
慌てて口を押える。
周囲に誰もいないことを確認。ほっと一息吐く。
図書館としては死活問題なのだろうが、閑古鳥が鳴いているおかげで助かった。
「さてと、最後の総仕上げと行きますか」
フミハルは、自身の告白計画を最終段階へと進める。
どの本を借りようか……最後はシオリの意見を参考にしてみよう。借りるかどうかは別問題だが、もしシオリの薦める本の中に告白計画の条件を満たす本があればその場で借りよう。
そしてフミハルはシオリの座るカウンターへと向かった。
***
フミハルは一通り読み終えたばかりの本の感想を述べてから、シオリにおすすめ本はないかと訊ねる。
シオリはメモ用紙に本のタイトルを書き、その横に書架番号も書き足してフミハルに渡す。
『スキャンダル』 740.12
『金と銀』 740.12
『デパートに行こう』 860.68
『砂の城』 740.12
書架番号を見ても「あそこか!」とはならないのだが、礼を言い頭を下げる。
ところでと話題を変える。
「誰の本ですか?」
「『デパートに行こう』が真保 裕一。それ以外が遠藤周作」
現在シオリの中で、遠藤周作ブームが到来しているのかもしれない。
普段読書をしないフミハルでも遠藤周作の名前くらいは知っている。
教科書で名前をお見かけした気がする。
代表作だったりは全く分からないが、訊けばわかるような超が付く有名な作品の著者なのだろう。
「それじゃ選んできますね」
笑いながら言って足早にメモに書かれた書架へと向かった。
目的の書架を見つけて、あ行から順に視線を動かす。
い……う……え……あった! 遠藤周作!
目的の作家の名前を見つけて安堵する。以前目的の場所日本がなかった事案があった。結局その日のうちに事件は解決を見たのだが、どうしてもあの事件が頭を過る。ショウスケに逢ったからかもしれない。今回は何の問題もなくお目当ての本を手に入れられそうだ……と思ったのだがそうは問屋が卸さないとばかりに、文庫本の書架にハードカバーの本が突っ込んである。
『デパートに行こう』が書架の中で浮いている肩身が狭そうなその本を取り出す。
他にはおかしなところはないかと目を凝らすと、文庫本の順番が違うようだ。
『デパートに行こう』を書架に戻してみる。
するとシオリが渡してくれたおすすめ本リストの通りに並んでいた。
初めはショウスケが懲りずに、また何かをやらかそうとしているのかと疑いもしたが、同じような手段を選ぶ意味が解らなかった。
それにシオリのメモと入れ替えられた本が一致すると言う事は、シオリの仕業に違いなかった。では何故そんなことをしたのか? フミハルはショウスケの告白事件(?)しか思いつかなかった。
ショウスケ式で行くと――ええしえ? そんな言葉は存在しない。
そう言えばショウスケは、フミハルのやろうとしていることに気づいて行動を起こしたと言っていた。
フミハルは自分のやろうとして実行した(実行中)作戦内容を思い返す。
自分の作戦内容に目の前の事象を当てはめる。
『スキャンダル』
『金と銀』
『デパートに行こう』
『砂の城』
並んだタイトルの頭文字を続けて読む……思わず笑ってしまった。
まさか自分と同じことを考えているとは。
大人だと思っていたシオリに親近感を抱けた。
案外自分と近い感覚の持ち主なのかもしれない。
――君は紙本さんと気が合うのかもね。
ショウスケの言葉が頭の中で繰り返し流れていた。
俺は幸せ者だな、呟いてからフミハルは再び笑った――。
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