応援コメント

第17話 社会とのフレームをズラしてみよう」への応援コメント

  • 五感や動きの描写、それから読者に情景をスムーズに描かせるのは、ほんと大事だと思います。私は高村光太郎の詩にその頂点のひとつを見て、真似たいのですけど、どうも苦手なんですよね。

    光太郎から一例をとれば、「涙にぬれた手に山風が冷たく触れる」という「山麓の二人」のくだりですが、それより手前に「(妻は)わたくしの手に重くもたれて」とあり、涙は智恵子の目から、手は光太郎のものとわかるのですね。さらにいえば、彼は彼の五感をしか書かない(これは私の印象なんでそうでもないかもしれませんが)ので、「冷たく」と書いた以上光太郎の手でないはずがないとわかるんですね。推敲で無駄な言葉を削いでいく様が見えるようで、「何を措いても彫刻家」だなぁと思います。

    なんだか関心の方向が近く感じたので語ってしまいました。

    作者からの返信

    レモン哀歌の評論読ませていただきましたが、素晴らしかったです。詩は読み手がその言葉で肉体の動きを追体験するところにひとつの意味があると思います。言語の肉体化および動詞によるものだと考えてるわけですが。湿原さんの評論には勉強させてもらっています