二章《万引き許しちゃダメ、絶対!》

#1

 棚本フミハルは落胆の色を隠せない。

 フミハルは、夏休み家族連れで混雑する市民プールにやってきていた。

 照り付ける太陽はジリジリと肌を焼き、知らぬ間に肌を赤くしていた。

 明日にはペリペリと捲れて痛いのだろうなと、未来に待ち受ける現実を前に憂鬱になった。

 本来であれば喜ぶべきなのだろうが、そう素直に喜ぶことは出来ない。

 何を喜ぶかって? それは、フミハルの脇に体育座りをしているインドア派の彼女が、アウトドア活動について来てくれたことにだ。

 自身を完全なインドア派と自負する紙本シオリは、まさしく本の虫という言葉がしっくりくる女性だ。

 シオリがインドア派と言うことに関してはフミハルも同意見だった。傍から見ても彼女は完全なインドア人間だった。

 そんな人間が、夏休みのごった返した市民プールに付き合ってくれたのにはもちろん理由がある。

 夏休み前にフミハルがシオリと交わした約束。お疲れ様会を開催するというものだ。しかし、互いのことをよく知らない若い男女が二人きりで食事と言うのはいささかハードルが高い。

 そこで、二人でどこかにお出かけをしようという流れになった。

 ちょうどそんな時に母が市民プールのチケットを貰ってきた。「誰かと行って来れば」と言う母に、まだ遊びに誘う様な友達はいないよ、とフミハルは寂しいツッコミを入れる。

 そこで頭に浮かんだのがシオリだった。

 ダメもとで声を掛けてみよう。そう思い至って連絡してみると、OKという返事をもらった。

 それから二人で予定を合わせて市民プールにやってきたという訳だ。

 ここまでは何の問題もない。むしろ事は上手く運んでいる。だがしかし、フミハルはインドア派の人間を少し――いや、かなり甘く見ていた。侮っていたのだ。

 

 シオリは水着に着替えたはずなのに上着を羽織り、帽子を目深にかぶって日陰から動こうとしない。

 プールに来てまで鞄から文庫本を取り出し読書を始める。

 フミハルは諦めてシオリの隣にそっと腰を下ろした。

 もしかするとシオリの水着姿が拝めるのではないかと、夜な夜な妄想した罰が当たったのか。水着どころか肌の露出すらない。夏場なのだから袖なしの服だったり丈の短いスカートにパンツを期待したっていいはずだ。

 そんな下心を見透かして、今の恰好に至っているのだとしたら大した観察眼だ。

 だが事実はおそらく違う。実際は外で――プールで遊ぶ気なんてさらさらなかったと言う事だろう。水着に着替えたとは言っていたが、水着を持ってきているのか甚だ疑問だ。

 その証拠に、執拗に「遊んで来れば?」と勧めてくる。

 要は一人で静かに本を読みたいだけなのだ。

 シオリはフミハルとの約束を守るために、こんな人ごみにまで出てきたに過ぎない。

 ただそれだけの話だ。

 それからもシオリが水に近づくことはなかった。


  ***


 昼食を求めてフミハルは長い行列に並んでいた。

 特別美味しいわけでもないが、プールや海で食べる食事というのは美味しく感じる。それは雰囲気が味覚を狂わせていると言う気がしないでもない。普段の味覚からすればかなり濃いめの味付けだ。しかし、泳ぎ疲れ汗を描いた身体にはちょうどいい味に感じる。塩分補給という意味では濃い味もいいのかもしれない。だが今日はフミハルもシオリも一切泳いでいない。汗をかくようなことをしていないのだ。

 それでも人は腹を空かせる生き物なのだ。

 行列に並んででも食料も求める。

 すると行列の最後尾の方からフミハルを呼ぶ声がする。

 あまりにも遠すぎて誰だか判別できない。しかし、ブンブンと手を振る様子からも、知り合いであることは間違いないようだ。

 それでもまったくと言っていいほど、その人物の正体に気づくことが出来ずにいると、業を煮やしたのか、列の最後尾から駆け足で近づいてくる。


「なんでわからないんだよ。俺たち同級生だろ」

「悪い。逆光でよく顔が見えなかったんだよ」

 

 フミハルは手を顔の前に合わせて詫びる。

 別にいいけど、とそれほど怒っている様子もない同級生――帯野アキラは肩に手を回す。


「棚本は一人か?」

「ん、いやぁ……」


 肯定してもいいものかと躊躇われ、言葉を濁してしまう。


「別に一人でもいいじゃんか」

「なんでそうなる!?」

「気にするな、男なら強がりたい時もあるだろう。だが、俺の前ではそんな見栄は不要だ。俺も一人だからな」


 ガハハとガサツな笑い方をする。

 フミハルはため息を零して、アキラに向き直る。


「今日は連れがいるんだ」

「強がらなくても……」


 どうやら強がりだという疑いを持っているようなので、木陰に座ったまま微動だにしないシオリを指さす。アキラはフミハルの素日の先に居るシオリに気づき「マジか」と口が動いた。

 まさか連れがいたとは、という表情である。

 全くもって失礼な話だ。


「そうかぁ、連れがいるんなら無理に誘うのは悪いな」


 連れが居なければ無理やりにでも何処かに連れて行く――もしくは面倒事に巻き込むつもりだったのだろうか。

 しかしフミハルの考えは甘かった。


「じゃあ、アッチの人も誘えばいいか」

「え? 何が「じゃあ」なの!?」

「いや、一人よりも二人、二人よりも三人居た方がいいんだよ。知恵は多いに越したことはない」

「智恵? 課題か何かか?」

「違うよ。ちょっと判らないことがあってだな。ミステリーだよミステリー」

 

 大袈裟に言うアキラ。

 けれどもこの大袈裟なミステリー発言は、大袈裟でもなく事件だった。

 


 アキラを引き連れてシオリの下に戻ると、本から目を離して「おかえり」と言ってくれる。それと同時に「誰?」とアキラを見て疑問符を浮かべる。


「コイツは同級生でアキラって言います」

「どうもー」

「どうも」

「えーっと、それで相談があるみたいで」

「相談?」

「そうなんですよ! 実は俺。この前万引きの瞬間を目撃しちゃって」

「万引き?」

「そうそう、うわ! 決定的瞬間見ちゃったよーって思って、でも万引き犯を掴まえるのは怖かったから店員にそのこと言ったんすけど……」


 と、そこまで言ってアキラは言葉を濁す。

 さっさと言えよと急かすと、笑うなよと言って続けた。


「何も盗られてないって言うんだよ」

「じゃあ何も盗られてないじゃん!」

「話は最後まで聞けよ棚本。俺も見間違いかなって思ったよ。でもオレが見た万引き犯は幻じゃない。確かにいたんだ。だから――俺もその店で働くことにしたんだ」

「行動力凄いな」

「褒めるなよ」

「別に褒めてねぇよ。むしろ呆れてる。その活力をもっと違うところに生かせばいいのにって」


 アキラの行動力に驚きはするものの、その無駄な行動力は称賛し難い。


「それで? その店で働いて何かわかったのか?」

「ああ、確かに万引き犯がいることがわかった」

「良かったじゃないか、犯人がいることがわかって」

「でも事はそう簡単に解決しないんだよ」


 どういうことだ? と尋ねるより早くアキラは喋る。


「何も盗られてないんだ」

「??」

「コイツ馬鹿か? みたいな顔すんのやめてくんない」


 アキラの言っていることは滅茶苦茶だ。

 万引き犯がいることがわかったと言いながら、何も盗られてはいないと言う。支離滅裂だ。


「馬鹿なんだろお前」

「馬鹿じゃないよ!! 俺一応前期オールSだったよ」

「そんな人間は存在しない!」

「なんで断言するんだよ。現に俺がいるし!」

「いいや、俺は認めない。それはお前の妄言だ!!」


 …………

 ……

 …


 そんなこんなで、無益な口論の末にわかったのは、アキラは馬鹿ではないと言うことだ。

 

「つまり、アナタは防犯カメラに映る万引き犯を確認したけど、実害が出ていないと言う事ね」


 見事にシオリがアキラの発言を要約してくれる。

 初めからそう言えばいいのに、回りくどい言い方しやがって。

 

「まあ、そんなわけでもう手詰まりなんだよ」

「で、俺にその真相を解くのを手伝えと?」

「ああ」

「そうだな。万引きはダメだよな……だが断る!」

「なんで!?」

「だってめんどくさいから」

「でも、俺モヤモヤして夜も眠れないんだ。昨日も六時間しか寝てない」


 ツッコんでやらない。ツッコんでやるものか。頭がいいのと馬鹿とは別物だ。もしくは紙一重なのだ。

 

「でも、もし盗まれているのだとすれば止めさせないとだろ?」

「それで結局お前のバイト先の店ってどこ?」

「ん? 言ってなかったか? 大学近くにある本屋だよ」


 本屋と言う言葉に反応したシオリが、ガバッと顔を上げ、詳しく聞かせてと真剣な表情を向けた。

 

「いくわよ」

 勢いよく立ち上がると更衣室へと向かった。


 結局フミハルとシオリは泳ぐことなく、市民プールを後にした。

 アキラを加えて三人組となった一行は問題の書店へと向かった――。

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