はなのあめ/はなごろも

はなのあめ

 しとしとと降る雨を、昼間にしては薄暗い部屋の窓からじっと眺める。休日とはいえ、こんな日にわざわざ予定を作って外出しようなどと思うほど、僕はアウトドア派ではない。

 追い打ちをかけるごとく、ごうごうと音を立てる風。昨日桜が見ごろを迎えたばかりなのに、この様子じゃあらかた散ってしまうだろうと残念に思う。

 『花散らしの雨』とよく言うけど、天気予報などで使われるそれは実は誤用なのだと聞いた。雨によって散るのは花ではなく、花見に集まってどんちゃん騒ぎをしていた男女の若者たちらしい。

 結局今年の春も、例年通り花見をすることなく終わってしまいそうだ。桜は好きなのだが、実際その季節になると億劫がって何もしないのだから始末に負えない。季節が来ればあと何回でも見られるのだからと、高をくくっているのかもしれない。人間いつ死ぬか分からないというのに、傲慢なものだ。

 桜の散る様子は美しい。風に乗って、ざぁっと散っていく花吹雪は、言葉にならないほど。地面や川に桃色の絨毯を作る花弁は、最初は色づいて綺麗なのに、時間が経って色が変わったら、あんなにも虚しく思えるのは何故だろう。その光景を目にするたびに、春の終わりを感じて虚しくなる。

 そんなことを考えている間にも、雨脚はどんどん強くなり。

 きっと、しとどに濡れた花弁も、その重さに耐えきれず、がくごと落ちてしまっているだろう。べっとりと地面にへばりつく花弁は、見られたものではない。思い浮かべるだけで、翌日の外出がさらに億劫になる。

 まさに『花散らしの雨』。誤用だとしても、そう形容せずにいられない。

 テーブルに置いた携帯電話が着信を知らせた。最近カバーを変えたばかりのそれを手に取り、指を走らせる。耳に当てれば、聞き慣れた少女の涙声が、気弱に僕の名を呼んだ。

 かつて僕に例の言葉の誤用について吹き込んだ幼馴染の彼女は、嗚咽を堪えながら、好きだった人に振られたのだと告げた。本当は、今日告白する予定だったのだという。

 きっと……いや、間違いなくこれは雨が原因ではない。雨が降っていたって、男女が会って話をするくらい造作もないことだ。

 それでも、思ってしまう。

 この雨は、せっかく綺麗に咲いていた彼女の恋心さえも、散らしていってしまったのだと。

 口惜しくなると同時に、けれどこの雨は自分が降らしたのかもしれないとも考える。心当たりなら、十分すぎるほどあるのだ。

 電話口からは相変わらず泣き声が聞こえる。

 わたし、そんなに魅力ないのかな。

 好きになったらいつも積極的にアプローチするから、彼にウザい女だって思われたのかも。

 結局いつも、友達どまりでしかないんだね、わたしって。

 そんな、どれほど考えたところで徒労にすぎないようなことをつらつらと。これは彼女の失恋の度に聞かされることだったから、慣れている僕は今更どうと思うこともないのだけど。

 こういう時に余計な口を挟むと逆効果だということは、これまでの経験で既に分かっていること。だから僕は、水底に沈んだ貝よろしく、ただひたすら口をつぐんで、いつも以上におしゃべりな彼女の話に耳を傾ける。

 目を閉じる。話をしっかり聞いているつもりでも、やっぱり考えるのは自分自身のことだ。人間はみんな、自分が一番可愛い。そうできているのだから仕方あるまい。

 惚れっぽい彼女が幾度も恋を繰り返すように、彼女の恋の報告を聞くたびに幾度も繰り返される――いや、掘り起こされる、と言った方が正しいのだろうか――この想い。

 失恋した彼女の境遇を哀れに思う、けどそれ以上に僕は……。

 窓に目を向ければ、相変わらずやむ気配もない雨。乱れる天候はまるで、彼女の心のよう。

 裏腹に、僕の心に顔をのぞかせるのは、一縷の期待と希望のようなもの。彼女を自分のものにしたいという、即物的な想い。

 そういう明るく狡い芽を、僕は一つずつ押し殺してひねりつぶして、最初から存在しなかったことにしようとする。何度やっても無駄なことなんだって、知っていても。

 そういえば、いつだったかに聞いた……花が咲くのを促すためという、その雨の名は何と言っただろう。

『……催花雨さいかう、』

「ん?」

 電話向こうから、散々泣いて愚痴って落ち着いたらしい彼女の、少し掠れた声が耳に届く。思わず聞き返せば、ぐず、と鼻をすすったらしい音の後、彼女は熱に浮かされたようにぽつりと告げた。

『春にね。花が咲くのを促すために降る、雨のことだよ』

 これまでの考え事を見透かされたようで、一瞬肝が冷える。彼女への思いも同時に、筒抜けたような気になって。

 そんなわけは、きっとないのだけど。

『わたしの心に咲く花は、いつもすぐに枯れちゃうの。相手が、わたしのことを好きになってくれないから』

 早く、現れてくれないかな。

『わたしを、好きだって言ってくれる人が』

 ――ここに、いるよ。

 なんてのは、僕に言えるようなことじゃない。

 やがて雨脚は徐々に弱まり、分厚い雨雲の間を割るように光が細く注いでいるのが見えてくる。窓の外の景色を眺め、代わりに僕は祈る。

 いつか、彼女が心から愛してくれる人と結ばれますように。

 優しく、彼女の心に催花雨が降り注ぎますように。

 そうして咲いた花が枯れることなく、ずっと長く綺麗に咲き誇りますように。

 そうすれば僕は、気付いた時には既に心を巣食っていたこの浅ましい想いを、ようやく消すことができるのだから。

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